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ガクモンのめ

この身体と生きていくための服作り――自分の手で、誰かと共に【津野青嵐】

 若手研究者たちが、学問の「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第6回は、ことばの代わりに衣服を用いた当時事者研究を実践されている津野青嵐さんです。
 ファッションデザイナーとして国際的に活躍し、看護師として浦河べてるの家で勤務した経験をもつ津野さん。身体とのつきあい方に悩んだからこそ切り拓けた、当事者研究の新しい地平が浮かび上がります。

津野青嵐さん(アーティスト、ファッションデザイナー、看護師)(photo:Kohei Shikama)

 私は特に身体に障害があるとか、慢性的な病気に罹っているとか、そういうわけじゃないのだが、もう長い間、自分の身体とのつきあい方に苦労してきた。というか、いまでもガッツリ、苦労している。

 私の身体をひとことであらわせば、「ファット」な身体だ。「肥満」や「デブ」といえばわかりやすいが、あえて「ファット」と言いたい。理由は後で書く。

 これまで私は、この身体と折り合いをつける方法を模索し、ダイエット、自虐漫画、白塗りメイクなど、様々な方法で自分を助けてきた。他にも、仕事場として精神科病院を選んだことや、3Dペンで描いたドレスを作ったことも、今振り返れば自分の身体との付き合い方のクセがよく出ているように思う。

 私がそんな自分の過去を、「苦労」や「自分助け」という言葉を使って語れるようになれたのは、数年前に「当事者研究」というアプローチに出会い、発祥と実践の地である北海道の小さな海辺の町で生活し、働きながら学んだ後のことである。

身体から逃れるための工夫

 飲食店を経営する家族のもとで育った私は、幼い頃から肥満体型だった。中学校の入学前、既製の制服が入らないことにショックを受ける。はじめて「特注」を経験し、身体のサイズに合わせた大きな制服と共に中学校生活が始まった。すぐに「デブ」という言葉が投げかけられはじめ、その頃から少しずつ、身体に対して悲観的な感覚を抱くようになる。そこから、どうすればこの身体から逃れられるのか…という思いで、あらゆる取り組みを行うようになった。

 中学2年生になる時、思い立ってダイエットに挑戦し、半年間で25キロも減量した。極端なカロリー制限を中心に、夜中にジョギングするというシンプルなやり方だった。周囲からデブと言われることはなくなり、反対に「努力できてすごい」「尊敬する」といった称賛の声が多く聞かれた。何も取り柄がない私でも痩せると人から尊敬される⋯そこに強い快感を抱いた。

 そこからは、太りたくない一心でダイエットを続けたが、極端な食事制限を行なっていたせいで少し食べるだけで体重が増えるという恐怖に怯える日々が始まった。一方で、過食欲求は強まり、その罪悪感で食べたものを吐くという行為が癖になっていく。高校生の頃には、完全に食と身体のバランスを崩し、ハイスピードで身体の反動がやってきた。中学時代60キロ台だった体重が、高校卒業時には100キロを超えていた。それからは、積極的なダイエットは一旦諦め、他の方法で身体から逃れていく術を磨いていく。

 高校時代から始めたのは自虐漫画を描くことだった。実際よりも太った惨めったらしい自分を主人公にした漫画に描き、それを友人たちに見せて笑ってもらうことで等身大の身体と向き合うことを避けることができた。

自虐漫画「肉の生」。画像提供:株式会社まんだらけ WEBコミックラザ

 看護大学に入学すると、顔面に白塗りメイクを施して頭部に巨大な装飾をつけては週末に街に繰り出すという生活をするようになった。他者の視線を首から上に集中させ、首から下は黒いドレスを着ることで大きな身体を隠して誤魔化した。

白塗り時代。普段の自分とは別人になれる嬉しい時間。装いの持つ力に身を委ねていた。

  
 その後、身体について思考することを極端に避け続け、精神に拠り所を求めるように精神科病院に就職した。看護師として働き出した後に、白塗り時代の技術をいかして頭部装飾の制作や表現活動を行いはじめた。次第にそれを仕事にしたいと思うようになり、病院勤務の傍らでファッションの私塾coconogaccoに通う。そこで国際的なファッションコンペに挑む際に、講師陣からの勧めで初めて服づくりに挑戦した。それが3Dペンで作った服である。あの服の幽体離脱しているようなイメージはまさに、それまでの私の身体との関係そのものであった。

