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聴いちゃった体

体がもつ「謎」(3通目/伊藤亜紗)

聴くのは楽しい!
でも、聴いたら最後、前の自分には戻れない!
美学者の伊藤亜紗さんと、作家でアーティストの瀬尾夏美さんの往復書簡。小さな声をひろい、そこから見える豊かな世界を描いているお二人が、「話を聴く」ことについて、聞き合い、語り合います。

今回は伊藤さんから瀬尾さんへのお手紙です。

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 重要な論点をありがとうございます。

 瀬尾さんが書かれているとおり、聴くことは、その前提条件、つまり語りの場を成り立たせているさまざま権力構造から自由ではありえません。なぜその人が語るのか。どのような立場として語るのか。聞き手の思惑がどう影響しているのか。「倫理的な作法やロジック」への配慮は、不可欠です。

 一方で、そうした前提条件に過剰にアンテナを張ってしまうと取りこぼしてしまうのが体である、というのもおっしゃるとおりだと思います。それを瀬尾さんが、空間的な広さ・狭さとしてイメージされているのが面白いなと思いました。アキヨさんとOriHimeがいる「陽の射す教室」と、それを成り立たせている「ほかの教室にいるスタッフや家族や見学者たち」。壁の向こうは無視してアキヨさんとOriHimeはふたりきりだと見れば、その体が見えてくるけれど、実際には、彼女たちはふたりきりではない。「ふたり」と見がちなのが私で、「ふたりきりではない」と見がちなのが瀬尾さん。なるほどなと思いました。

 1通目のお手紙に、体を聴くためには「安全に倫理の外側に出る」ことが必要だと書きました。これは存在論的なレベルでいえば、体というものが人間的なものと自然的なものの混合物であるからだと思います。確かに体は、社会的な諸力につらぬかれているけれども、と同時にそんなものは気にも留めずに細胞は分裂し、代謝が起こり、病気になり、最終的には死んでしまう。

 でもここには、歴史的な経緯もからまっています。個人的なモチベーションとしては、体は歴史的に取りこぼされがちだった、だから取り戻したい、という思いもあるんです。

 障害の分野での話になりますが、社会モデルという考え方があります。これは1970年代に出てきた障害の捉え方で、それまでの医学モデルという考え方にとって代わる障害観として登場しました。医学モデルにおいては、障害は個人の体に属するものであり、その体が「間違っている」のだから、治療したり予防したりしなければならない、と考えられていました。ところが社会モデルは、障害は社会によって作られる、と主張した。道に段差があったり、制度がととのっていなかったりすることが、車椅子のユーザーや片手がない人を「障害者」にしているのであって、直さなければいけないのは身体ではなく社会のほうだ、と主張したのです。

 社会モデルは、イギリス、アメリカ、日本などで起こった障害者運動の核にあった思想です。隔離されていた人々が、施設の職員を味方につけて密かに連絡をとりあったり、介助者を巻き込んでキャンプを開催して連帯を深めたり、そしてついには自分の体を道路に投げ出して法律の改正をうったえ、何日間も座り込みをしたりする活動の力には、本当に圧倒されるものがあります。社会を変えようとして動いた彼らの活動の恩恵を、今でも私たちは受けていると強く思います。

 社会モデルは重要です。でも、これは多くの当事者や研究者が指摘していることですが、そうやって彼らが「体を張った」ことが、結局「体について語る」ことをタブーにしてしまったんですよね。「あなたの体は間違ってない、間違っているのは社会だ」という前提があったので、体について語ること自体が、「負け」みたいな雰囲気もあったのではないかと思います。そのような状況で、人々は集団をつくり、力強いシンプルなスローガンが書かれたバナーを手にして、健常者とは違うその体を人々の目の前に晒していった。そこで体はメッセージを雄弁に伝えるメディアでした。でもメディアになることは、それ自体を透明化することに他なりません。

 社会モデルによって隠されてしまったものはいくつかありますが、特に私が重要だと考えているのが、シンプルなスローガンのもとで、人による経験の違いが隠されてしまったことです。

