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松岡亮二「『凡庸な教育格差社会』で」

「ふつう」の人生を想像する

 『教育格差』(ちくま新書)2020年新書大賞第3位を獲得された、龍谷大学社会学部准教授の松岡亮二さん。大規模データを分析して、日本が「凡庸な教育格差社会」であることを明らかにした松岡さんを小社にお招きし、編集部のスタッフを中心に勉強会を行いました。
 目に見えにくい「格差」を、どのように捉え、語るのか。社会に生きる多様な人々のことを考えて議論をするためにはどうしたらよいのか。冷静にデータと向き合って、教育格差がより小さい社会のあり方を考えることが、今とは違う未来のための糸口となります。
 今回は中編をお届けします。みんなが体験した教育だからこそ、客観的な議論は難しくなります。「ふつう」の人生を想像するためには、どうすればよいのでしょうか。

すべての社会は教育格差社会であり、学歴格差社会である

 さて、「教育格差」の議論に戻ります。子ども本人が変更できない初期条件(「生まれ」)である出身家庭の社会経済的地位(Socioeconomic status、以下SESと略)、出身地域、性別によって最終学歴に差がある傾向が教育格差(※前編を参照)。一方、学歴格差は、最終学歴によって職業、収入、結婚、健康を含む様々な社会経済的な達成に差がある傾向でした。日本は「生まれ」で学歴に差がある「教育格差社会」であり、学歴によって便益が異なる「学歴格差社会」です。

 現在の日本社会全体をデータで見ると、「大卒になれるかどうか」が大きな分水嶺ぶんすいれいになっています。「生まれ」で教育の機会に違いがあり、最終学歴という結果に差がある。あくまで傾向ですが「生まれ」の役割が小さくないデータを知れば、教育格差を課題と考える人は多いかと思います。

 一方、先ほど(前編)申し上げましたように、学歴による便益の差の是非については、意見が分かれるかと思います。学歴で人を評価するのを止めたとしても、就職採用試験のような選抜時に、何かを基準にすることに変わりはありません。短期間の就職採用試験で人を評価するのは難しいですし、新卒採用の場合は職歴がないので、本人の「能力と努力」で得たと見做すことが一応はできる学歴が重要視されることになります。

 教育格差と学歴格差は日本だけの現象ではありません。程度に差はありますが、データを取得できるすべての社会において教育格差と学歴格差を確認できます。たとえば、米国は苛烈な教育格差社会であり学歴格差社会です。人種を含めた「生まれ」による教育格差があり、大卒なのかどうか、大卒でも出身校はどこかという学校歴で、その後の様々な機会と結果に大きな差があります。学歴以外に分かり易い指標がない以上、当然の帰結ともいえます。

「教育格差がない社会」はどのような社会?

 では、「教育格差がない社会」とはどんな状態でしょうか。端的にいうと、保護者(以下、親)の学歴、世帯収入、職業を含む出身家庭のSES、出身地域、性別といった「生まれ」と結果に関連がない状態です。具体的には、親の職業、学歴、世帯収入などと、子どもの学力や最終学歴といった結果に相関関係がないことが一つの目安となります。

 同様に、出身地域だと、日本全体の大学生の出身地域が各都道府県の18歳人口比と同じ、という状態ですね。実際は都道府県によって大学進学率はだいぶ異なりますし、東京圏の難関大学の学生のかなり多くは東京圏出身です(詳細は執筆記事参照)。

 性別による結果の差はみなさんご存じの通りです。もし性別によって差がないのであれば、全ての大学・学部・学科で男女が半々になるはずですが、東京大学や理工系に女性が少ないなど、かなりの偏りが見られます。

自説に都合のよいケースを集めても社会全体の実態は否定できない

 日本社会全体を対象とした調査データで見てみると、2015年時点の20代男性のうち、「父親が大卒で、本人も大卒になった人」は約80%で、「父親が非大卒で、本人が大卒になった人」は約35%いました(『教育格差』ちくま新書)。親が大卒かどうかで結果に差が見られます。

 一方で、100人のうち35人は親が非大卒という「不利な初期条件」から大卒になったわけで、そのような全体の傾向と一致しない個人を探すことは難しくありません。同様に、地方出身でも大卒になった人は当然います。絶対数ではそれなりに多いので探せば比較的簡単に見つかります。同様に、女性でも大卒になり高い社会的地位を得た人を思い浮かべることは難しくないですよね。

 実例に説得力を感じる人は多いようで、個人名を挙げて「日本に教育格差はない」とか「結局、本人次第だ」といった主張が散見されます。しかし、そのような成功例を何十と列挙したところで、教育と職業における出身家庭のSES、出身地域、性別による格差という全体の傾向を否定することはできません。

 それと、一つの観点で「不利な初期条件」でも、他が有利ということもあり得ます。実際、社会全体を対象とした調査データを分析すると、すべての世代において地方出身だと大学進学には不利ですが、その中から大卒になった層に着目すると父親が大卒の割合が高い実態があります(『教育格差』ちくま新書)。

 もちろん、出身家庭のSES、出身地域、性別のすべてが不利な条件でも大卒になった人は存在します。でも、そのようなケースを何十何百と集めても、1学年あたり100万人以上いる規模の社会の全体の傾向を否定することはできません。

