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聴いちゃった体

誠実な器(6通目/瀬尾夏美)

聴くのは楽しい!
でも、聴いたら最後、前の自分には戻れない!
美学者の伊藤亜紗さんと、作家でアーティストの瀬尾夏美さんの往復書簡。小さな声をひろい、そこから見える豊かな世界を描いているお二人が、「話を聴く」ことについて、聞き合い、語り合います。

今回は瀬尾さんから伊藤さんへのお手紙です。

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 こんにちは、またまたお返事が遅くなって大変申し訳ありません!

 気づけばすっかり冬になり、わたしも分厚いコートを着るようになりました。電車の中でもみんなが着膨れしていて、座席に着くと普段より狭く感じますが、その分距離が近くて、なんだか親密な気持ちになります。

 前回のお手紙からこの間、初めての長崎や豪雨後の能登、阪神・淡路大震災から30年が経つ兵庫、そして沖縄、福島県のいわき市などに行ってきました。また、数年来通っている宮城県丸森町では、地元の人たちと一緒に人形劇をつくって、初演のお披露目をしました。小さな体育館に200名近くが集まって、とてもいい時間になりました。

 こんなふうにいつも移動しているので、丸森の人たちからの電話では必ず、今日はどこにいだの? と聞かれます。先日は、長崎の歴史博物館を見学しているときに電話がかかってきて、丸森の水害を伝えるための人形劇について、ずいぶんと話し込みました。もちろん電話が終われば、ふたたび隠れキリシタンのパネルを読むことになります。住んでいる東京から長崎に移動して、そこで丸森のことを考える……。

 こうしてあちこち出かけていると、自分がずっと自分であることの方が不思議に思えてくるときがあります。自分が移動しているんだから当たり前なのですが、長崎で隠れキリシタンの里を歩いている自分と、丸森で人形劇の背景を描いている自分、能登の被災地で泥出しをしている自分……そして、東京で洗濯物を干している自分。

 見る風景も聞かせてもらうお話も、それぞれの土地が積み上げてきた歴史(物語という言葉の方が近いかもしれません)もまったく異なりますし、場所と場所の間は移動によって細切れに分断されてもいるわけですが、それでもわたしは昨日の続きを思考している。そのことが不思議というか、ずいぶんとふてぶてしいように感じるのです。

 旅先、あたらしく出会う土地というものは圧倒的だけれど、その一方で、自分の体というほんの小さな存在と、そこへ蓄積してきた経験や知識の方が、逃れがたい前提である。旅をしていると、かえってそのことが浮かび上がってきます。

 そりゃそうだとしか言いようがないことを書いてしまいましたが、人の話を聴くときも、似たことが起きていると感じます。目の前にいる他者の語りという、圧倒的なものが立ち上がっては消えていく。わたしはそれを必死になって聴いているのに、同時に別のことを考えてもいる。というのは、いままさに語られていることを理解するためには、自分の中にある乏しい経験や知識を引っ張ってきて、相手が話そうとしていることをなんとか理解しようとするしかないからです。

 前回のお手紙で、「「聴く」が「聴き取る」でしかなく、突き詰めれば「取り違え」でしかないかもしれない」というお話がありましたが、わたしも人の話を聴きながら、おそらくそのようなことを感じていて、ああ悔しいなと思ったり、でも仕方ないなと開き直ったりを繰り返してきました。フィリピンの詩人のお話には、そのロジックをうまく使いながら、勾配のある関係性を出し抜いていくたくましさを感じて、かっこいいなあ! と思いましたが、その一方で、おもに災禍を経験した人たちにその記憶を聞いているわたしとしては、つい、“誠実さ” という問題が気になってしまいます。自分が経験していない、しかも辛い、しんどい記憶を聴かせてもらう時、それをそのままわかることはできない。ならばせめて、なるべく “誠実” でありたいと思う。では、どのようにすればそれがなされるのだろう? という問いです。

