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ガクモンのめ

ろう者の村で観た音楽【西浦まどか】

 若手研究者たちが、学問をつきつめる「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第2回は、ろう者と音楽のかかわりについて研究されている西浦まどかさんです。「人はなぜ“音楽する”のだろう」。この問いに突き動かされ、向かった先は、ろう者が多く住む村。そこでの日常から、音楽やうたうことの根源的な意味にせまります。

  西浦まどかさん(東京大学大学院総合文化研究科博士課程、ハーバード大学文化人類学部客員研究員)

 バリ島の朝は、「コケコッコー」という鶏の鳴き声、お母さんたちが料理をする包丁の音、そしてヤシの木々と茶色いトタン屋根を照らす、真っ赤な朝焼けから始まります。フィールドワーク中のある朝、私がのそのそと部屋から出てくると、軒先でひとりの少女が朝のざわめきと光の中で、くうを見つめながら体を揺らして踊っていました。笑うのでもなく、ぼうっと何かにとりつかれたように緩やかに踊る少女の姿は、ただ踊ることそのものに身をゆだねているようでした。私が「何してるの」と話しかけると、我に返ったように「あ、考え事してた」と言うのでした。

 私は、この踊りが彼女にとっての「鼻歌」なのだと思いました。踊りが鼻歌、とはどういうことでしょうか。それは、彼女はろう者、すなわち耳の聞こえない人だったからです。ろうの人びとは声や音ではなくからだの動きで、その気分に身をゆだねるのです。

バリ島の朝

日本手話との出会い

 私は現在、ろうの人びとと音楽とのかかわりについて、手話コミュニケーションやダンスの観点から幅広く研究しています。きっかけは、東京藝術大学の楽理科で世界中の音楽を見聞きし演奏を習う中での、ふとした疑問です。

 「人はなぜ“音楽する”のだろう」。

 Spotifyで聞くJ-POPからクラシックのコンサート、アフリカの狩猟採集民の合唱からブラジルのサンバまで……私たちの世界は響きで満ちています。音楽は「余暇の遊び」あるいは逆に「高尚な芸術」として、生活の脇にあるものとみなされがちです。しかし実際に世界は、こんなにも響きで溢れています。

 私たちはなぜ、歌い踊ることをやめないのでしょうか。私たちはなぜ、“音楽する”のでしょうか。

 この疑問に答えるためには、音楽活動が私たちに与える意味、すなわち音楽の社会文化的な機能について知る必要がある、と私は考えました。そこで、東京大学の文化人類学研究室の修士課程の門を叩くこととなりました。

 入学後、興味本位でたまたま出席したのが「日本手話」の授業でした。

 東大での日本手話の授業は、英語やスペイン語などと同じ「語学」として開講されています。手話は言語だからです。世界共通の手話はありません。日本語と英語が全く異なるように、日本手話とアメリカ手話は全く異なります。

 また、日本で広く「手話」と呼ばれているものには2種類あります。「手指日本語(日本語対応手話)」と「日本手話」です。手指日本語は、日本語を話しながら手話単語をあてはめたものです。一方の日本手話は、ろうコミュニティから自然発生的にうまれた、日本語とは別の文法や表現をもった言語です。

 たとえば、松岡和美さんが『日本手話で学ぶ 手話言語学の基礎』(くろしお出版)という本で挙げている例、「電車を待っていてなかなか来ないのでおかしいと思ったら、事故で遅れていた」 という文で考えてみましょう。手指日本語では「電車 待つ なかなか 来る ない おかしい 思う 事故 遅れる」と、日本語文と同じ順番に手話単語を当てはめます。一方日本手話では、「電車 遅れる 待つ 長い おかしい 何 事故」という表現がより自然なのだそうです。日本手話ではこのように語順や語彙が日本語と異なるだけでなく、表情や口の形が時制などの文法事項を担うなど、日本語とは独立した言語体系を確立しています。日本手話は、日本語や英語などと並ぶ、ひとつの「言語」なのです。

