働く人の意欲を高め、権利を守る職場とは
幸せに働き、生きることはどのように実現できるのか? ジェンダーの視点から日本の雇用をめぐるルールや慣行を明らかにした『キャリアに活かす雇用関係論』の刊行を記念し、2024年3月2日(土)にお茶の水女子大学でシンポジウムが開催されました。対面・オンライン合わせて100名が参加しました。
編者の金井郁さんによる司会のもと、「一番学生に伝えたいメッセージ」を執筆者が各章のテーマと絡めて報告しました。その後、「本書をどう読んだか」についてのコメント、全体討論を通じて、ジェンダー視点を貫く授業のつくり方、学生の興味と理解の引き出し方、男女格差が埋め込まれた構造を変えていく方法について議論しました。シンポジウムの内容を5回にわけてレポートします。
連載トップページはこちら
女性の昇進意欲が低いのはなぜか
〔大槻奈巳/第4章:昇進〕
国立女性教育会館が実施した「男女の初期キャリア形成と活躍推進に関する調査研究」というものがあります。私も調査に参加しました。2015年4月に入社した新入社員を対象に、毎年1回ずつ5年間(2015~2019年)行った調査です(報告書はこちら)。対象者は大企業に在籍している男女で、私は総合職のみを対象に分析を行いました。
まず、昇進意欲について。1年目は男性95.6%、女性67.8%でした。
次に、管理職を目指さない理由について。1年目は、男性も女性も「仕事と家庭の両立が困難になるから」が1番で、男性45.5%に対して女性は79.6%でした。5年目は、男性は「責任が重くなるから」が1番で、女性は「仕事と家庭の両立が困難になるから」が1番です。
ここから明らかになったのは、男性と女性の昇進意欲を比較すると、女性のほうが低いということです。これを聞くと「ほらみろ、女はもともと昇進したくないんだ」という声があがってきそうですね。しかし、私が考えたいのは、なぜ女性の昇進意欲は低いのか、ということです。
すぐに思いつくこととしては、女性は育児や家事などの家族責任を負っているので、基幹労働者、管理職になりにくい、ということでしょう。政府の政策を見ても、「保育所を増やす」とか、「子育てサポートシステムを充実させる」などが目につきます。このような視点を家族重視モデルと言います。この視点が必要なのは確かですが、それだけでは不十分だと私は考えています。職場のなかに女性が仕事を続けていけなくなる/続けていきたくなくなる構造、管理職を志向しなくなる構造があるのではないか? こうした「職場重視モデル」の面からも考える必要があります。
人々の志向は置かれている状況に左右されます。配属、与えられる職務、期待されるもの、評価のあり方などが男女で異なります。女性の置かれている状況を調査から読み取ってみましょう。
「多くの場合、男性が担当する仕事についている」は、男性(
「リーダーシップを求められている」は、3年目で男性80.6%
「将来のキャリアにつながる仕事をしている」は、1年目は男性89.5%、女性90.2%と、どちらも高いです。しかし5年目になると、男性69.8%、女性63.4%と減り、女性の減り具合のほうが大きい。
「仕事に満足である」は、1年目は男性82.3%、女性83.7%ですが、5年目になると男性57.3%、女性57.5%となり、ともに低下しています。どうやら、皆があまり楽しく、幸せに働けない、という構造があるようです。
以上からわかるのは、女性は男性より仕事のあり方が不利で、求められるものが少なく、得られるものが少ない、ということです。女性の昇進意欲が下がる原因にはこのような職場の構造があるのです。男女の資質の問題でも、個人の資質の問題でもありません。よって、職場において男女で差をつけないことが重要です。職場の構造には社会の構造が反映されますから、やはり社会の構造を変える必要があります。
ここでは、職場重視モデルの紹介にとどまりましたが、本では「昇進してなにを得たか」について事例から考察しています。昇進=負担が増える、とマイナスイメージを持たれがちですが、やりたいことをやれる立場になることであり、現状を改善する力を持つことでもあります。昇進=選択肢が広がる、と捉える視点も大切だと伝えたいです。
働く人の尊厳が保たれる仕事場を
〔申琪榮/第7章:ハラスメント〕
ハラスメントについて、私が伝えたいことは7つあります。
①ハラスメントは何かを正しく理解しよう
②ハラスメントはどこでも、誰にでも起きうるもの
③ハラスメントは個人間のトラブルに矮小化されてはならない
④ハラスメントが起きる環境、力関係に注意を払おう
⑤被害者に原因を求めない、被害者を非難しない
⑥ハラスメントは起きても、解決はできる
⑦ハラスメントがない仕事場をつくることは、みんなの責任!
