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ガクモンのめ

手話の世界と音の世界を行き来する――聞こえない身体で研究する【松尾香奈】

 若手研究者たちが、学問をつきつめる「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第11回は、自身もろう者で、ろう者の世界に文化人類学からせまる研究をされている松尾香奈さん。タンザニアでの音楽調査の失敗経験から、手話話者だからこそ見える世界にせまる研究に至るまでの、試行錯誤の道のりを描きます。

松尾香奈さん(京都大学大学院人間・環境学研究科 博士後期課程)

 文化言語的マイノリティとしての私。手話の世界と音の世界を行き来すること。

 それは、手話を第一言語とすることと、補聴器を使いながら音声日本語中心の空間に身を置くこととの間にあるゆらぎを反映してきた。そのゆらぎは、私の研究の歩み方にも影響を与えているように思う。

タンザニアで手話と向き合う

 私は小さい頃からピアノやオルガンが好きだった。音楽好きが高じ、民族音楽の予備調査をするために東アフリカ・タンザニアを訪れたのは学部3回生の夏のこと。楽器の制作時に使用される木材や蜘蛛卵膜の種類に関心があり、私は赤色の小さな耳掛け補聴器とともにイリンガ州へと向かった。

イリンガ州へと向かうバス車内からの眺め(2019年7月撮影)
トタン屋根の並ぶ大通りにはいくつもの露店が広げられ、商品を売る男性たちが動き回る

 イリンガ州には、海沿いにあるダルエスサラーム州からおんぼろバスに半日ほど乗るとたどり着ける。私はこの土地で「ラメラフォン」という楽器の演奏をみせてもらう機会に恵まれた。ラメラフォンとは、箱型の木材や細い金属板、瓶ビールの栓が組み合わせられた楽器だ。

 金属板が両親指で弾かれる。通りすがりの青年たちが、音に合わせて踊り出す。ずっと見たかった光景が目の前に広がっているはずなのに、ラメラフォンを誇らしげに奏でる前歯のないおじさんの笑顔の前で、私は呆然と立ち尽くすしかなかった。立ち現れる音を受け取ることを私の身体が許容してくれなかったのだ。

 この頃の私の聴力は、高度難聴。補聴器を外せばなにも聞こえない。場を共有できない寂しさや奏でられる音のわからなさは日本でもじゅうぶん経験してきて、聴者とは異なる身体を持っていることも理解できているつもりだった。だがフィールドワーク慣れしていなかった学部生の私には、理解の追いつかなさがフィールドで発生したときの対処法なんてわかるわけもなく、ただただ狼狽するしかなかった。遂行中の研究に対する評価が自分自身への評価と等号で結ばれていたこともあり、かなり受け入れ難い経験だった。

 あまりにわかりやすく戸惑っている様子をみかねてか、マサイ雑貨店を営むおじさんが近づいてくる。

「障害者カフェ工房に行ってみな。2階にろう者が集まっているよ」

手話カフェの壁に飾られているイベント紹介ボード(2019年8月撮影)
月曜日には、Deaf Footballが開催されていた(現在は不明)

  1階が工房兼服飾品売り場、2階が手話カフェになっている障害者カフェ工房。手話カフェには、世界中のろう・難聴者が集まっていた。手話は世界共通ではなく、手話カフェに集まるろう者たちの使う手話は誰ひとりとして同じではなかったのに、なぜか話が通じている。

 ろう者からしてみれば、日常的に聴者に囲まれているため、会話が成立しないなんてことは日常茶飯事だ。通じないはずの会話を「通じている風」にもっていく能力に長けている。「通じている風」の手話会話は、ろう者として、手話話者として生きてきた人びととともに発生させたものだ。だからこそ、なんとか話を通じさせようと手話を紡ぐろう者たちには、親近感と愛おしさを感じた。

 手話話者の日常。これこそが、私の身体に合った「研究したい事象」なのかもしれない。心の底から知りたいと思えることと出会えた瞬間だった。

青色のキテンゲ(アフリカ布)の上に置かれた、灰色のタンザニア指文字Tシャツ(2019年8月撮影)
タンザニアの指文字は、アメリカ手話のアルファベット指文字とほとんど同じ

パイオニアとしての苦悩

 タンザニアから帰った後、学部4回生の私は、ろう者についての人類学的研究をしていくと決断した。だが、ふたたび根本的なところでつまずいた。人類学には、ろうや難聴の研究者が活躍した前例がなかったのだ。その影響か、人類学分野の学会や研究会では、ろう者や手話、障害に関連する発表があったとしても手話通訳や文字通訳などの情報保障がほとんど提供されてこなかった。障害者が学会や研究会に来ることなんて想定もされない。それを知ってなお、私は日本手話の手話言語学的分析よりもろう者の生活実践や行為の創造性に関心があり、人類学を専門としない道は考えられなかった。

