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子どもが言葉にであうとき

「あかりちゃん」から「わたし」へ―「自分」との出会い

 子どものころ、私は自分のことを「紅(こう)ちゃん」と呼んでいました。恥ずかしながら、かなり大きくなるまで。周囲が当然のように「わたし」と言う年齢になっても、なかなか変えることができず、結局小学校の間ずっと「こうちゃん」で通してしまいました。幼少期ならまだしも、小学五、六年生になって、自分の名前にちゃん付けで呼ぶのはさすがにまずい。そう自覚しながらも、大きくなればなるほど、なかなか変えられないものです。自分のことを「わたし」と呼ぶのは、言い慣れないし、気恥ずかしい。親しい人たち、とくに家族の前ではオフィシャルになり過ぎて、あらたまった感じがなんとも居心地悪い。呼称が各人のアイデンティティに占める大きさを思います。

 私の夫も父も、小さい頃は両親を「お父ちゃん、お母ちゃん」と呼んで育ったらしいのですが、夫は小学校に上がるときに「これからは、お父さん、お母さんと言いなさい」と言われて、大いなる違和感をもったとのこと。父も、大きくなってもなかなか「お父さん、お母さん」に変えることができず困ったそうですが、そんな感じに似ているでしょう。

 結局、滋賀県の小学校を卒業し、周囲に知っている人が一人もいない京都の中学校に入学するタイミングで、私は「わたし」になりました。それまでの私を知る人がいない環境では、さもはじめから「わたし」と言っていたかのように、比較的スムーズに移行することができました。要は、変えた自分を見せるのが恥ずかしいという自意識の問題なのでしょうか。

 三十歳を過ぎ、疲れて気がゆるんでいたとき、家族の前で「こうちゃん」がポロっと出てしまったことがあり、そんなに深くしみこんでいたのか、と自分でも驚きました。「こうちゃん」も「わたし」も、私にとってはどちらも自分を指す一人称、「自称詞」であることに違いはないのですが、その変換に苦労した経験をもつ私は、子どもが自分のことをどのように呼び、いつどのようなきっかけで呼び方を変えてゆくのか、その変遷に興味をもっています。

 はじめから自分のことを、「わたし」「ぼく」という一人称で呼ぶ子どもは、まずいないでしょう。赤ちゃんのころから、毎日何十回となく「〇〇ちゃん、おっぱいだよ」「〇〇ちゃん、おむつ変えよう」と名前を呼んで話しかけられ、だんだんその「〇〇ちゃん」が自分を指す言葉であることが分かってゆきます。「〇〇ちゃん」と呼びかけられると、振り向いたり、「はーい」と手を挙げたり。「わんわん」や「にゃんにゃん」が犬や猫を指すように、「〇〇ちゃん」は自分を指し、「△△ちゃん」は別の子のこと。自と他の区別がつく、他とは異なる自分という存在を発見してゆくのです。自分を指す言葉があると知ることは、なんと大きな一歩なのでしょう。

 育児日記によると、娘のあかりは一歳八か月のころ、自分のことを「あか」と言い始めました。ちょうどそのころ、電話を持ち、「★△♪※~~」と何やらしゃべり、途中「うん、うん」と言ってうなずくという「電話ごっこ」をしたり、大人の真似をしてうがいをしたりしています。なんでも真似をしてゆく中で、大人が呼んでくれる「あかりちゃん」を使って、自然に自分のことを表すようになっていたのですね。

 二歳になったころだったでしょうか、保育園にお迎えにゆき、娘を連れて出ようすると、年上のクラスのお姉さんが玄関先で泣いていました。どうしたの?と聞くと、「カメムシ…」と言ってまたしくしく泣きます。見ると、靴のなかにカメムシが入っていて、踏んづけてしまったようでした。靴をトントンと叩いて出してあげましたが、裸足でカメムシを踏んでしまったショックは、さぞ大きかったでしょう。娘は、そんな一部始終をだまってじっと見ていました。あとから、その時のことを話題にしたとき、娘は「あかりちゃん、見てた」とぽつりと言いました。靴の中には虫が入っているかもしれないこと、そしてそれを踏んでしまうこともあるのだと、怖がりながら、でも目を離すことができずに見つめていたのでしょう。よほど強い印象を残すことだったのだと思います。このときの「あかりちゃん」という主語に、意志をもって見つめていた自我のようなものを感じたことを、よく覚えています。

 娘の場合は、「あかりちゃん」→「あかり」→「わたし」という経過をたどりました。まず「ちゃん」がなくなったのは、三歳八か月のころ。それに先駆けてしばらく、「ちゃん」ありと、「ちゃん」なしが混在する時期がありました。きっとその間、「ちゃん」をなくすことに、少し背伸びをした「お姉さん」な感じを持っていたのではないかと思います。

