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ガクモンのめ

「諦め」無き世界への憧憬【itsuki minami】

 若手研究者たちが、学問のおもしろさを伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第4回は、葡萄農家をやりながら音楽を作り、政策提言を作って、執筆をして、新聞配達をしているitsuki minamiさんです。近代の枠組みの外側から考えるような試みを実践することで、アカデミズムの外側から世界の本質に迫る論考をぜひご一読ください。

itsuki minamiさん

「冒険」を誘う蛍の光

 右手を前に伸ばし、握った拳を、ゆっくりと開いてゆく。それと同時に、ふわあっと手前から奥にかけて小さな小さな光が呼応するように広がってゆく。川から山にかけてふわふわと飛ぶ蛍たちは、先日もある一人の燻る大学生の感性を開かせた。

 「撮影すること」が好きなその大学生は、就活をするのか、自分の好きなことをして食べていくのか悩んでいた。就活をすれば、知らぬ間に失われてしまう「何か」があることを直感的に感じて、その「何か」を爆発させるために、バイトをサボって群馬県から岡山県の私の家まで飛んできた。来てすぐ畑に行き、ひたすら畑作業をしながらいろんなことを語らって、夜には蛍の光に囲まれて大号泣。結局抱えきれない程の「とてつもない」ものを持って次の日には群馬に帰っていった。

 中学生から大学生、社会人に至るまで、たくさんの人がそうした体験を求めてここにやって来る。抱えきれないものを持って帰っても、また元の環境に戻って社会の藻屑になってゆく人たちも多いが、言葉にはならないここでの体験を忘れずに、人生を「ゲーム」ではなく「冒険」にしてゆく人も少なからずいる。  

「過去と今と未来」という日々

 私は今、岡山県の山奥で葡萄農家をしている。ここ「びほく」という地域で育つピオーネという品種は、本当に日本一なのではないかと思うほどにゆたかな味わいをしている。食用果物の品質(味や見た目)の追求は、日本は世界でも群を抜いている。日本一ということは、きっと世界一ということでもあるのだ。そんな世界一ともいうべき葡萄は40年以上かけてたくさんの生産者によって培われてきたノウハウの蓄積と洗練を基に、今を生きるそれぞれの農家の想いがのって生まれてくる。

 このピオーネの栽培で、私がもっとも面白いと思うのは、「粒間引き」という作業だ。まさに、今この文章を書いている時期、私は朝から晩まで粒間引きをしている。粒間引きとは、限られた粒に栄養を集めて味を濃縮させ、見た目を整った状態にしていくための作業である。放っておいたら葡萄の房には数え切れないほどの粒がつくのだが、それを1房につき数十粒落としていく。これを何千房とやり続けるのが、この粒間引きという作業なのだ。私の場合、1000〜2000房くらい過ぎたあたりで、ランナーズハイならぬ「粒間引きハイ」の状態に突入する。ドーパミン出放題の中、同時にゾーン状態にも突入する。そうすると、この世界のどこかまったく違うところの風景を見ていたり、まるで私が葡萄になっていたような気がしたり、とてつもない感動に出逢い続ける瞬きが遥かに続いていく。私が世界に広がり、私が宇宙になっていく。すべてが「とてつもない」輝きになってゆたかな悦びに満ち満ちていく。気がついたら数時間がほんの一瞬で過ぎ去っている。

  そんなことを日常としている私だが、岡山に来たのはつい2年前のことである。それまでは、神戸に住みながら、世界へ旅に出かけるのが好きな人間であった。日本にいると、3ヶ月ほどでしんどくなってくる。抜け出したくなってバックパック一つで海外に行き、現地の道端でサッカーをしている子どもたちに混ざってサッカーをするのがとにかく好きだった。

 神戸に移り住んだのは大学へ通うためだったが、その前までは東京に住んでいた。東京の中高でひたすら野球に打ち込み、甲子園まであと一歩のところまで行ったのも随分昔のことのようだ。あと一勝で甲子園という試合の終盤、神宮球場は超満員、私に打席が回ってきて呆気なく三振をした時の風景は今でも夢に出てくる。夢では三振ではなくホームランを打つか、監督に胸をえぐられるように怒られるかの、どちらかに物語が改ざんされているのだが……。

 またその前はインドに住んでいた。私があえて「自分の故郷」を答えるのなら、「インド」と言うだろう。インドに住んでいたのは小学校の4年間だけだったが、それほどまでに楽しい日々であった。もちろん邦人の日常生活にはたくさんの制約があったが、それでも私は日本にいた時よりも遥かに自由だと感じていた。通っていた日本人学校も、住んでいた家も、何もかも、日本にいる時よりもとにかく自由だった。その時に現地でさまざまな国籍の子どもたちと野球をした記憶が、今も私の夢の原点となっているのは数十年後に夢が形になったときに語りたい話である。

