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【読書の学校】ブックトークフェスティバル2019

「3人の完璧な本(2)」 辻山良雄×堀部篤史×黒田義隆 司会進行・北村知之

2019年10月14日、梅田 蔦屋書店で行われた「ブックトークフェスティバル2019」の模様をお送りいたします。各回2時間の3部制、これを1日でやりきった大型イベントです。本連載では、イベント当日の様子をお届けしています。

前回に引き続き、Title・辻山さん、誠光社・堀部さん、ON READING・黒田さんをゲストに、梅田 蔦屋書店・北村さんが「完璧な本」をテーマにお話を伺います。どうぞお楽しみください!

前回はこちら

堀部さんの完璧な本

北村:堀部さんにも、同じ依頼をさせていただきましたが、一言、完璧な本など存在しないというふうにご回答いただきまして、ばっさりと。その理由をお伺いできますか。

辻山:私もほんとはこの答えにしたかった(笑)。

堀部:そうそう。ずるいっていうか、役割っていうか、ポジションですよね。もちろん質問の意図っていうのは分かりますし、要するにわれわれがどういう本をいい本だと考えてるのかっていう基準を聞きたいっていうご質問だと思うんですけど、トークイベントなんで、エンターテインメントなんで、なぜそういう回答をしたかっていうお話を、面白くできたらと思うんですけど。

本って要するに嗜好品なんで、「おいしい」とか「美しい」とかに近いと思うんです。いい本とか素晴らしい本っていうのは。数年前に、2年前かな、『珈琲の建設』って本を出しました。京都の先輩でオオヤミノルさんという癖の強い焙煎家の、一人語りというか、聞き書きをまとめたものなんです。

その中で語られてることと重ね合わせて言うと、いい本とか、おいしいコーヒーって、大体その大きく分けて3つ基準が挙げられます。

まず一つは主観ですよね。でも主観だけに判断基準を委ねると、私がおいしいと思ったものがおいしいとか、トートロジーになっていくわけですよね。要するに客観的基準というのは存在しない。その人がおいしいと思えばそれはいい。でも、そんなことはないんだと。そんな単純な話じゃなくって、料理、コーヒーも料理なんで、絶対に客観的基準やルールはある。コーヒーに例えるなら、深煎りが好きだから、その濃い味がおいしいといっても、やり過ぎると、それはもう失敗になってる。焦がしてしまってるとか。浅焼きがおいしいと言ってるけど、それはもう生臭さが出てるとか。だから、ある程度の範囲があって、絶対的なポイントはないんだけれども、その範囲の中で好みがある。でも、ある一線越えたら、それは「失敗」だし、料理じゃないんだよと。好みで片付けちゃいけない範疇っていうのはあるんです。ある程度、相対的なものではあるんだけれども、幅がある。

もうひとつは奥行きです。奥行きっていうのは、直接味に出てはこないんだけれども、同じ深煎りのコーヒーを、同じような味に出すにしても、例えば温度を高くして淹れるのか、あるいはコーヒーの豆をたくさん使うことで濃くて、パンチの効いた味にするのか、そこにたどり着く過程が全然違うわけですよね。

例えば、さっきの焦がしてしまってるっていうのは、本でいえば文法の間違いが散見されるとか、そもそも文章の組み立て方がおかしいとなれば、好みの問題ではなくてただの駄目な本ですよね。どんなにストーリーが残酷でも、ものすごいエクストリームな話が好きなんだっていう人にとったらすごくいい本かもしれないけど、文章がまずいとか、やっぱり倫理的に問題があるとかは論外だと。ある程度どんなジャンルの中でも失敗と成功というのはあって、それは点じゃなくって、ある程度の範囲の中なんだと。その上で奥行きっていうのは、その本がどういうふうにして書かれたかとか、どのように受け入れられたとか出版状況も含めた話。要するに本の背景ですよね。

例えば『アンネの日記』が、ものすごく優れた文章かどうか、深いことを書いてあるかどうかは別の話で、アンネが置かれた環境であったりとか、彼女がどういう状況でその本書いたかっていうことが、その本の価値であり、われわれに伝わるわけですよね。メタメッセージとも言い換えることができるかもしれません。さっき黒田さんが出していた『うろつき夜太』なんて、小説としては破綻してるかもしれないけど、本としてはすごく素晴らしい造形をしている。そんな単純な話じゃないんだけども、ある種奥行きがあって良い本。そういうふうに言えると思います。背景であるとか、そこにたどり着く過程ですね。

もうひとつは、さっきからさせていただいている個人店の話と一緒で、コミュニティー間の合意形成ですよね。例えばコーヒーでもいろいろある。スペシャルティ・コーヒーが好きな人、ファッションとしてそういうものが好きな人は、ブルーボトルコーヒーとかかっこいいし、なんかいいものを飲んでる気がする。それをおいしいっていうのも、もちろんありだと思うんだけど、僕はそういうものにあんまり与したくないというか、もっと自分がおいしいと思える店はいくらでもある。別のおいしいの中でも、例えば自然派で、誰々さんの農場で採れた豆を使ってます、そういうのもあります。それもやっぱり僕の感覚とは違うんです。そうじゃなくて、ここのコーヒー豆屋さんが好きな人が集まるコミュニティーの中で、やっぱこれ、こっちの豆のほうがおいしいよねとか、この豆はこうやって深煎りで出したほうがおいしいよねって、合意形成の上での「おいしさ」があるんです。