ITSのファイナリストとして選出された3Dペンによるドレス。コレクションタイトル「Wandering Spirits」(photo: Jun Yasui)

退屈な身体

 かつての私にとって「身体」という言葉は、健康的でなければならないとか、美しくあらねばならないとか、そういった規範的なイメージに強く繋がるものであり、リアリティのない退屈なものであった。特に、健康診断で示されるような基準値、既製服のS・M・Lという世界、ダイエットで目指したい理想体型の話題……そこで示される「身体」は私のそれとは程遠いものだ。

 そのイメージが徐々に変化していったのは、現在在籍している研究室の教授である伊藤亜紗先生の元で学ぶようになってからである。先生の著書(『どもる身体』『目の見えない人は世界をどう見ているのか』)には、私がかつて退屈さを感じていた「身体」とは正反対の世界があった。うまくいかない身体の不思議さ自体を味わい、面白がる態度。そしてその豊かさに言葉をもって光を当てる。それまでの私はそのような眼差しで身体を見ることができるということを、知る由もなかった。

 当事者研究や伊藤研究室での学びの中で、研究モードで自分の身体を捉える面白さに気づくことができた。同時に、置き去りにされていた等身大の身体が徐々に輪郭を顕にしてきているように感じる。そして現在、少しずつではあるが、自分の身体に対して以前とは真逆の態度で関わりはじめている。これは私にとってあまりに大きなパラダイムシフトである。

「ファット」な身体との付き合い方

 白塗りや、自虐漫画などで勢いよく自己表現してきたからなのか、私は人から太っていることを受け入れていると思われがちであるが、実は常に痩せたいと思って生きてきた。今も、痩せたい衝動がないわけではないのだが、少し立ち止まっている。人からどう見られるかではなく、自分の身体とどう付き合っていくか…。等身大の身体を引き受けた先の、新たな関係の中で生まれていく感覚に、身を委ねてみたいのだ。

 その手がかりを得るため、まずは自分と同じような身体の苦労を持つ摂食障害や肥満の当事者が、どのように身体と付き合っているのかを探っている。

 特に文化人類学者である碇陽子氏の著作『ファットの民族誌』で紹介されているアメリカの肥満受容運動は衝撃的だった。ファットアクセプタンス運動と呼ばれ、アメリカの公民権運動やフェミニズム、障害者運動の流れの中で1979年に誕生した。80年代以降、アメリカでは肥満が社会問題化されていくと同時に差別も深刻化している。実際、現代ではアメリカのみならず日本を含めた多くの国で、太っていることは自己コントロールの欠如や怠惰、セルフネグレクトといった否定的な意味で捉えられることが多い。そのような根深いスティグマを背負った肥満の当事者同士が手を取り合って「どんなに太っていても健康的な生活を行うことができる」という理念のもと活動している。中でも衝撃を受けたのは、もはや当たり前のように誰もが認識している「肥満は不健康だから予防すべき、減量すべき」という、科学的根拠を持つ見解自体に疑いをかけ、ユーモアを持って社会に異議を申し立てていることだ。(この運動の流れを汲み、2000年代に新たな学術分野として「ファット・スタディーズ」が誕生している。)

 日本で生まれ育った私は長い間、太っているのは自己責任であると思ってきたし、差別的な態度をとられることにも概ね納得しており、社会に対して堂々と異議を申し立てたいと思ったこともなかった。正直なところ今でもその感覚は残っており、医療従事者として培ってきた医学的なリスクの感覚からも彼らの主張に容易に賛同できる訳でもない。

 ただ、近年ファッション業界を中心に始まったボディ・ポジティブムーブメントの掲げる「全ての身体は美しい」「ありのままの自分を愛そう」という綺麗なメッセージには全く乗れなかった自分にとっては、驚くと同時に勇気づけられる部分も多かった(このムーブメントは元々痩せ体型の白人が中心だったファッション広告やショーに登場するモデルに、様々な人種や体型の人々が起用されるようになり、特にプラスサイズモデルの活躍が話題となっている)。それは綺麗な言葉とは裏腹に現実では加速するダイエットブームが示すような人々の肥満恐怖や痩せ願望に対し、真っ向から問いかけ、その上で新たなファットの生き方を社会に示そうとしているからである。

