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ガクモンのめ

ピアサポートが作り出す、社会の「外」【横山紗亜耶】

 若手研究者たちが、学問をつきつめる「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第10回は、精神保健福祉領域で文化人類学の研究をされている横山紗亜耶さん。
 社会福祉学科を卒業しながら、人類学に進んだ横山さん。精神疾患や障害を持つ当事者の団体の「お祭り」のなかで出会ったのは、同じ病気や障害の経験を持つ当事者が当事者を支える実践(ピアサポート)。一緒に踊り、酒を酌み交わし仲間になるなかで、自己の核心が変化する様を描きます。

横山紗亜耶(東京大学総合文化研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員〔DC1〕)

制度の「外」へ

 私は小学生の頃から、精神障害を持つ当事者の団体と関わりがあった。精神疾患や障害のことはほとんど何も分かっていなかったが、おもしろい、続けたい、というだけの動機で、大学では社会福祉学科に進んだ。社会福祉学科では、初めて精神障害を持つ人々の生活を支える制度的な仕組みの数々を知った。もちろん、これらの制度の成立には、当事者団体による運動が不可欠だったのだが、そういったことをきちんと勉強するようになったのは、修士課程から人類学に進もうか悩み始めた頃だった。

 私が人類学に興味を持ったのは、社会福祉学科で日々学んでいた、一見すると固定的に見える制度の「外」にある世界を意識し始めたからだった。制度の「外」に気がついたきっかけは、複数の精神科デイケアで実習をしたことだった。精神科デイケアとは、主に精神科病院を退院したばかりの患者を対象とした外来プログラムであり、料理、運動、手芸などの日中活動が行われている。デイケアプログラムを提供している精神科の病院やクリニックには、リビング・ダイニング・キッチンの機能を併せ持った、デイケア室と呼ばれる大きな部屋がある。

 あるデイケアの終了時間の数分前。ひとりの利用者が全ての持ち物をまとめ、デイケア室の壁掛け時計の前の大きなテーブルに座り、秒針を目で追いかけながら、デイケア終了までの秒数を大声でカウントダウンしはじめた。彼は、「3……、2……、1……、0!」と数え終わった瞬間に立ち上がり、こちらを一切振り返らずに、「お疲れした〜」と、夏の15時半の眩しい室外へと去っていった。

  印象的だったのは、彼が腕時計をしていたことである。後日、「腕時計でカウントダウンはしないんですか?」と尋ねたところ、「これは外用の時計だから」と、彼は答えた。なるほど、デイケアの時間を刻むのは、あの壁掛け時計だけだった。それは実習の終了時間を意識する私にも、よく分かる話のような気がした。1秒、1秒、と、あの壁掛け時計が私たちを見下ろしながら刻んでいたのは、彼が受ける医療・福祉サービスの時間であり、私が受ける教育の時間だった。

  精神科デイケアは、多くが平日の9時か9時半から始まり、昼食を挟み、15時か15時半に終わる。この6時間は、診療報酬の算定要件のなかで「標準」と定められた時間だ。私たちが終わるのを待っていたデイケアの時間は、制度によって枠づけられたものなのだ。どこか「外」にでもいない限り、私たちの時間は、私たちの自由になどならない。

  しかし、私たちに「外」など、あるのだろうか。

  精神科デイケアが平日の9時頃に始まるのは、多くが思春期に精神疾患を発症し、10代、20代の時間を病棟や自室のみで過ごした患者らの「社会復帰」が意識されているからである。「社会人」の規則正しい生活を想定し、朝の決まった時間に来室することが、「社会復帰」への第一歩となる。ところが、デイケアは15時頃に終わるので、「社会人」が帰宅するにはまだ早い。そのため、近所の目が気になり、どこかで時間を潰してから帰らざるを得なかったという当事者の話もよく耳にする。

  問題は、デイケア室の外の世界もまた、すみずみまで制度的に規定されているということだ。私たちが受ける医療・福祉サービスや、教育が念頭におく「社会」は、このような規定をあまりにも当然視しているのではないか。

