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子どもたちに寄り添う現場で

八百屋さんが開いた子ども食堂(2)

「だんだん」でボランティアする大学生

 「19歳、大学1年です。小学4年生の頃から(「だんだん」に)来てます。最初は勉強を教えてもらいに。親がチラシかなんかみて、無料で教えてもらえるからここに行きなさい、って。」

 こども食堂「だんだん」の前身であった寺子屋にかつて通い、「だんだん」の活動に今も関わり続ける眞鍋太隆さん(以下、太隆)と会うのは、初めてではなかった。前回ふれた「おとな図鑑」の講師として呼ばれたとき、太隆は高校生と一緒に司会を務めるなど当日のスタッフとして関わっていたからだ
 人懐こそうな雰囲気はそのときから感じていたけれど、参加者に「大きな夢、小さな夢」を語ってもらったとき、「精神保健福祉士になりたい」とはっきり表明したのが太隆だった。それを聞いて、子ども食堂に集った子どもたちにとって、「だんだん」という場所がどうやらとても特別な影響を与えているのかもしれない、という印象を受けたのだった。太隆は精神障害者を社会復帰させる仕事に興味をもち、福祉系の大学の「人間福祉学科」に進んだ。

「でも児童福祉に進むか、地域福祉に進むかで迷っている。児童への興味のほうが今は強くて。だから、子ども食堂って(勉強になるから)助かる。将来は、児童相談所とかで働いて、大人がどうしてこういう(虐待などの)行動をとるのか考えてみたい。」

 なぜ虐待するのか。素朴な疑問だが、ここを見つめることは、社会の仕組みや欠陥を凝視することにもなる。問題は加害者となる親だけではない。
 児童相談所で働く知人に話を聞いたことがあるが、彼女の中には同僚たちの仕事のやり方に大きな不満があるように見えた。変えたくてもすぐには変えられない慣習や制度、仕事が多すぎる現状、事件が起きれば「対応に問題があったのでは」と集中する批判。
 児童虐待による恐ろしい事件は、さまざまな立場の人間の判断や、状況が絡まりあって起きる。各人はそれぞれの場所で精一杯であることが多い。子どもを保護する場所としては、児童相談所だけでなく一時保護所という場所もある。そして児童養護施設もある。どこも実態はほとんど知られておらず、問題が潜んでいるケースもあるが、あまり公になることはない。
 太隆は高校生になってから、「ボランティアしようかなと思って」、一時間だけ手伝ったり、ご飯だけ食べに来たりという、関わりを継続的に持ってきた。

「高2は忙しくて、木曜日の途中で来て、ご飯食べると、カネもってないから「出世払い」って言われて。そのつけが今たまってて(笑)。高3のとき、友達を4人よんで、大学生も2人よんで。月に3回子ども食堂は、大学生5人くらい俺らと同じ年代が来て必ずそろう。」

 食堂に来る子どもたちと関わるなかで、子どもをとりまく問題への興味が生まれていったのかもしれない。太隆にはまわりを巻き込んでいく吸引力がある。集まってきた学生たちの中で、太隆にとってとりわけ大事な4人組もできた。

「4人だけの居場所にもなったし、ボランティアにもなってるから、都合のいい場所。素直でいられる場所。大人ともいられる場所。貴重な場所。」

 太隆によれば、この仲間とは今も近所の公園に集まって、寒くても話をする間柄なのだという。

「話す場所考えると、マックだと怒られるし、サイゼ(リヤ)だとカネ使うし、ゲーセン行くとカネ無駄だし。」

 仲間と話せる場所を探す。若い彼が、その場の雰囲気を楽しむというよりは、向き合って話すことで精神的な結びつきを求める姿が印象的だ。今時の子はラインでつながって、それほど実際に会わないのかもしれないとも思っていたが、実際に会うことになるのはやはり「だんだん」があるからだという。

子どもと大人のあいだに立って
 太隆は大学の友達についても思うところがあった。周囲に合わせられない友人たちは「ハブかれ」るという。

「人間福祉学科って幸せ考えることが仕事じゃん。そこでスクールカースト的なことが起こってるのがおかしいし。人間ってこんなに育たないものなの?って。「だんだん」来ると自分は子どもだと思うけど、あんなにダサくはなりたくないなと。自分の居場所、誇れる仲間がいるから。」

