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オンラインイベント「中東を学ぶ――研究者が語る経験と魅力」

ビジネスを学ぶ(齋藤純)

 私たちを惹きつけて止まない奥深い地域・中東。その学びには、どのような楽しさ、難しさがあるのでしょうか。
 『中東を学ぶ人のために』(世界思想社、2024年6月刊)を執筆した研究者たちによるイベント「中東を学ぶ――研究者が語る経験と魅力」が、2024年10月23日にオンラインで開催されました。
 編者の末近浩太さん・松尾昌樹さんによる司会のもと、4人の執筆者に中東研究の魅力を各章のテーマと絡めて紹介していただきました。イベントの内容を5回に分けてレポートします。

イベント第3部の登壇者は、「中東でのビジネス」の章を執筆した齋藤純さんです。

連載トップページ、イベント動画はこちら

ビジネスを学ぶ
(齋藤純/アジア経済研究所研究員)


 私はアジア経済研究所で、中東・湾岸アラブ諸国の企業金融やコーポレートガバナンス、金融システム、それから株式市場の分析などをしています。

 中東のイメージというと、たとえば砂漠、暑い気候、紛争やテロ、直近のイスラエル・ガザ戦争、イスラームのイメージが強いように思いますが、それがすべてはないという話を講義などではよくしています。また、経済の分野について言うと、たしかに石油が大事であることは否定できません。湾岸産油国を回れば、下の写真のように、石油産出が経済の基盤になっていることを示す博物館など、いたるところに石油の貢献というのは見てとれます。


オイル・アンド・ガス・エキシビションセンター
(オマーンの首都マスカット、2017年11月)

 その石油の売買から得られたお金で、国民は豊かな生活をしています。街中でいきなり高級車の展示会が行われて、ボンボン買っていくという光景も見ているので、石油から生まれる富はこのエリアに大きな影響を与えていると言えます。産油国の港に行くと石油のプラットフォームを見ることができ、中東の上を飛ぶ飛行機からは、海上のガス田や油田を見ることができます。そのため中東の経済を見るうえで、石油が重要なファクターであることは否定できないものに思います。

 ただ彼らの経済すべてが石油かというと、決してそんなことはありません。石油が取れる以前は、たとえばバハレーンの真珠に代表されるように、真珠の採取業が重要なビジネスとして経済基盤になっていました。また石油が取れるUAE(アラブ首長国連邦)の中で、今非常に賑わっているドバイも、元々は交易業で大きな役割を果たしてきた都市です。それから同じくUAEで特に豊かな都市であるアブダビでも、石油一辺倒というわけではなく、比較的最近にマスダール・シティと言われる研究エリアを設けて、再生可能エネルギーの開発などが進められています。したがって近年は、「中東地域は石油や天然ガスの影響が強く、石油一辺倒の経済」という一般的な見方とは異なる変容を見せつつあります。

バハレーンの真珠
(首都マナーマ、2007年12月)


クリークでの物資の積み下ろし
(ドバイ、2019年1月)


再生可能エネルギーの開発が進むマスダール・シティ
(アブダビ、2014年1月)

中東に「経済」はないのか?

 私が初めて湾岸諸国の国に調査に行った時、2010年以前のことですが、「湾岸諸国に『経済』はない。すべて政治が決める」という話を聞いて大きなショックを受けた記憶があります。たしかに湾岸諸国は基本的に政府部門が大きく、政府系の企業や機関が経済部門の大きな割合を占めています。それに対して民間部門というのは未発達な状態です。そのため経済システムは有効に機能していないのかなと、私も思いかけましたが、いろいろ考えてみるとそれは違うのではないかと思い至りました。

 たとえば道ですれ違ったインド系の清掃員労働者や、ショッピングモールで買い物をしている湾岸の自国民の家族連れ、通りがかった自動車修理工場の零細企業など、そういったものがすべて政治によって決められているのか。彼らの行動や選択が、経済活動として認められないのかというと、そんなことはないだろうと思い直しました。

 一方、たとえば研究者のラファエル・ラ・ポルタたちは、先進国・途上国を含めた各国の上場企業のデータを集めて、その所有構造を国際比較しています。これは企業金融やコーポレートガバナンスで重要な研究の1つです。この研究論文を読んでいて気づいたことがあります。1人当たりの所得に基づく豊かな国を企業サンプルとして使用していますが、重要な株式市場を持たない国、たとえばクウェートやUAE、サウディアラビアは除外していて、サンプルに中東企業が含まれていないのです。つまり、少なくとも論文が書かれた1999年時点では、標準的な経済分析の中から中東・湾岸諸国というのは除外されていました。

 また、日本で刊行されている中東・イスラーム関連の概説書でも、経済の分野についての記述は限られたものになっていました。そのため、これまで中東研究において経済や企業分析というのは決して主流ではなく、あくまで補足的なものに過ぎないという印象を抱いていました。

拡大する中東経済

 しかし最近、こうした状況が変わってきたのではないかと思い始めています。その背景には、国際経済の中で中東・湾岸アラブ諸国の重要性が拡大してきているということがあります。様々なビジョンのもとで、石油・天然ガス依存から脱し、経済の多角化が図られるようになってきています。経済の分析対象としても、銀行や通信部門、ゲームやエンターテインメントなどの新しい産業についての分析がこれから可能になっていくように考えています。

