学ぶことと生きることのあいだ
ミドリちゃんとの再会
私の通った東京都立大学人文学部はわりあい真面目な学生が多かった。都心から離れた緑豊かなキャンパスで、気づけば就職活動も終わっていました、みたいなのんびりした人が多く、院進学者や都庁に決まった人、大学職員になる人、教員になる人などが多かった。一般企業でも、文学部の人間なら憧れもあるだろう出版やマスコミに行ったという人はほとんど聞かなかった。もともと、とても安い学費で通える公立大学であることも、より堅実な職場を選ぶ傾向を生んでいたのかもしれない。
私は中国語の教員免許を取るために教職科目を取っていたが、クラスメイトのなかでも教職を取る人はそこそこいて、教育について考えたいと読書会をするメンバーが集まった。メンバーの多くは教員となったが、その一人ミドリちゃんは、一度私学の臨時採用教員や母校の非常勤として勤めたあと、不登校の子どもたちのためのNPOに勤めていると人づてに聞いて気になっていた。
わが家はコロナが本格的になった2020年4月に杉並区から東京市部に転居した。子どもたちも思春期にさしかかるので、長女には個室を与えたいと考えたためだ。杉並の学校でも、越した先の市部の学校でも、不登校児の話は耳に入った。杉並の学校時代は、PTA本部役員をしていたこともあり、子どもの発達障害や不登校で悩むお母さんたちの息抜きとなるような場をPTAで月1回でも作れないか、という相談を副校長から受けたこともあった(残念ながらこれは役員内からネガティブなリスク論が出て、実現は不可能だった)。働かなければならないお母さんが、渋る子どもを校門前まで引きずってくるという現場も見たことがある。料金の高いフリースクールに子どもを預けられる家庭ばかりではないだろうと思い、胸が痛んだ。
市部に引っ越してみると、コロナ休校のため4月から通うこともできなかった。長期の休みが常態化するなか、不登校児も全国的に増えたと報じられていた。この先、不登校児は増える一方だろうと思った。これは学校という画一的なシステムがもはや多くの子どもたちを束ねられない時代に入ったことを意味している。そんな状況のなか、学校の代わりとなる場所や選択肢はどのように広がっているのだろうか、と気になった。経済状態によって選択肢が狭まってしまうことは容易に想像できるが、まずはどのような試みがなされているのか、そこで子どもたちはどのように前進していけるのか、三鷹にある「NPO法人文化学習協同ネットワーク」(以下、協同ネットワーク)に関わるミドリちゃんに聞いてみたいと思った。卒業以来20年ぶりの再会だった。聞けばミドリちゃんは卒業以前からこのNPOに関わっていたのだという。
「私自身は朝眠いから行きたくないって思う以外は、学校に行くのは当たり前って感じで普通に通っていたんだけど、行けない子たちはただ学校に行けないというだけで選択肢が狭められてるんじゃないか、とは感じていて。卒業論文を書くにあたって、そういう子たちが行ける居場所みたいなものにはどんなところがあるんだろうって興味を持って、それを卒論のテーマにしたの。最初、夏の教育学研究会で出会ったのかな、文化学習協同ネットワークっていうNPOのスタッフと。それで卒論のために行かせてくださいってお願いして、ボランティアしながら関わりが始まって。大学4年生のときだね。最初は子どもの居場所にも行ったんだけど、若者の方に興味があって、最終的には高校生以上くらいの子たちのところで関わりながら卒論を書いて。」
卒業後、院に通いながら数年間非常勤などで教員生活をしていたミドリちゃんは、日の丸・君が代などの問題で締め付けの強まっていた東京都を避け、神奈川県の教員試験を受けて合格する。親は教員になることを望んだが、最終的に馴染んだNPOに就職を決めた。
「やっぱ違うかなと思って。ここのNPOは90年代にNPO化しているんだけど、始まりは70年代で、東進ハイスクールの前身の学習塾が同じ頃にできたと聞いてます。」
受験競争が激化し学力格差も広がるなかで、子どもたちの生きる世界にさまざまな歪みが生じ始めた時期でもあった。地域の父母の要請で、当時学生だった現代表が小さい学習塾を始めたのがもとになっている。単なる学習塾にとどまらず、子どもたちの興味を大事にして体験重視で合宿に行ったり、なぜ学ぶのかについて議論したりしていたという。やがて不登校の子どもたちのために昼間もあけてほしいという要望が来たことが、不登校の子たちの居場所としての始まりだ。