 おっと、自己紹介をしようと思い、つらつらと文章を書いてきたが、そもそも文章から私という生き物を想像してもらうことはだいぶ滑稽なことであると今になって気が付いたので、ここからは「諦め」など存在しないという最近の気付きを文章にしてみたいと思う。 

Erikという建築家

 そもそも、「諦め」という概念って、一体なんだろうか。

 私が岡山県で葡萄を始めるきっかけになった人物が、僕の住んでいる裏山のそのもう二つ向こうの山に住んでいる。もちろんその人物も葡萄農家だ。その人物がどういう人かも文章に圧縮したくないのでここにはあえて書かないが、とにかくピュアな少年のような傑物である。その方が、先日私にすごく感動したんだと伝えてくれたある動画がある。この動画が、私たちの目を覚まし、「とてつもない」ものを湧き上がらせてくれた。 

 Erikという生き物が、森の中で斧とノコギリだけで木を切り始める。普段からチェンソーを使い倒す我々にとって、斧一本で木を切ろうとする光景がすでに異様であった。そして、このシリーズの動画をずっと真剣に見続けていくと、彼は見事なログハウスを作り上げる。一人で、手動道具のみで、だ。そして、彼は何も「諦め」ない。地面に石が埋まっていたら、別に取らなくてもそれなりのハウスはできるのに、すべて取り切る。木を削るのも、そんなに丁寧にやったら時間がかかるのに、そんなことは気にも留めない。ほとんど喋ることもなく、森の中で一人コツコツとやり続ける。彼の眼差しは、まるで僧侶や聖人かのように落ち着きはらって据わっている。

 私たちは字幕もタイトルも概要欄も何も読まずに、ただこの映像を見続けた。撮影係の人がいるとか、絶対機械を使っているとか、そんなことを言う人もいたが、私たちにとってはそんなことは特に重要ではなかった。ただ、何も疑うことなく、このErikの風景を見続けた。一体彼は何を想っているのか。何を思ってこれをやろうと思ったのか。そんなことやあんなこと、いろんなことを考えてみても、どうにもそのすべてがダサくて、彼はもっと透き通って、風のように無為に生き続けているようにしか見えなかった。彼のその姿は、私たちにはあまりにも手触りのある現実的なもので、自分達がどこかで知らぬ間に色んな理由をつけて「諦め」ていた「我武者羅」な姿そのものであった。 

「豊か」よりも「ゆたか」

 私は岡山の田舎の小さな小さな集落に農地付き空き家を買って移住してきた時、「生と死に触れる」というテーマを持っていた。生と死の結晶としての「土」に触れながら、「生」と「死」の遥か彼方を見つめたいと思っていたのだ。私の家の裏には集落の人の先祖が眠っているお墓がある。はじめ、この家に引っ越してきた時は、正直夜などは外を出歩くのは怖かった。田舎の人に信頼をしてもらうために私はまず新聞配達の仕事を始めたのだが、田舎の真っ暗闇を原付でひとりぼっちで走るのはとても怖いことであった。だが、だんだんと、怖くならないタイミングを掴めるようになってきた。それは、「脱人間」している時なのだ。「人間」という概念は元来近代西洋的なものであり、日本の伝統的な概念ではない。認識的に世界を捉えている日や、そのように人間人間しい認識を軸に動いている時などは、どうがんばっても暗闇が怖かった。だが、認識を遥かに超えた世界と繋がる感覚に自分を溶かし、風を感じてお天道様に従った生活リズムをしている時は、真っ暗闇の中の先人の霊魂も、あらゆる虫や小動物、霊や自然現象の気配も、「仲間」にしか感じなくなることに気が付いたのだ。それは人間が語る「豊かさ」よりも遥かに「ゆたか」な感覚であった。

 であるならば、こうした人間の「認識」を遥かに超えた世界と溶け合っている中でも、我々が現在使っている「諦め」という概念は存在するのだろうか。例えば、虫は、上に飛び立ったらそれ即ち前に進むことを「諦め」たのだろうか。例えば小動物は、獲物を捕獲しようとして何らかの邪魔が入り、それを辞めた場合、それは彼らにとって捕獲することを「諦め」たのだろうか。彼らの環世界において、そんな概念は存在するのかと言えば甚だ怪しい。

