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聴いちゃった体

宝探しの時間(12通目/瀬尾夏美)

聴くのは楽しい!
でも、聴いたら最後、前の自分には戻れない!
美学者の伊藤亜紗さんと、作家でアーティストの瀬尾夏美さんの往復書簡。小さな声をひろい、そこから見える豊かな世界を描いているお二人が、「話を聴く」ことについて、聞き合い、語り合います。

今回は瀬尾さんから伊藤さんへのお手紙です。

前回のお手紙はこちら
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  亜紗さんこんにちは!

 お返事がとても遅くなってごめんなさい。

 6月、7月と展覧会の搬入が続いてばたばたしておりました。ひとつは「被爆80周年」という言葉が冠された広島市現代美術館の「記憶と物」、もうひとつは東京都美術館で始まった「つくるよろこび 生きるためのDIY」という展覧会です。ふたつとも、いまの時世を映すいいタイトルだと思っています。

 展覧会って時間も手間もお金もたくさんかかってすごく大変なのに、たいがいが仮設で、たった数ヶ月で会期が終わってしまうという “コスパ” が悪いものなのですが、それでもやってみる価値はあると信じて頑張って(もはや踏ん張って)います。

 もちろん絵画や彫刻作品の実物が見られるとか、圧倒されるようなインスタレーションにからだごと浸れるとか、その場所でしかできない体験ができるという貴重さもありますが、わたしとしては、美術館という公共の場に、みんながしんみりと一緒にいられる居場所をつくりたいという気持ちがあります。

 展示室にいる鑑賞者たちは、同じ場所で同じ作品を見ている。当たり前のことですが、その感じ方や解釈はそれぞれですし、ほとんどの場合、その場で知らない人同士が言葉を交わすことはありません。けれど、複数の見知らぬ人たちが同じ時間に同じものをじっと眺めていること自体に、一種の安心感が芽生える気がしています。

 たとえばこれは、同じバスの乗客たちが、それぞれに大きな月を見つけたときの感覚に似ているかもしれません。もしくは、ひとつの風景を共有しながら同じまちに住んでいることや、同じ本を読んだ経験がある人に出会うことにも似ているかもしれません。こう書くとあまりにロマンチックすぎるかもしれませんが、美術館という日常とはすこし切り離された場所に佇んで、ささやかだとしても見知らぬ他者とのつながりが感じられたら、それはいいことだなあと思うのです。

 ところでわたしは、展示室に入ることをひとつの旅と捉えることができるのでは? と考えています。鑑賞者たちは仮設的に作られた “別の場所” に立ち寄って佇み、またそれぞれに帰っていく。

 前回のお手紙で、居心地について書かれていて、「訪れる」と「住む」のあいだにそれがあるというときに、旅の話みたいだな、と感じていました。旅というと「訪れる」のイメージが強いですが、中長期的にひとつの地域に滞在したり通ったりしながら考えごとをしているわたしとしては、まさに「訪れる」と「住む」のあいだにとどまるための概念として、「旅」という言葉を使ってみています。

 わたしの仕事の仕方だと、地域コミュニティの一員になりきると身動きが取りづらくなって、できないことが増えすぎてしまうんですよね。だから距離を取るべきなんだけど、かと言って、いつまでもよそ者然としているのも居心地が悪いし、あまり誠実とは思えない。やりとりを重ねる中で深まっていく関係性がまるでないものになってしまうのは、相手(地域コミュニティそのものだったり個人だったり)にとっても自分にとってもさみしいことです。

 なので、相手と築いた信頼関係の度合いに見合うような場所に、積極的に自分の居場所をつくってみたい。イメージとしては、「訪れる」と「住む」のあいだのどこかに、「旅」と書かれたレジャーシートをばさっと広げて、そこに旅人として居座っちゃう、といった感じです。それはあくまで仮設的な居場所ではあるけれど、簡易的には人を招き入れることだって、自分なりに語ってみることだってできちゃいます。おもしろいのは、あえて居場所として定めることによって主体性と安心感が生まれ、表現する意欲が湧いてくることです。

