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聴いちゃった体

「ぞくぞく」の感じ(1通目/伊藤亜紗)

聴くのは楽しい!
でも、聴いたら最後、前の自分には戻れない!
美学者の伊藤亜紗さんと、作家でアーティストの瀬尾夏美さんの往復書簡。小さな声をひろい、そこから見える豊かな世界を描いているお二人が、「話を聴く」ことについて、聞き合い、語り合います。


 瀬尾さん、こんにちは。ほぼ、初めまして。

 先月は、大きな団地の1階にあるアトリエにお招きいただき、ありがとうございました。ガラス張りで、インド系らしき家族連れがたくさん行き交う様子が見えました。団地は音も反響するし、気配に満ちていますね。

 瀬尾さんとは以前ご挨拶をさせていただいたことはありましたが、 じっくりお話させていただくのはあれが初めてでした。出会った人と、さぐりさぐり接点を見つけてお近づきになる時間は、とてもわくわくします。どさくさにまぎれて気づいたら仲良くなっていた、みたいな近づき方も楽しいのですが、今回は、この往復書簡という機会を活かして、この「ほぼ初めまして」の時間を、パン生地みたいにぎりぎりまで引き伸ばしたいなと思っています。どうぞよろしくお願いします。

 さて、「聴く」とは何か。あのあと、自分なりにいろいろ考えてみました。

 確かに、私の研究者の活動としての中心には「聴く」があります。話すよりも聴くほうが、はるかに楽しいと感じます。その楽しさは、「どんな話が聴けるんだろう」というわくわく感ももちろんあるのですが、でもそれだけではない気がします。私にとって聴くことはむしろ、ぞくぞくする楽しさなんですよね。まさに「聴いちゃった」という感じ。

 そう感じるのは、私が主に、その人の体の経験を聴いているからかもしれません。

 体について聴く、とはどういうことか。

 突然なのですが、ひとつたとえ話をさせてください。

 最近、最新のVRヘッドセットを体験させてもらう機会がありました。試したのは、Apple社のVision ProとMeta社のQuest。Vision Proはまだ日本発売前とのことで、なぜここにあるのか詳しい理由は聞きそびれてしまいましたが、用意してくださった方の話では、「値段はだいたい60万くらい」とのことでした。

 Vision Proでは、現実の世界とバーチャルの世界が融合した魔法のような空間を楽しむことができます。つまり、装着しても今自分がいる部屋がそのまま見えるのですが、空中に、スマホのホーム画面と同じようなアプリのアイコンが浮かんでいるのです。これを、視線と指の動きで操作します。視線がパソコンでいうところのポインター、つまむ動作が右クリック。なので、「見て」→「指をつまむ」の動きでアプリを開くことができます。職場で目の前のデスクに座っている同僚と会話しながら、キーボードとマウスなしでパソコン仕事ができる仕様です。

 一方、Questではエンタメコンテンツを体験させてもらいました。瀬尾さんはピクサーのアニメーション映画『リメンバー・ミー』はご覧になりましたか? あの映画には、実はVR版があるんです。ネオンや街の灯りがまばゆく光る、陽気な死者の国に遊びに行くことができます。鏡の前で洋服を着替えたり、高いところを走る乗り物から街を見下ろしたり。これがあったらテーマパークが要らなくなってしまうのでは? と心配になるような没入感がありました。

 VRの体験それ自体はとても新鮮で楽しかったのですが、実はその間、私は自分でも不安になるくらい、ある対象に惹きつけられていました。それは、VRを体験している人がこの現実空間に置き忘れている(ように私には見えます)生身の体です。

 VRを体験しているあいだ、その人の意識(と言っていいのかわかりませんが)は、バーチャル空間に没入しています。本当は狭い部屋にいても、ヘッドセット越しに美しい景色が広がれば、あたりを見回して開放感を感じることができます。逆に恐竜が目の前に迫ってくれば、バーチャルだとわかっていても逃げ出したいような恐怖を感じます。自分の胸元に動く腕が二本見えれば、それが仮に骸骨の手であったとしても、自分の手であるように感じるでしょう。体験者は、視覚的に構成されたその空間に「入り込んで」います。

