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子どもたちに寄り添う現場で

コロナ禍の寺子屋

 台東区山谷、光照院裏に位置する「こども極楽堂」が、お寺の檀家さんの好意で地域に開放されたスペースとして2017年に生まれかわったことは、光照院住職の吉水岳彦さんにインタビューした第4回「お坊さんが開いた寺子屋」でもふれた。そこでの学習支援や食事支援の現場をとりまとめ、吉水さんに「彼女がいなければ成り立たない」と言わしめるのが、NPO法人「台東区の子育てを支え合うネットワーク(たいとこネット)」代表の石田真理子さんだ。

フードパントリー

 コロナ禍の5月、メールでのやりとりをさせていただいた。その中で、2004年まで、ご主人の海外赴任先のカナダでお子さんたちと暮らされていたこと、帰国後個人指導塾などでアルバイトをしていたが、「今後どう生きるべきか」と考えて立教セカンドステージ大学で学び、経済的困窮のため塾に通えない子どもたちの支援を始めたことなどを伺うことができた。しかし、現在はコロナ禍のため、学習支援も食事支援も休まざるをえず、石田さんも子どもたちに簡単に会えない状況になっていた。

 

「そんな中で3月よりフードパントリー(食品無料配布)の活動を行っております。こういった環境下でSOSが出せる家庭はまだよいのですが、密室の中にこもって子どもたちがどうしているのか、とても心配しています。このコロナで以前からDVの懸念のあった家庭で母子が警察に保護されました。とにかく社会全体がとてもギスギスしています。」

 

 休校中はわが家も、やたらと多い宿題と家庭での時間割まで配られて閉口したり、子どもたちが家にこもるようになって、体力低下を心配したりした。最初の頃は、小さな公園に連れ出してみたりもしたが、思春期にさしかかる上二人は、そもそも「外で遊びたい!」という年でもなくなっており、結局三女と遊びに出ることが多かった。思いきって杉並の自宅から埼玉まで歩く計画に巻き込んだりはしたが、どうしてもパソコンの番組を見たりする時間は増えた。家から出ない日が増え、日々適度な運動となっていただろう通学がなくなったことの大きさを感じた。私自身は5年前に離婚したので、夫婦関係の悪化などは経験せずにすんだが、パートナーで危機意識に差がある場合はそれぞれが大きなストレスを抱えることになるだろうし、非正規労働者をはじめとして多くの人が解雇や休職を求められ、先の見えない不安定な状況になったことで、普段より虐待やDVが増えていくだろうことも想像がついた。 

 子どもたちに会えなくなった石田さんは、それでもぽつぽつと届く支援物資を一軒一軒回って届けているということだった。

 

「子どもたちの家庭に自転車で宅配をしています。そんな時に子どもたちや親御さんと話すようにしています。そうは言ってもこういう時期ですから5,6分程度ですが。また、なるべく子どもたちとLINEなどで連絡を取り合っています。うちに通う子どもたちは比較的真面目な子が多いため、きちんと自宅にこもっています。ただ、ゲームばかりしていて昼夜逆転している子どもも多く(特に男子)、学校が始まっても朝起きられず、不登校が増えるのではと懸念しています。昼夜逆転が原因で親子喧嘩が絶えないという悩みもお母さんから出ています。子どもも子どもなりにストレスを抱え、一生懸命がんばっていると思うので、親御さんにも不安はあってもあまり怒りすぎないよう、お伝えしています。」

 

 本当に頭の下がる活動だが、講演会やライブと違って、子ども食堂のたぐいは活動中止が子どもたちに大きな影響を引き起こしうる。第2回で取り上げた大田区の子ども食堂「だんだん」代表の近藤博子さんも、お弁当を作って配る活動をすでに始めていることをSNSで発信していた。子どもの食を少しでも豊かにしたい、という「子ども食堂」のような支援に関わる人たちの原点にある強い意志は、コロナ禍でも、一層はっきりと貫かれていた。

