第3回 若者――ポップカルチャーにみなぎるエネルギー(金悠進)
宗教、ポップカルチャー、成長する経済、そして日本国内の身近なコミュニティまで――変化の激しい東南アジアの「今」を、私たちはどのように読み解き、学べばよいのでしょうか。
2026年1月に刊行された『東南アジアを学ぶ人のために』(世界思想社)の出版記念イベント「東南アジアの読み方、学び方――プロの視点×学生のリアル」が開催されました。
最前線の研究者による専門的な知見を紹介した第1部より、今回は「若者」の章を担当した金悠進(きむ・ゆじん)さんの発表を紹介します。
金悠進と申します。私は「若者」という章について書きました。私はインドネシア地域研究を専門として、ポピュラー音楽、ロックやヒップホップ、シティポップなどを研究しています。『東南アジアを学ぶ人のために』第Ⅱ部の「社会と文化」の扉写真は私が提供しました。この写真は私が撮ったもので、2018年にインドネシアのジャカルタで開催された音楽フェスの写真です。
インドネシアで開催された音楽フェス(第Ⅱ部・扉写真)
ステージに立っているのは、カシーダというイスラームの宗教音楽を主なテーマとする、Nasida Riaというグループです。70年代に結成されて、一時期は田舎くさいとか、古いと思われていたのですが、2020年ぐらいからリバイバルブームが起きています。そして観客は、70年代当時のことを知らないような若い人たちなんです。彼らが熱心に見ていたり、ムスリムがお酒を飲みながら、このイスラームのテーマを聴いたりするわけです。そういうのがおもしろくて私は研究をしています。
章タイトルの背景
まずなぜ、「若者――ポップカルチャーにみなぎるエネルギー」というタイトルにしたのか、という説明からします。「若者」と言っても、自分は別に若者ではないし、東南アジアの若者を特に知っているわけではないです。となると、若者が主役となるものと考えた結果、ポップカルチャーかなと思いました。自分の関心に惹きつけて論じたわけです。
そして若者が主役というと、やはり消費や社会経済の牽引役を担っていたり、あるいは政治運動や社会運動などの様々な運動にも関わって表舞台に立っている若者も多いです。すごく活気にあふれている、エネルギーに満ちあふれているという感覚があったので、それを軸にして書きました。
そして、いわゆる古い東南アジアのイメージとは違うような、今の新興国的な雰囲気や、勢いのあるイメージを借りてみようと思いました。アジアっぽさというか、エキゾチックな感じとかではなくて、むしろ東南アジアっぽくないところから、東南アジアを論じてみました。そういったものを相対化していって、若者像みたいなものを提示してみたいというのが、私のねらいとしてありました。
ただ、「若者」と言っても、かなり漠然としています。若者って誰なのか。どんな年齢、世代、文化なのか。これでは抽象的で曖昧なので、別の具体的な何かに置き換えて考えた結果、たとえばTikTokユーザーとか、K-POPファンとか、アニオタとか、大学生とか、ラッパーとか、デモ隊とか、そういうふうに置き換えていくことで、より具体的なイメージが湧くんじゃないかなと思いました。一見すると、こういったものというのは東南アジアらしさが感じにくいですけれど、実はこのどれもが東南アジアの今を特徴づけている社会文化的な要素ではないかと私は考えています。
教科書・入門書を書くこと
そもそもですけれど、「先生って教科書読むんですか」って聞かれたら、個人的に答えるとめちゃくちゃ読みます。新刊が出たらすぐ読みます。なんでかと言えば、やっぱり自分自身の知識の欠落を補うためです。それは研究する際にもすごく参照になるし、必ず新しい現象を知っておく必要もあるので読みます。
もう1個の目的は、授業のためです。どう教えるかという目線で、説明の仕方を学ぶというのが、目的の2つ目としてあります。私も『東南アジアを学ぶ人のために』を全部読みました。全部読んでいると、授業風景が思い浮かぶんですね。「あっ、この先生はこんな感じで授業してんのや」と。そういう意味で、教え方も自分なりに学ぶようになりました。