 そして、政府部門や王族の力が強く、民間部門がなかなか育たないという状態から、近年は民間の財閥や企業の活動が拡大してきています。その分野の研究もまだ全然行われていないため、研究の上ではフロンティアなのではないかとも考えています。

 ビジネス界とのつながりについても、日本企業を含めて、外国企業が現地の企業と連携してビジネスを行うという事例もかなり増えてきています。反対に現地の企業、たとえばアブダビやエジプトの企業が海外展開する動向も見られています。外資系企業の海外進出という分野も研究対象に十分なりうるため、まだまだやれることやわからないことがたくさん眠っているように感じています。

 ビジネスグループや財閥・ファミリービジネスの分野でも、徐々に分析対象の中に中東諸国が含まれるようになってきました。金融システムの分析も、まだ計量分析としては精緻化が必要ですが、かなり標準的な分析レベルまで広がってきています。そうして先進国や他の発展途上国との比較ができるようになってきたところが、大きな変化であると私は捉えています。比較ができるようになったので、中東の企業や経済が他と比べて異質なのか、それとも同質なのかをチェックできますし、もし違うのであれば、どう違うのかを分析できるというのが、おもしろいところであると感じます。

 これまで中東経済の研究は、経済統計が揃っていないことや、他の地域と比べて情報が手に入りにくいなどの理由から、ケーススタディやマクロ分析をすることが多い傾向にありました。それが近年は、経済統計制度の整備が進んでいます。また分析手法も、これまで数値データがないと言われてきたところを、アラビア語や英語などのテキストデータを分析し、計量分析と組み合わせてミクロ計量分析をすることが徐々に可能になってきました。アンケート調査を元に数量分析をしていくという研究事例も出てきているため、これまでぼんやりとわかっていたことがより正確に、よりクリアにわかるようになりつつあります。

 経済・企業分析の重要性がこのように高まっていることは、今回の『中東を学ぶ人のために』で「経済」の部に4章も取り上げられていることにも表れていて、私自身としても心強く、うれしく感じています。

中東の経済・企業研究で大事なこと

 私は、標準的な経済理論と中東の地域研究を融合することで、中東の経済・企業の研究ができると考えています。どちらのほうからアプローチするかは研究者によって様々ですが、私自身としてはまず、たとえ中東の経済・企業の行動がよくわからないものであっても、できる限りは標準的な経済理論で説明を試みてほしいと思っています。というのも、地域研究からアプローチして、「中東地域は異質であるがゆえに中東の経済は異質である」としてしまうと、他の分野の研究と議論がかみ合わなくなってしまうからです。標準的な経済理論で説明しきれないとなってから、地域研究の知見をもとに考えていくという方法が有効であると考えています。

 そうした経済理論で説明する手法をとらずに、分析からよくわからない結論が出てきたことを安直に石油・天然ガスのせい、あるいはイスラームや君主制のせいだと結論づけることは楽ではあります。しかしそれをするためには、その前にできるだけ標準的な経済・経営理論で説明しきることがとても重要だと思います。そしてたとえばラテンアメリカの産油国や、イスラームが支配的な東南アジアのブルネイと比べる必要があります。すぐに中東に特有であると結論づけるのは危険なことであり、それを避けるための慎重な姿勢をとっていただきたいです。

 最後に、中東諸国と言っても所得水準はバラバラです。発展途上国に分類される国もあれば、サウディアラビアやUAEのような豊かな国もあります。開発経済学の分野では分析ツールを使って発展途上国として分析するのが標準的ですが、産業によっては日本より進んでいるところもあり、発展途上国として見る杓子定規な見方というのも、改めるべきではないかと考えています。そうしたことも念頭に置いて、ぜひこの研究分野に入ってきてください。

最終回は高尾賢一郎さんによる「宗教と政治を学ぶ」です。


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【目次】

序章 中東を「学ぶ」  末近浩太・松尾昌樹 

第1部 繁栄する文化
1 言語と宗教  竹田敏之
2 歴史叙述  小笠原弘幸
3 アラブ小説  柳谷あゆみ
4 中東の近現代思想  岡崎弘樹 

第2部 変容する社会
1 ジェンダー  嶺崎寛子
2 移民・難民  錦田愛子
3 都市と農村  柏木健一
4 メディア  千葉悠志

第3部 躍動する経済
1 経済開発  土屋一樹
2 石油/脱石油  堀拔功二
3 イスラーム金融  長岡慎介
4 中東でのビジネス  齋藤純

第4部 混迷する政治
1 世界のなかの中東  今井宏平
2 紛争  江﨑智絵
3 パレスチナ問題  山本健介
4 宗教と政治  高尾賢一郎
 
終章 さらなる学びへ  末近浩太・松尾昌樹 

コラム  中東の音楽映画  中町信孝 
     言葉に映し出される家族  村上薫 
     ほんとうのバーザール  岩﨑葉子 
     権威主義と民主主義  渡邊駿 
 
中東を学ぶ人のための必読文献リスト   
中東を学ぶ人のための国別データシート            
索引(人名・事項)

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著者略歴

  1. 齋藤 純

    日本貿易振興機構アジア経済研究所地域研究センター研究員。博士(経済学)。主な論文に「イラン大統領選挙のUAE金融市場への影響」『中東研究』519号(2014)、「アラブ首長国連邦の銀行合併と取締役」『中東研究』530号(2017)、“Gulf-Japan Ties, Beyond the Energy Sector,” Emirates Diplomatic Academy Insight(共著、2019)など。

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