文化学習協同ネットワーク
「今の「フリースペース コスモ」(以下、コスモ)ができたのが90年代。2000年代に入るとニートの問題も出始めたよね。その頃から若者支援というものも範疇に入ってきて、「コミュニティベーカリー 風のすみか」というパン屋さんをもう18年くらいやっているのね。ここでは楽しくできてたけど、社会に出て、職場でものすごく叱られてつまずいてしまう子も多いので、若者たちが働きながら働くことを学べる場所を作ろうということで。使い捨てのように使われて、怒られたけどなんで怒られたのかよくわかんなかったみたいな関係性ではなくて、本当に働くというのはどういうことなのかを現場で学べるように。」
コスモは、協同ネットワークが運営する小中学生の子どもたちの居場所だ。コスモのパンフレットには、パン屋さんの「風のすみか」のほか、16歳以上の若者を対象に就労や復学への道を開く「むさしの地域若者サポートステーション」、学習塾部門を担う「文化学習センター」などの紹介が書かれ、多岐にわたる活動の一端がうかがえる。協同ネットワークでは、部門によっては「訪問支援」も行い、丁寧に若者の心に寄り添うのだという。訪問支援と聞けば、一般には高齢者支援を連想するが、体の不自由ではなく心の不自由のために行き詰まってしまった若者たちを支えるのもまた人の力だ。「繊細さん」と言われるHSP(Highly Sensitive Person)やさまざまな発達障害を持った若者が増えているなかで、普通に就職して会社に勤め続けることのハードルは上がり続けている。そのような若者が増えていることは、学校や社会における「普通」
働く場を自分たちで、という取り組みは障がい者福祉の現場では、早くから取り入れられてきた。作業所で作られたクッキーなどは多くの人が目にしたことがあるはずだ。そのほかにも北海道浦河にある精神障がい者のための活動拠点「べてる」が、働く場、暮らす場、ケアの場が集まった場所として注目されていることなども思い出す。統合失調症当事者たちで会社を作ってしまったことも話題になった。しかし、子どもや若者関係のNPOで働く場まで備えているところはまだ珍しい。
「職業訓練も給付が出るものが国の制度としてあって、「風のすみか」の支援をその形でやっていたこともあるんだけど、私たちの支援はその枠にあてはめにくくて。国は就職させるための訓練と位置付けているから、何回か休んだら給付が下りない。そんなふうに皆勤で行ける人は、あまり私たちのところには来ない。」
欠席が増えれば職業訓練の給付金は下りませんと言われて、普通ならば頑張って遅刻や欠席をなくそうとする。しかし、それができない人もいるのだ。体調が安定しない人、朝が異様に苦手な人、人間関係で緊張したり辛くなったりしてしまう人。そういう人は、仕事へのルートを失ってしまう。挫折感と自己嫌悪が残るだけだろう。見た目は普通、それでも実態はやはりケアや支援が必要な存在だ。私は最初そのように感じたが、ミドリちゃんはまた違う捉え方をしていた。
「私たちの理念としては、“社会の側も、すべての若者にとってもっと働きやすく変わるべきでは”と思っていて、“できない人たちのケア”というより、若者たちと一緒になってそういう社会を作っていきたいという社会運動的な側面が大きいんだよね。」
たしかにそう言われてみれば、私の捉え方はこの社会の制度や慣習を既定のものとしてしまっていたなと思った。現在の社会それ自体の正当性を問うていくこと、そしてNPOの活動としてサポートやケアがそこに生じていたとしても、集う若者や子どもたちをケアされる客体ではなく、共に新しい社会を作る仲間と捉えて関わっていくことの真っ当さ、団体としてそのような信念が活動の真ん中にあることの誠実さを感じた。
柔らかな空気のなかで育つこと