  福祉制度という枠組みの中で当事者と対面すると、どのように彼らを支援するかという視点がどうしてもつきまとう。それは、どのように彼らを社会に適応させるかという一方的な発想に転じやすい。しかし、適応する以外の方法で社会を生き抜くことだってできるはずだ。たしかに、まったく適応せずに自由に生きられるほど、社会は甘くないのかもしれない。だからといって、多様な当事者の生き方の可能性に直面することのないまま、私は支援者になってしまっていいのだろうか。どうにか、福祉の「外」から、当事者と出会いなおすことはできないだろうか。

 こうして、たどり着いたのが人類学だった。

本質化でも相対化でもなく

 私は、「他者」を扱うことについての人類学における反省の歴史に魅せられた。私と異なると同時に同じである存在としての他者に、いかに迫るか。いかにして、他者と出会うか。たくさんの自己批判を繰り返しながら発展した人類学のストイックな学説史に、私は共鳴した。この反省を、精神保健福祉領域でやろうと決めた。

  人類学では、他者が自己とは異なる存在であるという大前提が、人類学者自身を含む権威によっていかに作り出され、固定化されてきたかが論じられてきた。たとえば、精神障害者という存在自体、医師の診断や、行政の認定によって「精神障害者になった」人々に過ぎない。しかし、ひとたび精神障害者として認定されると、彼らは健常者とはまったく異質な存在とみなされるようになる。

  人々は、何らかの支援を受けるために精神障害者という認定を取得する。しかし、認定を得ることによって、支援がなくては生きていけない人々とみなされるようになる。障害者と健常者というカテゴリーを明確に分けて支援が行われる過程のなかでこそ、障害者と健常者は根本的に異なる存在として作られていく。こうして、制度は現実を作ってしまうのだ。

  「障害認定を受ける」という行政手続きに過ぎないはずのことが、障害を持つ人のことを健常者とは全く異なる存在として作り変えてしまうように、障害や国籍、ジェンダーといった属性を、本人の人格に結びつけたり、元からの自然なものや、永久に変わらない固定的なものとみなしたりすることは、「本質化」と呼ばれる。私が福祉を学んでいた頃の違和感は、精神障害者という認定や、社会人、社会復帰といった価値観の本質化にこそ、起因していた。

  ならば、本質化されているこれらの価値観を問い直してみよう。「障害者は健常者と異なる存在である」などといった、一見すると疑いようのなさそうな事象を別の視点から見てみることで、複数の視点や価値観が両立・併存し得ると発見することは、「相対化」と呼ばれる。

  たとえば、精神障害が診断や認定に過ぎないのであれば、障害とは相対的なものである。つまり、障害者と健常者は地続きの関係にあり、障害と健常は程度の差に過ぎない。それに、障害者という認定を受けるのは、何らかの支援の必要が生じたからであるとすれば、そもそも支援がなくては生きていけないような社会構造を再検討する必要もあるだろう。障害者は本質的に支援が必要な存在なのではない。支援制度の必要性自体が、今の社会を形作る様々な制度によって生み出されているのだ。

  ただし、相対化は人類学における批判的思考のスタート地点に過ぎない。障害と健常が程度の差に過ぎないということは、障害者と健常者の間に大した違いがないということを意味しない。両者の違いを本質化しないことと同じだけ、両者の違いを尊重し、見過ごさないことが重要である。

  デイケア室のテーブルに並んで座り、同じ壁掛け時計を見上げながら過ごした彼と私は、同じように時間に縛られながら生きている。しかし、ここで重要なのは、もしどこか「外」に出ることができるとしたら、それが容易なのは、間違いなく私のほうだろうということだ。デイケア室の壁掛け時計の秒針を数えていた彼の姿が私の印象に強く残ったのは、単にそれが不自由さを表していたからではなく、自由からも適応からも見放された状態を象徴していたからだった。

  結局のところ、社会に適応することも、社会から自由になることも、どちらも障害を持つ人にとっては、少しでも健常者に近づくよう要請されていることに変わりない。適応と自由のどちらにも身を振ることができないのであれば、無慈悲に過ぎる時間を数えながら、終わりを待つしかない。

ここで私が直面したのは、自分が享受する健常者性だった。

  健常者性とは、障害を持つ人に排他的な現状の社会で有利に働く身体的特徴、考え方、生育歴などの特性である。規範的な特性とみなされているがゆえに、健常な身体に生まれ育った場合は特に、あまり疑問を持たずに身につけてしまうことが多い。