 そもそも「諦め」という現在の言葉に含まれる意味は、古来の日本には存在しない。もともとは、同じ音では「明らむ」という言葉があり、これは何か隠されているものを「明らかにする」という意味合いだったのだ。また、仏教では「諦」という言葉は、真理や道理といったことを表すのに使われてきた。現在のネガティブな意味合いからすれば、真逆の使われ方である。ではなぜこのような変化が起こったのだろうか。それを考えていく上で、この「諦め」という概念が、「認識」という概念に紐づいているということが重要な鍵となる。我々はいつぞやから近代西洋的な「認識」を基盤に据えたあらゆる概念や諸制度に取り囲まれて生きるようになった。それは「どのように世界を認識するか」という近代人間中心主義的な感覚に基づくものであり、それは即ち「どのように世界を認識しないか」というのと表裏一体でもあった。

 元来日本の世界と溶け合った自然観からすれば、「認識」の外側のものと溶け合うことは、生きものとしてポジティブなことであり、それは何か天や仏、真実や道理に触れ、一体になるという感覚をもたらすものでもあった。しかし、現在我々が無自覚に立脚している認識論的立場からすれば認識の外側のものを直覚してしまうことは、往々にしてネガティブなことなのであり、それは「あきらむ」という言葉を反転させた意味合いとしての「諦め」をこの日本に誕生させることに繋がったとも考えられるのではないだろうか。 

「諦め」無き世界

 であるならば、「諦め」という概念は本当に必要なのだろうか。

 そうした「諦め」無き世界観は、田舎のおばあちゃんの生活などを覗いてみると垣間見ることができたりする。朝早くに起きて、毎日ちゃんと朝ごはんを作り、洗濯物を干して、畑に出て雑草を抜き、新聞を読み、昼ごはんを食べ、外に行っておばあちゃん同士でシニアカーを並べて井戸端会議をし、帰って韓流ドラマや時代劇を見て、涼しくなったら畑に出てひと汗かき、知らぬ間に集まった食材で夜ご飯を作り、日が暮れれば就寝する。「意図」や「目的」が存在した生き方なのかと言えばそうでもなく、でも機械的なものなのかと言われればそうでもない。そうしたおばあちゃんの無尽蔵の体力や、無目的的に「生きる」その姿は、人間らしさよりも生きものらしさに似ている節がある。おばあちゃんたちが作って、たまに持ってきてくれる手料理は、とてつもなく美味しい。だがその美味しさは、この世界の片隅で民藝的に生き続けてきた生きものの何か認識し得ないものの正体とも感じられる。

 そんなおばあちゃんたちの生活の機微に、「諦め」という言葉はどこを探しても見当たらない。それだのに我々はそのような「おばあちゃん的な生き方」ができるかと言われれば難しくはないだろうか。認識機械的ルーティン人間になるか、意味や目的に原動力を委ねて生きるか、そのいずれかでしか生きられなくなった我々にとって、「諦め」という概念は切っても切り離せないものになってしまってはいないだろうか。Erikの木を削るその風景の機微に宿っているものは一体何なのか、もう一度あの動画を見てみようじゃないか。

 「諦め」を溶かしてしまうほどの「とてつもない」ものは、どこにありますか。それは一体、何ですか。何ですか。自分自身にも、大切な人にも、「諦め」を遥かに超えた世界を、「諦め」の無い世界を、取り戻すことは、できませんか。  

 
《プロフィール》
itsuki minami
兵庫県出身、幼少期をインドネシアやインドで過ごす。中高で野球に打ち込み、神戸大学に進学後、1年で辞めてアジアやアフリカを旅する。現在は岡山県の田舎で葡萄農家としての生活を送りながら、毎日朝は新聞配達を務める。一方でアメリカの大学教授と共にインフラ政策を考えたり、若者の居場所を模索したりと幅広く活動をしている。「父性」と「趣」をテーマに置いており、スポーツと音楽の可能性に夢を抱いている。
 

   

 
《人生を変えた本》
 『くまのコールテンくん』
(ドン・フリーマン作、まつおか きょうこ訳、1975年、偕成社)
私には人生の相棒でもあるぬいぐるみがいる。名前を「わんこ」と言う。他の人はみんなそのぬいぐるみを犬だと言う。だが、私はこのわんこを絶対にくまだと思っている。それはきっとこの絵本を小さい頃に読みすぎたからだろう。
 
 
『「ゆっくり」でいいんだよ』
(辻信一、2006年、ちくまプリマ―新書)
思想や考え方にすべて共感するという話ではなく、私にとっては、愛のものすごくこもった、とても嬉しい本だった。私の大切な人を、すごくそのまんまに、大事にしてくれたような、そんな気がしたからだ。
 
 
『講孟余話』
(吉田松陰、1969年、岩波文庫)
一見無茶苦茶な行動さえもしてしまう吉田松陰を突き動かす土壌が垣間見える本。ここに眠る風景は、我々近代の延長を生きるものたちが、次の未来を切り開くことに大きな示唆を与えてくれると思う。
 

 

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