 話を聴いているときって、その相手が話そうとしていること・・・・・・・・・・をなるべく理解したいと考えています。つまり、実際に言葉として発していることではなくて、(語り手本人が自覚しているにしろ、そうでないにしろ)その手前にあるはずの、話そうとしていること・・・・・・・・・・を聴こうとしている。もちろん、まずは発されている言葉そのものを受け取らねばと思いつつも、わたしは同時に相手の表情や身振りを見ているし、あるいはその人の性格や置かれている状況、自分との関係性や場の設定など、さまざまな前提を思い起こしてもいる。そして、自分の拙い経験や知識を駆使しながら、会話上のやりとりの中で、自分が立てている予測を細かく更新したり改めたりしつつ、なんとかして相手の話を理解しようと試みています。

 おそらくこのとき、語り手の方も、自分が話そうとしていること・・・・・・・・・・を誤解されないように必死です。会話ってつねに、細かな政治的なやりとりを含んでいて、とてもスリリングなものなんだと思います。

 とはいえ、ここまで書いてきたことは、人と人が話すときに逃れられない前提みたいなものなので、そのこと自体を問うても仕方がないと、いまは感じています。10年あまり、災禍の記憶を聞いてきて実感したのは、たしかにこれを、相手を征服するために使うこともできるけれど、そうではなくて、なるべく互いにとってよいように使うことだってできる、ということです。わたしとしては、会話における一連の動きが、“搾取” ではなく、“想像力” や “配慮” として機能するために、どうやら “誠実さ” が必要そうだ、と思っています。

 旅と同じように、他者の話を聴けば聴くほど浮かび上がってくるのは、自分の体や思考の癖です。それを把握していくと、自分をひとつの器として捉えられるようになってきます。この器にこれが入ったということは、本当はこういう色なのかな? と差し引きできる、といったイメージです。

 旅をしていると、あっちで聞いた話とこっちで聞いた話が重なるなあ、と感じることが多々あります。たとえば、広島で話を聞いているときに、かつて陸前高田で聞いた話を想起することで理解が深まったり、反対に、いまあたらしく聞いた話によって、かつて聞いた話の意味が更新されたりもします。わたしとしては、そうして別々の人の声や、違う場所の出来事を重ねてしまうことは、どうしたって “聴く” という行為のなかに含まれてしまうものなので、“不誠実” だとするよりは、むしろ積極的に、その差異をきちんと観察しながらつないでいくことを、旅人の役割と捉えてみたいと思っています。いち旅人としては、声と声がつながっていくと、人間という存在そのものに対しての信頼感が増していく感覚があって、とてもうれしくなるのです。

 

 さて、能登半島地震からそろそろ一年が、9月21日の豪雨からは3ヶ月が経ちます。最近、SNSやメディアの報道で、「復興は進んでいるか?」という問いを見かけてはもやもやしていまして……ここで、二週間ほど前、12月頭に能登を訪れた際のやりとりから、考えてみたいことを書いてみます。

 わたしが訪れたのは、輪島市の中でも珠洲すず市寄りの町野町まちのまちという地域で、地震と豪雨の二重の被害を受けています。能登の被災地全体の状況としては、おもに地震被害だけの地域と、豪雨による被害が重なっている地域があって、その時点で物心両面の復旧のフェーズが異なっています。また、もともと能登には山の集落もあれば海の集落もあり、さらに観光の拠点になっている地域もありで、それぞれの暮らしぶりもかなり異なりますし、集落と集落をつなぐ道も入り組んでいるために、たとえ隣同士であっても離れているように感じられる地形です。さらに、被災した人たちには、日々しなくてはならないことがたくさんあって、とても忙しい。こういうわけで、能登のなかでもお互いの状況を把握しにくい、という話をよく聞いています。

 わたしはその日、初めて町野町を訪れたのですが、これは大変な被害だ、と感じました。車で走っていると、地震によって倒れた家並みと、土砂に埋もれ、倒木が突き刺さっている一帯が次々に現れてきます。そこへ、能登の冬特有の不安定な気候で繰り返し雨が降ることもあり、町全体が泥に覆われていて、長靴を履いていないと歩けないような状況でした。