今回、自分が『東南アジアを学ぶ人のために』を書く立場になって、入門書を書くってすごく難しいなと思いました。執筆要綱に「一般向けに、表現はできるだけ平易に。論文よりもエッセイに近いもので、個人的な経験を織りまぜてください」と書いてある。ただ、打合せの段階では、「学術的な要素もふまえてください」とも言われる。
ここがけっこうミソで、表現は平易、だが内容はアカデミックでもあるというところが、なかなか難しくて。自分の体験談を自由気ままに書いていいわけでもないし、かといって、専門家向けにアカデミックなことばっかり書いてもダメなんですね。どっちか一方で書くっていうのは、すごく楽なんですよ。その中間でバランスをとるというのが難しかった。
それで私は、ある教科書の書評を参考にしてみました。「明確で、知識伝達型ですばらしい」とされている教科書でしたが、書評なので、最後に批判点・課題点が書いてあるんです。「ただ、だからこそ、読者自ら解釈する余地が少ない」というふうに。つまり、読者に自分の力で考える機会を提供するためのテキストにはなっていないというわけです。どうしても内容を「ああそうなんだ」と、鵜呑みにしてしまう。それが本当に合ってるのかを、直感的に問う機会がなかなか得にくいとされていました。
もう1つは、人の顔が見えにくいことが弱点として挙げられていました。これは教科書にありがちなことなんですけれども、現地の人びとの人物像というのが見えにくいというんですね。初めて東南アジアについて学びたいと思った時に、東南アジアの人たち自体を具体的にイメージできたほうがいい。私自身も東南アジアの人びとがおもしろいと思ったから研究しています。ミュージシャンとか、そういった具体的な人に興味を持つというのが、ひとつのきっかけになりうるのではないでしょうか。
さらには研究者としての顔も見えたほうがいい。そういう意味では、この『東南アジアを学ぶ人のために』は、研究者の顔もすごく見えるし、東南アジアの人の顔も見えるような本になっていると個人的には思っています。
問いを立てながら読む
この本の中身について少しだけお話すると、たとえば日本のポップカルチャーの利用という話を書いてます。その中では、なぜ東南アジアの若者たちは、「ワンピース」とかに熱狂するのかという話があります。それは世代交代が一因で旧世代とは異なる日本へのイメージがあるんだという説と、メディア研究の文脈を引用して、それは文化的無臭論から説明できる説を書いています。たとえば「ワンピース」などは、日本的な臭いがしないからこそウケてるんだという説がありました。逆に日本っぽいアニメ、「サザエさん」とかは全然東南アジアでウケてない。だからそういった無臭性にこそ、東南アジアでウケる理由があるんだという説を説明しています。ただ、ここに違和感を抱いてほしいんです。
仮にこの文化的無臭論を応用してみましょう。「ワンピース」は、たしかに東南アジアでむちゃくちゃウケています。なぜなら日本独特の文化を感じにくいからです。文化的無臭論に一番適合する事例だと思います。この事例を現代の東南アジア社会の文脈に応用すると、インドネシアやフィリピン、東ティモールでは「ワンピース」の海賊旗というのが反政府デモのシンボルとして掲げられていて、これは1つの事例として考えることができます。
この事例に対する仮説として、「ワンピース」の海賊旗は、いわば普遍的な価値を持っているだろう。だからこそ、そういった抵抗の文脈に流用しやすいと考えられる。それは文化的無臭論で説明できるかもしれません。ただ、そこで注意しなきゃいけないのは、たとえばインドネシアの事例、フィリピンの事例、東ティモールの事例というのが、全部それで説明できるかといったら、そういうわけでもない。個別の事例の文脈に考慮しつつ考える必要がある。その中で普遍性を問うていくということもできます。
