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『批評理論を学ぶ人のために』はじめに

 本書を手に取る読者は、文学好きのひとだろう。教室で文学を講じている教員かもしれない。あるいはまた文学部の学生で、授業でレポートを書く、さらには卒業論文を準備することになっているかもしれない。レポートであれ、卒業論文であれ、そこで求められるのは読書感想文ではなく、作品の解釈であり、批評である。漠然とした感想文のレベルを超えて、作品の構造や、テーマや、世界観を分析し、整合的な議論を構築することが解釈であり、批評ということになる。そして感想から解釈へ、感動から批評へと飛躍するには一定の方法が必要になる。あらゆる学問分野がそうであるように、文学を深く研究するためにも方法論的な意識が要請されるのだ。そのためには、これまでに練り上げられ、成果を示してきた批評理論を学んでおくことがおおいに役立つだろう。理論ですべてが明晰になるわけではないが、たんなる経験主義的な読書だけでは心もとない。

 それでは、現時点における批評理論としてどのようなものがあり、何を問題にしているのだろうか。それぞれの批評理論にはどのような思想的背景があり、現在いかなる地平を提示し、今後どのような展望を拓いていくのだろうか。本書は、主として二〇世紀から現在にいたる時期の、西洋と日本における批評理論の主な潮流を紹介し、その活用法を例示する入門書である。

本書の特徴

 批評理論を解説する本はすでにいくつか出ており、大きく二つのカテゴリーに分けられるだろう。まず、分類された理論を起点にして構成された一連の著作があり、そこには概念や人名を項目として立てたハンディな事典形式のものや、文学世界を構成する基本要素を考察する批評史的な書物が含まれる。もうひとつは、具体的な作品を出発点にして、そこから理論やテーマの解説に向かうやり方である。

 いずれの著作もそれぞれ特徴があり、多くの示唆に富む。「学ぶ人のために」シリーズの一冊として批評理論への案内をめざす本書は、これらの類書と重なる部分もあるが、その点を認めたうえでいくつか新機軸を打ち出そうとした。

 第一に、本書では現代の代表的な批評理論を項目として立てているが、取り上げる項目の数を類書よりも多くし、理論が練り上げられた国の多様性に配慮した。物語論、精神分析批評、マルクス主義批評など長く豊かな伝統をもつ、そしていまだにインパクトを失っていない理論や、一九八〇年代以降に文学研究の場で注目されるようになり、現代の知的風土にしっかり根付いているフェミニズム批評、カルチュラル・スタディーズ、ポストコロニアル批評などは外せない項目である。しかしそれ以外に、本書は類書にはない批評理論もいくつか収めた。

 わが国でこれまで刊行されてきた批評や文学理論の入門書は、基本的に英語圏諸国の理論の紹介、あるいは起源は外国にあるが英語圏で知られ、実践されてきた理論の紹介が多く、そこで論じられる文学作品もおもに英語で書かれた作品だった。英語圏、とりわけアメリカとイギリスで文学理論の研究と実践が盛んであり、大学教育の場で文学理論を「文学」の一分野と位置づける流れがあることも承知しているが、現代では文学と同じく、それを語り、論じる批評理論もまたグローバル化している。

 実際、二〇世紀から現在にかけて、フランス、ドイツ、スイス、イタリア、そして日本も、お互いの交流や影響関係のなかで刺激的な批評理論を構築してきた。これらの国の文学を研究する日本人には馴染みの深い理論でも、国際的な認知度があまり高くなく、したがってわが国では専門家のあいだでしか知られていないものがある。しかしそれぞれの国で確固たる地歩を築き、顕著な成果をあげている批評理論は積極的に紹介すべきだと考えた。フランス語圏で大きな位置を占める「生成論」や、ピエール・ブルデューの理論に依拠した「文学の社会学」、近年ドイツ語圏で注目を浴びている「システム理論」や「メディア論」を立項したのはそのためである。もちろん、本書が現代の批評理論を網羅しているとは主張しないし、遺漏があるかもしれない。読者からご教示をいただければありがたく思う。

 第二に、各章において理論の生成と発展、そして今後の展望を記述するにあたって、なるべく国際的な広がりと可能性を示すように努めた。重要な批評理論は、それが誕生した国や地域を越境して、世界各国に流布していく。二〇世紀後半以降、とりわけその傾向が強い。マルクス主義はマルクスの、精神分析はフロイトの専有物ではないし、ポストコロニアル批評はエドワード・サイードが刺激的に論じたオリエンタリズムの枠を超えて、世界のさまざまな社会・文化現象を分析するのに有効性を発揮してきた。わが国も例外ではないのだが、欧米の著者による理論書や入門書(そのうちのいくつかは邦訳されている)は、やむをえないとはいえ日本の批評状況にはまったく触れていない。しかしわが国でも、いくつかの批評理論の分野で先鋭的な論者が活躍しているから、それらの業績に言及するようにした。