 こうした言語の違いは、聞こえの違いとも関わっています。多くの中途失聴や難聴の人びとにとっては、すでに知っている日本語をベースにした手指日本語や筆談が使いやすい一方、先天性で重度のろうの人びとにとっては、日本手話こそが使いやすいことが多いからです。

 特に先天性で重度のろうの人びとは、彼らの手話を、アイデンティティや文化の源としての言語と認めさせるために、闘ってきた歴史があります。日本では、1995年に木村晴美さんと市田泰弘さんによって発表された「ろう文化宣言」が、ひとつの契機となりました。

 すなわち聴覚障害は、聞こえだけでなく言語、さらに文化とかかわるものなのです。これらのことは、私が日本手話の授業を受けてから初めて知ったことでした。

 授業を通してさらにショックだったのは、「ろう者には音楽が嫌いな人も多い」ということでした。幼少の頃から身近に音楽があり、音楽文化を無意識に「善いもの」と前提視してしまっていた私にとって、「音楽が嫌いなろう者」の話は衝撃を与えるに十分でした。

 と同時に、疑問が湧きました。

 「そもそもろうの人びとはどのように音楽とかかわっているのだろう」。

 私たちは瞼を閉じることはできますが、耳を完全にふさぐことはできません。聴者で音声言語話者の私にとって手話話者のろうの人びとは、私の知りえない世界を知る人びとなのです。

「ろうの村」ブンカラでの音楽とのかかわり

 そうした関心を持ち始めた頃、「ろうの村 Desa Kolok」と呼ばれる村の存在を耳にしました。インドネシアのバリ島にあるブンカラ村です。

 そこでは特定の遺伝子によって世界平均の数倍に上るろう者がうまれ、カタ・コロッ手話と呼ばれる現地手話が聴者住民にも用いられている、との情報でした。私はいてもたってもいられず、2018年12月からコロナ禍が始まる2020年3月までの期間中約12か月間、このブンカラ村にて、文化人類学学徒としてのフィールドワークを始めました。

 村での生活を始めてまず気づいたのは、現地のろうの人びとはみな、インドネシアの伝統音楽であるガムラン音楽やその楽器に特別な興味を示さないことです。彼らに言わせれば太鼓の振動を感じ、腕を動かして楽器を叩くことはできるにしても、ガムランは聴者のもので自分たちのものではない、とのことでした。

ガムラン

 しかし興味深いことに、現地の手話では「儀礼」という単語を、楽器を叩く身振りで表していました。バリ島において儀礼は、教義的な宗教の実践というよりも、コミュニティや生活に必要不可欠な、日常生活に深く入り込んだものです。日本に置きかえれば、毎月のようにお正月やお盆を迎えるような感覚でしょうか。そして儀礼は、ガムラン音楽や奉納舞踊などの音楽や踊りで彩られています。

 このようなバリの人びとにとって重要な「儀礼」が、カタ・コロッ手話ではガムラン音楽演奏の動きで代表されている、という事実は、ろうの人びともまた、その土地での音楽と社会の関係性に埋めこまれていることを示唆します。

 また、村でのろう者による音楽とのかかわりはそれだけではありません。彼らの生活は、踊りで溢れていました。

 村にはろう者住民によって踊られる「ろう者ダンス」があります。太鼓1台の伴奏によるジャンゲル・コロッという曲と、より近年に企業と大学のCSR事業の一環でつくられた、ガムラン楽器群の演奏を伴う3曲の計4曲です。楽器伴奏は基本的に聴者住民が担います。ブンカラのろう者ダンスでは、ダンサーは音楽に乗って踊るのではなく、ダンサーの動きに音楽が合わせて演奏します。

 ろう者ダンスは視察団や観光客の依頼、福祉イベントなどの機会で上演されますが、踊りは、そうしたいわば非日常のステージ上のみならず、ろう者の日常生活にも浸透していました。冒頭で紹介した「鼻歌」としての踊りや、おどけた調子でバリ舞踊を踊りながら友人をからかうなどの、遊びとしての踊りです。

