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子どもたちに寄り添う現場で

八百屋さんが開いた子ども食堂

おとな図鑑
 今年、「おとな図鑑」という企画に誘われた。2012年に開いた大田区蓮沼の「気まぐれ八百屋だんだん 子ども食堂」と日比野克彦氏率いるアートプロジェクト「TURN」による共同企画だ。話をくれたのは山形ビエンナーレで出会ったアーティストの永岡大輔さん。出演後の打ち上げで、山伏でイラストレーターの坂本大三郎さんに久々に会いに行くと、一緒に飲んでいたメンバーの中に永岡さんがいた。翌日午前中に、永岡さんの作品「球体の家」の展示会場で永岡さん自身に解説してもらったあと、駅まで送ってもらう途中いろいろな話をした。夕張炭鉱の話、戦争の話、福祉の話など。その中で、永岡さんが大田区の子ども食堂に関わっているという話を聞いた。

 後日、メールをもらい、「おとな図鑑」への参加を誘われたのだった。どんな仕事、どんな生き方が世の中にはあるんだろう、ということを知ってもらうための企画で、私は数学者、木こりの方の回に続いて第三回目に登場する「おとな」ということだった。会場は「だんだん」の近くにある福祉施設の広めのスペース。グランドピアノがあった。当日集まった聴衆は3歳児から大学生、大人と幅広く、なるべく幼稚園児にわかるように噛み砕いて話をし、歌を歌うという、なかなかない経験になった。

 会の後半はワークショップのようにして、「あなたの小さな夢と大きな夢、書いて教えてください」とお客さんと向き合う時間になった。「~レンジャーになりたい」という子どもがいたり、「明るいニュースを増やせる人になりたい」という高校生がいたり、「精神保健福祉士の資格をとりたい」という大学生がいたり、「ゆったり暮らしたい」という大人の声があったり、年齢を超えて誰かの夢を聞いていくのはとてもいい時間だった。その中で「だんだん」代表の近藤博子さんは「こども食堂がいらなくなること」とおっしゃって、印象に残った。

 もう一つ、この会を終えて思ったのは、司会運営などを担当してくれていた、高校生・大学生たちの未来を向くまっすぐな感性だった。彼らの中には小学生のころから「だんだん」に通い、やがてボランティアとして関わり始めた子もいる。「精神保健福祉士の資格をとりたい」と言った眞鍋太隆さんもそうだ。彼らの言葉を聴いていて、「だんだん」が単なる「貧困家庭にある子どものために食を提供する」以上の場所になっているような気がした。

「だんだん」が紡ぐネットワーク
 あらためて、近藤さんや今も「だんだん」に関わっている「元子どもたち」に話を聞きに行った。

 「だんだん」は蓮沼駅から歩いて数分のところにある。毎週木曜日がこども食堂になるが、それ以外の日もさまざまなイベントスペースとして場所を貸し出して、わずかな収入としている。「だんだん」は近藤さんの故郷島根の方言で「ありがとう」の意。語源をたどると「かさねがさね(ありがとう)」という意味のようだ。

 近藤さんと会うのは「おとな図鑑」の打ち合わせ、その当日に続いて三回目だったが、打ち合わせのときにお話を聞いていて感じたのは、すでに近藤さんがこの土地で、時間をかけてさまざまなネットワークを開拓してきた方のようだ、ということだった。

 

「やっていくなかでつながったという感じです。こども食堂を通してスクールソーシャルワーカーさんとつながって、そこから区ともつながりました。」

 

 スクールソーシャルワーカーとは、一般にはあまり知られていないが、小中学校での不登校、いじめ、もろもろのことに対応できる教育委員会の中に設置されている部署で、大田区には6名いるという。主に学校からの働きかけで関わり、学校カウンセラーができないことについて、先生や学校など子どもをとりまく環境に対して、働きかけを行うことができるという。