 太隆は、「だんだん」を居場所と言い切る。将来、彼がこういう場所を作る可能性もあるのだろうか。

「経営するのは大変だと思う。だけど、ありえるとしたら、4人とか6人とかでやると思う。」

 関わってくれる仲間が多いことはとても大切だ。けれど、腰を据えて軸となる人間が一人いることがおそらく一番大切で、もしかしたら太隆はそういう役割も果たせるのかもしれない、と思う。
 「だんだん」の店主である近藤さんによると、太隆の成長を見にきた小学校の先生は驚いていたという。太隆によれば、「小3から4年間不真面目だったけど、結構更生された。超うざい先生だった。やる気なかったし」という過去のことだ。教師にはむかう「問題児」だったのかもしれない。小4から通った「だんだん」が、彼の居場所になったことの意味は大きそうだ。太隆の目に今の子どもたちはどのように映っているのだろう。

「大人っぽい子どもが多い。馬鹿騒ぎできる場所がない。あと親(が)厳しいってのもあるし。おれのとこも厳しかったけどそんなの関係なかったから。今の中学生は勉強したいかゲームしたいか(で)二つにわかれる。外で遊んでる子はあんまりみたことない。公園だとゲームやってる。家でやれよって思う。(大人は)子ども大事っていうけど、実際子どもに何できてるの?って。子どもが一番何を欲しいかわかってるのかなって。それがずれてたら知ったかぶりだと思うし。」

 年下の彼らへの違和感も、社会が勝手に作っていく子ども像への違和感もまた、もっと子どものことを知りたい、考えたいという気持ちにつながっているのかもしれない。

障害を抱えて働く
 この日、太隆のほかに来てもらっていた社会人が「たかちゃん」だ。                          

「えっと、篠原孝俊です。18です。小学校は太隆と同じですね。同じ学年。企業で働いてます。事務作業ですね。週末は疲れます。30種類ありますね。」

 孝俊さん(以下、たかちゃん)は、ものすごい早口だ。聞き取れないことも多く、ゆっくり言い直してもらって、意味を理解する。「30種類」というのは、仕事の種類の数で、たかちゃんは障害者枠で事務の仕事をしている。おそらく、たかちゃんにわかりやすいように、タスクが一覧となって伝えられているのだろう。

「発達障害なんです。幼少期は言葉がうまく出なかったり、詳細はわかってないです。持病もあってあとは。薬飲んで、過ごしていたんです。てんかんです。高校も障害者の学校でした。小学校はそういうクラスでした。発作が出たときは数年前です。」

 高校は受験して、職能開発科というクラスに入った。たかちゃんは、学級委員をやるクラスのまとめ役だった。「だんだん」とのつながりは、小学校のときの副校長先生が八百屋時代の「だんだん」で卵を買っており、「だんだん」の寺子屋のことをたかちゃんのお母さんに伝えたことから始まった。

「5年生くらいのときです。人見知りすごかったので(誰とも)話さなかったです。数ヶ月くらい話さなかった。学校では話してました。「だんだん」で緊張してました。」

 近藤さんにとっては、知りあってしばらく何も話さなかった子が、きちんと就職をしたことは大きな喜びだった。母子家庭でお母さんにも持病があるなか、たかちゃんの成長は本当に大きな意味があっただろう。

「だんだん」は第二の家
 掃除は得意、料理は手順が書いてあればできるというたかちゃんの一番得意なことは、ゲームだということを近藤さんから聞いていた。インタビューの途中、「一戦しませんか」と対戦を申し込まれた。

「普通の学校に行っていれば、健常者とおなじくらい勉強の力はあります。理解はできてる。ただ障害者の学校だと、分数すら(きちんと学ぶことが)できません。小学校のときは(特別学級としてクラスが分かれるので)普通の授業は出てなかったです。障害者の中では頭がいいって感じです。ゲームに関しては、天才と言われてます。」

 屈託のないたかちゃんの自信を面白く思いながら、カードを動かしはじめるが、なかなかかなわない。発話に特に問題があるたかちゃんだが、もう少し難しい内容も学んで理解することができたのかもしれない。しかし障害クラスとひとくくりにされることで、レベルの低い段階で教育が終わってしまうこともあるのかもしれないと考えさせられる。

「会社ではコピー機の点検です。紙が足りているかとか。毎日する業務なので、数多いです。定時で残業はないです。高校1年生のときにインターンで会社に行った。中学校ときも行ったんですが、そのときは何も感じなかったけど、高校のときに自分にあってると思いました。会社の人たちもいい人たちなので。」

 たかちゃんは今も、「だんだん」の子ども食堂がある日は、会社帰りにボランティアに来ている。たかちゃんの役割はウェイター。近藤さんによれば、ほかのメンバーが見落としてしまうようなところも、たかちゃんはよく気がついて対応できるということだ。ムードメーカー的な太隆と違う形で、たかちゃんも「だんだん」の一部を担っている。
 ゲームの手をすばやく動かしながら、たかちゃんの話は続く。