踊り遊び

 また特に若い世代のろう者たちの間では、村の他の聴者の若者たちと同様にK-POPアイドルが大流行しており、SNSで情報をチェックしたり、YouTubeのミュージックビデオを見たり、友人たちと踊って「踊ってみた動画」をTikTokに投稿したりしていました。それらアイドルの画像や映像、踊ってみた動画などにはコメントが溢れ、ろう者たちもインドネシア語や絵文字でコメントを加えていました。彼らは現代インドネシアの音楽シーンに、視覚イメージや踊り、そしてテクストと絵文字を通して参画しているのです。

 このように、村のろう者にとって踊りは、ステージ上で脚光を浴び活躍する場であり、かつ日常の中で、自分と向き合い他者と関わるものとしてあります。

 それぞれの場には、聞こえる人びとによるガムラン伴奏などの「音楽」があることもないこともありますが、彼らにとって重要なのは、そのメロディやハーモニーが聞こえるかどうかではありません。儀礼や福祉ステージや遊びや飲み会、そしてSNSなど、それぞれの音楽が鳴りひびく場に対して、他者と共にひとつのからだとして参加することです。

 こうした、バリ島でのろうの人びとが様々なかたちで音楽とかかわる姿を見て、私は改めてこう考えるようになりました。「音楽」にとって「音」は必須条件ではないのではないか、と。

「手話でうたう」可能性へ

 音楽概念を「聴くもの」という先入観から解放したとき、「音楽」のあり方として、もうひとつの可能性が浮かびあがります。

 「手話でうたう」可能性です。

 聞こえる人びとは、「声」でことばを発し、歌を歌います。一方でろうの人びとは、「声」ではなく「手話」、すなわち「からだの動き」をことばに使います。ことばの声を工夫し、声の流れや響き自体も楽しむものとして「うた」があるのなら、手話話者はからだの動きの流れや響き自体を楽しむものとして「うたう」のではないでしょうか。

 実は、私はフィールドワークの当初から、そうした意味での「手話でうたう」実践をブンカラ村でも探していました。すなわち、手話のからだの動き自体を工夫し芸術化した実践です。

 しかし実際には、そのような活動はなく、少なくとも明確な芸術ジャンルとして「手話でうたう」ことは見つけられませんでした。

 そうした中でろうの人びとと共に暮らしているうちに、あることに気づきました。それは、彼らが手話でくり出す日常の表現自体が、先行研究で論じられている手話の詩の技法をふんだんに含んでいたことです。

 たとえば、下宿先の「お父さん」である、ろう者のダルマさん(仮名)と話しているときのことです。前日の地震について話していると、彼はおもむろに「太陽が動くんじゃない、地球が動いているんだよ」と手話で語り始めました。

 ダルマさんは両手で丸をつくり、それをちょっとずつ回転させて見せます。さらに、「太陽がこれで…」と右手人差し指で軸を示し、その周りを丸めた左手が回転するように手首を揺らしながら、右手の軸の周りを一周させました。「地動説」の説明です。学校教育をほとんど受けておらず、文字の読み書きもほとんどしないダルマさんは、この地動説をテレビで知ったと言います。

 私はダルマさんのその手話での説明に、息をのみました。

 等速に縛られない独特な動きの流れに、時間が急にゆったりと感じられました。トタン屋根と手製のコンクリートの、壁がところどころ剥がれた薄暗い部屋で、そこに宇宙があらわれたかのようでした。と思ったら、「ま、俺はテレビで見たんだけど」と手話を繰り出すときには、目の前の現実に急に戻ってきたようでした。

 まるでカメラワークが切り替わる映像を見ているかのように、たったひとつのからだで宇宙のスケールと今目の前にある等身大のスケールとを自在に行ったり来たりすることができるのが手話なのだ、と実感した瞬間でした。