  日本手話で人類学の研究指導を受けられる研究室といえば、愛知県立大学の亀井伸孝さんの研究室だ。本音を言えば、私は手話で手話話者の研究がしたかった。それは、第一言語で研究できれば楽だからではない。日本語に囲まれていると、手話話者として生きている感覚が薄れ、ろう研究者の強みである文化言語的直感も鈍ってしまう。手話で手話話者の研究をすることは、研究の質を上げるうえでも重要なのだ。だが私は、書記日本語での論文執筆能力の向上を優先させるべく、あえて京都大学大学院人間・環境学研究科(以下:「人環」)の文化人類学分野に進学する選択をした。

  人環は、人類学をやるには最適な場だが、ろう者と聴者が共に研究をやれる環境はなかった。まずは授業に手話通訳や文字通訳を導入し、研究会に通訳者がいることの重要性を経験的に知っている人類学者を増やしていくところから始めざるを得なかった。他の院生や教員を巻き込み、通訳者がいなければろう者の発表をきくことができないこと、そういった意味で通訳者は聴者のためにもいることを授業に参加する全員に認識してもらう必要もあった。

  学会や研究会といった学外の研究活動への参加は、さらにハードルが高い。前例がないから、予算がないからと、幾度となく手話通訳の派遣を断られた。私は、情報保障がないと音声情報に接近することが難しい。手話通訳の派遣を断られることは、社会参加を断られているのと同じなのだ。なんとかして社会参加を「許可」してもらおうと、周囲の院生が業績を積んでいくなか、私は研究そっちのけで派遣交渉に奮闘した。

  私は表面的には闘うろう者を装っていたが、本音を言えば、ろう者が闘わなくても情報保障がつくのが当たり前の研究環境がほしかった。闘争にはそれなりのエネルギーを使うし、研究する時間もなくなってしまう。

  この経験から、私の研究関心は闘わないろう者の生き方に向けられていくことになった。

「正しさ」に追い詰められないように

 現在は、「理想的な」ろう者のみがろう者から肯定的な評価を受ける傾向も見受けられる。闘うろう者、日本手話で話すろう者、人工内耳や補聴器を使わないろう者、音声日本語を一切使用しないろう者が賞賛され、こういった理想から外れるろう者たちは間違った生き方をしているように見られてしまうことがある。

  ろう者個々人がどう生きたいかではなく、どう生きるべきかによって日常が規定されていく。ろう者、特に若者ろう者に対して「闘うろう者」という主体形成を良しとする指針を与えているのは、「ろう文化宣言」ではないかと思う。

  1995年に「ろう文化宣言」が提出されるまで、日本手話が言語であると広くは認識されていなかった。「ろう文化宣言」以前は、日本語を手話語彙や指文字(50音を手指であらわしたもの)で表す「日本語対応手話」を「正しい」手話とする立場が優勢だった。多数派言語である日本語の文法に則している日本語対応手話こそが知性溢れる手話とされていたのだ。

 これに対して日本手話は、手指の動きだけでなく、眉、目、口の動きや、視線の向きなども文法的意味を持つ。日本語や日本語対応手話とはまったく異なる言語なのだが、それが日本手話を第一言語とするろう者たちにすら知られていなかった。この影響で日本手話はジェスチャーと同一視され、侮蔑的なニュアンスを含んだ「手真似」と見做されていた。

 「ろう文化宣言」は、日本手話に対する誤解を跳ね除け、日本手話を手話言語のひとつであることを明示し、日本手話話者の地位を向上させる効果を持った。

  そういった意味で、「ろう文化宣言」は「闘うろう者像」の普及を目的として書かれたものではなかったのだが、日本手話で生き、自分自身の権利を主張できる「ろう者」こそが正しいと主張していると読む人が一定数いる。

  現在は、日本手話を「手真似」と見做す人びと、日本手話のみを日本の手話言語とする人びと、日本手話も日本語対応手話も「日本手話言語」と括り、日本手話が独自の文法体系を有する言語であることを無視する人びとなど、安易に図式化できないくらいに抑圧図式が入り組んでいる。未だ日本手話で話すろう者の社会的地位が聴者と対等であるとは言えない現在、私は、ろう研究者として何をみることができるのだろうか。

  フィールドで考える。学部時代、私に民族音楽学の面白さを教えてくれた人類学者の伏木香織さんからその姿勢の重要性を学んだ。実際、それに倣ってフィールドワークをしてみると、闘わない障害者の思考に接近できた。

 日本語対応手話を話す若者ろう者が何を考えているのかを知るために、近畿地方のろう者コミュニティに足を運び、対話を重ねた。時に喧嘩をしながらも同じ時間を過ごすうち、聴者や日本手話のみを正しい手話とする人びととの交流を避けつつ、日本語対応手話での会話を楽しむ日本語対応手話話者の姿がみえてきた。そしてその「逃走」は常に実践されるのではなく、レストランでのランチ中などの限定された場面でのみ実践されることも明らかになった。障害者は闘うしか生き抜く術を持たないと思い込んでいた私にとって、闘わずに人生を謳歌するろう者の存在は希望だった。

室内で4メートルほど距離を取りつつ立って手話会話をする男女(2022年5月撮影
その間で3人の人物が1台のパソコンをのぞきこんでいるが、手話会話では相手を視認できさえすれば支障はない

