ジェンダーを学ぶ(嶺崎寛子)
私たちを惹きつけて止まない奥深い地域・中東。その学びには、どのような楽しさ、難しさがあるのでしょうか。
『中東を学ぶ人のために』(世界思想社、2024年6月刊)を執筆した研究者たちによるイベント「中東を学ぶ――研究者が語る経験と魅力」が、2024年10月23日にオンラインで開催されました。
編者の末近浩太さん・松尾昌樹さんによる司会のもと、4人の執筆者に中東研究の魅力を各章のテーマと絡めて紹介していただきました。イベントの内容を5回に分けてレポートします。
イベント第2部の登壇者は、「ジェンダー」の章を執筆した嶺崎寛子さんです。
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◆ジェンダーを学ぶ
(嶺崎寛子/成蹊大学文学部教授)
私は文化人類学の方法論で、エジプトなどの中東やムスリム(イスラーム教徒)について、ジェンダーの視座から研究しています。「主体的な女性であり、かつムスリムであるということは、当事者にとってどういうことか」をずっと追いかけてきました。「当事者にとって」というのが大事であると思っています。
文化人類学という学問は現地の言語や習慣を学んで、現地の人たちと暮らしをともにしながら情報を収集していく学問です。私はその方法論のもとに、エジプトに暮らすのがすごく楽しくて、おもしろすぎて、それで現在に至ります。
ジェンダーを研究するにあたって、第二派フェミニズムの金言である「個人的なことは政治的である」というのは、本当にその通りだなとしみじみ思います。私を中東につないだのは何かというと、高校生の時に父子家庭になったことです。妹の世話をしながら「なんで私がしなきゃいけないんだろう」と思っていました。
当時は90年代で、家事は女性に任せるのが当たり前という雰囲気でした。「なぜ私は家政婦のような役割を担っているのだろう。受験勉強も思うようにできないのに、なぜ当然のようにみんなそれをスルーするのだろう」という違和感がありました。当時はヤングケアラーという言葉もなく、私が抱える問題の本質は見えていませんでした。
同じ頃、高校の世界史の先生がすごくいい先生で、受験生のために補講までしてくれていました。しかし、イスラーム史については全然触れてくれず、なぜイスラーム史をやらないのかと尋ねると、「指導用に参考になるものが全然ないから、イスラームについては自信がなくて教えられない。やりたかったら自分で勉強して」と言って、大学でアラビア語が勉強できるところを教えてくれました。
その時すでに、ムスリム女性は迫害され、抑圧されていて、ヴェールをかぶらされていて、ひどい目にあっているという言説は、耳に入っていました。だから「あれ?」と思いました。「イスラーム史の指導本さえないような段階なのに、どうして私たちは、ムスリム女性がかわいそうということだけ知っているんだろう? これは本当なのかな? 現地のリアルな様子はどうなってるんだろう?」と思ったのが、元々のきっかけだった気がします。
中東研究の魅力と面白さ
カイロの地下鉄で子どもを抱っこする女性
(筆者撮影)
これはカイロの地下鉄のエスカレーターの写真です。日本人は、こういう感じで抱っこしませんよね。子どものことを、肩にのっけて抱っこする。こういう身体所作の違いも、すごくおもしろいポイントです。「女性らしい振る舞い」といっても、ジェンダー規範というのは地域によってさまざまな違いがあり、現地に行けば行っただけ毎回発見があります。
中東研究の魅力とおもしろさは、予想を常に裏切ってくるところだと思います。乱雑だしパワフルだし、なんでもありなんですけれど、そのなんでもありを楽しめると、本当になんでもおもしろいです。
また、アラビア語は汎用性が高い言語です。イエメンに行っても、ヨルダンに行っても、スーダンに行っても、アラビア語で調査ができてしまう。私は在日パキスタン人の調査もしていますが、パキスタン人の話すウルドゥー語には、アラビア語からの借用語がかなりあります。ウルドゥー語をちゃんと学ばない段階でも、テーマや話題の流れぐらいはアラビア語を知っていればけっこうわかるもので、びっくりしました。
そして中東は、文化人類学者が異文化にどっぷり浸かって暮らすには最適の地域です。コミュニケーションの距離感が近いというのもありますし、親日家が多いので、調査をする時にそれほど困難を感じませんでした。イスラームについて調査をしていたのですが、イスラームを学びたいという人に対してすごく親切な地域だと思います。
イエメンの風景(筆者撮影)
