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ガクモンのめ

「責任を問う」こと――沖縄・シングルマザーの行為を理解する【平安名萌恵】

 若手研究者たちが、学問をつきつめる「おもしろさ」を伝えるリレー連載、「ガクモンのめ」。
 第1回は、沖縄のシングルマザーの研究をされている平安名へんな萌恵もえさんです。人が何かを選択し行為するとき、その「責任」を、他者はどう問うことができるのか。沖縄へ向けられる言葉と、研究の現場で出会う語りから、この問いが広がっていきます。

 平安名萌恵さん(立命館大学先端総合学術研究科一貫制博士課程・日本学術振興会特別研究員〔DC2〕)

 

 
調査対象者A:…(父親から)自分刺されそうになったこともあって。すごい荒れている人だったので。
調査者:お父さんが?
調査対象者A:うん。だから、そういうのをみているから自分は早く結婚したかったんですよ、逆に。早く、子どもが欲しくて、自分ずっとひとりだったので。いつもずっと、ひとりだったんですよ、熱だしても何してもずっとひとりで。ずっと、このおばあちゃんの。寝たきりのおばあちゃんの横で、寝たきりだからさ、失禁したりしているじゃないですか。そのなかでもこうやって(うずくまるポーズをして)、ずっといたので。そういうのがあったから、早く結婚したかった。家族がすごい欲しくて。
 

冷淡さ

 初めて学術誌に掲載された論文で、いくつかの奨励金や賞をもらった。コロナ禍真っ只中で世の中に話題が無かったせいか、2、3のメディアから取材を受けた。取材では、「沖縄のシングルマザーのために、沖縄の貧困を解消していきたいです!」と口に出すことを期待されているんだろうなとは思ったけれど、その時はサービス精神など全く無い、ボヤっとしてどっちつかずで、「研究がんばります」程度のコメントしかできなかった。

 いくつか論文を書いてきたけれど、私の書いた物は、「冷たい」「突き放している」「諦めている」という印象を持たれることがある。自分ではふつうに研究してきたつもりなのだけれど、方法論を真剣に勉強するようになって、こうした冷淡な態度というのが、研究者としての私のポジショナリティと関連したものであると分かってきた。

 研究を始めたときから、社会調査に基づいた論文で誰かを批判したり、責めたり、貶める文章を書いても、結局、社会の問題は何も変わらないし、意味がないとずっと思っていた。それは、沖縄の基地問題であれば、ここでいう責める対象というのが米軍であり、日本国家であり、「ナイチャー」であろう。沖縄のシングルマザーの問題であれば、経済的に困窮する者に抑圧的な態度をとるような行政の職員であり(もちろん優しい人もいる)、女に暴力をふるう男であり、子どもを育児放棄する女であろう。

 私は、誰かから自分の研究目的を聞かれた際には必ず、「沖縄の内と外の断絶のメカニズムを明らかにすること」と述べてきた。マイノリティとされる沖縄について語るために、冷静に、論理的に、対話できるような言論空間を形成する基盤がまず必要だと思ってきたからだ。文章が冷たいと言われる理由は、そうした課題にできるだけ冷静に向き合おうとしているためなのか、それとも社会変革への諦めから来ているのかはまだ分からない。言葉にならない部分を残しつつも、このエッセイを通して私が何をしようとしているのかを書きたいと思う。

沖縄研究の現在地――「沖縄の語り方」の変化と明暗

 那覇にあるジュンク堂の2階の一角には、沖縄をテーマにしたたくさんの専門書が置かれている。沖縄で最新の専門書を購入できる本屋は、ほぼそこだけである。県外から来た研究者はジュンク堂那覇店をみてとても驚いていた。「こんなに沖縄のことを考えたい人がいるんだ」と。その横にある社会学コーナーの一面には、岸政彦という社会学者の本が敷き詰められている。(追記:この原稿を提出した直後、ジュンク堂那覇店では本棚の配置換えが行われた。私の思想形成に大きな影響を与えた本棚の並びは、今はない。)

 彼は私の学部時代からの師匠である。私は彼こそが「沖縄の語り方」を変えたと思っている。しかも、人々の人生の語りによって変えた。岸氏は、「他者の合理性」という言葉を用いて、沖縄の人々の、いわゆるマイノリティ側の行為を理解するための研究をしている。そして、沖縄内で排除の対象となる建築労働者の若者を調査した打越正行や、性風俗で働く若年女性を調査した上間陽子などを世に広めた。

 こうして沖縄の社会問題に光があたるようになったものの、同時に、社会問題を沖縄の人々自身の自己責任に結びつけた議論も可視化されるようになった。たとえば、2022年の年末にある大学主催のシンポジウムを聴講した。復帰50年を記念して、沖縄の経済について研究者が解説をするというのが企画の趣旨であった。登壇者の一人は、沖縄の人々の幸福度と沖縄の貧困率を例示しながら、沖縄がなぜ戦後からずっと貧しいままなのかを説明した。ひとまずその人が言いたいことをまとめると、「沖縄が貧困なのは、沖縄の人々がその状況のなかで満足し、幸福を感じているからである。だから働こうとしないし、自立しようとしない」というものだ。