「厚労省のプログラムとして「風のすみか」の研修に無料で参加できるというのもやってるけど、これはかなり結果を求められる。パン屋の研修への参加も週に何回と決まっている。その枠にはまらず、「できるときにやりたいです」という形への支援については、家庭に研修費用を負担してもらうしかない。親御さんもいろんな思いがあるから、“パン屋になるの?”って難しい反応もある。パン屋といっても、清掃、袋詰め、接客、パン作り、配達とかいろんな仕事があって、それらを通して働くことを学ぶというもので、「パン屋になるための訓練」ではないんだけどね。本当は皆に給付を払って生活保障をしながら研修できたら一番いいと思うけれど、自分のペースでやりたい場合は逆にお金を払ってもらわないといけない、というのが実情です。」
普通には働けない若者が自分のペースでその訓練に参加しようとするとき、そこにはお金が必要になってくる。お金を出してもらって、ようやく研修指導スタッフの給与が確保されるのが現状だ。他の家の子はもう自立して稼ぎ始めている。しかし、そう人の家と比較することが無意味なことくらい、すでに
「合宿に行ったとき、ずっといじめられたり大変な思いをしてきて、高校を出て働いたけどうまくいかなかったという人が来ていたのね。みんなでワイワイ道を歩いてて、石ころが落ちてたからその石でサッカーしようってふざけて、前を歩いてるスタッフの足にぶつけたらゴール、と決めたのね(笑)。惜しい!とか言いながら。そのスタッフは気づかないでどんどん歩いてたんだけど、すごく盛り上がって。あとから聞いたら、それが一番楽しかったみたいなの(笑)。当たり前の悪ふざけとか、そういう友達関係とか、青春って言われてイメージするような関係性とか、そのなかで自分も成長していく、そういう経験を全然してこれてない。「僕たち青春貧乏なんです」って言った若者もいたけど、そういうことなんだよね。厚労省のプログラムでやっている「風のすみか」の研修期間は5カ月で、合宿はそのなかの一つとしてやっているんだけど、それを終えたとき、何気ない仲間とのやりとりが楽しかったって言う若者がいっぱいいる。そこなんだよね。そこでエネルギーを回復できれば、後は結構どうにかなる。」
教育と福祉にまたがる活動
協同ネットワークの活動へのニーズは高まり、現在は三鷹・武蔵野のほかに練馬や相模原にも拠点がある。その実績に自治体も注目し、連携も増えている。三鷹市、練馬区、西東京市、相模原市では生活保護世帯の子どもたちへの支援に取り組んでいる。2015年からは生活困窮者自立支援制度が開始され、各自治体は生活保護世帯に限らず門戸を広げ、以前よりも困窮者世帯に目配りすることが求められるようになった。そんななかで協同ネットワークの活動は、もはや教育の枠を超えて福祉にまたがったものになっている。
「生活困窮者世帯の子どもたちは高校進学率が低かったり、中退率が高かったりする。その連鎖をなんとかして防ごうと学習支援をしたりするけど、学習どころじゃない子たちも実際はいっぱいいる。居場所支援だったり、訪問支援も含めていろんな自治体でやっている。」
生活保護世帯の状況把握とケアは、本来ならばケースワーカーの仕事の範疇だ。しかし、都市部は一人のケースワーカーが抱える件数が多すぎて密な連絡も関係もなかなか作れないと聞いた。私は、元原発労働者の弓場さんというおじさんが体調を崩し、退院時などに少し関わったことがある。弓場さんは働けない体になっており、生活保護受給者だったが、ケースワーカーさんは1年に2度連絡があるかないか、と聞いた。人手が圧倒的に足りていない。最低限の状況把握をするのが精いっぱいだろう。ミドリちゃんのようにNPOがそこを補うことで、少しは実のある支援が進むのかもしれない。
「そもそも、ケースワーカーさんがその家の子どもたちまで気にかけるっていうのは難しくて。学校に通っていたら会えないし、部屋に閉じこもってても会えない。親御さんもいろんな不安があって、うちは大丈夫ですってガードしてしまう人もいっぱいいるし。親御さん自身が大変だったりするケースだと、子どもにまで目がいかなかったり。熱心なケースワーカーさんのなかには、料理しない一人暮らしの偏食の人と一緒に鍋をして関わろうとしたりする人もいるんだけど、なかなかね。」
港のような場所
ミドリちゃんは、義務教育で把握できる中学生までと違って、消息を追えなくなってしまう高校生の居場所の大切さも実感しているようだった。