ただ最近は治安が悪くなってきて、調査ができる地域がどんどん減っています。上の写真は2000年に調査していた時のイエメンの風景です。イエメンは「緑のアラビア」と呼ばれる非常にきれいな場所です。イエメンやスーダン、シリアなど、当時行けたところがどんどん行けなくなっていることにもどかしさを感じています。今のガザの状況もそうですが、平和であるということは本当になによりも大事なのだと思います。
エジプトのキッチンと食事風景(筆者撮影)
上の写真1枚目は、湾岸の国に出稼ぎに行っていた方が夏休みにエジプトに帰ってきて、お母さんのためにご飯を作っている様子で、2枚目の写真はお昼ご飯をみんなで食べている様子です。エジプトは5つ口のコンロが普通で、日本に帰ってきて2口コンロに「なんでこんな少ないんだろう」と思ってしまいました。
ジェンダーを学ぶこと
ジェンダーというのは学際的な学問です。ジェンダー史学やジェンダー法学などいろいろありますが、方法論は持ち寄りです。ジェンダーをやりたい人が、たとえば歴史学の素養があったらジェンダー史学をやるわけで、法学を身につけていたらジェンダー法学となります。私のように文化人類学を学んでいればジェンダー人類学という形になります。ですからジェンダーという学問は、ジェンダー理論/学は共通していますが、それだけ勉強していてもダメで、どの方法論を使うかが大切になってきます。方法論は必ず身につけないといけません。
そもそも女性学やジェンダー学は後発の学問です。アメリカでは女性学の講座が広がって、多くの大学で女性学のポストができましたが、日本は現在そういう状態にはなっていません。女性学やジェンダー学で就けるポストは、今もとても少ないです。
そういう意味では、実際には、文化人類学のようなディシプリンか、中東などの地域における専門家になるしかありません。ですからディシプリンの専門家としても、地域の専門家としても、両方きちんと磨かないといけませんし、もちろんジェンダー理論/学も身につけなければいけません。学際的な学問というのは、2つにまたがる分野であれば、2つの学問を究める必要があります。
そして、女性や性的マイノリティ、LGBTQといったものを扱っていたら、それはすなわちジェンダー研究かというと、これには勇気がいりますが、そうではないとお伝えします。ジェンダーに興味がない人たちのことを巻き込んでジェンダー主流化(ジェンダー・メインストリーミング)をしていこうという戦略がありましたが、これは諸刃の剣です。というのは、ジェンダー主流化をする時に、興味関心がない人、とりあえずジェンダーって言っとけばいいという人まで入ってくると、議論の量は増えますが、質的に不十分な論文が増えてしまう危険性があります。
これから研究を志し、ジェンダーを扱いたいという人には、きちんとジェンダー理論/学を身につけることをおすすめします。ジュディス・バトラーやガヤトリ・C・スピヴァク、ゲイル・ルービンなど、ぜひ読んでいただきたい綺羅星のような理論家たちの論文がたくさんあります。
中東のジェンダー研究
では、中東のジェンダーを学ぶとは結局のところどういうことなのか? これには、「地域の専門知識」×「ジェンダー理論/学の知識」×「ディシプリン」という、3つのことが最低限は必要で、これで初めて中東のジェンダーになると思います。
私の場合はエジプトという地域に対する知識やアラビア語の知識などと、ジェンダー理論/学についての知識と、文化人類学の調査方法や方法論、理論の流れ、これらを全部把握しておくことが必要になります。この組合せは人それぞれで、この部分にオリジナリティが出てきます。そして、それは1人の先生について学ぶだけでは全然足りないため、複数の師匠の教えを受けて、その方法論を寄せ集め、自分の新しいオリジナリティを作ることになります。
そして中東のジェンダーを学ぶ際には、各論を丁寧に見ていくことが必須です。質的研究というのは文化人類学の得意分野であり、実際に一緒に暮らしてみることで彼女たちのものの見方がわかっていきます。何に悔しがって、何を喜ぶ、何がうれしいのか、一番メインの年中行事は何か、婚約・結婚の時にどんなことを話して、どんなことを思うのか。そういうのがすごくおもしろく、とても興味が尽きないものです。
しかし各論だけでは不十分です。そのビビッドでおもしろい内容を、より大きな社会構造や歴史的な文脈の中に位置づける必要があります。そしてさらには、それを中東や第三世界に関心が薄い日本のジェンダー研究にフィードバックして、日本のジェンダー研究をも揺るがす研究が将来現れたらうれしいです。