 言うまでもなく、典型的な自己責任論である。ただ、彼は講演のなかで、1冊の本を参考文献として挙げていた。その本は、この登壇者とまったく同じことを言っていて、「沖縄の人々は仲間意識が強く、みんな同じであろうとして、向上心がない」と沖縄の貧困を沖縄の人びとの文化や習性によって説明している。この本はよく売れた。那覇のジュンク堂では、その本が長い間読者ランキング上位を維持していたし、岸らの『地元を生きる――沖縄的共同性の社会学』(2020、ナカニシヤ出版)よりもずっと長い間、入り口の人の目につく場所に平積みされていた。私が授業を受け持つ沖縄の大学では、沖縄の貧困問題について理解したいという何人もの受講生がこの本を熱心に読んでいた。つまり、その本の主張は沖縄の人々に一定程度、支持されているのである。

 確かに、岸らの功績で「沖縄の語り方」は変わった。いままで沖縄研究においては、沖縄対日本や沖縄対米軍というポリティカルな議論に焦点化されていたが、いまでは沖縄内の経済的貧困やジェンダー格差など沖縄の人々の生活をめぐる問題が一つのテーマとして注目を集めるようになった。しかしながら、そうして浮上した、建築労働者やシングルマザーといった当事者たちの貧困や生きづらさといった問題を、自己責任の方向に再回収する議論が一定の支持を集めている状況にある。自己責任を支持する者に対して、いくら怒って、泣きわめいて、「しんどさ」を主張したとしても、責任の所在を追求する彼らが当事者の合理性を理解しようとすることはないだろう。

「責任は誰がとるの?」

 ただ、私の考えたいテーマはその先にある。当事者の立場を尊重しようとする人たちと自己責任論に回収する人たち、その境界は、シングルマザーの子産み・子育てをめぐる選択という具体的な場面に直面すると錯綜する。どんなに当事者を擁護する立場にあろうとしても、このテーマに対しては怯みが見える。

 ここで1つの例題を用いて考えたい。たとえば、ある妊娠している女性がいる。お腹の子の父親は分からない。その女性は就労していない。頼れる親族もいない。住む場所もない。その女性が子どもを産みたいと口にする。あなたはどのようにその言葉を捉えるか。それを「自分の意志を貫いてほしい」と思うのか、それとも「無責任な発言」と思うのか。

 私たちは、しばしば自分の選択に対する責任が求められる。たとえその選択が生じたとき、経済的に困窮していようが、暴力から逃げ回っていようが、私たちは責任の所在を追及される。そして、選択によって生じた責任を問答無用で負わされる(この辺りは國分功一郎や熊谷晋一郎の議論をふまえつつ、いつか書いてみたい)。もちろん、選択による責任をある程度の資本をもった「家族」「パートナー」が肩代わりしてくれることもあるかもしれない。だから私たちはリスクのある選択をする際に、他者から「家族がつらい思いをする」「肩代わりしてくれる家族がいないのであればそれを選択すべきではない」と言われてしまう。逆に、選択の責任を個人で十分に取ることができると外部から判断された場合、「冒険してみるのもいいかもよ」だとか「挑戦はいまからでも遅くない」だとか言われたりする。しかし私たちは多くの場合、犠牲を払って責任をとることを忌み嫌い、むろん他人に責任を負わせたり、逆に責任を被ったりすることを避けようとする。

 沖縄のシングルマザーの子産み・子育ての研究をはじめてから6年目になるが(沖縄の女性研究はもっと前からしている)、その間に当事者支援をしている方々と交流を重ねている。その際に、「責任の所在をはっきりさせないといけない」という言葉をたびたび耳にする。それは、女性が上記のようなリスクのある選択をする際に、自分で決定をしたという自信を彼女たちに持ってもらいたいから、あるいは何か選択をめぐってトラブルが生じたときに本人しか責任がとれないからなのだという。被支援者にとって支援者は、親族でも、友人でもない。支援者と被支援者というパターナルな権力関係が生じやすいからこそ、どんなに困難な状況があっても当事者自身に決定をさせることが重要であるからと聞いたこともある。シングルマザーの場合、その選択が彼女ひとりの責任ではなく、「絶対的弱者」とされる「子ども」に対する責任でもあるからこそ、自覚をもって選択をしてもらうのが大事なのだと支援者から言われたこともある。

 当事者の自己決定を強調するという点で、自己責任論を支持する者と上記の支援者の論理は同じになる。当事者の責任を重視するのであれば、ある人の選択に対して「しんどい」状況を知っていたとしても、「責任は誰がとるの?」と言うだろう。困難な状況下で子どもをひとりで産むと選択した女性が育児放棄をしようものなら、まずその選択の責任は、最初はその女性に対して「産んだほうがいい」と助言していた友だちや周囲の者に向かい、それでも埒が明かなくなると、最終的には当事者に対して責任をとるように強いるのだ。

