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子どもたちに寄り添う現場で

カナダで学んだ「人を傷つけない」教育

シングル家庭への食糧配布

 台東区で「たいとこネット」の寺子屋と子ども食堂の活動を中心で支える石田真理子さんは、月に一度のフードパントリーを開いてもいる。シングルマザーを対象とした食糧配布だ。9月の第四日曜日、参加する機会があった。

 こども極楽堂に着くと、石田さんともう一人のボランティアの女性によって、すでに箱にいく種類もの食糧がふりわけられている。「今日はボランティアが一人これなくなって」ということで、私も一戦力として、参加することになった。こども極楽堂の玄関先にテーブルが3つほど出され、受け取りにきた人は、各自レトルトなどの食糧が入った買い物かごから持参の袋に移していく。テーブルの上には、寄付で集まった菓子折りや調味料などがならび、いくつかの群の中から一種類好きなものをとっていける。子どもと一緒に受け取りにきたあるお母さんは、子どもの希望を聞いてジュースをとり、一人で来たあるお母さんは、ジュースか醤油の一升瓶かしばらく迷った末、醤油をもらっていった。石田さんたちは「あんなに重い醤油、残らないかしら」と心配していたものだったが、日々の消耗品の最たるものである調味料が選ばれるのは分かる気がした。ジュースは4、5回飲めばなくなってしまう。たまの楽しみである嗜好品をとるか、日々不可欠で一カ月以上使える調味料を選ぶか。迷っていたお母さんの真剣なまなざしが印象に残った。 

 

「これうちの子大好きだからさー。」

 

 無邪気な声にふりかえると、配られた加工品の中に入っていたレトルトを見つけたお母さんだった。食糧だけでなく、わずかだが寄付の靴下などもあった。その中に「野球用ソックス」を見つけて、「え、これいいの?うれしい」ともらっていくお母さんもいる。お子さんが部活でやっているのだろう。日々の出費は食費だけではない。

 石田さんが「どんなものがあったらうれしい?」ともらいにきたお母さんたちに聞いている。

 

「ふりかけかな。ごはんだけ炊いておいたら、とりあえず食べられるもの。火とか使わせるのはまだちょっと…。」

 

 ダブルワークをしている人もいるかもしれない。時間と労働におわれる日々の中で、十分な食事の用意ができない日もあるのだろう。しかし、私には意外だった。ふりかけは100~200円で買えるものだ。その小さな出費でさえ、小さくないと感じられる経済状況なのかもしれない。時間的にも経済的にも余裕のない中での子育て。子ども食堂の存在意義をあらためて感じさせられるような言葉だった。

 石田さんによれば、コロナの影響が出始めてから、フードパントリーの希望者は1.5倍に増えた。相談に来て泣き出してしまうお母さんもいる。女性の自殺率が跳ね上がっているのが、簡単にきられてしまう非正規やパートの多さに由来することは容易に想像がつく。     

 音楽家である私は、コロナ禍の中、配信ライブが増えた。いまや形態はさまざまだが、手弁当で自分たちで配信する方法も見つけることができ、それが一番お金が残るやり方だということも分かった。

 そういうことが分かる以前、そもそもは少し大きな会場で6月に企画していたライブのチケット発券を、制作会社を通して会社Eに任せていた。しかし、この振り込み自体が二カ月も遅れた。この会社E側がするべき、払い戻し手数料などを含めた計算が、「コロナ」によって遅れたため、全体の収支が二カ月も出せなかったのだ。人員削減、あるいはシフト削減があったのだろうと思った。

 収入が減る、あっけなく職を失う。自分はたまたま二足のわらじを履いていて、配信もミニマムに一緒に動ける仲間がいて、利益を出せる道を模索できたため、大きな打撃を免れている。けれど、派遣や非正規で働いていて、あっけなく職を失う立場だったら、3人の子を抱えてどうなったのだろう。コロナになってから、いくつか親子心中かと思われるようなニュースを見かけた。人ごとではない。

