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東南アジアの読み方、学び方――プロの視点×学生のリアル 『東南アジアを学ぶ人のために』刊行記念イベント

第2回 宗教――社会のなかで創られ続ける「宗教的なもの」(久志本裕子)

 宗教、ポップカルチャー、成長する経済、そして日本国内の身近なコミュニティまで――変化の激しい東南アジアの「今」を、私たちはどのように読み解き、学べばよいのでしょうか。
 2026年1月に刊行された『東南アジアを学ぶ人のために』(世界思想社)の出版記念イベント「東南アジアの読み方、学び方――プロの視点×学生のリアル」が開催されました。
 最前線の研究者による知見を紹介した第1部より、今回は「宗教」の章を担当した久志本裕子(くしもと・ひろこ)さんの発表を紹介します。


 上智大学の久志本裕子と申します。今回『東南アジアを学ぶ人のために』では、「宗教」の章を書きました。私は東南アジア、ムスリム(イスラーム教徒)社会の研究を中心にやっていまして、特にマレーシアにフォーカスを当てています。

 ムスリムがイスラームをどう学ぶのか、異なる宗教の人たちがどう共生できるのか、ということを大きなテーマとして、文化人類学の分野で研究をしています。

東南アジアの宗教分布

 東南アジアの宗教分布について、東南アジア全体で見ると、ムスリムが一番多くなっています。そして仏教が次に来る。そしてほぼ同じ量でキリスト教徒という形で東南アジア全体の宗教分布が構成されています。

 じゃあ、「どこに誰が住んでいるの?」というのをマップにしようとするととても難しく、色分けできないような多様性があります。どの国も多宗教の国になっています。

 たとえばフィリピン。カトリックの教会では、日曜日だけではなく平日にもミサが行われていて、教会のそばにまで人があふれています。フィリピンは、かつてスペインの植民地支配下であったので、スペイン時代の荘厳な建築も残っています。カトリシズムが今も生き生きと社会の中に位置付いているのがよくわかります。ただ意外にも、国家としては政教分離の原則がある国です。


フィリピンのミサの様子

 カンボジアについても見てみましょう。仏教が国教になっていて、托鉢の風景や、街中をお坊さんが歩いている風景もよく見られます。あるいは農村部のお寺に行くと、子どもたちがお寺の中で遊んでいたり、そこにお坊さんがいておしゃべりをしていたり、お寺というのが社会の生活の中にあるのがよくわかります。


カンボジアのお寺で遊ぶ子どもたち

 次にインドネシア。私もムスリムでスカーフを被っているんですけれども、今、インドネシアに行くと、すごく多くの人がスカーフを被っているなという印象を受けるのではないかと思います。たくさんの人がスカーフを被っているので、スカーフのデザインや種類もたくさんあって、ムスリムファッションの高そうなお店も、各ショッピングモールにいっぱいあったりします。一方で、インドネシアは多宗教の国なので、スカーフを被っていないキリスト教徒の人たちもいます。町内会の行事として運動会をしている様子を見させてもらったことがあって。宗教にかかわらず、いろんな人が一緒に暮らしているのがよくわかります。


インドネシアの町内会で行われた運動会

 マレーシアについて。私は以前、マレーシア国際イスラーム大学というところで5年ほど教えていたことがあります。マレーシアはイスラームを国教としているので、イスラームをベースにした国立大学があります。大学の真ん中に、大きいモスクがあって、イードの礼拝という断食明けのお祭りの時などには、人がたくさん集まっている様子を見ることができます。他にもマレーシアの首都・クアラルンプール中心部でもビル街の中に、オフィスワーカーの人たちが昼休みや帰りにちょっと寄ってお祈りしていくスペースもあります。

 

マレーシアのモスク

 マレーシアはイスラームが国教ですけれども、もちろん他の宗教も実践できることになっています。たとえば大乗仏教のお寺では、日本とは全然雰囲気が違い、みんなで歌ったり、イスラームのように起拝して礼拝をしているようなお寺もあります。

近代化と宗教

 東南アジアでは、クアラルンプールのように、東京と同じかそれ以上に近代的に発展した都市で、宗教が根付いています。近代化が進んでも、いまだに昔からの宗教の伝統を大事にしていて、一見矛盾しているように見えるかもしれないんですけれども、これは、決して矛盾したことではありません。宗教の伝統のように見えるもの中には、実はごく最近になって見られるようになった現象が多々見られます。

 その例として挙げるのが宗教復興の話です。1987年に撮られたマレーシアの写真では、いかにも80年代の若者ファッションで、パンタロンを履いている学生たちが映っています。マレーシアのムスリムの大学生がスカーフを被っていなくて当たり前という時代があったわけです。そんな大昔の話ではありません。

1987年に撮られたマレーシアの写真

 スカーフを被る現象がいつの間に広まっていったのかというと、1970年代以降にイスラーム復興というのが起こります。これはマレーシアでもインドネシアでも、ほぼ同時に起こってきます。都市に出てきた大学生を中心に、イスラームをもっとやっていこうじゃないかという運動が起きて、その意思の表れとして90年代にスカーフの着用が定着していきました。

 全然違う文脈だと、女性がスカーフを被ることを女性抑圧の象徴だと言われることがよくありますが、東南アジアのイスラーム復興の事例を見ると、いかに自分たちが自分の意思でスカーフを被っていたのかということが、よくわかります。