変わる食事の風景

 休校が解除され、少しずつ学校の授業も再開した6月、たいとこねっとの学習支援も再開したと聞いて、その翌月直接お話を伺いに「こども極楽堂」に向かった。教室には、男性が一人、早く来て勉強している子を見ている。

 

「彼は火曜・水曜のボランティアリーダーさんで任せています。木曜は別の男性が見てくれて、時給制でお願いしています。他の人は私を含めボランティア(無給)です。補助金は学習支援と子ども食堂に対して、台東区から年間150万ほど出ています。主に食材購入に充てています。その他は謝金や大学生ボランティアの交通費などです。今はこういう状況で来てもらえなくなっていますが。」

 

 補助金は台東区独自のもので、週2回以上の学習支援と月2回以上の子ども食堂をしている団体に対して出すもので、毎年更新なので安定して活動していけるという。福祉系のNPOにとって安定した活動のための資金問題は常にある。補助金を受け取る前後に煩雑な書類の提出が必要であるとか、活動の幅が制限され不自由であるという理由から、寄付のみで活動を続ける団体も多い。「たいとこねっと」の場合は、台東区に「学習支援と子ども食堂」のためというぴったりの補助金があったことで、うまくフィットしたと言えるだろうか。それでも膨大な量の資料を石田さんが作っていることに変わりはない。

 

「子ども食堂は月3回やっていました。第二火曜、第三水曜、第四木曜でしたが、木曜は毎週、ワンプレートで学習支援の子たちに夕飯を出してたんです。第四木曜は外部の人(通いではない人)も(食べに)来て。今はすべて外部のお弁当にして、持ち帰ってもらっています。食事ってどうしてもマスクはずして話すし、リスクが高いので。学校はしゃべらないでもくもくと食べろっていうんですけど、それもね。かなしいじゃないですか。家でお母さんたちとしゃべりながら食べたほうが楽しいかなと思って。」

 

 コロナ以降、学校現場では前を向いたまま授業のような形で給食を食べている。見えるとしたら先生の顔だけだ。しばらくは毎日続くことなのに、透明なついたてを用意して立てることくらいできないのだろうかと思う。1年生は特に給食の始まりがこのような形になってしまい、少し心配だ。給食は、友達の顔を見ながら食べるから楽しい。牛乳を飲むときにおかしな顔をしたり、笑わせたりする男子の顔を何十年たっても思いだせる。コロナによって奪われたものはたくさんあり、適応しなければならないことももちろん多いが、もっと工夫というものがあっていいのに、という思いは消えない。

 今は弁当になっているが、民家だったこども極楽堂には1階と2階にキッチンがあり、調理スタッフがそこで調理をしていた。勉強した後「みんなでワイワイ食事」、がたいとこネットの寺子屋だった。

人生における命綱

 

「たいき、今日、鈴木さんは?」

「今日は病院。」

「はーい、わかりました。手しゅっしゅして、お勉強がんばってください。」

 

 石田さんは玄関を背にして座っているのに、やってきた生徒に必ず声をかける。インタビュー中にも、石田さんの耳には玄関の気配が常に意識されていることに驚いた。生徒だけでなく、やってきたボランティアの人にもすぐに気付き、的確に指示を出していく。

 

「学習支援自体はもうすぐ3年です。6年前に別のところで始めていましたが、そこは児相が絡むような問題のある親御さんの家の近くで。子どもが寺子屋に来ていたんですが、万一乗り込まれたら子どもたちを逃がす出口が一つしかない場所では危ない、ということで、以前からつながりのあった浅草寺福祉会館さんに吉水さんをご紹介いただいて、ここに移ってきました。」

 

 吉水さんからも少し聞いていた、精神障害のある親から逆恨みを受けたケースだ。どうしてそんなことに?と思ってしまうが、石田さんはハードなケースにも何度か遭遇している。コロナによる休校期間中も、通いに来ている子の父親のDVが悪化し、母子がシェルターに逃げたケース、非行に走った子どもが捕まったケースがあった。

