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聴いちゃった体

居心地のカラー(11通目/伊藤亜紗)

聴くのは楽しい!
でも、聴いたら最後、前の自分には戻れない!
美学者の伊藤亜紗さんと、作家でアーティストの瀬尾夏美さんの往復書簡。小さな声をひろい、そこから見える豊かな世界を描いているお二人が、「話を聴く」ことについて、聞き合い、語り合います。

今回は伊藤さんから瀬尾さんへのお手紙です。

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 マーシャル諸島からおかえりなさい! 旅のお手紙を楽しく拝読しました。

 着いて早々、「ここに住んでみたい、住めるかも」とは、大胆な感想ですね。まだ街もちゃんと見ていない、そういう意味では「訪れる」すら成立していないのに、すっとばして「住む」イメージが立ち上がる。マーシャルの景色や人々の穏やかさと、その一部になっている自分を即座に想像できる瀬尾さんの思いきりの良さを感じました。

 「住む」と「訪れる」の境目は、どこにあるのでしょうね。もちろん、数日の滞在と数ヶ月の滞在は経験として全く違うので、単純に「滞在時間の長さ」という要素は大きいと思います。でも、きっとそんな単純な話ではないですね。数年暮らしても「訪問者」という感覚が抜けないこともあるでしょうし、逆に数週間しか経っていなくても「住人」になることもあり得ると思います。

 八〇年以上前に国の命令でマーシャル諸島に上陸した日本の兵隊は、そこに「住んでいる」という感覚はあったのでしょうか。あるいは一年近く宇宙ステーションで過ごす宇宙飛行士は、宇宙を「訪れている」のか、それとも「住んで」いるのか。「日本人」にせよ「地球の生命」にせよ、自分とある点で同類だと考えられる「仲間」から物理的に離れているとき、つまり「ふるさと」に自分の体がないとき、この「住む」か「訪れる」かという問いは大きな意味を持つようです。ということは、この問いは、誰を「仲間」と考えるか、そしてどこが「ふるさと」なのか、をめぐる線引きとも関係するということですね。瀬尾さんが書かれているように、嵩上げや移住によって景色が変わってしまったら、それは座標軸としては同じ場所であっても、もう「ふるさと」とは呼べないかもしれません。

 突然ですが、「居心地」というのは面白い言葉だなあと思っています。「訪れる」と「住む」のあいだにあって、両者をつなぐところに生まれる感覚、とでも言えるでしょうか。旅行者として訪れ、「居心地がよい」と感じれば、その人はそこに「住む」ことを考えるかもしれない。逆に、住んでいるはずの人が「居心地が悪い」と感じるとしたら、その土地をすでにちょっと引いた目で見ていて、別の場所へ移動することを考えるかもしれません。

 最初にこの言葉を意識したのは、一九六〇年代後半から七〇年代にかけてアフリカ系アメリカ人のアーティストたちが書いたものを読んでいるときでした。ときどき出てくるんですよね、「居心地がよい comfortable」という言葉が。自分たちが絵を描いたり音楽を作ったりするのは、黒人たちの「居心地」をよくするためだって言うんです。

 六〇年代後半というと、時代的には公民権運動のあとです。五〇年代から続けられていた公民権運動は、キング牧師のカリスマ的影響力、そして冷戦期という政治的な状況も後押しして、六〇年代半ばに一定の勝利を獲得します。一九六四年の公民権法制定と、一九六五年の投票権法の制定です。黒人たちに白人と同等の権利を認める法律ができたことによって、建国以来二〇〇年近く続いていた人種差別に終止符が打たれることになったのです。

 もちろんこれは輝かしい勝利ではあるのですが、一方で、黒人たちのあいだには「白人と同じになることが目的だったのか?」という疑問が湧き上がります。つまり、白人に同化されたいのか? という自覚です。実際、公民権運動は白人協力者の手を借りながら進んでいましたし、同じ黒人でも階級によって公民権法から受ける恩恵には差があったので(同化しえたのは主に中流の黒人でした)、かえって黒人コミュニティをばらばらにしかねないものでした。六八年のキング牧師暗殺によって非暴力の限界も見えていたところでした。