 一方で体は、主人がバーチャルの世界に入り込んでいるあいだも、そこに入ることができないまま、現実空間に取り残されています。体がいるのは、美しい死者の国でもないし、大型恐竜のいるジュラ紀でもありません。体がいるのは相変わらず令和の大学の研究室であり、壁には三ヶ月前に終わったイベントのポスターが貼られ、窓からはオレンジ色の夕陽が差し込んでいます。

 ご想像のとおり、その体は、お世辞にも「生き生きした」ものではありません。顔は半分以上ヘッドセットで覆われ、体の動きは最小限。指だけがコントローラーのボタンをカチカチと動かしている…どちらかと言えばそれは、ディストピア的な身体です。

 にもかかわらず、私は、その取り残された体に、何ともいえない魅力を感じてしまったのです。厳密に言えば、体そのものというより、その体がまわりの人間に対してつくる関係に、ぞくぞくしていたのです。

 端的に言って、その体は、完全に無防備な状態にあります。もし街中でヘッドセットをつけてVRを楽しんでいる人がいたら、その人は簡単にスリにあうでしょう。急に殴りかかる人がいたら、受け身もとれないままやられてしまうに違いありません。

 その無防備さは、悪意のない人間に対しても、いたずら心と言いますか、ちょっと暴力的な欲望をかきたてるところがあります。もちろん、実際に行動に起こすことはありませんが、「このポケットのチャックを引っ張ったらどうなるだろう」などと考えてしまう。ヘッドセットをつけていないときには、他人に対してそんなことは絶対考えないにもかかわらず、です。

 ふだんと違う欲望をかきたてられてしまうのは、ヘッドセットをしている人とは絶対に目が合わない、という安心感があるからなのかもしれません。目の前に公然とあるものなのに、なぜかのぞき見しているような感覚、とでも言いましょうか。

 見てはいけないものを見ているような感じがするのですが、そのことは主人も公認で、そういう意味では主人はこちらを信頼していて、その信頼関係の上に相手の体が乗っているとも言える。信頼を前提にしつつも、倫理の外側で体と出会う「公認のぞき見」の状況に、バーチャルな世界そっちのけで、ぞくぞくしてしまったのです。 

 そして、この「ぞくぞく」は似ている、と思いました。そう、インタビューで聞き取りをしているときの感じにです。

 そもそも体について聴くというのは、日常的な人間関係では、かなり失礼にあたる行為です。

 「あなたの指曲がっていますね」とか「さざ波みたいなどもり方ですね」とか、ふつうは面と向かって言わないですよね。体について話題にすること、それどころかお互いの顔以外のパーツに視線を向けることでさえ、よっぽど親しい関係でないかぎり、社会的にはNGとされています。

 つまり、日常的なコミュニケーションにおいては、体は「ないこと」にしなければならないのです。もちろん、実際には「この人、肩幅広いなあ」とか「独特の鼻筋だなあ」とか感じてはいるはずです。でも、それを言葉や表情に出してはならない。体は、目の前にあるにもかかわらず、それに影響を受けてはいけないかのように振る舞わなければいけない透明な対象です。

 これに対し、私の調査では、「研究」を言い訳にして、その人の体について、ずかずか踏み込んで話すことになります。もちろん質問をすること自体は合意の上ですし、答えたくない質問については答えなくていい旨をお伝えしていますが、だとしても、かなり立ち入った質問をすることになります。

 つまり、体というのは、日常的なコミュニケーションであるならば求められるような倫理的配慮の外側に出ないことには、出会うことのできない対象なんですよね。話題にしてはいけないこと、ないことにしなければいけないこと。体ってそういうものです。体について聴くためには、そのお約束の外に出ていかなければならない。

 ヘッドセットをつけてVRを体験している人の体は、その主人によって現実世界に置き忘れられたものです。つまり、そこに主人がいない物体になっている。うまく言えませんが、この「人のでありながら倫理的な配慮の外側にある感じ」が、「体と出会っている」という強烈な感じを与えたのではないかと推測しています。そして、それは私がインタビューで出会いたいと思っているものです。

 ですので、言うまでもなく、体について聴くことはとても危険な行いです。合意したとはいえ、相手に取り返しのつかないような傷を与えてしまう可能性があります。「傷」とまではいかなくとも、相手の体との関係を不可逆的な仕方で変えてしまう可能性はかなり高い。心理的な安全性を確保し、危険なゾーンに立ち入っているという自覚を持ちながら、でもひるまず、一歩一歩丁寧に進めていく必要があります。