 近藤さんはまた、地域の民生委員ともつながっている。私が民生委員について認識したのは、去年小学校のPTA役員をやった際、担当の中学校で開催された「地教連(地域教育連絡協議会)」に出席したときのことだ。担当していた中学校は、娘たちが通う中学校でもなんでもなく、役割として仕方なく行ったのだが、その会にその地区の民生委員の方が参加していた。自己紹介のとき、彼女が具体的な話も交えてどんな仕事か、ということを説明してくださり、その話だけ面白くて食い入るように聞いたのだった。つまり、それは虐待のありそうな家庭や、一人暮らしの高齢者の家に異常がないか、などを日ごろから気をつけてみながら地域を回っている、という話だった。

 そういう異常を事前に察知しようとしている人がいる、というだけでなんだかほっとするというか、誰もが他人で、人の家のことには首をつっこまないのがルールのようになっているようなこの町の中にも、こういうふうに動いている人がいるんだな、とそのときはとても嬉しかった。

 けれど、近藤さんから聞く民生委員の姿はまたちょっと違うようだった。

 

「高齢者への取り組みは安否確認でやってると思うんですけど、虐待など重篤な家庭を把握できているかはわからないですね。ほんとに虐待案件とわからないと、実態はつかめない。そういう家庭とのつながり自体が少ないかなと思います。民生委員さんもいるようなところでもお話しさせてもらいますが、「こういうケースがあるのよ」って言われたことがない。守秘義務の壁もあるんだと思います。お米とかもうちは集まってますから、食材に困ってる方はつないで欲しいとは言っているんですが、(そういう依頼は)一件も来ていないんです。」

 

「関わらない」から「なんとか関わる」へ
 最近読んだ本に、松本俊彦編『「助けて」が言えない――SOSを出さない人に支援者は何ができるか』(日本評論社、2019年)がある。いろいろな現場で、困難を抱える人に関わる支援者や専門家が執筆しているのだが、現代社会のあちこちで起こっている問題の根っこには、この「人にうまく頼れない」ということがあるような気がする。それは、「人に知られたくない」「ほうっておいてほしい」という感情と結びつき、事態を悪化させていく。本人の好きでそうしていると言われると、それ以上踏み込めない。

 たとえば、アルコール依存症の治療に取り組む人びとの間でも、「去るものは追わず」が暗黙の了解だったそうだが、近年「去るものも追う」必要性が唱えられてきたという。「関わらない」から「なんとか関わる」へ、社会の常識を少しずつ変えていく。近藤さんの「だんだん」も、全国に急激に増えた「こども食堂」も、社会の意識の、静かながら大きな変化を表しているようにも思える。しかし、現場が厳しいことに変わりはない。高齢者の多い地域では、限られた人員で高齢者の見回りをするのがやっとというのも仕方のないことだし、いろんな制約の中で、気づかれないままの家庭が出てきてしまう。

 私はふと、「こども宅食」を始めた駒崎弘樹さんの記事を思い出した。それは、こども食堂やフードバンクにも出てこられない親子、あるいはそうした取り組みから離れた場所に住む親子のために、食べ物を届けるという取り組みだ。困窮していることを知られたくない人も、LINEで申し込めば食材を届けてもらえる点が画期的だ。ただし、近藤さんは問題も見つめている。

 

「食材を届けても作れるか、というところや、民生委員がもし持っていけば、家の様子も少しわかったりするんだけども宅急便だから。あとレトルト中心かなとも。果物とかは圧倒的に少ないですよね。嗜好品ということになって、ほんとは減らしちゃいけないところが減らされる。昔はジャンクフードとかなかったから、食べなければやせていった。今はポテチとか100円ショップにいろいろあるから、やせない。だから見えづらい。結局添加物いっぱいのものが体にはいっていく、それでいいのかなと思うんですけど。」

 

 近藤さんが食べ物にこだわるのは、もともと「だんだん」が「八百屋」であることとも関わっている。「きまぐれ八百屋だんだん」としてスタートしたお店が、子ども食堂を開くようになっていった。以前、やはり子ども食堂を営む方から、「ボランティアの女性たちは、生協のちょっと高くてもいいものを食べさせたいと言うんですけど、採算がね」という話も聞いたことがあった。