  手話話者同士の交流を大切にし、聴者を「戦略的に排除」(ガッサン・ハージ『オルター・ポリティクス』)しながら、手話の通じない聴者中心の社会で生き抜く糧を創造していく。そこには、これまで議論されてきたろう者の行動様式記述(「ろう文化」記述)とは異なる、新たな視点からのろう者の実践を記述する可能性を見いだせた。

太陽の塔を背景に記念写真を撮るため、並ぶ場所を手話で相談するふたりのろう者(2022年5月撮影

共有手話研究の可能性

 研究を進める過程で、ろう者から助言をもらった。

「日本手話も日本手話じゃない日本の“手話”も尊重したい気持ちはわかったけど、それだけでいいと思う?」

  日本では、日本手話や日本語対応手話だけでなく、共有手話も話されている。

  共有手話は、島などの小規模な地域で共有される手話のことで、ろう者のみならず聴者にも共有される点が特徴のひとつとして挙げられる。日本国内でよく知られている共有手話といえば、愛媛県今治市大島宮窪で話されている「宮窪手話」だ。日本手話には方言があるが、宮窪手話は「日本手話の宮窪方言」ではない。宮窪手話は、日本手話とも日本語とも異なる文法をもつ別の言語だ。

  宮窪手話の人類学的研究をやりたい。

  宮窪手話話者の日常に焦点を当てた文献は限られている。なぜ、宮窪という土地で共有手話が必要とされたのか。現在は、島の閉鎖性に共有の動機があるのではないかと推測されている。この先行研究を踏まえつつ、私は実地調査から宮窪の環境特性を探ったり、生業や儀礼、観光、交易、住居といった側面を分析したりすることで、宮窪手話話者の生活実態を明らかにしたいと思っている。

「やりたいこと」を追い求められる社会を

 私はこれからも、手話の飛び交う居心地の良い世界と、聴者中心の世界とを行き来しながら生きていくだろう。これまでもそうしてきたのだから。私は、その過程で思考し、自分の「やりたいこと」を見つけ、徹底的にそれを追い求めていくのだと思う。

  思いのままに生きるというのは、なにも贅沢ではない。そう思うからこそ、私は手話通訳者や補聴器とともに音の世界に入り込み、手話話者としての研究人生を謳歌しようとし始めている。障害があるからこそぶつかる障壁に苦しむことはもちろんあるが、それでも聞こえない身体で生きるのは案外楽しいものだ。

  「聞こえた方が有意義だ」「聞こえないなんて可哀想」ではなく、手話話者だからこそできる生き方や、物事の見方があることを示したい。そう思いながら、これからも私は、文化言語的マイノリティの手話話者として生きていく。

《プロフィール》
松尾香奈(まつお・かな)

1997年、神奈川県出身。手話話者。幼小中学インテグレーション(障害の有無にかかわらず、共に地域の学校で学ぶ統合教育)。京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程在学中、京都大学大学院教育支援機構奨励研究員。専門は人類学。日本に暮らすろう者による抵抗実践、共有手話についての研究を行っている。第59回in・cube賞奨励賞受賞(2023年)、第2回SDGs「誰ひとり取り残さない」小論文コンテスト入賞(2023年)、第42回昭和池田賞特別努力賞受賞(2023年)、鉄道150年記念障害福祉賞第1位入賞(2023年)。researchmap:https://researchmap.jp/kanamatsuo

 


《人生を変えた本》

『調査されるという迷惑――フィールドに出る前に読んでおく本』
(宮本常一・安渓遊地、2008年、みずのわ出版
 日本でのフィールドワーク初日、ろう者から「俺のことを研究のための実験台にするつもりなのか」と問いただされた。私はその語気の強さに圧倒されながら、調査のせいで迷惑をかけ続けてしまうかもしれないことを必死に詫びた。ろう者であることはなんの免罪符にもならないと思い知らされ、研究者とインフォーマントの間にある不均衡を自覚させられた私には、どうしてもこの本の力が必要だった。

『手話の世界を訪ねよう』
(亀井伸孝、2009年、岩波ジュニア新書)

 日本手話の手話言語学的特徴やろう者独自の行動様式(「ろう文化」)を知ることのできる1冊。ろう者にとっては当たり前に実践していることが書き連ねられているので、聴者の人類学者はそんなところに興味を持つのかと不思議な感覚に浸ることができた。
 ろう研究者がろう者の研究をするとき、当事者直感に頼ってしまい分析が偏重になることがあるが、直感を当てにしすぎず、フィールドでの出来事から思考する大切さを学んだ。

『分解者たち――見沼田んぼのほとりを生きる』
(猪瀬浩平著、森田友希写真、2019年、生活書院)
 見沼田んぼは、首都圏から排出されたものが「分解」しながら存在する場だ。著者は、その地の生活者だった人として、共に生きてきた両親や兄をはじめとするそこにいる・ある存在の物語を紡いでいく。障害者を生産・消費から排除せず、雑多に生きるさまが色鮮やかに言葉と写真によって立ちあがっていく。私は、手話話者として、手話を書くことの難しさと向き合うきっかけをもらった。

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著者略歴

  1. 松尾 香奈

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