子どもの成長にそったカナダの教育

 食糧配布、学習支援、子ども食堂と多様な貧困家庭支援に関わる石田さんは、カナダで暮らした経験がある。そこで石田さんが驚いたのは、他人を傷つけることを小さいころから厳しく禁じる徹底した教育だった。人を傷つけない。とてもシンプルな約束は、虐待やいじめに限らず、社会の様々な問題とつながっているのだろうか。

 カナダで小学校に上がった上のお子さんにアスペルガー症候群の障害があったが、日本では考えられないような手厚い体制に石田さんは驚く。

 

「現地の公立小学校ではすぐに彼の教育に関するチーム(教師、心理療法士、教育委員会関係者など10人くらいのメンバー)ができ、TA(ティーチング・アシスタント)がつきました。2000年当時、日本ではまだほとんど発達障害というものが知られておらず、親の育て方が悪いと言われていた時代でした。中学はスペシャルニーズのクラスに移りましたが、スクールバス(バスで30分くらいの学校)で送り迎えをしてくれたり、3人に1人先生がつくという素晴らしい環境でした。」

 

 根底には、その子にあった成長課題を見極め、見守るという姿勢があった。

 

「まず全然英語が分からないから、よけいに席に座っていられない。座っててくれたら、マンガもゲームもOKだから、座っててくれればいいから、と言われた。彼の教育チームは、1学期のゴール(目標)を考えて作り、1学期が終わるとその目標に対してどこまで進められたかということを集まって考えていくんです。」

 

 一緒にいてくれたらマンガもゲームもOK。周囲に合わせることを第一にする日本の教育現場との違いに驚かされる。別室や保健室でマンガやゲームを見させるというのではない。同じ教室で、というところに意味があるのではないだろうか。それを他の生徒も受け入れる。彼はそのように時間を使うことでやっとこの場所にいられるのだと理解する。排除は必要ないと肌感覚で知る。みな少し気にしつつも、自分のことをやる。ある人々はこのように生きる、でも一方ではまったく違った生を生きる人がいる。社会とはそもそもそのようなものだ。

画一性を求める日本の教育空間

 しかし、画一性を求める空間では、騒いだり席を立ってしまう発達障害の子どもたちは「迷惑な存在」となる。それはまず教師の態度や叱責に現れ、その見方はその他の生徒たちにうつってしまう。

 この問題は、私が発達障害をもつクラスメイトに対する娘たちの言葉を聞く中でひしひしと感じていたことだった。「むかつく先生」に思いきり反抗したりする発達障害の子もいたりして、それを痛快に感じる場面もあるようだったが、娘たちの話からは、基本的に「彼らはクラスから迷惑に思われている」ということを感じざるをえなかった。彼らは先生を困らせ、授業を遅らせる存在、として認識されてしまっている。このような事態が、画一性を求める空間で起きてくるのは残念ながら必然だろう。

 三女のクラスは、学期の途中で担任が変わったことがあった。若い女性の先生が産休に入ったのだ。代わりに退職した女性の先生が学外からきて非常勤として担任になった。この変化は発達障害をもつクラスメイトの女の子には、非常に悪く影響した。なんとか言うことを聞かせようとし、命令口調の年配の先生に、彼女は次々に反抗した。窓から色々なものを投げ捨てたという。自分が理解されない、受け入れられていないという彼女の悲しみと怒りがそのような形で噴出したのだと思った。人手が足りないことは予想がついたが、せめてその子についての最低限の情報共有や大切にしなければならない方針というものが引き継ぎされなかったものか、と思う。教師とその子との関係性が、その子とクラスメイトとの関係性までも次第に規定していってしまうとしたら、恐ろしいことだと思う。

 石田さんによれば、カナダでは成績の良い子は学年をスキップしていくため、教師としては成績のいい子が多いことよりも、成績の悪い子が少ないことが評価されていたという。

 

「先生たちは、とても成績の悪い子どもに対していかにフォローしていくか、が重要となります。移民で英語のしゃべれない子どもたちもテストの対象となりますので、入学した直後から毎日午前中はESL(英語を母国語としない家庭の子どものための授業)がありました。」

 