「“ふつう”の人生」を語る危険

 自分自身や周囲の知り合いの経験に基づいて社会全体の傾向を把握することはあまり現実的ではありません。ここでは「“ふつう”の人生」についてデータで確認してみましょう。

 この図をご覧ください。中村高康教授(東京大学)と私が編集した『現場で使える教育社会学』(ミネルヴァ書房、2021年)に掲載されている日下田岳史准教授(大正大学)が作成した進路チャートです。

 この図を作成するには1つの学年が大学を卒業してから3年後までのデータが必要です。そこで、執筆時に利用可能な最も若年の学年ということで、2009年3月の中学校卒業者が対象となっています。1993年度生まれなので2024年度に31歳になる学年ですね。この学年を1000人としたとき、それぞれの進路に何人ずつ進んだのかを示しています。

 まず、「ふつう」と言われそうな人生を見ていきましょう。中学校卒業時点の1000人のうち、全日制・定時制の高校を3年で卒業したのは896人です。4年制大学に現役進学したのは413人で、そのうち4年で卒業したのは331人。すぐに正規雇用されたのは240人で、そこから3年以内に離職しなかったのは163人でした。

 大卒者が想起する所謂「ふつう」の進路は、「中学校卒業後は高校に進学し、4年制大学を4年で卒業して、正規雇用で同じ企業に勤め続ける」かと思います。しかし、実際にそのような「ふつう」の人生を送ったのは1000人中の163人でした。もっとも、大学進学時の浪人や大学在学中に留学して卒業を伸ばした人などを含めればもう少し増えるはずですが、それにしても「みんな」の進路ではないことは明らかです。

「ふつう」とは何か

 「ふつう」ではない進路に着目してみましょう。中学校卒業後、全日制・定時制の高校に進学して3年で卒業したのは896人でした。ここには3年で通信制高校を卒業した人は含まれませんが、10人に1人は既に一般的ではない進路になっているといえます。実際、この学年が高校1年生だった2009年度に約5.7万人の高校生が中退しています。毎年、万単位の人たちが、いわゆる「ふつう」から離脱しています。そのうち、どれだけがみなさんの知り合いでしょうか。

 私たち一人ひとりは偏った人生を送っています。出身家庭のSES、出身地域、性別という3つの観点で社会全体の分布と同じような友人がいる人は少ないはずです。教育とか社会のあるべき姿を語るとき、それはこの社会を生きるすべての人が対象となっているはずです。で、あれば、社会全体を対象にしたデータに基づいて議論しないと、的外れになり得るわけです。

「アメリカン・ドリーム」の幻想

 人口規模が大きければ、全体の傾向と一致しないような、「底辺からの成功の実例」を探すことは難しくありません。日本よりも規模が大きい米国だと年度によりますが1学年に約400万人います。ですので、たとえば、貧困家庭出身で、出身地域も同様に社会経済的に恵まれていなくて、女性で、黒人やヒスパニックといったマイノリティ、といった不利な「生まれ」がすべて揃っていても社会的に大成功したというケースも、社会の規模が大きい分、見つかるはずです。

 米国社会全体では、親よりも経済的に豊かになれるのかといった観点の世代間流動性でみると他国と比べ平凡です。「アメリカン・ドリーム」というイメージが喚起するほど社会的流動性はありません。それでも、一部の人間が成功して、SNSやメディアが過剰に取り上げるといった形で「アメリカって常に機会がある国なんだ」という幻想が維持されます。

 稀有な成功事例は興味深いですが、そのようなエピソードを過剰に取り上げると、どんなに雑な制度でも成功する人はいるのだから何も改善しないでもよい、という現状の追認になり得ます。不利な条件を克服して成功する物語は心を震わせてくれますが、一人でも多くの子どもたちが可能性を追求できる環境を整備する参考にはならないといえます。

後編へ続きます。

参考文献
松岡亮二(2019)『教育格差:階層・地域・学歴』ちくま新書
松岡亮二(編著)(2021)『教育論の新常識:格差・学力・政策・未来』中公新書ラクレ
中村高康・松岡亮二(編著)(2021)『現場で使える教育社会学:教職のための「教育格差」入門』ミネルヴァ書房
松岡亮二・髙橋史子・中村高康(編著)(2023)『東大生、教育格差を学ぶ』光文社新書

 

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著者略歴

  1. 松岡 亮二

    龍谷大学社会学部准教授。ハワイ州立大学マノア校教育学部博士課程教育政策学専攻修了。博士(教育学)。東北大学大学院COEフェロー(研究員)、統計数理研究所特任研究員、早稲田大学助教・専任講師・准教授を経て、2022年度より現職。日本教育社会学会・国際活動奨励賞(2015年度)、早稲田大学ティーチングアワード(2015年度春学期、2018年度秋学期)、東京大学社会科学研究所附属社会調査データアーカイブ研究センター・優秀論文賞(2018年度)、早稲田大学リサーチアワード「国際研究発信力」(2020年度)などを受賞。著書『教育格差(ちくま新書)』は、1年間に刊行された1500点以上の新書の中から中央公論新社主催「新書大賞2020」で3位に選出。2024年5月時点で16刷、電子版と合わせて6万8000部突破。

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