『中東を学ぶ人のために』では主に総論を論じていますが、私の各論、つまり人々のリアルを伝えるビビットな本としては『イスラーム復興とジェンダー』(昭和堂、2015年)という本があります。エジプトの女性たちの様々なイスラーム法の利用を書きました。絶版のため入手は難しいですが、図書館などにはあるはずですので、ご興味がある方には各論の例としてぜひ見ていただきたいです。
嶺崎寛子『イスラーム復興とジェンダー
――現代エジプト社会を生きる女性たち』
(昭和堂、2015年、第10回女性史学賞・第43回澁澤賞受賞)
宗教についての関心は、今の日本のジェンダー研究においてはとても低いものになっています。『現代思想』の2020年3月臨時増刊号「総特集=フェミニズムの現在」(青土社、2020年)は、タイトルのとおりまさに「フェミニズムの現在」について特集していますが、収録論文が32本もあるのに、宗教関係は0本でした。イスラームだけではなくて、ユダヤ教やキリスト教、仏教に関しても非常に関心が低い。さらに第三世界についての論文もほぼゼロとなっています。
そうすると中東のジェンダーを学ぶ人は、中東に詳しくなく、第三世界にも宗教にも関心が薄い日本のジェンダー研究者に届く言葉を作り上げていく必要があります。また逆も然りで、中東に関心はあるけれども、ジェンダーには全く関心がないという層にも届く言葉を練っていかねばなりません。私が今回の『中東を学ぶ人のために』でそれを達成しているかどうかは、自分では判断できかねるので、皆様のコメントや感想はぜひ頂戴したいと思っています。
先達の金言
私の文化人類学の師匠である原ひろ子先生は、こうおっしゃっていました。「学際的な学問は、ものになるまで2分野に跨っていれば2倍、3分野に跨っていれば3倍の時間がかかる。大変だけど、認められたら認知度も2倍、3倍になる。頑張んなさい」と。
「学際的なのに片方の分野だけでしか知られていない、とかはダメ。両方の分野で認められないと」ともおっしゃっていました。中東研究界隈では名は知れているけれど、ジェンダー関係では声がかからないとか、ジェンダー関係では知られているけれど、中東の専門家だとはみなされていないとか、そういうのはダメだと。両方の分野にちゃんと認められるようになりなさい、と。学際的な学問をする人は、時間がかかるということを覚悟して取り組む必要があると思います。
文化人類学の楽しいところの神髄は、もう一人の師匠である波平恵美子先生がおっしゃっていた、「フィールドで起こったことは殺されない限り全部データです」というお言葉です。フィールドではなんでもデータになると思えば、多少しんどいことがあっても、泥棒に入られても「あっ、ネタが来た」と思える。すごくいい言葉をいただいたと思っています。
また「フィールドでは良い目、良い耳であれ」とも言われましたが、これはフィールドに限りません。広い視座でマクロな目を持ちながら、個別の事例に対するミクロな目も同時に持つことが大事であると思います。
中東もエジプトも、ジェンダー、移民、国際移動もすべておもしろいなと思っていたら、気がつけば研究を始めて二十何年経っていたわ~、というのが私の実感です。最後に、これはわかる人にはわかると思いますが、「知識を求めよ。たとえそれが中国にあろうとも」という預言者ムハンマドの言行録『ハディース』にある有名な格言をご紹介して、終わりたいと思います。
次回は齋藤純さんによる「ビジネスを学ぶ」です。
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【目次】
序章 中東を「学ぶ」 末近浩太・松尾昌樹
第1部 繁栄する文化
1 言語と宗教 竹田敏之
2 歴史叙述 小笠原弘幸
3 アラブ小説 柳谷あゆみ
4 中東の近現代思想 岡崎弘樹
第2部 変容する社会
1 ジェンダー 嶺崎寛子
2 移民・難民 錦田愛子
3 都市と農村 柏木健一
4 メディア 千葉悠志
第3部 躍動する経済
1 経済開発 土屋一樹
2 石油/脱石油 堀拔功二
3 イスラーム金融 長岡慎介
4 中東でのビジネス 齋藤純
第4部 混迷する政治
1 世界のなかの中東 今井宏平
2 紛争 江﨑智絵
3 パレスチナ問題 山本健介
4 宗教と政治 高尾賢一郎
終章 さらなる学びへ 末近浩太・松尾昌樹
コラム 中東の音楽映画 中町信孝
言葉に映し出される家族 村上薫
ほんとうのバーザール 岩﨑葉子
権威主義と民主主義 渡邊駿
中東を学ぶ人のための必読文献リスト
中東を学ぶ人のための国別データシート
索引(人名・事項)