 そのころ、夫の単身赴任先の東京へ遊びにゆく機会があり、ゴールデンウイークの天気のよいある日、有栖川宮記念公園へ連れて行ったことがありました。砂場で山を作っていると、少し年上のお姉さんが近寄ってきて、「この子のお洋服すてきね」と娘の空色のワンピースを褒めてくれました。さすが東京の子はこんな言い方でお友達になるのかあ、と感心して見ていると、娘もその一つ年上のリナちゃんと気が合ったらしく、ふたりでトンネルを掘り始めました。面白かったのは、ふだんはベタベタの京都弁を話している娘が、リナちゃん相手に標準語イントネーションでおしゃべりを始め、「わたし」とよそゆきの言葉遣いをしたこと。京都弁から標準語へ。「あかり」ではなく「わたし」に。スイッチの切り替えが見事で、人称代名詞はまさに相手との関係性に影響されるのだということを、小さな子同士のつきあいの中で、目の当たりにしました。

 そういえば、「ごっこあそび」をするときにも、京都弁がなりを潜めて標準語イントネーションがとって代わり、「あかり」が「わたし」になるのを、面白いなあと眺めていました。日常会話から切り替えた、「ごっこ」の世界。「わたし」という一人称は、はじめのうち、ある役を演じるときの少し恰好をつけた呼び方だった気がします。「わたし」という人称を使ってしゃべることが、すなわちある世界観の中での、「役柄」を担うコードであるような。

 ごっこ遊びの中では、子どもたちはいとも容易くそれらしく、「博士語」「老人語」などの「役割語」を操ります。実際そんな話し方をする博士や老人はいないのに、「ワシは博士じゃ」「このめんこい子はどこの子かのう」といった具合。お姫様は、「ごらんなさい。よろしくってよ」。キャラクター設定に従って、典型的な話し方をインプットされています。

 娘は、さまざまな物語に出会うたびに、その「ごっこ」遊びをしようと私を誘います。『アルプスの少女ハイジ』『アナと雪の女王』『ドックはおもちゃドクター』『ふしぎな島のフローネ』「ボンダイビーチ動物病院」『ピアノの森』「ハリーポッター」シリーズなどなど、そのときどきに見ていたアニメやテレビ番組や映画のお話を、自分の周りに再構築するのです。保育園に送ってゆく車の中で、「今日はハイジごっこしよ。お母さんはロッテンマイヤーさんとペーターとおじいさんとセバスチャン」と私に複数の役柄を割り当て、お迎えにゆくと、「朝のつづきしよう」とまたクララになったりハイジになったりするのでした。私は中学のとき演劇部でしたので、こんなごっこ遊びも、声音を変えながら、一緒に楽しんでいます。

 とくに『アルプスの少女ハイジ』のロッテンマイヤーさんの口調は、娘に何かをさせたいときには便利で、「アーデルハイド! はやくお着換えなさい。そんな子はゼーゼマン家にふさわしくありません」「わたくし、お皿を運ばないのは我慢なりませんの。よろしゅうございますね。キィー!」などと、我ながら上手なロッテンマイヤーさんぶりです。娘は、「やめてー! ほんまにきらいー」と耳をふさぎます。

 物語の中では、「わたし」「あたし」「わたくし」「吾輩」「わし」「ぼく」「オレ」などなど、日本語の多様な人称に出会えます。子どもはいろいろな役柄を演じ、そのキャラクターの役割語を話すことを通して、自分とは年齢や性別や立場や境遇の違う人がいることを、何となく承知してゆくのかもしれません。

 五歳を過ぎたころ、娘がごっこ遊び以外で、意識して「わたし」と言いはじめました。そして、ものの数日間の気恥ずかしさだけで、すんなりと、自分の意志で、「わたし」に変身してしまいました。私が中学になるまで乗り越えられなかった段階を、娘はさっさと通過してしまったのです。急にお姉さんになられてしまったようで、「あかりちゃん」と言っていた娘がもういないことが、なんだかちょっとさびしかったのでした。

「あかり」から「わたし」に変わり大人には何かさびしい五歳二か月

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著者略歴

  1. 永田 紅

    歌人、京都大学特任助教(細胞生物学)。十二歳から短歌を作り始める。歌集に『日輪』(砂子屋書房)、『北部キャンパスの日々』(本阿弥書店)、『ぼんやりしているうちに』(角川書店)、『春の顕微鏡』(青磁社)、エッセイ集に共著『家族の歌』(文藝春秋)。歌壇賞、現代歌人協会賞、京都府文化賞奨励賞受賞。

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