 本書の第三の特徴は、批評理論の解説と同時に、それを読者に実際に体感してもらうために個別の作品を具体的に分析していることである。こうして各章は大きく「理論編」と「実践編」という二つのセクションから構成されている。各理論が作品の、あるいは文学をめぐる現象のどの側面に焦点を据え、どのような概念装置を用いて、何を明らかにしようとするのかという理論の概要を把握するのは重要だが、それだけでは十分ではない。卑近な比喩を使うならば、ゲームやスポーツ競技の規則を覚えただけで、そのゲームやスポーツに上達できるわけでない。やはり実例や訓練による学習が必要だ。同じように批評理論は方法論だが、それを具体的に実践するサンプルがあれば説得力が増すだろう。理論のおもしろさを実感してもらう、というのも本書のねらいのひとつである。

 批評理論は西洋起源のものが多いが、実践編で取り上げる作家と作品には、日本を含めて多様性をもたせるようにした。理論の価値は、それが異なる時代と文化圏の産物にどれだけ有効に適用できるか、すなわちその汎用性にかかっている。こうしてメルヴィル『白鯨』、フォークナー『アブサロム、アブサロム!』、カフカ「流刑地にて」、バルザックやフロベール、そして梶井基次郎「檸檬」など、内外の古典的な作家や作品と同時に、柴崎友香『フルタイムライフ』、村田沙耶香『殺人出産』、古川日出男『ゼロエフ』など現代日本の文学シーンを彩る刺激的な話題作も取り上げている。翻訳論をめぐる章では、植民地時代の韓国の女性作家、崔貞熙が重要な例として論じられている。さらには文学以外にも、ルネ・マグリットの絵画、宮崎駿のアニメ、そしてミュージカルなど他ジャンルの芸術を実践編として取り上げた章もある。時代と地域を超え、ジャンルを越境して、意外な解釈と刺激的な驚きをもたらしてくれる実践編を楽しんでいただければ幸いである。

本書の構成

 以上のようなコンセプトに依拠した本書は全一九章からなり、以下のように四部に分かれる。

 第Ⅰ部「記号と物語」には、テクストの内在的読解を中心とする理論と、それにたいする批判としての理論を収める。文学作品は言語という記号で書かれ、一定の形式をもつ。小説や戯曲であれば、一定の筋立てを具えた物語として展開することが多い。二〇世紀後半以降は物語性を意図的に排除しようとする作品も少なくないが、それもまた反転された物語と言えるだろう。そして作品のなかで表象された物語は、読者によって受容され、変形されて、新たな構図の物語を再生産していく。受容の問題が関わってくる所以である。二〇世紀初頭のソシュールの言語学や、ロシア・フォルマリズムなどが記号学と物語論の発展を促し、それが第二次世界大戦後の構造主義批評につながっていく。ここでは「構造主義」と「物語論」を冒頭に置き、それへの生産的な反応として「受容理論」と「脱構築批評」を配した。

 第Ⅱ部「欲望と想像力」は、作家自身の内的な欲動や想像力の布置に注目し、同時に作品のなかでそれがどのように表象されているかを問いかける理論を集めた。テクストあるいは作品の内在分析に限定されることなく、作家の内面と作品を往還するのが特徴である。欲動や想像力のあり方を問う分析方法は、精神分析、現象学、ジェンダー理論の影響を強く受けたものが多い。個人としての作家、主体としての作家はさまざまな生い立ちを有し、ときに複雑な環境のなかで育ち、多面的な文化状況において自己形成する。男女のジェンダーもそうした可変要素のひとつである。作家の個性や、固有の主題系がどのようにして形成されるのかは、究極的には謎にとどまるのだろうが(しばしば言われるように、芸術創造は神秘の領域である)、その構図に迫ることはできる。「精神分析批評」、現象学やガストン・バシュラールの想像力論の磁場のなかで発展した「テーマ批評」、「フェミニズム批評」「ジェンダー批評」、作家が残した草稿やノートなどの資料を体系的に研究して文学創造の秘密に迫る「生成論」をこの第Ⅱ部に収めた。

 第Ⅲ部「歴史と社会」に含まれる批評理論は、文学における歴史や社会の表象を問いかける、あるいは作家がどのような社会的、文化的背景のなかで執筆し、それが作品にどのように波及しているかを問いかける、という点で共通している。文学に時代や国境を超える普遍的な側面があるのは否定できないにしても、作品は一定の時代と社会状況のなかで生産されるものであり、したがって歴史性や社会性を帯びる。その歴史性、社会性を、ときにはそれまで気づかれなかったようなかたちで露呈させようとする一連の批評理論が存在する。誤解を避けるために述べておくならば、それは文学が社会を映し出すという素朴な「反映論」とは異なる。これらの批評理論は作品の深部に、時代状況の背後に、作家自身も意識していなかった秘められたイデオロギーを読み取ろうとする。この領域では、文学のイデオロギー性に敏感だったジェルジュ・ルカーチ、ルイ・アルチュセール、レイモンド・ウィリアムズらマルクス主義者だけでなく、ミシェル・フーコー、ニクラス・ルーマン、エドワード・サイード、柄谷行人らの貢献が大きい。「マルクス主義批評」、英語圏で影響力の強い「文化唯物論/新歴史主義」、フランス語圏で顕著な成果をあげてきた「ソシオクリティック」、現代ドイツを代表する「システム理論」、そして「カルチュラル・スタディーズ」と「ポストコロニアル批評/トランスナショナリズム」という汎用性の高い批評理論を収めている。