 社会モデルの当事者たちは、しばしば同じ障害の仲間たちと団体を形成していました。その団体は、しばしば「Union of 〇〇」「〇〇会」といった名前をもっていて、「会長」を頂点とする明確なヒエラルキー構造のもと、社会に向けて「宣言」を出し、内部に向けては「会報」を発行し、共通の信条やモットーを共有する仲間という性格をもっていました。それは確かに運動のためには都合がよいのですが、公式の信条やモットーに乗りきれないという「ためらい」を消してしまいがちです。たとえば「どもることに誇りをもつ」と「会」は言っていたとして、それは確かにすばらしい思いつつ、「でもどもらないですむ方法があるならそのほうがいいなあ」と感じる日もある。そのゆらぎの部分にこそ人による違いが見えてくるものだと思うのですが、もしそういうことを口にできなくなるとしたら、「Union」や「会」の結束力は危険です。

 実際、さまざまな当事者への聞き取りをしていて感じることですが、医学的には同じ障害にカテゴライズされる人であったとしても、人によって、障害の経験は大きく異なります。何を大事にするか、何に関心があるか、どのようなリソースがあるか――そのパラメータを、人種、ジェンダー、宗教、家族構成、などとリストアップすることはできますが、そのラベルに還元してしまうことはやはりためらわれます――によって、感じ方や経験に与える意味、対処方法が違うのです。(おそらくそうした多様性に配慮するために、近年では、当事者の集まりも「Collective」や「カフェ」といった名称が好まれるようになっているように思います。)

 長くなりましたが、そのような歴史があるため、体について語るボキャブラリーと機会が圧倒的に不足している、というのが私の実感です。体を置いてきぼりにしないで社会のことを語りたい。そのために必要な道具(概念)と場を作ることが、自分が研究者としてできることかなと思っています。

 

 瀬尾さんに尋ねてみたいなと思ったのは、聴くときに出会う(のではないかと思うのですが)「謎」「よくわからないこと」とのつきあい方です。

 というのは、「体を置いてきぼりにしない」というのは、つきつめると「正解を知っている人がいない状況を持続させる」ということなのではないか、と思うからです。それはある意味では、とても民主的な状態です。

 体ってよくわからないことがいっぱいあるんですよね。必ずしも合理的な選択をしているわけではなく、「そうなっている」としか言いようがない部分がある。「こうやっている」「こう感じている」という事実だけがまずあって、その理由や根拠が見えないことがいっぱいあります。

 たとえばインタビューをしているとときどき出てくる表現に、「スイッチが入る」という言い方があります。「過食のスイッチが入る」とか「吃音のスイッチが入る」とか。環境の中にあるトリガーによって、自分の中にもともとあったサイクルが動き出して止められなくなるという感覚を表現した言葉だと思うのですが、起こっている現象そのものは明確なのに、なぜそうなってしまったのかは本人にもよくわかりません。たぶんこうなんじゃないか、という仮説を立てることはできるかもしれないけれど、案外それを裏切るような挙動を体が起こしたりして、結局また謎に戻る。

 本人にも正解がわからない、というところがポイントで、だからこそ、その謎に対して、他の人も「こうなんじゃないか」と語り始めることができる。謎だからそこに対話が発生する。本人も、謎があることで自分の体を手放せる。

 このように考えていくと、私の「体を聴く」は、体を明らかにするというよりも、体の謎としての豊かさを発掘して、つきあえるようにすることを願っているように思います。その体がもつもっとも錯綜した場所、謎はどこなのか。

 たとえるなら、その体について、本人がわかっていて説明できる部分は、いわばその人の私有地です。でも、本人でさえ説明できない部分は謎であり、だからこそ本人以外も立ち入れるコモンズになりうる。この「自分の体に他人が入ってくる」ということが「安全に倫理の外側で出会う」ということで、願わくば、そのことが本人にとっても「自分の体を他人の目で見る」という新鮮で豊かな経験になってほしいと、どこかで期待しているように思います。