 前回亜紗さんが、黒人たちが絵を描いたり音楽を作ったりするのは「居心地」をよくするためだという話を教えてくれましたが、居場所をつくることと表現することは深く関係していると感じます。表現とはまさに、わたしはここにいると知らせる行為であり、それが受容されることは、わたしがここにいてもよいという社会的な安心を支えてくれます。そして表現を介して、あらたな仲間たちと繋がることもできる。だからこそ彼らの場合は、表現すること自体が差別や格差に対する命懸けの闘いとなるのですよね。

 展覧会の話からずいぶん飛躍しましたが、わたしとしては、鑑賞者にとって展示を見ることがひとつの旅の経験となり、できればその場の居心地がよいといいなと思っています。そのために簡単な仕掛けではありますが、展示室内にアンケート用紙を置いたり、思い出したことをふせんに書いて貼ってもらったりするスペースを設けて、鑑賞者自身が自分のことを表現できるようにしてみています。これは、旅好きなわたしなりのお節介みたいなものです。旅は楽しいものですが、受け取るばかりだと疲れが出てしまうと思うので。


 ここで話は変わるのですが、今年の8月6日は広島で過ごしました。当日の経験はもちろんですが、その前日の夜、広島の友人たちと過ごしたことがとくに印象に残っています。式典の準備が済んだ平和公園の入り口で、長いこと立ち話をしました。

 冒頭に書いた広島市現代美術館の展覧会に出品している作品のひとつは、「11歳だったわたしは 広島編」という、ここ2年ほど続けているプロジェクト型の作品で、現在11歳から上は出会えるところまで、生まれ年の異なる広島の人たちにインタビューをしていくというものです。プロジェクトを一緒に進めてくれる聞き手(文章も書くし映像の撮影・編集も行う)は広く公募したのですが、8月5日を一緒に過ごした友人たちというのはこの聞き手たちで、プロジェクトを通して出会い、親しくなりました。

 いまから8年ほど前に初めて広島を訪れて、それからこうして信頼する友人が出来て、広島でどんな語りを残したいか、どう残すかを具体的に話し合えることが、なんとも感慨深かったのです。

 ここで、「11歳だったわたしは」(小森はるか+瀬尾夏美)について補足させてください。

 これは同じまちに住む、異なる生まれ年の人たちに、「11歳の頃の記憶」を中心にして人生史を聞いていき、文章と映像で記録していくプロジェクトで、コロナ禍のただなかにあった2021年に宮城県仙台市で始め、その後、福島県いわき市、広島県広島市では市民参加型のプロジェクトとして展開してきました。展示室にはひとりひとりの語りが書かれた冊子が年代順にずらりと並び、質問に答える人たちの姿を正面から捉えた映像作品、そして、これらの冊子を読みながら対話する人びとの記録映像が展示されています。

 なぜ11歳? といいますと、東日本大震災後の人びとの語りを記録してきたなかで、11歳前後(小学校高学年)の頃に体験したことが、その人のその後の人生に大きな影響を及ぼすのではないか、という仮説が浮かんできたからです。

 たとえば、こんな人たちに出会いました。「震災と自分の人生は切り離せない」と語る大学生や、阪神淡路大震災の支援活動の調査をしている研究者、戦争についての膨大な資料を収集しつづける語り部。みな11歳で、その出来事に出会ったと語りました。

 この大学生は東京の小学校で東日本大震災を経験したのですが、当時、彼女は強い揺れに怯えながらも、未曾有の出来事に対しては大人たちも為す術がないのだと悟って、ただ子どもらしく無邪気にふるまうしかなかったと教えてくれました。“子ども” という立場にあるけれど、“大人” の気持ちも想像できる。何が起きたのかは十分理解しているけれど、自分だけでは動けない。11歳という宙ぶらりんになりがちな年齢だったからこそ、あれはなんだったのだろう、どうしたらよかったのだろうと、その後も考えつづけてしまうのかもしれません。