 子ども食堂にかぎらず、体にいいとされる食品は貧困層にはなかなか手の届かないものになっている。アメリカでも、貧困層にはハンバーガーを買えるフードスタンプが配られる一方で、スーパーには有機食品が並べられ、生活に余裕のある人たちがそれを買っていく。日本のスーパーではまだまだ有機栽培の野菜などは少ないが、そうした小さな格差は広がってきている。近藤さんは東日本大震災後、宮崎の農家さんから無農薬の野菜を送ってもらい、その他いろいろな人からのいただきものを子ども食堂で提供している。

 

「農家さんでも農薬を使っている野菜は孫や子に食べさせないと言う人もいるように、やはり成長期の子どもたちに食べて欲しいものにこだわりたいんです。農薬の害についてデータ的にわかっていても公表されていないことを知ると、できるだけ、みなが添加物の少ないものを選べるように、安く手に入るようになることが大事かなと。おしゃれなインスタ映えするようなものはできませんけど、家庭料理を手作りというのが最初からのスタンスです。無農薬でなくても、いただいたものはみな使う、もスタンスです。作っている人は農薬を使ってないことが多いですけどね。こだわりすぎると大変になっちゃうから、臨機応変に。」

 

 臨機応変、これは本当に大切なスタンスだ。何かを徹底させようとすると、どこかで破綻する。時には誰かの好意を排除することにもつながる。安全なものが安く手に入る。日本ではなかなか難しいことになっているが、たとえばソウル市が2021年から始める有機無償給食などは、重要な取り組みの一つだろう。日本でも地方自治体の中で地産地消の取り組みを始めている学校はある。しかし有機野菜となると、まだ事例は10もなさそうだ。子どもたちの日々の食事のうちの一食でも安全性が確保されていくことの安心感は大きい。

成果主義から距離をとる
 近藤さんは世の中で「子ども食堂」や「居場所づくり」が注目され、もてはやされる風潮にも警鐘をならしている。 

 

「企業が社会貢献ということで、食料を提供してくださるケースがありますけど、作りすぎたものを廃棄処分する手数料がかからないから、子ども食堂に流すということもあるわけです。ありがたいと思いますけど、長期的にみたら、それを処分するお金を企業はかけないですむから、企業の応援のようなことにもなっていて。(でも)そうではないと思う。子ども食堂って、今必要な部分だけど、ずっと必要とは思わなくて。隣の子がちょっと心配っていうときに、食べるもの少し分けてあげたり、食べさせてあげたり、そういう状況になっていけばいいわけで。子ども食堂が増えて、そこにお金をかけることがいいとは思わない。それなら安全なもので作った学校給食を提供するべきだとおもうし、子ども食堂のおじちゃん・おばちゃんが毎日やれることではない。(本来は)毎日継続できることをちゃんとやってほしいですね。」

 

 子ども食堂の運営の多くは、無給のボランティアと寄付に頼っている。ボランティアはもちろん素晴らしいことだが、そこにのみ負担がかかったまま、美談のようにたたえられるのみで、結果的に国や自治体としての取り組みが遅れるということはまったく望ましくない。なかには助成金を申請して、運営の補助にあてているところもあるが、こうしたお金からも近藤さんは距離をとっている。

 

「トライすれば使える助成金もあると思うんですけど、いつまでに達成しなければいけないとか、子どもたちが(企業から無償提供された)パソコンを利用している写真をつけてくださいとか、たとえば、取り組み始めて間もなくて利用者がまだいないときに、そこまでにどうしても子どもたちをそろえるっていうのは無理があるので。期限があるものは、トライできない。そうすると達成しなければいけない義務が生まれるので。報告義務もありますし。できる範囲でやればいいかなと。時間もかかりますし、結果がどんなだったかと言われてもな、と思います。(こういうことは)こども食堂一つ一つが言っていけば大きな声になると思う。ちょっと違うなと。利用されたくもないし、やったぞと自慢もしたくないし。」

 

 助成金は通常一年単位だ。一年で成果が十分に出ないものもある。ある程度、助成金の運用に対するチェックが必要とはいえ、福祉の現場にある種の効率性や成果主義を持ち込むことへの違和感は、以前ほかのNPOの代表をしている知人からも聞いたことがあった。そうなると寄付とボランティア頼みになる。当然毎日の活動は難しい。

子ども食堂のいらない未来
だから近藤さんの考える未来は、子ども食堂のいらない未来だ。

 