 ジョナサン・スターンという音響学者が、癌によって声を失う経験をしました。そのことについて『衰えた能⼒――インペアメントについての政治的現象学』(⼆〇⼆⼀)という本で書いているのですが、冒頭でスターンは、自分は「信用できない語り手だ」と言っています。ご存知のとおり「信用できない語り手」とはもともとは小説の叙述トリックのひとつで、記憶があいまいだったり、病気だったりする語り手を使う技法を指しますが、ここでスターンが言おうとしているのは、「無知を前提に語る」ということです。障害の経験について語るとは、「知らないということさえ知らないようなこと unknown unknowns」があるような領域で語るということだとスターンは言います。

 これは1970年代に障害者運動のなかでしばしば語られたスローガン「私たちぬきに私たちについて決めないで Nothing about us without us」とは好対照を成しています。なぜなら、このスローガンは、「私たちのことは私たち自身が一番知っている」というメッセージだからです。信用できない語り手は、「私は私のことがよくわからない」と言う。でも「だからそれについてみんなで語ることができる」。逆ですが、どっちも必要なものです。矛盾するメッセージを同時に発すること。先日亡くなった田中美津さんも、ウーマン・リブは「矛盾のカタマリ」と語っていらっしゃいましたが、一貫性のなさが許されることこそ、体が置いてきぼりにならないためにまず必要なものではないかと思います。

 だとすると、一貫性が求められがちなSNSは、体にとってはしんどい場所なのかもしれませんね。瀬尾さんが書かれていた、元日の能登半島地震発災直後のSNSに湧き出した、現地入りした人を批判するような書き込みの数々。実はあれを見て、私はSNSを離れることにしました。完全にやめたわけではありませんが、以前に比べると、見ることも書き込むこともかなり少なくなりました。なんだか、恐ろしくなったのです。

 私も、3月末に能登を車で案内していただく機会がありました。瀬尾さんもご覧になったかもしれませんが、金沢から珠洲に向かう道中、山の斜面を造成して作られた道路が削られ、ガードレールが宙に浮いてしまっている箇所が無数にありました。

 その様子を、案内してくれた方が「シュールな光景」という言葉で表現されていたんですよね。車の席の前後に座っていたので表情はわからなかったのですが、どこか私たちを笑わせようとするような響きが、その言葉にはありました。

 被災地に「シュール」なんて、SNSに書き込んだらまっさきに炎上しそうです。その方は毎週のように炊き出しをしていらっしゃる地元の方で、もちろん被害の大きさはよく知っていらっしゃいます。私の推測ですが、あの「シュール」は、大変さを知りつつも、能登のなかの多様性や人々のリアリティを無視して、ただただ大変な場所という意味での「被災地」というメガネで見られることを拒むための表現なのではないかと感じました。別の言い方をすれば、それは震災によって主にSNSを舞台に「見られる側」になりがちだった能登から、「見返される」経験でもあったように思います。

 暑い夏が終わりつつありますね。瀬尾さんはやっぱり夏生まれなのでしょうか。嬉しいような寂しいような、季節を感じる体は一貫性がありません。

 

二〇二四年八月二五日 ネットから切り離された飛行機の中にて

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著者略歴

  1. 伊藤 亜紗

    美学者。東京工業大学科学技術創成研究院未来の人類研究センター長、同リベラルアーツ研究教育院教授。哲学や身体、利他に関連しつつ、横断的な研究を行っている。主な著書に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく』(文藝春秋)など多数。サントリー学芸賞、日本学術振興会賞、学士院学術奨励賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞などを受賞。1979年東京生まれ。

  2. 瀬尾 夏美

    アーティスト、作家。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。さまざまな地域やコミュニティと協働しながら記録し、表現するコレクティブ「NOOK」を立ち上げ、災禍の記録を掘り起こし、それらを用いた表現を模索する「カロクリサイクル」に取り組みながら、語れなさや記憶の継承をテーマに旅をする。主な著書に『あわいゆくころ』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層』(生きのびるブックス)など。映像作家の小森はるかとの共同制作として、《波のした、土のうえ》(2014)、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2020)、「11歳だったわたしは」(2021-)など。1988年東京生まれ。
    (撮影:Hiroshi Ikeda)

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