 日本にも、大きな工場などがあることを背景に、移民が多く暮らす街がぽつぽつと点在する。そうした街の学校で、「国際教室」と呼ばれる、日本語を母語としない外国人生徒を対象とした日本語や補習指導の取り組みが始まっている。私が大学生だった2000年代前半ごろは、こうしたケアはほぼ民間NPOが担っており、常に不足している、と愛知の日系ブラジル人の事例を授業で習ったのを覚えている。やがて文科省も、日本語教育の必要な外国人児童の増加に注目し、「国際教室」設置を呼び掛け、教員配置にもいくらか予算をとるようになった。これにより2000年代後半より各地で「国際教室」が生まれてきているが、国が国内の移民やその子どもたちの存在を認識して施策を出すまでには、長い時間がかかったといえるだろう。

カナダの「人を傷つけない」教育

 石田さんは当初、カナダの「他者を傷つけない」教育に面食らうこともあったという。

 

「ある日、息子のリュックをあけたら「お友達ヤスにYour mother is fatと言ってしまいました。もう二度と言いません」と書いたものが出てきて。先生にそう言っていたのを見られて反省文を書かされたそうです。」

 

 とっさに「お前のかーちゃんでーべそ」というからかい文句が頭に浮かぶ。私が長女を生んだ助産院で、一緒に通っていたもともとふっくらしていた妊婦さんが体重制限を超えてしまい、「そんなに太ったら中身の少ない肉まんと同じなのよ」と怒られたという話も思い出す。相手のことをいじるとき、そこにはどこかおかしみがあることに気づく。

 

「お笑いもですよね。ぴしって叩いたり」

 

と石田さんは指摘する。お笑いからそういった要素を完全に排除するというのは極端な話になってしまうだろうが、いじめの言い訳の多くに「からかっているだけだった」「あいつも笑っていた」といった感覚がひそんでおり、そこに攻撃的なお笑いの影響や、やりすぎではないかと思われるバラエティ番組の影響があるだろうことは想像にかたくない。神戸市での教職員間のいじめという低劣な事件の中で撮影された動画もそんな軽い気持ちで記録されたのだろう。

 石田さんは、カナダの校長先生から「あなたの息子たちはスノーボールを作って投げていた。石を入れるかもしれない。なんで危険なことさせるの?」と言われたという。日本人の感覚からすると、雪をぶつけられることにさほど危険性を感じないのが正直なところだが、カナダの他人に危害を加えないというポリシーはそこまで徹底されているのだ。

 

「最初はなんでそんなことまで言われるんだろうと思ってたんですけど、それに慣れてみると、日本に帰ってきたときに日本の子どもたちの乱暴さや言葉の悪さに、私も子どもも傷つきました。吃音のある子どもをもった日本の友達と話していたとき、「息子が“身障”って呼ばれてる」って。」

 

 「身障」、と娘たちが言うのを聞いたことがある。クラスで普通に使われているのだろう。4月に引っ越した学校では、そんなことも背景にあるのか「あだな禁止」で、「名字+さん」づけに決められていた。何かが違う気がしながらも、先生にとってはそれが一番楽なのかもしれない。本当は、問題のある「あだな」が出てきてしまったときや、相手のいやがる「あだな」をいかに作らせないか、が教育者の腕の見せ所という気がするのだが、そのように力のある先生はどれほどいるのだろうか。かくいう自分でさえ、娘たちが「身障」と笑って発音したときに、どれだけ真剣に諭すことができただろう。思い出してもふがいない。子どもが、自分が名付けた名前で呼ばれない、愉快なあだなならともかく、本人も苦しんでいるとしたら。その子の親の痛みはどれほどだろう。

暴力が許される風土を洗い出す

 言葉の暴力と身体の暴力。まったく違うもののようにも思えるが、その距離はおそらくとても近い。言葉の暴力がある場所に身体の暴力も生まれやすく、二者に明らかな力関係の差があればなおさらだ。石田さんは、問題のある家庭とも関わってきた経験から虐待の問題について言及する。

 