「出てこないけど確かにいるな、という気配を感じて、気にかけるという。それだけでも何か通じるものがあるじゃないですか。そうすると、ちょっと外に出てこられたり。そういう気にかけるということが一番大事で。北風と太陽みたいに、見る目が厳しければ当然出てこれないし、柔らかい目がたくさんあれば出てこれるし。11月に「だんだん」でやる「こども天国」というお祭りとか、場の雰囲気はほんとに大事ですね。紗穂さんの「おとな図鑑」のときも、大田区の不登校のシューレ(スクール)にかよっている親子がきてくれたりしたので、行ってみても大丈夫かな、という場所があるということが大事で。去年の「こども天国」も、そういう場所がちょこちょこあればいいんじゃないかなと。(子ども食堂に)来た人たちはどういう問題を抱えてたんですかって取材でよく聞かれるんですけど、それなりに来てるってことはそれぞれの理由があるから、それでいいんじゃないんですかって。理由がなきゃいけないとか、こうあらねばならないとかではない。」

 

 子どもの事例ではないけれども、男性の高齢の単身者は、ひきこもりがちになるという話がある。孤独死を防ぐために、その人たちとのつながりを作るきっかけとして効果的な行事の一つは「もちつき」だと聞いたことがある。男性の方が向いていて、人手が足りないとなれば、男性は「お願いされる側」になる。そうやって無理なく出てこられて、人と一言二言でも交わせるような場の必要を感じる。

 「理由がなきゃいけないとか、こうあらねばならないとかではない」。この言葉を聞いて思い出したのは、小学校のPTAの役員決めのことだった。役員の仕事は多岐にわたり無駄な会議も多いので、本当はみんなやりたくない。年に数回あるクラスのランチ会に行ったとき、話題に上がったのはその場にいない人についての噂だった――「自分は持病があるからやれませんってその場で泣き出してさ」「それってほんとに病気なの」「え、元気にみえるけどね、あの人」。私は心底いやな気持ちだった。こんなふうに他人の詮索をしてしまうのは、「大変な仕事」の経験者やこれからしなければならない人が、「公平さ」を求めるからだ。本来ボランティアであるはずの仕事が、「公平に分担すべき」という半ば強制力を持ったものとして存在する。しかし、母親たちの状況がみな同じわけもない。これだけ個人情報保護が叫ばれる時代に、言いにくいことを言わなくてもいい自由くらい、当然認められなくてはならない。

 近藤さんの言葉には、「不干渉か人づきあい重視か」といった二者択一の考えがどこにもない。言いたくないことは言わなくてもいいけれど、閉じこもらなくてもいいんじゃない?と輪の中に相手の場所をとっておいてあげるような柔軟さを感じる。それはむしろ閉じようとする輪ではなく、扇型に開かれた風通しのいい場所のようなイメージだ。おそらくはいろんな場所でこうした変化が起こっていく。硬直したものから柔軟なありかたへ。異質な誰かを締め出すことから、受け入れていくことへ。その「受け入れ」自体も、一方的なものから双方向的な自由度の高いありかたへ移行していくような気がする。その先端に近藤さんや、各地で場を作り出し、維持してきた人たちがいる。

 小学生から「だんだん」に参加するうちに、ボランティアとして今も関わるようになった眞鍋太隆さんに、近藤さんの存在について尋ねると、「おばあちゃんかな」と言ったあと、次のように語ってくれた。

 

「ちがうかも。おばあちゃんじゃないのよね。遠くもなく近くもなく、絶妙な位置。」

 

そして、テーブルの上に置かれた、自分たちがとりあげられた過去の雑誌の記事を見て、

 

「貧困、貧困うるさいよ」

 

とつぶやいた。

 子ども食堂「だんだん」って結局のところ何なのか、まだ全貌はつかめない。次回は、そこに通っていた若者たちにも話を聞きながら、もう少しこの魅力的な場所について考えてみたい。

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著者略歴

  1. 寺尾 紗穂

    音楽家・文筆家。ライブやCM音楽制作、書評やエッセイの連載など多数。
    最新アルバムは「たよりないもののために」。近刊に『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)、『南洋と私』(中公文庫)。

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