 仙台でプロジェクトを始めた2021年はコロナ禍であり、東日本大震災から10年というタイミングでした。長く震災の記録に携わり、各地で発表の機会を得るなかでわたしが気づいたのは、震災は確かに大きな出来事だけれど、それだけではなく世界では常にいろんなことが起きているという当たり前の事実でした。震災について知りたい、記録したいという姿勢でいることで、きっとわたしはたくさんのことを取りこぼし、聞き損ねてきた。ならば今度は、いまの時代を一緒に生きている人たちにたくさん会いに行って、それぞれが大切に感じている原体験のようなものを聞かせてもらいたい。

 ということで、なかなか無茶なお願いとは承知しつつも、なんでもいいから11歳の記憶を聞かせてくださいとお願いしてみると、多くの人が、とくに話すことなんかないよと言って戸惑うのですが、なかには、まあやってみるかと応じてくれる人もいるわけです。

 ひとりあたりのインタビューの流れとしては、最初に1、2時間ほど11歳の記憶を中心にした人生史をお聞きし、その後映像を撮影しながら、すべての人に共通の「11の質問」に一問一答形式で答えてもらいます。わりとゆったりとした感じで、とくに道筋も定めずに話を聞いていると、なんにもなかったよと言っていた人でも、すこしずつ思い出すことがあるんですよね。たとえば、こんな友だちとこんな遊びをしてたよ、といったささやかなエピソードから、暮らしていた場所の風景の変遷、大切な人を喪った経験、あるいは戦争や災害など社会的な大きな出来事など。本当にさまざまだけれど、どの語りもきらりと光っています。

 これは広島編に参加している聞き手が言っていたことで、とても共感したのですが、こうしてお話を聞かせてもらう時間は、語り手と一緒に宝探しをしているようだと。語り手がすこし前を歩いているところについて行って、何かが出てきたら一緒に驚いたり感動したりする。ただ向き合って会話をしているだけなのに、まるで小さな冒険をしているようで、帯同させてもらえることがとても嬉しいのだと。

 わたしとしては、この “冒険” は、仮設的な物語を編んでいく行為のように感じています。11歳の記憶というあまり問われたことのない問いから歩みを進めているうちに、道筋がぼんやりと見えてきて、まるでこれが自分の原点だったかのような記憶を探し当ててしまうことがある。

 印象深い語り手のひとりに、1925年生まれのおばあさんがいます。彼女が11歳のときには二・二六事件があり、ベルリンオリンピックでヒトラーが台頭する風景と、朝鮮の人たちが差別に抵抗していた姿をよく覚えているという。それから、妊娠中に遭った仙台空襲、軍人だった夫とのエピソード、戦後の混乱期の子育てを経て……いまは亡くなった夫が残した本を読みながら、戦争とは何だったのかを考え続けているの、と言って彼女は話を終えました。ゆっくりと、記憶をひとつひとつ確かめながら進む語りはあまりに見事で驚くばかりでしたが、語り終わった本人はどこかすっきりした感じで、ああ今日は楽しかった、いい日だったと繰り返していました。

 このように、会話の中で仮設的に編まれた物語が、その人のその後の人生を支えることもあります。けれど、おそらくほとんどはそうではなくて、また解けて、忘れられていくのだとも感じています。それをテキストや映像として記録することがいったい何なのかと問われてもきちんとした答えがあるわけではないのですが、語られたひとつひとつの記憶の断片は、ひとりひとりが暮らした土地と生きた時代の証言であり、11歳からおよそ100歳まで、同じまちに住む約90名の語りが並ぶことで、およそ90年間の市井の人びとの歩みを確かめる場がつくれるのではと考え、プロジェクトを続けています。