 つまり、支援者であれ、自己責任論を支持する者であれ、シングルマザーの子どもを産み育てる責任は、いずれにせよ本人に帰属させられる。どんなに当事者を守る立場であろうとしても、責任の所在という問いを前にすると、自己責任論者との境界線は曖昧になるのである。

どのように子どもを産み育てる選択をしたか

 私はそうした曖昧さを踏まえつつ、彼女らの行為の責任の所在を問う前に、そもそも子どもを産み育てる選択がどのように生じているのかを知りたい。だから、子育てが困難と思われる生活環境のなかで、女性がどのような経緯をもとに子どもを産み育てるという選択の局面に至るのかをライフ・ヒストリー法という手法で研究している。責任の話とは遠く離れた研究であるように思うけれど、彼女たちの選択のプロセスのなかに責任を帰属させるような何かがそもそもあるのか? あるいはどのような言説配置や権力勾配が彼女たちに責任を帰属させようとするのか? という疑問が私にはあり、そうしたアレコレを考えるヒントが、日々の語りのなかにあるように考えている。少しであるが、継続的に調査をしている調査対象者Aの生活史を参照してみる(冒頭に掲示したものと同一)。

 

調査対象者A:…(父親から虐待されて)自分刺されそうになったこともあって。すごい荒れている人だったので。
調査者:お父さんが?
調査対象者A:うん。だから、そういうのをみているから自分は早く結婚したかったんですよ、逆に。早く、子どもが欲しくて、自分ずっとひとりだったので。いつもずっと、ひとりだったんですよ、熱だしても何してもずっとひとりで。ずっと、このおばあちゃんの。寝たきりのおばあちゃんの横で、寝たきりだからさ、失禁したりしているじゃないですか。そのなかでもこうやって(うずくまるポーズをして)、ずっといたので。そういうのがあったから、早く結婚したかった。家族がすごい欲しくて。

 

 彼女は父親から虐待を受け続けていた。経済的に貧しい環境であり、Aに対してケアを与える者はいなかった。逆にAは祖母の介護をしていた。Aは彼氏ができるとすぐに家を出て、結婚し、出産をした。しかしパートナーからも暴力を受けた。暴力から逃げるために子どもを連れて実家に戻った。ただ、実家に戻ると今度は父親からの暴力がある。だから、父親が寝るまでの間、今度は幼い子どもを連れて深夜まで街を歩き時間をつぶして過ごすのだといった。

 なぜ暴力をふるうような男と結婚したのか、父親から暴力をうけるリスクがあるにもかかわらずなぜ実家に帰るのか、深夜まで子どもを外で連れ歩いて「きちんと」育てることもできないくせになぜ子どもを産んだのだと、彼女の選択は、自分勝手で、自己充足的な行為として捉えられるかもしれない。

 だが私は、彼女が子を産み育てるずいぶん前から、彼女の選択は共同体からのケアや公的支援から遠く離れていたと考える。「ずっとひとり」だったAは、パートナーと出会う前から子どもをもつことを望んでいた。彼女は幼少期から気を許せる他者との関係性がない状態で選択を行い続けてきたように思える。ここでつぶさに彼女の生活史を書くことはできないが、この一つの選択にいたるまでに、経済的貧困、パートナーの暴力、戦後沖縄社会の資源の乏しさなど、いくつもの条件が、彼女の「選択」を形づくっていることが想定される。

 つまり、個人の判断で選択をせざるを得ない状況下で生きているからこそ、他者に頼らず自らを頼りにした選択になるのではないか。そうした彼女たちの選択をジェンダー格差の側面に着目し分析した論文については、私はすでに書いている。少なくとも彼女の選択をめぐる語りからは、自分以外の人々とのかかわりのなかでなされる行為を見つけることができない。社会のなかで「ひとり」で生きていると語る当事者に対して、社会から責任をどのように問うことができるのか。今の私には分からないとしか言えない。

 これから5年くらいかけて、私は調査対象者の沖縄のシングルマザーにみられる社会から離れた選択のあり方が、沖縄の戦後史とどのように結びついているのかを問うていきたい。研究を進めることで、私は岸政彦らが変えた「沖縄の語り方」のその次を見出すことができると思っているし、沖縄の内と外にある断絶に対して何かしら説明を加えることができると、かすかな手ごたえを感じている。 

 
《プロフィール》
平安名萌恵(へんな・もえ)
1994年沖縄生まれ。立命館大学先端総合学術研究科一貫制博士課程・日本学術振興会特別研究員(DC2)。専攻は、沖縄、家族社会学、ジェンダー。「沖縄のシングルマザーの子産み・子育て」をテーマに研究している。
 

   

 
《人生を変えた本》
 『同化と他者化――戦後沖縄の本土就職者たち』
(岸政彦、2013年、ナカニシヤ出版)

この本を初めて読んだのは学部3年時だった。当時は美学・芸術学を学んでいたため、大学院以降の専攻に悩み、沖縄県立芸術大学の先生に相談に行った。その時、「君が来る場所はここではない」とこの本を手渡された。「これだ!」と思い、2週間後ぐらいには弟子入りしたと思う。ただし、本に書かれていることをきちんと理解できたのは最近のことだ。 
 

 

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