 5月から、輪島市の南に位置する道下とうげという地域に通っているのですが、そこは幸い豪雨の被害がほとんどなく、すこしずつではありますが、地震で潰れてしまった家屋が撤去されています。まちの人たちの気持ちもその進捗とともにすこしずつ変化していて、解体が進んでホッとする一方で、更地が広がる光景を見ると、ここにあったものが失われてしまったようでさみしく、不安になるのだと教えてもらいました。このこころの動きはわたしのなかで、13年前の陸前高田の人たちの歩みと重なります。

 話を町野町に戻しますと、わたしはその日、友人たちと一緒に災害ボランティアに参加することにしていて、被災した公立施設の引越しを手伝うことになりました。

 能登の冬は湿度が高く、たちまち天候が変わります。数十分のうちに晴れたり降ったりを繰り返すため、あっという間に虹がかかったりして独特のうつくしさがあるのですが、やはり困りごとも多いです。突然の激しい雨によって、作業は何度も中断しました。この施設の職員さんたちが、この冬は大雪の予想が出ていて、三度目の災害が起きるのではと気が気でないよ、と話していました。

 それでも一瞬の晴れ間が来ると、それいけ! とばかりに、どんどん車に荷物を運び入れて、それらを仮置きする体育館へ向かいます。

 わたしは、女性の職員さんの助手席に乗せてもらって、一緒に移動することになりました。車窓からは、被災した街並みが見えます。歪んだ信号機。その後ろに崩れた山肌。川沿いに散乱した倒木。ぺしゃんこの立派な家屋。

 あちこち大変なことになってるんですけどね。でも恐ろしいことに、こんな状況にも慣れていくんですよ。彼女は穏やかな声でそう言ったあと、不思議だよねえとつぶやきました。

 もう一年経つけど、まだこんな状態で取り残されてる人たちがいるって知ってもらいたい。だけど、やっぱり中心市街地が優先なんですよね、仕方ないんだけどねえ。

 彼女は、もう一年かあ、と何度か繰り返してため息をつきます。

 あの家もあの家もすごく立派だったんですけどね。あっちは子どもの頃、よく友だちと遊んだ田んぼです。ときおりは兄もいたかな。あそこに住んでたばあちゃんはやさしかったなあ。

 そんな調子で、彼女はかつてのまちの姿を掘り起こして確かめるようにしながら、ぽつぽつと話をしてくれました。

 わあ、見て! 

 突然、彼女が明るい声でそう言います。わたしが慌ててあたりを見渡すと、道路沿いの小さな空き地に工事中の看板が立っていました。

 ここに壊れた家があったんだけど、すっかり撤去されたね。すごいなあ。ちゃんと進んでる、進んでるね。

 このとき彼女が口にした、「進んでる」という言葉。わたしはこの言葉には、強い願いが含まれていると感じました。彼女にとって、復旧工事が “進んでいる” と実感することは、この場所での未来に希望を見出すために不可欠なことでしょう。その一方で、なかなか “進まない” こと、被災地域の中でも自分たちが置いてきぼりになっていることに、大変な不安も持っている。きっと、彼女の「進んでる」という言葉の隣には、「進んでいない」が息を潜めて隠れていて、前者には願いが、後者には助けを求める声が含まれている。発された言葉を聴くことは、同時に、発されなかった言葉に出会ってしまうことでもあるのかもしれません。

 SNSなどでは、どちらの言葉が真実かといった単純な議論になりがちですが、現場はとても複雑で、多面的で、驚くほど多様です。場所によって具体的な状況が違うし、人によって感じ方や考え方も異なる。わたしとしては、そのことがなかなか被災地の外へ伝わらなくて、いつももどかしい思いをしています。この前提をしっかり共有するには、かなりの表現の技術が必要そうです。日々、試行錯誤……