 最後に話を「広島編」に戻しますが、展示が始まるにあたって、聞き手のみなさんによる対話の場をひらきました。ちなみにわたしは場をつくるだけで、話し合いには参加していません。

 彼らはこの1年あまり一緒に聞く現場を作ってきて、どう書くか、映像に残すかという悩みを共有しながら手を動かしてきたメンバーたちなのですが、対話はそれぞれの自己紹介から始まりました。あらためて聞いてみると、聞き手たちの背景もさまざまです。広島出身在住の人もいれば、生まれは広島だけど県外に住む人、進学で移ってきた人、東日本大震災で被災して引っ越してきた人、ほとんど初めて広島に来た人もいる。年齢もかなりばらばらだけど、とても当たり前に、というかいつも通りに、ざっくばらんに会話は進んでいきます。広島における原爆の記憶をめぐる問題について話し合うシーンでも、それは変わりませんでした。それぞれが人生のなかで経験したことや考えてきたことを率直に語りつつ、出会ってきた語り手たちの姿を具体的に思い返しながら、互いの言葉にうんうんと相槌を打ち、丁寧に議論が交わされる。

 この時間は感動ものでした。ともに話を聞いたという経験が、人びとのあいだに確かな信頼関係を築いてくれるのだと実感しました。対話が終わった後にひとりの参加者が、ああみんなのことがますます好きになった! とすがすがしそうに言ったのもかわいかったです。

 わたしはこれまでにも、「聞き手」になりたい人を募集していくつかのプロジェクトを進めてきましたが、そのたびに思うのは、話を聞く経験を重ねることによって、ひとりひとりがすこし明るくなるということです。

 他者の話を聞くことは自分の時間を明け渡すことですが、それは同時に、相手に自分の存在を認めてもらうことでもあります。うんうんと相槌を打ちながらじっくり話を聞いていると、相手が抱える複雑さや矛盾をも受け止めてみたくなるし、それは翻って、自分自身の複雑さと矛盾を許容することにもなる。他者の語りにはいつでも驚きと学びがあり、わからないものを理解しようと試みるうちに、自分自身の輪郭も見えてくる。

 聞き手となった彼らが受け止めるものは、時に重たい記憶だったり激しく揺れる感情だったりもして、緊張感が強いられる場面も多いのですが、それでも、それを自分に向けて語ってもらったという実感は尊く、得難いものです。もちろん、聞き手仲間がいたらより一層心強いでしょう。というわけで、みなさんも聞き手になりませんか。そうすれば、大きな歴史に残りにくい声がたくさん残って一石二鳥だと思うのですが、いかがでしょうか? 

 ……というのが、最近わたしが思うことです。

 

 またまた独り言のような長いお手紙になってしまいました。

 いつまで暑い日が続くのでしょうと思っていたら、広島から福岡を経由してたどり着いた釜山はとても涼しいです。

 

初めて訪れた韓国・釜山にて

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著者略歴

  1. 伊藤 亜紗

    美学者。東京科学大学未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。哲学や身体、利他に関連しつつ、横断的な研究を行っている。主な著書に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく』(文藝春秋)など多数。サントリー学芸賞、日本学術振興会賞、学士院学術奨励賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞などを受賞。1979年東京生まれ。

  2. 瀬尾 夏美

    アーティスト、作家。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。さまざまな地域やコミュニティと協働しながら記録し、表現するコレクティブ「NOOK」を立ち上げ、災禍の記録を掘り起こし、それらを用いた表現を模索する「カロクリサイクル」に取り組みながら、語れなさや記憶の継承をテーマに旅をする。主な著書に『あわいゆくころ』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層』(生きのびるブックス)など。映像作家の小森はるかとの共同制作として、《波のした、土のうえ》(2014)、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2020)、「11歳だったわたしは」(2021-)など。1988年東京生まれ。
    (撮影:Hiroshi Ikeda)

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