 そして最後の第Ⅳ部「テクストの外部へ」には、狭義の作品分析や作家論を超えて、社会と世界を構成するさまざまな要素のひとつとして文学を把握しようとする批評理論を集めた。文学はそれ自体で自律した営為として存在するわけではなく、その周囲に、あるいはその外部にさまざまな文化制度と社会現象が横たわっている。両者の関係は相互的である。つまりそのような制度や現象が文学のあり方を決め、文学を問いかけるまなざしを規定すると同時に、文学もまたそのような制度と現象にたいする人々の姿勢に作用を及ぼす。そうした制度や現象の側から、文学のあり方を問いかけてきた学問領域の方法論を援用しながら、文学固有の問題を研究することができる。こうして社会学、メディア論、環境学、翻訳理論を起点にして文学を問う批評理論が成立することになる。前二者においては、フランスのピエール・ブルデュー、ドイツのヴァルター・ベンヤミンとフリードリヒ・キットラーが主要な理論基盤を提供している。この第Ⅳ部は「文学の社会学」「メディア論」「エコクリティシズム」「翻訳論」の四章で構成される。

 このように本書はテクスト、想像力、歴史と社会、制度という指標に基づいて四部構成をとっているが、各部そして各章はそれぞれ独立しているので、読者は関心に応じてどこから読んでいただいてもよい。各部の末尾に付した「コラム」は、本文のなかで掬いきれなかったが、批評の対象として有意義な話題を論じた短文である。

 古今東西、長い歴史を有する文学や芸術の広大な世界に較べれば、批評理論の歴史はまだ浅い。しかし批評理論が、同時代のさまざまな知の領域と共振しつつ、批評のあり方を豊かに刺激してきたのは事実である。世界各国における批評理論の最前線について記述し、それを応用した具体的な作品読解を提示する本書が、読者の批評への関心を高め、文学との新しい出会いにつながることを願っている。

小倉孝誠


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目次

はじめに

Ⅰ 記号と物語

第1章 構造主義(下澤和義)
第2章 物語論(赤羽研三)
第3章 受容理論(川島建太郎)
第4章 脱構築批評(巽孝之)
◆コラム 法と文学(川島建太郎)

Ⅱ 欲望と想像力

第5章 精神分析批評(遠藤不比人)
第6章 テーマ批評(小倉孝誠)
第7章 フェミニズム批評(小平麻衣子)
第8章 ジェンダー批評(小平麻衣子)
第9章 生成論(鎌田隆行)
◆コラム 研究方法史の不在(小平麻衣子)

Ⅲ 歴史と社会

第10章 マルクス主義批評(竹峰義和)
第11章 文化唯物論/新歴史主義(山根亮一)
第12章 ソシオクリティック(小倉孝誠)
第13章 カルチュラル・スタディーズ(常山菜穂子)
第14章 システム理論(川島建太郎)
第15章 ポストコロニアル批評/トランスナショナリズム(巽孝之)
◆コラム 文学と検閲(小倉孝誠)

Ⅳ テクストの外部へ

第16章 文学の社会学(小倉孝誠)
第17章 メディア論(大宮勘一郎)
第18章 エコクリティシズム(波戸岡景太)
第19章 翻訳論(高榮蘭)
◆コラム 世界文学──精読・遠読・翻訳(巽孝之) 

あとがき

参考文献 
事項索引 
人名・作品名索引 

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著者略歴

  1. 小倉 孝誠

    慶應義塾大学教授。パリ・ソルボンヌ大学文学博士。
    著書に『歴史をどう語るか』(法政大学出版局、2021年)、『逸脱の文化史』(慶應義塾大学出版会、2019年)、『ゾラと近代フランス』(白水社、2017年)、『写真家ナダール』(中央公論新社、2016年)、『犯罪者の自伝を読む』(平凡社新書、2010年)、編著に『世界文学へのいざない』(新曜社、2020年)、『十九世紀フランス文学を学ぶ人のために』(世界思想社、2014年)、訳書にアラン・コルバンほか監修『感情の歴史』(共訳、全3巻、藤原書店、2020-21年)、フローベール『紋切型辞典』(岩波文庫、2000年)など。

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