 私はこのときのダルマさんが、歌で物語を紡いだ中世ヨーロッパの吟遊詩人のように、朗々といるのではないかと思いました。

別の時空間へといざなう力

 ダルマさんのこうした吟遊詩人的な「うた」は、私が藝大時代に受けた、お能の実技授業を思い出させました。

 それは、夏の集中講義でのことです。学内の能楽堂に集められた学生たちは、やる気なくだらけ、現役の能楽師でもある先生が、能楽の音楽的な仕組みについて説明していても、ざわつきは止まりませんでした。しかし先生が「それではお手本をやってみます」と、立ち上がり舞を始めたとたん、空気が一瞬で変わりました。

 低い声が響き、ゆっくりとした一挙手一投足に笛や太鼓の音が絡み、凛々しく張りつめたその時空間に、私は呼吸を忘れました。その場の誰もが黙り、ただそこで起こっていることを見つめていました。

 ダルマさんの地動説の手話も、お能の先生のお手本も、どちらもからだの動きでガラッと周囲の空気を変化させた点で共通しています。それも、たったひとつのからだで、他の人や世界と、関わりあいながら。

 もっとも、村のろうの人びと自身は手話のその動きのみを取り出して「うた」とも「芸術」とも「詩」とも呼ぶことをしません。お能の動きもまた、「うた」と同一視するには飛躍があるでしょう。

 しかし洗練された手話の動きは、名人のお能のように、今ここにいながらにして今ここから乖離した時空間へといざなう力をもっていました。そしてそれは、「うた」や「踊り」をしばしば含む、私たちの「音楽」が持ちうる力のひとつでもあるのではないでしょうか。

 たとえば、好きなアーティストのライブでの没入感、祭囃子の高揚、あるいは思い出の曲を聴いた際の悠久の時と、なにか通じるものがあるのではないでしょうか。

 「人はなぜ“音楽する”のだろう」。

 私はろうの人びとの経験を探究することを通して、その素朴な疑問の答えに迫ろうとしてきました。そしてその答えの一端は、バリ島の小さなろうコミュニティで観た、朝焼けの中でぼうっと踊る影のゆらめき、何人もが踊り騒ぎ揺れる飲み会のざわめきや、夜の儀礼で奉納舞踊を見つめるまなざし、そしてひとつのからだから紡がれる手話の動きが、宇宙の時空間を描き出す瞬間にあるのではないか——という確信のもと、私は研究をつづけています。

 
《プロフィール》
西浦まどか(にしうら・まどか〔旧姓・土田〕)
東京大学大学院総合文化研究科博士課程、ハーバード大学文化人類学部客員研究員。専門は文化人類学、とくに音楽人類学と言語人類学。東京藝術大学音楽学部楽理科卒業。在学時に安宅賞受賞。日本学術振興会特別研究員DC1、ハーバード・イェンチン研究所客員研究員を経て、現在博士論文を執筆中。主要論文は「響きあい満ちる聾の身体――バリ島「聾の村」ブンカラにおける音楽参与・孤独・自己充足」(『文化人類学』87巻3号)。個人ブログ(note):https://note.com/madoka_tsuchida
 

   

 
《人生を変えた本》
 『カニ ツンツン』
(金関寿夫 文 /元永定正 絵、2001年、福音館書店)
子どもの頃、母がよく図書館で絵本を読み聞かせてくれました。中でもお気に入りがこの本です。抽象画的な絵と共に「イーニ ミーニ ムー……」などのことばが続く、魔術的魅力をもつ絵本です。のちに作者(文)の金関さんはアメリカ先住民の口承文学研究者で、「カニ ツンツン」はアイヌ民族が鳥のさえずりを聞き取ったものだと知りました。視覚と聴覚と身体性の全てをもつこの本の読み聞かせ経験が、多感覚的なことばの面白さに連なる現在の研究の原点となっています。
 
 

 

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