 こうした問題意識を背景に、「白人との違い」や「黒人らしさの追求」を求めて「ブラック・アーツ・ムーブメント」を起こしたのが、当時のアフリカ系アメリカ人アーティストでした。同化の拒絶。白人との対立も辞さないこの主張は、当時のアフリカ系アメリカ人たちが置かれていた社会的状況を考えると、かなり大胆なものです。思想的には、彼らの中には、マルコムXの思想を受け継いだブラックパンサー党理念に共鳴した人々が多くいました。ブラックパンサー党といえばベレー帽にショットガンのスタイルが有名ですが、キング牧師とは違って彼らは武闘派で、独自の警察組織まで持っていました(一方で、無料食事サービスなど社会福祉的な活動もしていました)。

 そんなかなり大胆な思想を背景にもつアーティストたちが、最終的なゴールとして「居心地」を掲げているのです。たとえば、一九六八年にシカゴで結成されたAfriCOBRAのメンバーに、ワズワース・ジャレルという主にペインターとして活動したアーティストがいます。彼は、黄・ピンク・ブルーなどの明るい色を使った点描のような画風(よく見ると点ではなくBなどの文字で描かれている)で知られるのですが、運動を通じて「美しい黒人として自分に居心地のよさを感じ、誇りに思うようになった」と語っています。

 最初にこの言葉に出会ったとき、「なんか、なまやさしいなあ」と思ってしまいました。「黒人の真理」とか「抵抗の美」とか、なんというか、拳に力が入ったような言葉を勝手に期待してしまっていたんですよね。それに比べると、「居心地のよさ」という表現は、カウチポテト的というか、だらっとリラックスしているような印象で、いまいちピンときませんでした。

 でも、「訪れる」と「住む」のあいだにこの言葉を置いてみると、それがいかに重く切実な表現であるかに気づかされます。言うまでもなく、彼らの先祖は、奴隷として強制的にアメリカに連れてこられた人たちです。つまり、自分の意志で「訪れた」のですらない。オクテイヴィア・E・バトラーの『キンドレッド』(一九七九)というSF小説で、主人公が何度も奴隷制時代の農園にタイムスリップさせられる様子が描かれますが、奴隷としてアフリカからアメリカに連れてこられた黒人たちは、まさによくわからない存在に誘拐されるような感じだったのではないかと思います。自分の根っこを抜かれ、訳もわからないまま他の場所にテレポートさせられてしまった。

 そんな奴隷たちの子孫である彼らは、また別の意味で「訪れる」が成立しにくくなっています。家庭の中などでさまざまな慣習や伝統を受け継いでいたとしても、生まれてからずっとアメリカに住んでいる彼らの世代にとって、アフリカはもはや彼らにとっての「風景」ではないのです。アフリカは自分たちのルーツではあるとしても、帰るべきふるさとだと感じるのは難しい。自分を形作る風景はあくまでアメリカのそれであって、いかにそれが自分たちにとって差別的な社会であったとしても、彼らはこの風景の中で生きていくしかない。その苦しい葛藤を乗り越えた先にあるのが、「黒人として自分に居心地のよさを感じる」ということなのかなと考えています。

 実際、先ほどのAfriCOBRAのマニフェスト的な文章を読むと、「風景」への言及がたくさん出てくるんですよね。もっとも、それはアメリカの都市の風景なので、マーシャル諸島や東北のそれとはだいぶ違っているのですが……。

カラー、カラー、カラー。
輝く色、ルールや規制から自由な色。
輝く色、圧倒的な表現力を持った色。過去を定義し、現在を認識し、未来を方向づける色。
超現実的なイメージのための、超現実的な色。それは、私たちが毎日目にし、体験している超現実。
ワッツの通り、サウスサイド、4番街、ロクスベリー、ハーレム、
アビジャン、ポルトープランス、バイーア、イバダン、ダカール、ヨハネスブルク……私たちがいる、あらゆる場所のクールエイド色。超現実的な人々のクールエイドなイメージのためのクールエイドな色。
[1]

 毎日目にしている日常の風景でありながら、それが「超現実」でもある、という描写に、先の葛藤を乗り越えようとする視点選びを感じてしまいます。雑貨店の棚、通り、食卓の上、を満たす超現実的なまでの色、色、色。ちなみに、引用の最後に出てくる「クールエイド」というのは、水に溶かして飲む粉末飲料の商品名です。「クールエイドマン」というキャラクターが描かれた、赤や紫のいかにもアメリカらしいパッケージをしています。