「いろんな自分がいるんです。ご飯食べたいのに食べたくない自分もいるって感じです。(お腹が)減ってても食べたくないというときもあります。常に反対の自分がいて、出かけるつもりでいたけど出かけたくなくなっちゃったり。人との約束はいきますけど。」

 急に気分がのらなくなってやめてしまうことは、私も確かにあるけれど、それをあえて持ち出すたかちゃんには、もう少し激しい形での葛藤があるのだろうか。それでも、たかちゃんの心には、明るいものがつまっている感じがする。

「スマホゲームやっていて、オンラインゲームでチャットで急にいなくなられたりすると。連絡とれなくて。それで落ち込みます。もっと話したかった。その人とはゲームで仲良くなってた。気持ちを切り替えるというか、その人の思いを背負っていく感じですね。落ち込んだりするんですけど、何やってる自分という感じになって(気をとりなおして)。」

 「その人の思いを背負っていく」とは、一体どれだけのめり込んでしまうゲームなのかと気になるところだが、とにかくネット上の人間関係にふつうに一喜一憂するたかちゃんは、今どきの若い子なのだなと気づかされる。

「自分は絵もうまくて、アンパンマンとバイキンマンとうまいです。バイキンマンは釣り目で。」

 そう言ってたかちゃんは、丁寧にノートにアンパンマンとバイキンマンを書いてくれた。そのアンパンマンの顔がコンパスで描いたみたいにまんまるで、すごいなあと思う。こういうところはいきなり小学生みたいでもあって、急に和む。

「「だんだん」に来る支援の方たちも話を聞いてくれたり、相談すると聞いてくれたりしてて、人徳ってあると思います。「だんだん」は第二の家って感じです。」

 最初、たかちゃんの自信過剰かと面白く聞いていたけれど、「人徳」を「人の運」とか「良縁」という意味で使っているのだなとわかった。
 たかちゃんが「だんだん」でいろんな人とのゲームを通して自信をつけ、最初はまったく話さなかったのに、「クリスマス会やりましょう」と提案してくれるほどになった、と話していた近藤さんの嬉しそうな顔を思い出した。
 病気がちのお母さんがいるために、夏休みなどの長期休暇中は、近藤さんが毎日海の家のように「だんだん」を開けて、たかちゃんといろんなことをして日々を過ごしたという。たかちゃんが「第二の家」というのは誇張でもなんでもなく、本当にそんな場所になっていったのだろうと思った。

多様な人が集う居場所
 「居場所」という言葉が広がって、「場づくり」の重要性があちこちで聞かれるようになった。それでも一番肝心なのはそこで、どっしりと柱のように居続ける人であり、その人がいるからこそ、いろんな人々がそこに集まり、寄りかかることができるのだ、と感じる。
 子どもたちが家ではない場所に集い、子どもでなくなったあとも、その場所に関わり続ける理由はなんだろう。なじみのメンバーと顔を合わせて会話し、新しい子どもに少し気をかけながら、一緒に食事をする。かつての自分を重ねながら、その輪を少しずつ広げたり、「だんだん」という場所の形を少しずつ変えながら。
 もう一度ふりかえるならば、こども食堂を次々と取り上げるメディアに向けられた「貧困、貧困うるさいよ」という太隆の言葉は、一人一人の経験や状況をひとまずおいて、そこに多様な背景の人々が集うことの重要性を彼が体感してきたからこその言葉だろう。それは近藤さんが大事にしてきた姿勢であり、気にかけつつ見守り続けるというあり方とも響き合っている。

 

 もう夕飯の時間になっていたので、「だんだん」から近い中華料理のお店に、たかちゃんと二人で食べに行った。

「どんな人が来るのかなと思っていて、意外な人でした。もっとおばさんだと思ってました。話をききにきたのは。」

と相変わらずたたみかけるような早口で言われて笑う。中華を食べながら、たかちゃんがお母さんと韓国に行ったときの話を聞いた。

「お父さんは韓国の人でした。」

 唐突にたかちゃんが言った。けれど、お父さんに会いにいったわけではなかったのだという。それでも、韓国旅行はたかちゃんの中でいい思い出になっている。それ以上何をきくこともなかったけれど、最後にたかちゃんがぽつりと、でも早口で言った。

「また行きたいですね、韓国は。」

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著者略歴

  1. 寺尾 紗穂

    シンガーソングライター・文筆家。ライブや映画・CM音楽制作、ノンフィクションやエッセイ、書評などの分野で活動。アルバムに『楕円の夢』『たよりないもののために』『わたしの好きなわらべうた』、著書に『彗星の孤独』(スタンド・ブックス)、『南洋と私』(中公文庫)、『原発労働者』(講談社現代新書)など。

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