これを本に例えると、例えば雑誌の『ダ・ヴィンチ』が好きな人とか、ライトノベルが好きな人、その中でやっぱり合意形成があって、ライトノベルの中でもこれがすごくいい、というのがあるはずです。でも、Titleの辻山さんが売ってる本とか、黒田さんが売ってる本って、お客さんとの綱引きとはいえ、ON READINGに来るお客さんのコミュニティーっていうのは、『ダ・ヴィンチ』を読んでる人のコミュニティーとはまた違うと思う。だから、辻山さんが推してるこの原民喜なんて、全然面白くないやんと別のコミュニティの人が言っても、それは合意形成がなされてないから、勝手な主観でしかないんです。

この話いくらでもできるんですけど、個人の主観がまずあると。あとはその本の背景や付加価値。もうひとつは、ある特定のコミュニティーの間での合意形成ですね。その3つが重なることによって、すごくいい本とか、すごくおいしいコーヒーっていうのが決定される。だから、いろんな「おいしい」があるわけですよね。「完璧」っていうのは客観的な定義なんで、例えば正三角形ですよね。定義があって、その定義を満たしているものっていうのは完璧な正三角形だけど、本にはそういうものはないわけです。いろんなコミュニティーがあって、いろんな奥行きがあって、いろんな主観があるわけです。

なぜ、「完璧な本はない」なんて理屈っぽいことをあえて言うのか。やっぱりそれを定義してしまうと駄目なんです。例えば、一番おいしいコーヒーとか、超おいしい料理っていう、これがもう絶対ですっていう基準を決めるとすると、それはもう資本に独占されてしまうんです。だってそこに近づく公式がはっきりするわけだから。こういう小説を書いて、こういう本にすれば、というアルゴリズムにしたがって作れば、完璧な本ができれば、それが一番売れることになる。そうなると僕ら個人経営の本屋なんてそれを扱えないです。だって、もうAmazonみたいな莫大な資本を持っているとこが完璧な本を書ける著者に、完璧なマーケティングに基づいて自社で一番完璧な本をつくって、自社だけで売ればいんだから。そうなるともう本自体が貨幣になっちゃうわけで、それはもう文化じゃないわけです。資本のお話になってしまう。でも、本っていうのはそういう絶対値がないし、いろんなコミュニティーの合意形成とか、自分が美意識を磨いて、良し悪しを決めていけるんです。だからインディーだし、絶対資本に収奪されない存在、それが本やコーヒーのような嗜好品の良さなんです。だから、コーヒー屋さんでも料理店でも、個人経営の本屋さんでも、生き延びることができるのは、扱っているものに完璧さの定義がない嗜好品だからなんです。誰がいつ、どのように、誰に対してで価値が変わるものだから。

辻山:めっちゃ長かったなー(笑)。

本屋作りの価値基準、個人書店の魅力

北村:会場から質問をいただいています。すごくたくさん質問をいただいているんですが、選書に関する内容と、お店作りに関する内容がほとんどでしたので、こちらである程度要約させていただいて、質問とさせていただきます。

「辻山さんのお話の中で、Titleに並ぶ本はお店のトーンの範囲に収まるもの、また堀部さんも棚の文脈に合うものを選んでいると仰っていましたが、そのお店の個性とかこだわりっていうものをどうやって作っているのか、その判断基準であったり、価値観を教えてほしい。」もうひとつ、「個人本屋を営む魅力について聞かせてほしい」それぞれ3名の方に。

黒田:そうですね。別になんか特に個性を出そうとは思ってないんですよね。なんて説明したらいいんですかね。個人規模の本屋であれば結局、その店主がやれることしかやれないじゃないですか、当たり前ですけど。あとはその場所と環境、時代でのやるべきことの掛け合わせで店って作られていくものだと思うので。それが、個性と言えるのであれば、そうかもしれない。だから自然と出てくるものだと思います。

堀部:自分に近いんですよね、お店は。

黒田:そうそう。多分本屋に限らないと思うんですけど、結局やっぱり個人店をやるってそういうことだと思うし、基本的には精神衛生上、なんか嫌なことはやりたくないっていうのが基点にあるから、楽しい感じで選書もするってことですかね。全然答えになってないけど(笑)。 

あと個人店の魅力は、僕も他の本屋に勤めたことがないんでわかんないんですけど、そういうなんかしがらみというか、売りたくないものは置かなくてもいいし。あと、すごいミーハーなんですけど、自分が好きな作家さんに会えたり、一緒に仕事できたりするのはめちゃくちゃ楽しいですね。学生の頃、雑誌で見てた人と仲良くなれたりしてるのは、今考えても夢みたいです。