  たとえば、人間にとって自由とはどのような状態かと考える際、私たちの多くは健常な身体を想定しながら、考察を進めるだろう。このような前提に基づく自由の概念が制度に反映された場合、何らかの障害を持つ人は、自由そのものから排除される。しかし、健常な心身を持つ人は、この不平等にいっさい気がつかないことも可能である。健常者性を保持していること自体は必ずしも問題ではないが、それが有利に働いていることを甘受し、制度的不平等を容認するのはいかがなものだろうか。

  私は、健常者に有利に作られた教育制度などを、疑う機会もないまま享受してきた。その特権性に気がついたのは、大学に入ってからである。しかし、あまりに規範的であるため、気がついたからといって簡単に相対化し、反省できないのが、健常者性の難しいところである。私にとって障害者が「他者」であるとしたら、健常者性は「自己」そのものである。規範に従って正しく生きてきたつもりの私のアイデンティティの核心に食い込むこの健常者性を相対化することは、一生をかけて取り組むような壮大なプロジェクトなのだ。

ピアサポートという装置

 このプロジェクトに取り組むことを可能にしてくれたのが、精神疾患や障害を持つ当事者の団体「横浜ピアスタッフ協会(通称、YPS)」の人々との関わりだった。YPSは、精神障害当事者を精神保健福祉・医療の支援者として雇用する「ピアスタッフ」の取り組みに関心を持つ当事者のほか、支援者や当事者家族、ジャーナリスト、学生、研究者など、多様な立場の人の交流の場として、2015年に発足した。「ピア(peer)」とは、同じ立場や境遇にある仲間を意味する英単語で、精神保健福祉領域では、同じ病気や障害の経験を持つ当事者のことを指す。

  私が初めて活動に参加した2016年当時、YPSでは勉強会や交流会、会議、演芸大会、宴会などが連日連夜開催されていた。私はおそるおそる、月に一度開かれている会議に参加してみた。会場で配られたA4用紙2枚の資料には議題がびっしりと書かれており、とても予定されていた2時間以内に終わりそうになかった。私は思わず紙から視線を上げ、壁掛け時計に目をやった。会場では、18時半から始まった参加者の自己紹介が一周したところで、時刻は18時47分だった。

  議論が始まると、参加者は次々と意見を出し、それに誰かが反応し、ときに怒鳴ったり、叫んだり、席から立ち上がって歌ったり、踊ったりと、異様なまでの盛り上がりを見せた。会議の進行はめちゃくちゃなように見えたが、終了時間である20時半ちょうどになると、「お疲れした〜」という司会者の掛け声であっさりと終わり、不思議とすべての議題が片付いていた。これは〈お祭り〉と呼ばれる、彼らの会議のやり方だったのだ。

  参加者が踊り始め、会議が〈お祭り〉と化した一瞬の間、私は自分の健常者性を忘れた。他の参加者が持っているであろう病気や障害のことも忘れた。壁掛け時計に見下ろされていることも忘れた。YPSの会議は、一瞬だが「外」を作り出していた。その一瞬の間、私たちは様々な縛りを忘れ、これまでになく自由な時間を過ごしていたのだ。束の間の「外」で一緒に過ごした参加者たちは、会議終了とともに立ち上がり、それぞれの所属へと戻っていった。

  〈お祭り〉の中で私が垣間見たのは、ピアサポートだったと思う。ピアサポートとは、同じ病気や障害、その他の経験を持つピア同士が支え合う実践であり、近年の精神保健福祉領域で注目を集めている。同じ経験を持つ人同士が支え合うと聞くと、障害を持つ対等な者同士だからこそ共感できることを話し合い、お互いを癒す実践だと思われがちであるが、それはピアサポートの一側面に過ぎない。

  私がYPSの活動に8年間関わり続けるなかで感じたのは、ピアサポートが、健常者性や不平等を炙り出す装置にもなっているということだ。先に述べたように、健常者性は規範的な特性であるため、多くの障害当事者によっても内面化されている。また、障害と健常は地続きであるため、たとえ精神障害を持つ当事者であっても、それぞれが身体、知能、生育歴などの一部において、ある程度の健常者性を保持している。ピアサポートは、精神障害という同質性のもとに人を集めることによって、当事者が保持する健常者性をめぐる違いを、むしろ目立たせることがしばしばある。こうしてピアサポートは、社会で不可視化されている、障害者と健常者の間の緊張関係を炙り出す装置となるのだ。