「高校生は親からの自立意識とか、葛藤とかすごく出てくる時期で、バイトなどで働き始める子もいる。いろいろなことで悩んでる子もいる。私たちは高校生年代を対象にした居場所を武蔵野市の児童青少年課の委託でやり始めて。それが午後2時から7時で。しばらくして午後2時までの時間を中学生の不登校の子たちの居場所の時間にしたの。2020年の7月からかな。2017年に教育機会確保法というのが施行されて、学校復帰を前提とした考え方ではなくて、学校に行かない子たちの学習機会も保障されるべき、という考え方が自治体にも広まったのね。」
なるほど、現在住んでいる市部にも不登校の子が通える、市の運営する場がある。ここに通学することで出席にカウントされるといい、知人のお子さんも楽しく通っていると聞いたことがある。自治体により「ステップアップ教室」「スキップ教室」など名前は異なるが、「適応指導教室」として設置されている。そのなかで武蔵野市では、もともと設置していた市が運営する適応指導教室「チャレンジルーム」に加えて、協同ネットワークに運営を委託する形で、中学生の居場所「むさしのクレスコーレ」を2020年7月に開所した。
「二十何年「フリースペース コスモ」をやってきていて、それをもとにやりましょうって言ってもらえたのね。だから「第二適応指導教室」として「クレスコーレ」を開設してるけど、「適応」を「指導」する、という感じではやっていない。過剰適応してもまた疲れてきてしまうし。でも自治体の担当さんの理解があって円滑にいろいろなことをさせてもらえてる。
自主事業のコスモでは夏に10日間とかキャンプに行くのね。四万十川の中流から河口まで道具や荷物を担いで台車を引いて、ひたすら河口まで歩く。暑くなったら川に飛び込んで、お腹減ったら近所の人がいろいろくれる(笑)。夜は疲れてぐっすり寝て。生きるってことをそのままやるような取り組みをしていて、長野の農家さんの米作りに年間を通じて関わらせてもらったりもしている。保護者も一緒になって話し合いながら、かなり自由な取り組み作りをしてきていて。クレスコーレは市の事業で、活動の内容や特色は違うけれど、そういう形で居場所の学びを作ってきた私たちの考えを、自治体の方にも伝えながら運営していて、この夏も初めてクレスコーレとして宿泊事業を実現できたのね。」
市の事業となると制約もあるのだろうが、そのなかで信頼関係を作りながら少しずつ活動を充実させていっている様子が伝わってくる。
コスモのパンフレットに32歳の卒業生が言葉を寄せていた。
「コスモではいっぱい遊ぶ中で、「人と生きていける」という自信をもらった。「なんとかなるぞ」って。あとは必要な時に必要なことを調べればいい。教えてもらえればいい。今、そうやって仕事しています。」
力強く印象的な言葉だ。ここにたどり着けるまでに、「人と生きていける」と信じられる過程が必要だった。ミドリちゃんは卒業後について、「きっと苦しくなることもあるだろうけど、そういうときにいかに戻ってきてもらうかだね。今の世のなか苦しいし、軌道に乗るには時間がかかるし、そこをずっと伴走できるように」と話してくれた。
以前、長野の児童養護施設を取材したことがある。仏教系の施設で、卒業後は一切連絡は取らない、戻ってくるなと言っていると施設長が語っていたが、身寄りのほとんどいない若者たちにとってそれは過酷なことだろうと感じた。人が孤立しないためには、その人にとっていつでも戻れる港のような場所、人間関係が必要なのだ。
若者たちが「人と生きていける」という自信をやっと獲得した、と言うとき、それを聞く大人たちは思う。「私たちのころは、いつの間にかそんな感覚は身に付いていたはずだけど……」と。SNSが発達したから? 「いい子」を求め「いい子」に育てる風潮が強まったから? 一人っ子が増えたことも関係がある? 学校教育が変質したから? 時代の価値観が変わったから? おそらくいろんなことが絡まり合って、袋小路に追い詰められる若者たちが増えたのだろう。
文化学習協同ネットワークの佐藤洋作代表はパンフレットに「子どもたちの学び育つ力に信頼を置き、上からの教え込みを廃することが生き生きとした学びを生み出す条件です」と書いている。彼はこの40年、子どもたちと向きあうなかでどのようなことを感じてきたのだろう。次回はコスモを訪問し、佐藤代表の言葉に耳を傾けたい。