北村:ありがとうございます。じゃあ堀部さん、お願いします。

堀部:今日ずっと話してたことだと思います。自分が好きだからだけではないけれども、その自分の情緒に近い範囲とお客さん、来てほしい1万人のお客さんとの間、その本を選んで、どう並べるかっていうのはその技術ですし、それをいちいち話しだすと長くなるんですけど。

あと個人店をやってる魅力っていうか、これしかできないからやっている。会社勤めできないし、私立探偵みたいに生きていくしかないから。だから、よく本屋さんになりたいっていう質問をされるんですけど、ちょっと首をかしげるというか。まずゴールを決めて物事考えるっていうのが僕は間違ってる気がするんです。知り合いの古本屋なんて、もう売るほど古本あるからしゃあないし、古本屋やってる人が多い。でも、それはたぶん仕事や生き方以前の日常的な1個1個の選択の結果なんです。本が好きなら当然ついつい買ってしまうし、それが積み上がってきて結果的にそういうふうになる。そのほうが僕、自然だと思うんですよね。

本屋に憧れて、本屋をやりたいから、本屋を目指すっていうのはなんか違う。例えば、本が好きで、そこで編集者になるっていう選択肢もあるし、デザイナーとか出版社に勤める道もあるし。だって本屋なんて儲からへんし、自分が好きな本を紹介したいとか、作り手と関われる、黒田さんがおっしゃる「好きな人と会える」っていうのも、好きだからなんですよね。逆に言うと、好きじゃないとやってられへんっていう仕事ではあるから。魅力というより、もうどうしょうもないからやってるっていうことに尽きますね。

でも、頑張ってここにたどり着いたって感じではありますよね。他にもっと選択肢があっただろうけど、もうそのやりたくないことはやらない、その代わりに努力はしてるから、なんとか食えるまでにはなった。他の人には魅力はそんなにないと思います。われわれにはあるかもしれないですね。

北村:ありがとうございます。では最後に、辻山さん。

辻山:本屋の人生って、店に行っても本に囲まれていて、家に帰ってもまた似たような本が自分の本棚に並んでいるわけじゃないですか。本にまみれたい人にはいいですよね。だから、あんまり良くないことなんですけど、最近店で売ってる本と、自分が読んでる本の区別がだんだんなくなってくるというか、そういうのがありまして……。

ただそれは、堀部さんがおっしゃったみたいな、自分の情緒とその仕事が近づいていくということでもある。完全にその店にある本が、自分の情緒とイコールではないんですけども、割とそれに近い状態にあるというか。ありがたいことに、本の書評をさせてもらうという機会も増えてますけど、その本を読んでそれについて書くことで、さらにその本と自分が近づいていく感覚はあります。いまはそうした仕事ができているので、それは良かったなと素直にそう思います。

お店にある本も、そうした意味では自分に近いものが出てるけど、もちろんそうじゃないものもあるし、一定の幅でそれをつくっているというところですかね。だから、いろんな人が店をやったら、それはすべて違うものになるし、決して同じ店にはなりません。だから店は楽しいのだと思います。

北村:ありがとうございました。答えにくい質問ばかりだったかと思いますが、みなさん真剣に答えていただき、非常にぜいたくな時間でした。ぜひ、それぞれのお店に足を運んでいただきたいと思います。

では、これにてブックトークフェスティバル2019を終了させていただきます。本日、第三部「完璧な本」にご登壇いただきました辻山良雄さん、堀部篤史さん、黒田義隆さんに、ご盛大な拍手をお願いいたします。本日は本当にありがとうございました。(拍手)

今回を持ちまして「ブックトークフェスティバル2019」の連載は一旦終了とさせていただきます。
ご愛読ありがとうございました。

辻山 良雄(つじやま よしお)
1972年兵庫県生まれ。書店「リブロ」勤務を経て、2016年1月、東京・荻窪に本屋とカフェとギャラリーの店「Title」をオープン。新聞や雑誌などでの書評、カフェや美術館のブックセレクションも手掛ける。著書に「本屋、はじめました」(苦楽堂)、「365日のほん」(河出書房新社)、画家nakabanとの共著に『ことばの生まれる景色』(ナナロク社)がある。

堀部 篤史(ほりべ あつし)
1977年、京都市生まれ。河原町丸太町路地裏の書店「誠光社」店主。経営の傍ら、執筆、編集、小規模出版やイベント企画等を手がける。著書に『街を変える小さな店』(京阪神エルマガジン社)ほか。 

黒田 義隆(くろだ よしたか)
1982年生まれ。愛知県出身。BOOKSHOP & GALLERY「ON READING」店主。パブリッシングレーベル「ELVIS PRESS」代表。2006年に「YEBISU ART LABO FOR BOOKS」を名古屋市にオープン。2011年に同市内に移転、「ON READING」としてリニューアルオープン。

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