イベントはじめに(末近浩太・松尾昌樹)
私たちを惹きつけて止まない奥深い地域・中東。その学びには、どのような楽しさ、難しさがあるのでしょうか。
『中東を学ぶ人のために』(世界思想社、2024年6月刊)を執筆した研究者たちによるイベント「中東を学ぶ――研究者が語る経験と魅力」が、2024年10月23日にオンラインで開催されました。
編者の末近浩太さん・松尾昌樹さんによる司会のもと、4人の執筆者に中東研究の魅力を各章のテーマと絡めて紹介していただきました。イベントの内容を5回に分けてレポートします。
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◆はじめに:中東を学ぶ人のために
(末近浩太/立命館大学国際関係学部教授、松尾昌樹/宇都宮大学国際学部教授)
末近 立命館大学の末近です。今回のイベント「中東を学ぶ」は、今、中東を学んでいる、あるいは、これから中東を学んでみたい、という方を対象に、私たち中東研究者がその経験と魅力をお伝えしするのが目的です。平たく言えば、「みんな中東研究しようぜ」というお誘いになります。
今回の企画の元となっているのが、『中東を学ぶ人のために』(世界思想社、2024年)という本です。私と、宇都宮大学の松尾昌樹先生の2人が編者となって、第一線で活躍する総勢22人の中東研究者が、それぞれの専門分野についてわかりやすく解説しています。
末近浩太・松尾昌樹編『中東を学ぶ人のために』
(世界思想社、2024年)
この本を作るお話をいただいた時に最初に私の脳裏に浮かんだのが、私自身が今日参加されている学生の皆さんと同じ年齢の頃、20代の前半ぐらいに何度も読んだ『イスラームを学ぶ人のために』(世界思想社、1993年)という本のことです。
この本は、研究の道に進みたいと当時考えていた私にとって、何度も読み返すとても大切な本でした。イスラーム研究がとても多彩であり、何をどのように学ぶと良いのか、羅針盤のように進む道を示してくれるような本でした。
山内昌之・大塚和夫編『イスラームを学ぶ人のために』
(世界思想社、1993年)
今回、中東をテーマに同じシリーズで本を作るとなった時、重要なことに気がつきました。それは、中東を学ぶことの意味や意義が、30年前と今とでは大きく違うということです。
30年前、冷戦終結の直後にあたる1990年代には、世界を隔てていた大きな壁がなくなって、私たちは自由にどこでも行ける、ゆえにどんどん見聞を広めていくべきだという空気がありました。つまり「この広い世界をもっと知るべきだ」というムードが満ちていたような気がします。
たとえばバックパック1つ持って、世界のいろんなところに行って旅するバックパッカー文化があり、実際にその場所を訪れた人だけが世界に関する経験や知識を蓄えることができた。日本列島の外に飛び出して、世界に学ぼうというのがとても良いことで、かっこいいこととなっていた時代でした。
では、それから30年経った今はどうか。その場所をわざわざ訪れなくても、スマホを駆使すれば、なんとなく情報を集められる。英語ができれば得られる情報はもっと多くなる。また、アラビア語やペルシア語やトルコ語といった中東の言語がわからなくても、現地発のニュースメディアを機械翻訳にかければ読めてしまえる。つまり30年前と比べると、私たちはすでに中東や世界のことをたくさん知っているわけです。
そんな時代にわざわざ身構えて中東を学ぶのは、一体何のためなのか。ここから先の大事な部分については、松尾先生にバトンをお渡ししたいと思います(笑)。
松尾 ありがとうございます(笑)。宇都宮大学の松尾と申します。私は中東の石油に基づく政治現象や、石油に惹きつけられて世界中からやってくる移民が、中東でどんな色彩を加えているのかといったことを日々研究しています。
『中東を学ぶ人のために』の中で、「私たちは(中略)既知の情報がどこかにないかと探すのに飽き飽きしている」(p.1-2)という一文があります。「既知の情報」というのは、もう我々がすでに知っていることですよね。たとえば昨今の中東情勢だと、「ハマスってなんですか?」ってウェブでカチャカチャ検索して、「ああ、こういうことか」って思うわけです。また「ヒズボラってなんですか?」って検索して、「こういうことか」と。
検索して、こういうことか、検索して、こういうことか、ということをずっと繰り返していって、なんとなく中東のイメージは見えてくるけれど、でも果たして私たちが知りたかったことって、そういうことなのかな、と考えたくなる時があります。すでに誰かがどこかで言っている情報をずっと追い求めていって、何かわかった気になっている。だけど「これは本当にわかったということなのかな」という、なんとなしに不安や疑問があるわけです。
じゃあどうしたらいいかと言うと、そこからが「学ぶ」ということになるのだと思います。既知の情報がある一方で、まだ知られていない情報もたくさんあります。あたかも探検家がまだ地図に書かれていない部分に足を踏み込んでいくとか、まだわからない場所に船を向けて航海していくとか、そういう行為が学ぶことであると思います。その時に助けになるのは、羅針盤のようなもの、あるいは過去の探検家が残した探検のログです。研究者は過去の研究の記録や、分析の理論を羅針盤に使って、見えない海に乗り出していくわけです。
そこから得た知識を自分の中に蓄えていくと、まだ誰も知らない中東というものにアクセスできて、自分なりに中東を理解できます。本書がみなさんの関心の手がかりになれば、非常にうれしいです。今回のイベントでもそうしたお話を先生方から伺いたいと考えています。
次回から、登壇された先生方の発表をレポートします。お楽しみに!
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【目次】
序章 中東を「学ぶ」 末近浩太・松尾昌樹
第1部 繁栄する文化
1 言語と宗教 竹田敏之
2 歴史叙述 小笠原弘幸
3 アラブ小説 柳谷あゆみ
4 中東の近現代思想 岡崎弘樹
第2部 変容する社会
1 ジェンダー 嶺崎寛子
2 移民・難民 錦田愛子
3 都市と農村 柏木健一
4 メディア 千葉悠志
第3部 躍動する経済
1 経済開発 土屋一樹
2 石油/脱石油 堀拔功二
3 イスラーム金融 長岡慎介
4 中東でのビジネス 齋藤純
第4部 混迷する政治
1 世界のなかの中東 今井宏平
2 紛争 江﨑智絵
3 パレスチナ問題 山本健介
4 宗教と政治 高尾賢一郎
終章 さらなる学びへ 末近浩太・松尾昌樹
コラム 中東の音楽映画 中町信孝
言葉に映し出される家族 村上薫
ほんとうのバーザール 岩﨑葉子
権威主義と民主主義 渡邊駿
中東を学ぶ人のための必読文献リスト
中東を学ぶ人のための国別データシート
索引(人名・事項)