 さて、こういった能登での出来事を宮城県丸森町の人形劇づくりの現場で話してみると、丸森の人たちはすぐに、んだよなあ、と深く頷いて、まっすぐに応答してくれるのです。

 むずかすぃんだ、それぞれ。語られることと、語られねえことがあるべし。

 わたしはこういうとき、土着的な暮らしをする人たちの全身に張り巡らされた “想像力” に感服してしまいます。彼らは、遠く離れた他所の土地の人びとの生活や感情も、まるで隣人の距離感で捉えているようです。もちろん、丸森は水害の経験があるからこそ、余計にそうなのだと思いますが、能登の人たちがいまどのようなことで困っているか、どんな気持ちでいるかをありありと想像し、こころを痛め、言葉に出して話し合います。

 仮設住宅でひとりきりの夜を過ごす誰かのこと。被災した人とそうでない人の間に生じる語れなさ、聞けなさ。土砂に埋もれてしまった田畑や植物のこと。棲家を追われた獣たちのこと。それから、崩れてしまった山肌の痛み……

 なぜそんなことができるのだろう? といつも不思議になるのですが、彼らは決してそれを感覚的にやっているわけではなく、わたしが最初にだらだらと述べたようなことをぎゅっと圧縮して、瞬時に行なっているのだと思います。そこには、わざわざ “誠実さ” を問うような隙も残しません。

 というのも、土着的に暮らす人たちは、集落の維持や生業のために、日々の生活の中で、細やかなコミュニケーションを取り続けています。いつも驚かされるのは、ひとりの人のなかに何十人分ものタイムラインが走っていること。自分の家族の食事や帰宅の時間はもちろんですが、あのおじいさんはそろそろ年金が尽きるから野菜を持っていこうとか、この時間にあのおばあさんが通らないのは心配だとか、あの子のお母さんが体調崩してるらしいから様子を見に行こうか、でもお節介しすぎると相手の気持ちを損ねちゃうからあの人に頼んでみよう、とか……

 ともかく何十人(いや、何百人?)分の動きを、しかも1日単位、月単位、年単位、一生の単位で細かに把握していて、それをもとに、自分の動き方を適宜選んでいる。

 東京育ちのわたしは、このような土着的な暮らしのあり方にひたすら感動するのですが、それだけ人と関わり合わないと生き抜けない環境であることにも気づかされます。その良し悪しはひとまず置いておくとして、これだけ日常的に複雑な動きをしていれば、自分の癖も、一緒に暮らしている人たちの癖もよく理解しているでしょうし、ものすごく “想像力” が鍛え上げられているんだと思います。だからこそ、遠く離れた、まだ出会っていない人たちの言葉を聴くことができる。もうひとつ彼らの “想像力” を支えているのは、土着の信仰心だとも思っているのですが、長くなってしまったのでまた今度、機会があれば書いてみたいです。

 

 話題があちこちになって、要領を得ないお手紙になってしまい恐縮です。

 亜紗さんにとって、2024年はどんな年だったでしょうか。

 どうぞどうぞ、良いお年をお迎えください。

驚くほど暖かく、日差しの眩しい那覇より

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著者略歴

  1. 伊藤 亜紗

    美学者。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、同リベラルアーツ研究教育院教授。哲学や身体、利他に関連しつつ、横断的な研究を行っている。主な著書に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく』(文藝春秋)など多数。サントリー学芸賞、日本学術振興会賞、学士院学術奨励賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞などを受賞。1979年東京生まれ。

  2. 瀬尾 夏美

    アーティスト、作家。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。さまざまな地域やコミュニティと協働しながら記録し、表現するコレクティブ「NOOK」を立ち上げ、災禍の記録を掘り起こし、それらを用いた表現を模索する「カロクリサイクル」に取り組みながら、語れなさや記憶の継承をテーマに旅をする。主な著書に『あわいゆくころ』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層』(生きのびるブックス)など。映像作家の小森はるかとの共同制作として、《波のした、土のうえ》(2014)、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2020)、「11歳だったわたしは」(2021-)など。1988年東京生まれ。
    (撮影:Hiroshi Ikeda)

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