 そんな危険を犯してまで私が体について聴く活動をやめられないのは、倫理的配慮の外側でしか出会えない価値がある、という確信のようなものがあるからだと思います。このあたりは自分でもまだうまく説明がついていないのですが、本当にインタビューがうまくいったときには、「あなたの指曲がっていますね」「さざ波みたいなどもり方ですね」のような日常的なコミュニケーションにおいては失礼にあたるような言葉が、むしろ相手に対する最大限の賛辞に変わるような境地に、インタビューをしている私と、インタビューされている相手とで、一緒に出られることがあります。そんなことが起こるのは本当にまれですが。

 最近よく使われる言葉なので陳腐になりつつありますが、それは「尊い」という感覚に近いのかもしれません。ひとつひとつの体の尊さに出会うこと。その体の歴史に圧倒され、その魅力を愛でること。圧倒されてしまったこちらの賞賛の念を、相手が率直に受け止めてくれること。いきなりディープな話になってしまいましたが、そんな「倫理からの脱出」をいかに安全に行うかが、私にとっての「体を聴くこと」です。

 だから、必ずしもその方法はインタビューでなくてもよいかもしれません。

 最近、先天性疾患・脊髄性筋萎縮症(SMA)のシン・ユニさんにお会いしたときのことです。彼は、認知能力や会話はまったく問題がありませんが、筋力が低下しているため、体をほとんど動かすことができません。日々約一〇名のヘルパーさんを使いこなし、二十四時間の介護を受けながら自立生活を送っています。

 彼はある意味では「経営者」です。自分の体の主人として、その生理的な欲求を満たすために、介助者に対して、「お水ちょうだい」「首のばして」といった指示をずっと出し続けているからです。新人の介助者の研修においても、抱っこの仕方や移乗の仕方を、文字通り体を張って教えなければなりませんし、そもそもの介助者のリクルートも自分で行っています。自分の体が安定的持続的に維持されていくために、彼は、リソースやシステムを整え続けなければなりません。彼の体の特殊性は、彼を、健常者よりもはるかに自覚的な「体の主人」にします。

 そんなシンさんの生活空間で時間を過ごさせてもらううちに、私はどうしようもなく彼の全身をデッサンしたくなりました。インタビューもさせてもらって、それはそれでとても楽しかったのですが、彼の言語化能力の高さゆえに、どうしても社長から会社の経営状況を聞いているような感じになってしまい、「主人がそこにいない物体」に出会った感じがしなかったからです。

 ご本人の許可をとり、新人介助者に抱っこの仕方を教えているシンさんの体を、デッサンさせてもらいました。絵を描くことが目的ではなく、観察することが目的です。ソファに横になり研修に集中するシンさんの姿を、横からそっと描かせてもらう。それはまさに「公認のぞき見」の状態でした。それは私にとっては「体に出会えた」気がする贅沢な時間でした。

 まださぐりさぐりですが、体をデッサンすることも、「聴く」ことになりうるのだと思います。このあたりは、いろいろなアウトプットの方法を持っていらっしゃる瀬尾さんの活動に刺激を受けながら、自分でも広げていってみたいな、と思っている部分です。

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著者略歴

  1. 伊藤 亜紗

    美学者。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、同リベラルアーツ研究教育院教授。哲学や身体、利他に関連しつつ、横断的な研究を行っている。主な著書に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく』(文藝春秋)など多数。サントリー学芸賞、日本学術振興会賞、学士院学術奨励賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞などを受賞。1979年東京生まれ。

  2. 瀬尾 夏美

    アーティスト、作家。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。さまざまな地域やコミュニティと協働しながら記録し、表現するコレクティブ「NOOK」を立ち上げ、災禍の記録を掘り起こし、それらを用いた表現を模索する「カロクリサイクル」に取り組みながら、語れなさや記憶の継承をテーマに旅をする。主な著書に『あわいゆくころ』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層』(生きのびるブックス)など。映像作家の小森はるかとの共同制作として、《波のした、土のうえ》(2014)、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2020)、「11歳だったわたしは」(2021-)など。1988年東京生まれ。
    (撮影:Hiroshi Ikeda)

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