『フェミニズムを学ぶ人のために』はじめに
フェミニズムの歴史は一世紀を超えるが、その必要性は現在においてむしろ高まっている。二一世紀初頭、世界各地でフェミニズムが広がる一方、日本では早くからジェンダー・バックラッシュが台頭し、政策や教育が後退を余儀なくされた。ポストフェミニズムは「平等は達成済み」と語り、新自由主義は「個人の努力」で成功できると説く。しかし、「#MeToo」が可視化した日常的なジェンダー暴力や、オンライン空間におけるトランスジェンダーおよび諸マイノリティへの攻撃が示すのは、ジェンダーという秩序(そしてそれを構成する複数の差別軸)がいまなお人々の生を規定し、不正義を生み出し続けている現実である。影響は賃金や雇用の機会、ケア負担の偏在、政治代表や司法救済へのアクセス、医療・教育の現場、さらにはメディア表象やアルゴリズムの偏りにまで及ぶ。しかもその深刻度は、階級・国籍・人種・障害・セクシュアリティなどの交差によって不均等に増幅される。いま、人々は再びフェミニズムに、この状況を読み解く言葉と変革の力を求めている。
もともとフェミニズムは、「女(女性)」をめぐる社会制度・表象・関係性・アイデンティティに関わる抑圧や暴力の所以を解きほぐすことを目指して出発した。その課題は過去の遺物ではなく、現在進行形である。フェミニスト批評家のベル・フックス(bell hooks)が述べるように、フェミニズムとは「性差別、性差別的搾取、抑圧を終わらせる運動」であり、未来に向けて「いま」を問い直し、変えていく過程である(フックス 二〇二〇)。そして、それは女性やマイノリティだけの課題ではない。今世紀の初頭に竹村和子は、フェミニズムの終焉を謳う見方に抗して、抑圧の根幹にある「女」というカテゴリーの扱いを曖昧にしたままでは諸抑圧の説明に届かないと指摘した(竹村 二〇二四)。すなわち、身体に還元され「もっとも根源的な本質主義とされている「女」というカテゴリーを根本的に解体することなく、「男」に対する抑圧も、「非異性愛者」に対する抑圧も、また性に関連して稼働している国籍や民族や職業や地域性などの抑圧も、説明できない」(同、viii)と考えたのである。この指摘は、「女(女性)」を取り巻く諸問題への問いかけが、交差する抑圧を解明するうえで不可欠であることを示している。また同時に、フェミニズムは、「女」を問うことにとどまらず、ジェンダーを他の差別軸と交差させ、具体的な制度・歴史・地政へと読み換える視角であることも、明確に示しているのである。
この意味でフェミニズムは、実践と知の両輪からなる。ここでいう「実践」とは、個人のふるまいの更新にとどまらず、職場規範や教育、ケアの分配、メディア言説、法制度の改善へと連なる具体的な働きかけである。他方の「知」とは、経験の記述や概念枠組みの再考、測定と記録の方法、語りの更新を通じて、何が見え何が見えなくされてきたかを明らかにし、組み替える営みである。家父長制という制度化された性差別に終止符を打つことがフェミニズムの目指す未来である以上、私たち全員が思考と実践を更新する必要がある。
その知的態度を端的に示すのが、国際政治学者のシンシア・エンロー(Cynthia Enloe)のいう「フェミニスト的好奇心」であろう。教室や会議で誰が発言を許されているのか、制服や育休制度は誰の身体を前提に設計されているのか、安全保障の議論では誰の経験が代表とみなされているのか、プラットフォーム規約は誰に不利に作用しているのか──。エンローは、「当たり前」に見える社会の諸相や配置にあえて疑問を差し挟むことをフェミニスト的好奇心と呼び、誰もがそのような好奇心から「当たり前」とされている事柄を探究するようにうながす(エンロー 二〇〇四)。知の生産それ自体が既存の権力構造を再生産しうる以上、問いの立て方を変えることそのものが政治的行為であり、同時に学びの方法でもある。その実践から得られた視座は、世界の前提を見直し、根底にある権力の作動を見破ることを可能にし、私たちが主体的に生き、変革へと踏み出す力を与えてくれるであろう。