  しかし、共有できる部分を手かがりにしながら、このような違いを尊重することを学べるのが、ピアサポートの面白いところである。健常者性は、社会で有利に働く特性であるため、たとえ当事者同士であっても、それを保持している人が他の人を見下したり、保持していない人が他の人を妬んだりして、すぐには対等に支え合う関係が醸成されないことも多い。ただし、このような否定的な反応は、健常者を優位とみなす価値観を内面化していることで生じるものである。否定的に働く健常者優位の価値観を共に相対化し、それぞれが持つ特性を尊重できるようになることで、参加者が自分自身を変革するプロセスにも、ピアサポートはなり得るのだ。

  YPSの〈お祭り〉は、まさにこのようなピアサポートのプロセスだった。YPSでは、当事者のほかに様々な立場の人が一緒に助け合いながら、イベントの企画・運営を行っていた。当事者と一緒に活動をするということ自体にジレンマが伴った。私は当事者じゃないのに、一緒にやっていいのかという迷いがつきまとうのだ。迷いながらも関わり続けることができたのは、様々な属性を持つ参加者が〈お祭り〉の不思議な空気感の中で一緒に踊ったり、酒を酌み交わしたり、最終的にはイベントを成功させたりしている様子を見て、彼らが互いを信頼し、尊敬し合っていることを知り、私も彼らに対する敬意を深めたからだった。

  こうして、彼らが醸成してきた尊敬の輪のようなものの中に入っていく過程で、私は自分の健常者性を少しずつ相対化していったように思う。私は相変わらず強力な健常者性を享受したままだったし、障害者は相変わらず自由と適応のどちらからも制度的に排除されていたが、ピアサポートに揉まれてからは、秒針の動きを数えるよりも生きた心地のする活動が一緒にできるようになった。障害者と健常者の間の緊張関係は、永久に解消されないのかもしれない。それでも私は、制度化された枠組みの「内」で存在を不可視化されながら時間をやり過ごす以外の当事者の生き方に出会ったのだ。

  健常者性や、健常者優位の制度を相対化し、現状の社会のあり方の「外」に目を向けることは簡単ではない。だからこそ、仲間が不可欠である。そして、仲間は多様であるほうがいい。多様な仲間を尊重できるようになることを通してこそ、社会の規範や、それに従う自分自身を相対化することができるからだ。精神障害当事者らによるピアサポートは、そんなことを教えてくれる実践である。

《プロフィール》
横山紗亜耶(よこやま・さあや)

東京大学総合文化研究科博士後期課程、日本学術振興会特別研究員(DC1)。精神保健福祉士、社会福祉士。専門は精神保健福祉領域の人類学。ピアサポートをはじめ、精神障害当事者による活動がいかにして健常者中心主義的な社会に応答しているのか、特にその戦略的側面を研究している。論文に「支援に「共感」って必要ですか?:絶望によるピアサポートをさざなみ会に見た」『精神看護』25(3)など。 researchmap:https://researchmap.jp/saaya-yokoyama

 


《人生を変えた本》

『文化を書く』
(ジェイムス・クリフォード、ジョージ・マーカス、春日直樹ほか訳、1996年、紀伊國屋書店/ Writing Culture: The Poetics and Politics of Ethnography, 1986


人が人を書くという、人類学の基本的な営みを相対化し、「表象の危機」と呼ばれる人類学界最大の自己批判をもたらした古典的名著。他者を「書く」ということが単なる記録ではなく、政治的な行為になり得ることを論じた。本書からは、医師や研究者といった権威によって様々に書かれてきた精神障害当事者の表象について考える上でももちろん影響を受けたが、それ以上に初めて読んだときは、こんなラディカルな研究が踏まえられている学問領域が存在するのかと感銘を受けた。

『母よ!殺すな』
(横塚晃一、2007年、生活書院)


日本の障害者運動の「原点」とも評される脳性マヒ当事者の団体、「青い芝の会」を牽引した横塚晃一の思想が記された本。健常者中心主義や、それを内面化した自分自身を徹底的に批判し、いかに「本来あってはならない存在」として社会に存在し続けるかということを、強烈な言葉で論じている。障害者運動、障害者研究において今でもなお必ず参照されることから、当事者が言葉を残すということのインパクトにも圧倒される。

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著者略歴

  1. 横山 紗亜耶

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