 碇によると、運動の参加者たちは自分達を医学用語の「過体重(Overweight)」や「肥満(Obesity)」ではなく、「脂肪」や「デブ」という意味を持つ「ファット(Fat)」という言葉を使ってお互いをエンパワメントしているという。(身体障害当事者の「クリップ」や、セクシャルマイノリティ当事者の「クィア」というような呼称と似ている)

 単なる医学的な分類における肥満と区別される当事者の主観的な感覚を重視した「ファット」という呼称を用いて、私は改めて自分自身や同じように自分を「太っている」と感じている他者の身体を捉えてみたいと思う。

非言語的な当事者研究

  当事者研究について簡単に説明すると、自分自身が自分の困りごとについての専門家となり、仲間と共に困りごとを研究していく自助的な活動である。元々は今から約20年前に、北海道にある“浦河べてるの家”という精神障害の当事者コミュニティの中で始まったアプローチだ。徐々に発達障害や依存症、慢性疼痛などの当事者の間でも実践されていき、最近では子供、アスリート、企業など障害や病気というカテゴリーを超えて、困りごとを感じているありとあらゆる人たちに広がりつつある。

 当事者研究では、自分に起きていることを似たような困りごとを抱える仲間と共有し、そのパターンやメカニズムを仲間からの問いかけに答えながら少しずつ言語化し、分析していく。それらの現象に名前をつけて客観的に眺めることで、ようやく自分の困りごとに輪郭が生まれ、自分自身を捉え直すことが可能となる。当事者研究ではこれを「苦労の外在化」と呼び、これによって改めて困りごとへの対処法を考えることができる。精神病理学者の木村敏が「自己」の居場所を他者、そして世界との「あいだ」に位置付けて論じているように、当事者研究では仲間の中で外在化された言葉が新たな自分の居場所となり、苦労を持ち堪える力になっている。

当事者研究を行う様子。ホワイトボードを用いて輪になって行うことが多い。当事者研究の中で自分の困りごとをあらわすユニークな言葉が生まれていく。自分の話を聞いた他者が提案した言葉がしっくりくることもある。

浦河べてるの家で当事者研究に参加する中で、そのような困りごと=「苦労」を語る等身大のユニークな言葉たちが、本人と周囲の人たちとの共通言語になっていく過程で、その人の「人間像」が親しみやすく、魅力的に変化していく場面に何度か遭遇した。わたしが看護師として働きながら山縣良和が主宰する私塾でファッションデザインを学ぶ中、直感的に感じた当事者研究とファッションとの類似性はまさにそこにあった。山縣氏の言葉―ファッションデザインの核は人間像を作ること―を借りれば、当事者研究もまた、言葉によって新たな「人間像」を創る行為として捉えることができるからである。

 一方で、当事者研究の実践の現場に身を置く中で強く感じたことは、当事者研究自体が言語の力を重視しており、言語化困難な症状を持つ当事者や、発話や言語表現自体が困難な当事者が周縁に置かれているということだ。当時から、当事者研究がより多くの人に開かれていくために、非言語的なアプローチで行う当事者研究の実践方法を探求していた。

 そこで、近年欧米で社会学や教育学、そしてアートセラピーなどの領域で実践されているアートベース・リサーチ(Art-based research, ABR) という学術研究の方法を参照した。これは90年代にアメリカの教育学者であるエリオット・W・アイスナーによって考案された。研究テーマに対して科学的な言語の代わりに、絵や写真、ダンスや音楽などあらゆる創造的な表現やその制作プロセスをベースに探求することで、より多面的な理解を可能にする研究手法である。