 先に、ジャレルがカラフルな絵を描いていた、と書きましたが、AfriCOBRAのアーティストたちにとってのカラフルな色とは、まずもってこの自分たちが毎日目にしている大量生産大量消費の「風景」の色だったんですよね。この色が、ハーレムからヨハネスブルクまで、アメリカとアフリカをつなぐものになっている。クールエイドの色味で絵を描くことは、彼らにとって、アメリカの消費社会的風景の中に、アフリカの血が流れる自分たちの体の居場所を作ろうとする行為だったのかなと思います。

 上の文章にも出てきますが「輝き」も重要なキーワードだったようです。風景は、輝いていたんですよね。同じマニフェストの中で具体的にあげられるのは、「洗いたてのアフロの整髪料のツヤ」「唾でみがいたエナメル靴」「乾燥していない肘や鼻の光沢」などなどです。マニフェストに肘や鼻のような脇役的身体パーツが出てくるところが、体の研究者としてはなんだかフェティッシュでぞくぞくしてしまうのですが、風景のなかで輝く黒人の身体の美しさを捉えようとしているように思います。

 居心地のよさという感覚は、この社会の中で自分は安らっていられる、ここでは自分の体は誰かからの攻撃的なまなざしや暴力にさらされることはない、と保証されているという安心感を前提としています。つまり、社会的かつ身体的な感覚なんですよね。当時は「ブラック・イズ・ビューティフル」ということも言われていました。黒人の身体は、それまで「醜いもの」というスティグマの対象になっていて、黒人自身も自己洗脳のようにそれに縛られていた。でも、いや、そうではない、黒人の身体は美しいのだと宣言することによって、まさに社会的にも、身体感覚的にも、その体に居場所を与えようとしたのだと思います。

 居心地のよさという感覚は同時に、自分が生まれてきたときから自明とされていたもの、あるいは先祖代々受け継いできたものを美しいと考える人間の感性のコンサバティブな部分と、さまざまな暴力や災害によって失われたり変わってしまったりしたふるさとにそれでも根を張ろうとする人間のタフで柔軟な部分とが、うまくお互いに手を結べたときに生じる納得感でもありますね。変わらないものと、変わってしまったもの。変わらないために、変えざるを得ないこと。

 人の中にも矛盾があって、気持ちが大きく揺れることもあるでしょう。身に起こったことの理不尽さに、納得できないときもある。でもそれが不意にうまくまとまって、ストンと落ちたとき、「居心地のよさ」がやってくる。究極の理屈を超えた部分、でも探ればちゃんとそこに理由はある。大事にしていきたいなあ、と思っています。

 

湿気でうねる髪の毛に悩まされながら

 

[1] https://transcription.si.edu/project/23413 (2025年6月2日最終閲覧)

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著者略歴

  1. 伊藤 亜紗

    美学者。東京科学大学未来社会創成研究院・リベラルアーツ研究教育院教授。哲学や身体、利他に関連しつつ、横断的な研究を行っている。主な著書に『ヴァレリー 芸術と身体の哲学』(講談社学術文庫)、『目の見えない人は世界をどう見ているのか』(光文社新書)、『どもる体』(医学書院)、『記憶する体』(春秋社)、『手の倫理』(講談社選書メチエ)、『きみの体は何者か』(ちくまQブックス)、『体はゆく』(文藝春秋)など多数。サントリー学芸賞、日本学術振興会賞、学士院学術奨励賞、(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞などを受賞。1979年東京生まれ。

  2. 瀬尾 夏美

    アーティスト、作家。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくる。さまざまな地域やコミュニティと協働しながら記録し、表現するコレクティブ「NOOK」を立ち上げ、災禍の記録を掘り起こし、それらを用いた表現を模索する「カロクリサイクル」に取り組みながら、語れなさや記憶の継承をテーマに旅をする。主な著書に『あわいゆくころ』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『声の地層』(生きのびるブックス)など。映像作家の小森はるかとの共同制作として、《波のした、土のうえ》(2014)、《二重のまち/交代地のうたを編む》(2020)、「11歳だったわたしは」(2021-)など。1988年東京生まれ。
    (撮影:Hiroshi Ikeda)

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