「東京都が2019年、虐待防止の条例(「東京都子供への虐待の防止等に関する条例」2019年4月施行)を出して体罰や暴言を禁じた。それを日本女子大の先生が、虐待についてのシンポジウムをやって、その条例の内容を幼稚園や保育園の先生たちが保護者にどう伝えるのかというテーマがあったんですけど、幼稚園の理事長の男性なんか「叩かないでどうやってしつけるんだ」と。女性たちはどうやってそれを遵守するのかということを話し合おうとするんですが、男性は「一体どうやるのかわかりませんよ」と言ったり。まだまだこの条例が浸透するまでには時間がかかるなと痛感しました。」

 

 50代の知り合いと話すと、殴り合いのケンカなんかしょっちゅうで、クラスで先生と一番反抗的な生徒が殴り合いになったのをクラス全員が見守ったという経験もあったという。しかし時代は変わった。常識も教育も変わっていく。繊細な子が増えたという。いい子も増えたという。別の問題もまた日々生まれている。「昔はひどかった」のか「ひ弱な人間が増えた」のか。どっちの立場から眺めるかで、論調は変わる。けれど、バランス感覚を働かして判断していくとしたら、やはり今起きている悲しい事件や俗悪な出来事の根っこを見つめなければならないはずだ。

 

「しつけは大事だけれど、自分の気分次第で殴っていいわけではない。それはただの暴力だということを親に教育しなければいけないです。男女のDVもそうですけど、小さい時から暴力はだめだ、ということを学校教育の中で伝えてほしい。どんな理由があっても。」

 

 調べてみると、親更生プログラムというのが存在する。市町村、児相、医療機関、民間団体などで受けられるようだが、ここに通えている親はごく一部のようだ。

 

「日本の風土の中に、子どもは親のものという意識があって、よその家庭のしつけに首を突っ込んではいけないという意識もあります。親の権利が強すぎるため、行政も民間もなかなか子どもを救うことが難しいです。日本は子どもの権利がないようなものです。」

 

 子どもの権利を起点に考えれば、虐待してしまう親にプログラムを受けさせることも、保護の必要な子どもを親と引き離すことも、今よりも簡単にできるようになるのだろう。いまだ、そうではないということだ。

 時にハードな家庭とも対峙しながら、石田さんは子どもたちとの出会いを楽しんでいる。

 

「勉強嫌いだから高校行かないで働くって言ってた子がいたんですね。偉いね、高校行かないで働くと時給がすごく安くなるけどいいの?って。生涯賃金も大学行くと1億だけど、中卒だと6、7千万だよって言ったら、そんなのやだ、そんなら高校くらい行くかなって。」

 

 そんな感じの子も勉強し始めてだんだん成績が上がっていくと、性格が明るくなっていったという。

 

「勉強がすべてではないけど、勉強ができるようになると自信がつくんですよね。明るく頑張れるようになると、人間って変わるんだなと。彼女たちから私が学んだこと。私が自信をもらった。みんなが思い通りに成績ががんがんはあがらないけど、変わってく子どもの姿を見ると、出会ってくれてありがとうと思います。」

 

 子どもたちの勉強をみる。まさに縁の下から子どもたちを支える仕事だ。ボランティアと共に、無給の石田さんが担う。けれど、その活動の重要さを思う。自分はダメだ、変われない。そんな無気力や思い込み、投げやりな状態から、人が変わるということ。一人の人間の人生の方向性を大きく変えうるということ。公教育からあぶれそうになる子どもたちを支えて育てる教育が、石田さんの寺子屋で、全国の学習支援ボランティアの現場で行われている。

 石田さんが、「カナダは塾に行く必要もなく、学校だけで学力がつくようになっている」と言うように、本来なら、ここまでを公教育でカバーできることが最善だ。子ども食堂「だんだん」の近藤博子さんが、「子ども食堂がいらない未来」を望むように、石田さんをはじめとする各地の学習支援を担う人々に敬意と共感を抱きながらも、同時に「公教育の未来」を求めていかなければならないのだろうと思う。

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著者略歴

  1. 寺尾 紗穂

    シンガーソングライター・文筆家。ライブや映画・CM音楽制作、ノンフィクションやエッセイ、書評などの分野で活動。アルバムに『楕円の夢』『たよりないもののために』『わたしの好きなわらべうた』、著書に『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)、『南洋と私』(中公文庫)、『原発労働者』(講談社現代新書)など。

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