 以上を踏まえ、私の研究では非言語的な当事者研究として「身体との付き合い方」というテーマを探求するために、衣服制作(ファッションクリエイション)をそのアプローチとして取り入れている。特に衣服が人間にとって身体を優しく包み、守るための膜のような、あるいは先に書いたような「自己」の居場所のような役割、つまり身体に対するケア的な側面を持っていることに注目している。そして、自分の服を作るという行為を、身体との付き合い方に困難を抱えている人にとって、「身体との出会いなおし」を行う場としても位置付けることができると考えている。

 私は最初にこの衣服制作のアプローチを、自分自身が当事者でもある「ファット」な身体についての非言語的な当事者研究として実践してみたいと思っている。

自分の衣服を作ることで身体を取り戻す

 私にとって衣服はS・M・Lの既製服であり、いかに自分が規格外の身体であるのかを、「キツい」といった身体感覚と共に強調してくれる存在であった。そのせいか、私はファッションデザインの仕事をしているもかかわらず、実は一度も袖を通す服を作ったことがなかった(布を使って縫製するような一般的な作り方でさえも)。しかし現在、研究テーマの事前検証も踏まえつつ、自分自身の非言語的な当事者研究として、はじめて自分の着る服を自分の手で作り始め、その行為の持つ意味を体感しているところだ。

「Peers of my fat cells」 私の身体の大半を占めている脂肪細胞に注目。リサーチする中で、実は彼らは極度の寂しがりやで、時に私の行動や感情までコントロールしていたことを発見。そこから着想を受け、お互いに支え合う脂肪細胞たち(ピアサポート)を想像しながら作っているシリーズの一部。


 1950年代以降に既製服が普及する以前、衣服は購入するものでなく自分達で作る家庭洋裁の時代があった。自分の身体に合わせ、自らの手で時間をかけて衣服を作っていた時代の人々は、身体とどのような関係を持っていたのだろうか。そして、私はそこに、等身大の身体との付き合い方のヒントがあると予想している

 そして、自分の手で衣服を作るという行為が、「ファット」な身体の人々にとってはどのような意味を持つことになるのか、そして彼らは今までどのように身体と付き合ってきたのだろうか。それらの問いを、一緒に衣服を作りながら探求したいのだ。

 当事者研究のように対話的なやりとりを通し、お互いの身体感覚を探るように布を選び、イメージを膨らませながら形にし、切って縫って繋ぎ合わせ、着てみて再び調整し…。そのようなゆっくりとした身体との出会い直しの時間の中で、身体との付き合い方を発見していきたいと考えている。

 従来の当事者研究が「自分の言葉を作ることで苦労を自分のもとに取り戻す」というアプローチであるならば、私はそれを「自分の衣服を作ることで身体を自分のもとに取り戻す」というように捉え直し、実践していく。


《プロフィール》
津野青嵐(つの・せいらん)

1990年生まれ。看護大学を卒業後、精神科病院で約5年間勤務。学生時代より自身や他者への装飾を制作し発表。病院勤務と並行して山縣良和主宰のファッションスクール「coconogacco」で学ぶ。2018年欧州最大のファッションコンペ『ITS』にて日本人唯一のファイナリストに選出され、3Dペンで作った服が注目される。2019年10月より、新たなファッション表現の可能性を探りに“当事者研究”発祥の地である北海道“浦河べてるの家”(精神障害当事者等の地域活動拠点)へ勤務し、リサーチと制作を行う。2021年10月より東京工業大学修士課程入学。伊藤亜紗教授の研究室で学びながら、「ファット」な身体との付き合い方を、衣服の共同制作を通して研究中。

 

《人生を変えた1冊》

『じごくのそうべえ』
(たじまゆきひこ作、1978年、童心社)

幼い頃、祖母が私に与えてくれた絵本。綱渡り師の主人公が綱から転落した際に、理不尽な閻魔大王の判断で地獄に送られてしまうのだが、ユニークな仲間たちと協力し、地獄を楽しみながら脱出していく物語。地獄の描写があまりにもグロテスクで、特に糞尿地獄や人呑鬼の絵面はトラウマになる程の衝撃だった。ただ、このケッタイさに病みつきになり、何度も繰り返し読んでいた。気づけば今、まさにこの絵本の世界に生きているように感じている。人生の指針となる大切な一冊だ。

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著者略歴

  1. 津野 青嵐

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