もう1つは、この文化的無臭論を批判的に見てみるというパターンです。この文化的無臭論は、90年代、2000年代初めぐらいまでは、たしかに説得力を持ちました。しかし2000年代後半以降になると、日本的なポップカルチャーがウケているわけです。「るろうに剣心」「犬夜叉」「NARUTO」「鬼滅の刃」。いかにも日本っぽいものが、東南アジアでウケている。そうするとこの文化的無臭論って、説得力としてはちょっと限界があるわけです。今、日本のポップカルチャーがウケている背景に、もしかしたら、東南アジアの若者たちが日本の文化に魅力を感じるかもしれないわけですよね。コンテンツの中に日本的なものを感じ取っているかもしれないわけです。
そういう新たな問いを喚起していくというのも、読み方としては大事なのかなと思います。 その問いへのアプローチの仕方として、東南アジアの若者たちに聞き取り調査をするとか、あるいはイベントやコミュニティを参与観察するとか、そういうのもありだと思うんです。意外とこういう、K-POPもそうですし、ソーシャルメディアの研究って、研究者よりは、学部生、若い人たちがやるほうが、より説得力もあるし、また卒論としても非常に魅力的だと思います。
本のその先へ
最後に、あえて著者が説明していない部分に着目するというのも、読み方の1つかなと思います。新書や入門書で、著者が「何々が興味深い」で終わっているパターンって、けっこう私は注目しどころだと思っています。つまりその著者はおもしろいと思っているけれど、そのおもしろさを現時点では説明できないんです。だからそこに注目すると、意外と研究する価値があると僕は思っています。たとえば私がこの章の冒頭で、つかみとして使っているネタというのが、2020年代に世界的にバズった事例。藤井風の〈死ぬのがいいわ〉や、松原みきの〈真夜中のドア〜stay with me〉が東南アジアでウケて、世界的にブームになりました。
もう1個、最新の情報としては、槇原敬之の〈もう恋なんてしない〉が、インドネシア国内のJ-POPチャートみたいなもので1位なんです。実は槇原さんとジョコウィ・元インドネシア大統領の顔が似ている、というのがネットで話題にもなっています。似てるっちゃ似てるし、似てないっちゃ似てないなと私は思うんですけれど。そういうふうなことがあって、実際に曲が人気になった。
これをどうやって説明するか、アニソンだったらわかりやすいんですが、そうではないし。SNSの影響かといえば、すごく技術決定論すぎるし、もうちょっと説明ほしいなって思うんです。それ以外の要因を考えるという意味で、みなさん、ぜひ考えてみてください。以上です。ご清聴ありがとうございました。

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【目次】
序 東南アジアを学び、ともに生きる(中西嘉宏・野中葉)
第Ⅰ部 歴史と自然
1 経済史──スパイスと港町が世界をつなぐ(小林篤史)
2 脱植民地化──終わりのない物語(長田紀之)
3 気候──熱帯泥炭地と人びとの暮らし(小川まり子)
コラム1 心やさしき仏教の末路(伊東利勝)
コラム2 岐路に立つカリマンタンの「森」の世界(寺内大左)
第Ⅱ部 社会と文化
4 民族──支配と生活を映す鏡(田川昇平)
5 宗教──社会のなかで創られ続ける「宗教的なもの」(久志本裕子)
6 若者──ポップカルチャーにみなぎるエネルギー(金 悠進)
7 ジェンダー──保守と進歩の対立を超えて(西川 慧)
コラム3 海の上に暮らす人びと(中野真備)
コラム4 シダ納豆は稲ワラ納豆よりおいしい?(横山 智)
第Ⅲ部 経済と政治
8 経済成長──多様性が織りなすダイナミズム(熊谷章太郎)
9 民主主義──キャラ立つ指導者たちの功罪(中西嘉宏)
10 紛争と和平──民族自決と国家主権のはざまで(谷口美代子)
コラム5 「伝統」で稼ぐ生薬売り(間瀬朋子)
コラム6 ある移民の人生(細田尚美)
第Ⅳ部 日本とともに
11 日本軍政の記憶──インドネシアに残るさまざまな痕跡(津田浩司)
12 東南アジアでの日本ビジネス──拡大、深化から共創の時代へ(梅﨑 創)
13 日本での東南アジアコミュニティ──急激な流入と進む定住化のゆくえ (野中 葉)
コラム7 日本・東南アジア安全保障協力の新展開(鈴木絢女)
コラム8 技能実習生の横顔(山口裕子)
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