ハラスメントとは何か。ILO(国際労働機構)の定義によれば、「一回限りのものであるか反復するものであるかを問わず、身体的、精神的、性的、又は経済的損害を目的とし、又はこれらの損害をもたらし、若しくはもたらすおそれのある一定の容認することができない行動及び慣行又はこれらの脅威」のことで、ジェンダーに基づく暴力及びハラスメントを含みます。
日本では、包括的にハラスメントを規制する法律はまだありません。労働関係の複数の法律に防止規定を設けているというような状況です。初のセクハラ裁判をきっかけに、1997年改正の男女雇用機会均等法に、女性労働者に対するセクシュアルハラスメント防止措置が事業主に義務づけられました(2006年には男女労働者と広げられた)。妊娠・出産を理由にするハラスメント(マタハラ)の防止規定は2016年改正の男女雇用機会均等法に、育児休業・介護休業に関するハラスメント(ケアハラ)の防止規定は2016年改正の育児・介護休業法に盛り込まれました。パワーハラスメント(パワハラ)対策は2019年改正の労働施策総合推進法に規定されました。このように、ハラスメントの種類別に3つの法律によって規制されています。日本ではハラスメント全体を定義し、規制する法律がないことが、包括的な理解を妨げていると言えます。
ハラスメントの実態を正確に把握することは難しいです。被害者が声を上げないかぎり、実態を把握する方法がないからです。それをふまえたうえで、調査で明らかになったことを紹介します(『令和2年度厚生労働省委託事業 職場のハラスメントに関する実態調査報告書』)。
・労働者の3割強がハラスメントを受けている。
・パワハラ、セクハラ、顧客からの迷惑行為(カスタマーハラスメント)の順番に多い。
・男性はパワハラを受けることが多く、女性はセクハラを受けることが多い。
・女性管理職が最もセクハラを受けている。
・加害者は多い順に、上司、会社の幹部、同僚。
・ハラスメントは複合的な性格をもつ。
ハラスメントが複合的な性格をもつとは、パワハラのみ、セクハラのみということは少なく、パワハラとセクハラが重なりあったり、パワハラとケアハラが重なりあったりと、複合的に起きるということです。
ハラスメントはなぜ起きるのか? 個人的な理由からだんだんエスカレートしていくというパターンはありますが、それだけではありません。自分の地位を利用して支配しようという動機から発生するパターンもあれば、ある属性を持つ人たち――女性、シングルマザー、外国籍、貧困者など――への偏見が差別的な言動となって表れることもあります。
日本の企業の特徴として、できないことを「できない」と言えない雰囲気や、集団の一体感を重視する風土があります。こうした同調圧力の強い職場は、必要なコミュニケーションが不足しており、ハラスメントを起こしやすく、それを我慢することも強いる傾向があります。
では、ハラスメントに遭ったときどうしたらよいのか? ここが一番難しいところです。上で紹介した3つの法律のどこにも、ハラスメントを禁止する規定はありません。雇用主にハラスメントの防止措置を義務づけているだけです。ですから、「ハラスメントを受けたことを認定してください」という希望は、各職場が対処することになります。先ほどの調査によりますと、日本の事業主の8割以上は、相談窓口を設置しています。ただ、その半分程度しか専門的な対応ができる体制がありません。相談を受けて終わり、というケースが結構あるということです。ましてや、被害者のケアまで手が回っていないのが実情です。
ハラスメントは人権を無視し、労働する権利を脅かすあってはならない言動です。誰もが安心してはたらけるように、ハラスメントを定義する包括的な法律と、ハラスメントを禁止する条項が必要です。ただ、それがない現状でとりうる対策として重要なのは、ハラスメントがエスカレートしないように、ハラスメントを相談しやすい体制を作り、ハラスメントが起こりにくい職場・意識をつくっていくことだと思います。そのためには冒頭で示した①~⑦を各人が学び、認識することが大切です。
ハラスメントにはこうしたらいいという決まった正解はありません。文脈の中で起きうるもので、根絶しにくい。授業や勉強会では、ハラスメントの理解を深めるために、第6章やこの第7章を一緒に読んだうえで、グループワークをしてみることを提案します。「もし自分が、あるいは友人がハラスメントを受けたらどうするか」「ハラスメントを受けたと、知人から相談されたらどうするか」「大学ではどのようなハラスメント対策をしているか」等々、具体的なシチュエーションを想定して話し合うことで、ハラスメントのない共同体をつくる一員としての意識が高まるのではないでしょうか。
〈シンポジウム登壇者〉
駒川智子:北海道大学大学院教育学研究院教授
金井郁:埼玉大学大学院人文社会科学研究科教授
筒井美紀:法政大学キャリアデザイン学部教授
禿あや美:埼玉大学大学院人文社会科学研究科准教授
大槻奈巳:聖心女子大学現代教養学部教授
申琪榮:お茶の水女子大学ジェンダー研究所教授
林亜美:神田外語大学外国語学部講師
田瀬和夫:SDGパートナーズ有限会社代表取締役CEO
真崎宏美:SDGパートナーズ有限会社シニア・コンサルタント
朴峻喜:立教大学経済学部助教
佐野嘉秀:法政大学経営学部教授
書籍の情報はこちらから
【目次】
序 章 なぜ雇用管理を学ぶのか〔駒川智子・金井郁〕
第1章 大卒就職・大卒採用――制度・構造を読みとく〔筒井美紀〕
第2章 配属・異動・転勤――キャリア形成の核となる職務〔駒川智子〕
第3章 賃 金――持続可能な賃金のあり方とは〔禿あや美〕
第4章 昇 進――自分のやりたいことを実現する立場〔大槻奈巳〕
第5章 労働時間――長時間労働の是正に向けて〔山縣宏寿〕
第6章 就労と妊娠・出産・育児――なぜ「両立」が問題となるのか〔杉浦浩美〕
第7章 ハラスメント――働く者の尊厳が保たれる仕事場を〔申琪榮〕
第8章 管理職――誰もが働きやすい職場づくりのキーパーソン〔金井郁〕
第9章 離職・転職――長期的キャリア形成の実現に向けて〔林亜美〕
第10章 非正規雇用――まっとうな雇用の実現のために〔川村雅則〕
第11章 労働組合――労働条件の向上を私たちの手で〔金井郁〕
第12章 新しい働き方――テレワーク、副業・兼業、フリーランス〔高見具広〕
第13章 いろいろな人と働く――SDGsによる企業の人権尊重とDE&Iの推進〔田瀬和夫・真崎宏美〕
終 章 労働の未来を考える〔金井郁・駒川智子〕
より深い学びのために
索 引