 

「今来てる子たちはすごくやる気があるので、勉強も自主的にやれるんですが、そうでない子もいます。」

 

 寺子屋に馴染んで継続できる子と、たまにしか来ない子がいる。たまにしか来ない子の中に、心配なケースもある。それでも石田さんとつながっていることはとても大切なことに思える。シェルターに母子で逃げた子とも、連絡は取れなくなったというが、石田さんは再会できることを信じているように見えた。

 

「連絡は取れない。逆に取らない方がいいんです。落ち着いたら向こうから来るだろうと。」

 

 反抗することがあっても、たまにしか顔を出さなくても、非行に走っても、石田さんの活動の意味を一番分かっているのは、多分子どもたちだ。家族でもなく学校の先生でもない、そういう人が時間を割いて自分に関わってくれるということ、自分が訪ねれば受け入れてもらえる場所があるということは、彼らの人生において命綱になりうるのだと思う。

暴力・暴言の中で育たないために

 

「ゆうじマスクやなの? マスクやならフェイスシールドしよう。首がいたい? どしたのそれ? いつ? 来るとき? そりゃ痛いわね、ここ? ひりひりする? なんにもないね。とりあえず、ここの問題やれるだけやってもらって、あんまり痛みがひどかったら言って。」

 

 私は目の前の会話に集中していて気付いていなかったが、ボランティアの先生の言うことにすぐに従わない子に気付き、石田さんがすぐにフォローをいれている。まるで聖徳太子みたいだ。

 

「2月にうちのボランティアの怒り方に、二人の兄弟が「怒られ方が気にくわない」ってことで、親もまじえて大変な騒ぎになったんです。親が「子どもたちが納得しないから殴らせろ、絶対に許さない」と言って。それはここではだめ、言葉で納得いくまで不満を解消しなさい、と言ったけれど、「ここに来なければいいんだろう」と言う。「私はあなたたちに来るななんて言っていない」。すると、「そうでなきゃ(ボランティアの先生を)辞めさせろ」と言うので「彼が辞めてしまったらここは成り立ちません、どうしてもとおっしゃるならここを閉めます」と。3回くらい話し合って、結局ここは上の階があるから、顔を合わせないようにするのはどうかということで。最後、私がいないところでボランティアの先生を「今度何か言ったらただじゃすまないからな」と脅したらしくて。」

 

 学習支援を始めた当初は、こういったケースにドキドキでしたけど、最近はまたか、という感じで図太くなりましたね、と石田さんは笑う。私は、石田さんの話を聞きながら、事前のメールのやりとりで、石田さんが今回のコロナ禍で患者を出した家や、営業を続けようとする店などへ誹謗中傷が発生していることにふれ、「社会全体でこういう暴力・暴言をなくし、人に優しい環境を作っていけたらと思います」と書いていたことを思い出した。その時は、なんとなく読んでしまったが、お話を聞きながら、少しずつその意味を理解できるような気がした。

 小さいころから暴言を聞いて育てば、自らの感情を表す時にそのようにするしかなくなってしまう。おそらくは、殴らせろと凄んだ親自身も、優しく落ち着いた言葉を聞いて育てなかったのではないか。子どもは生まれる親を選べない。石田さんの中には、子どもたちと共にカナダで暮した経験から得た、言葉の教育についての深い思い入れがあった。

 次回は、上のお子さんにアスペルガーという障害がある中で経験したカナダの教育、帰国後に経験した日本の教育、そして児童福祉のあり方について伺っていきたい。

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著者略歴

  1. 寺尾 紗穂

    シンガーソングライター・文筆家。ライブや映画・CM音楽制作、ノンフィクションやエッセイ、書評などの分野で活動。アルバムに『楕円の夢』『たよりないもののために』『わたしの好きなわらべうた』、著書に『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)、『南洋と私』(中公文庫)、『原発労働者』(講談社現代新書)など。

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