国家による位置づけと宗教実践

 東南アジアにおける宗教を見る上ですごく大事なのが、国家において、それぞれの国がそれぞれの宗教をどう位置づけているのかということです。国家による位置づけの中でこそ、それぞれの宗教実践が創られていると見る必要があります。

 たとえばマレーシアではムスリムは人口の6割強にすぎません。他に、華人で仏教徒の人や、ヒンドゥー教徒の人もたくさんいるんですけれども、それでもイスラームは唯一の国教、公式宗教になっているわけです。

 一方でインドネシアは、イスラームのムスリムの人口が人口の9割弱というふうに圧倒的大多数ですけれども、イスラームは国教ではありません。インドネシアではイスラームと他の合計6つの宗教が公式宗教として定められているという形です。

 それでもどちらの国も、私たちの国は多宗教ですよというプレゼンテーションをいろんなところでするわけです。こうした中で宗教が実践されています。そのため、それぞれの人が信仰深いかどうかとかいうことだけでなく、社会の状況の中で、今、この国ではこういう実践がしやすい、という状況があって、そこで初めて、ある宗教実践の形ができていくわけです。

宗教紛争の捉え方

本章では、宗教、あるいは宗教のバウンダリー(境界線)がある社会状況の中で創られるということを強調して書かせてもらいましたが、それが一番大事になってくるのが、宗教紛争と言われるものを見る時の視点です。

 東南アジアでも各地で紛争があります。しかも全部イスラームが関わっていて、イスラームが関わると紛争があるみたいに思われそうですけれども。新聞の記事でいわゆる宗教対立と言われるようなものが各地であります。そうした時に、本章で見たような宗教の捉え方、実践の在り方を知ること、そして私たちの宗教と彼らの宗教は違うという境界線がどこで引かれるのかというものが、すべてそれぞれの社会状況の中で創られるものであるとして見てみることが重要になってきます。

 宗教紛争というのは、宗教が違うから紛争になるわけでは決してなくて、宗教の違いがある社会状況の中で問題として創られてしまうということがあるわけです。もともとは問題がなかったのに、ある状況の中で、「私たちはイスラーム教徒だからキリスト教徒に対して戦うのが正しいんです」という言い方が創られていく。だからこそ、創られるものとして宗教を見てみると、逆にそこに共生への視点というのが見えてくるのではないか、ということが本章で言いたかったことです。

 まとめると、東南アジアの社会にはいろんな宗教が生き生きと根付いていますが、それは昔からのものが残っているということではなくて、近代化の中で新たに創り出されているというふうに見ることができます。その社会的文脈の中で創られていくけれども、特に国家によってどう位置づけられているかということが、とても重要だと言えます。

 宗教紛争と呼ばれるものも、宗教の境界線の認識が、ある社会的文脈の中で創られていった結果、宗教の紛争に見えてしまうという形で読み解くこともできると思います。多様な宗教が近代化の中でこそ創られていって意義を持ちうるし、また共存も可能なのであるということが東南アジアから学べることかなと思います。以上になります。どうもありがとうございます。


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【目次】
序 東南アジアを学び、ともに生きる(中西嘉宏・野中葉)

第Ⅰ部 歴史と自然
1 経済史──スパイスと港町が世界をつなぐ(小林篤史)
2 脱植民地化──終わりのない物語(長田紀之)
3 気候──熱帯泥炭地と人びとの暮らし(小川まり子)
コラム1 心やさしき仏教の末路(伊東利勝)
コラム2 岐路に立つカリマンタンの「森」の世界(寺内大左) 

第Ⅱ部 社会と文化
4 民族──支配と生活を映す鏡(田川昇平)
5 宗教──社会のなかで創られ続ける「宗教的なもの」(久志本裕子)
6 若者──ポップカルチャーにみなぎるエネルギー(金 悠進)
7 ジェンダー──保守と進歩の対立を超えて(西川 慧)
コラム3 海の上に暮らす人びと(中野真備)
コラム4 シダ納豆は稲ワラ納豆よりおいしい?(横山 智)

第Ⅲ部 経済と政治
8 経済成長──多様性が織りなすダイナミズム(熊谷章太郎)
9 民主主義──キャラ立つ指導者たちの功罪(中西嘉宏)
10 紛争と和平──民族自決と国家主権のはざまで(谷口美代子)
コラム5 「伝統」で稼ぐ生薬売り(間瀬朋子)
コラム6 ある移民の人生(細田尚美)

第Ⅳ部 日本とともに
11 日本軍政の記憶──インドネシアに残るさまざまな痕跡(津田浩司)
12 東南アジアでの日本ビジネス──拡大、深化から共創の時代へ(梅﨑 創)
13 日本での東南アジアコミュニティ──急激な流入と進む定住化のゆくえ (野中 葉)
コラム7 日本・東南アジア安全保障協力の新展開(鈴木絢女)
コラム8 技能実習生の横顔(山口裕子)

索 引

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著者略歴

  1. 久志本 裕子

    上智大学総合グローバル学部准教授。専門は文化人類学、比較教育学。著書に『東南アジアのイスラームを知るための64章』(共編、明石書店、2023年)、編訳書にマハティール・モハマド『マハティール 百年の思想――イスラーム、日本、脱植民地化への道』(集英社新書、2026年)など。

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