本書は、これらの学びに立ち、フェミニズムが実践と理論において分かちがたい知の体系であることを示し、諸学問に呈してきたフェミニズムの理論的深さを浮かび上がらせることを目的とする。本書はこれまで日本で刊行されてきたフェミニズムの入門書とはいくつかの点で異なる特徴をもつ。まず、「第一波/第二波」といった普遍的(かつ西洋中心的)な年代記に依拠せず、地域・文脈・立場に根ざしたフェミニズムの軌跡に最大限の注意を払う。さらに、フェミニズムと聞いて自然に想起される主題(ジェンダー、セクシュアリティ、性暴力など)にとどまらず、多岐にわたる学術領域のキーワードを章の起点にすえる。これにより、フェミニズムの思想と概念が各分野の専門知をいかに再構築してきたか(あるいは再構築しようとしているか)を、読者自身の関心からたどれるようにした。
本書は四部構成をとり、理論的視座から生活世界、周縁と境界、そして統治と地球的公共圏へと視野を段階的に広げていく。各部は独立して読めるが、相互参照をたどることで全体像に収束するよう設計している。
第Ⅰ部「理論と方法の現在──知・主体・身体」では、表象・現象学・認識論・セクシュアリティ・ペダゴジー(教授・学習の理論)を通じて、知の正当化/権威化の過程、誰が知の生産者になりうるのか、何が見え、何が見えないのか、そして身体と主体はいかに生成されるかをみていく。またジェンダーに加えセクシュアリティへの考察を加えることで、クィア理論の視座からフェミニズムを再記述する。この試みにより、規範化された性/家族/国家の前提を攪乱しつつ、境界の再描画・カテゴリーの再定義・連帯の再設計を図る。ここでの理論更新は、第Ⅱ部以降の議論を読み解く基盤となる。
第Ⅱ部「生活世界の再生産──ケア・貧困・労働」では、障害・ケア・再生産・貧困・労働・セックスワークを収め、生活を維持する実践の価値・コスト・資源の配分を政治経済の言葉で捉え直す。とりわけ、痛みや身体化された労働としての再生産やケアに光を当てることは、フェミニズムの最大の貢献の一つである。家事・育児・介護・感情労働(感情管理を含む労働)・時間管理といった不可視化されやすい営みが、ジェンダー規範と強固に結びつき、抑圧の物質的基盤を形成してきたことを示す。無償/有償の連続性、家庭・地域・市場・国家の境界を横断する配置、賃金・時間・リスクの不均等配分を分析し、誰が負担し、誰が利益を得るかを可視化する。第Ⅱ部を通じて、ジェンダー規範が織りなす構造と、その解体・更新に向けた制度設計の手掛かりが得られるだろう。
第Ⅲ部「周辺から問う権力──暴力・植民地主義・国境」では、交差性(差別軸の交差)の視点を起点にすえる(ただし交差性は本書全体を貫く分析レンズである)。ここでは、ジェンダーが交差する植民地主義の残響、沖縄における暴力、移住の統治、親密圏の暴力を扱い、暴力を私的/公的、帝国/植民地主義の継続性に連なるスペクトラムとして捉え直す。国境や帝国の連続性、法の及び方の差異、私的暴力と公的暴力の接続を描き出し、暴力と支配の「自然化」をフェミニズムがいかに歴史的、理論的に解明してきたのかを明らかにする。証言・制度・記憶・地政の層を往還しつつ、周縁から中心の前提を問い直し、抑圧の配置と抵抗の回路を具体的に地図化する。
第Ⅳ部「統治の再編と地球的公共圏──政治・技術・エコロジー」は、代表性と安全保障を入口に、情報環境(メディア・AI)、科学技術、エコロジー危機を横断する。統治のあり方、テクノロジーとプラットフォーム権力、アルゴリズムによる差別、気候正義など喫緊の課題に対して、フェミニズムがこれまでいかに介入してきたか/今後いかに介入しうるかを検討する。これらは日本では相対的に議論が少なかった領域である。また、人間中心の関心を超え、技術や自然、非人間的存在──生態系・他生物・インフラ・アルゴリズム──との関係まで視野を広げ、フェミニズム政治の対象を再定義し、新しいガバナンスを再設計する。
各部の末尾には、世界各地で展開された女性運動の事例を紹介するコラムを設け、学びの射程を広げるようにした。
本書で扱いきれないなかに重要な主題が少なくないこともあらかじめお断りしておきたい。宗教、司法、家族、社会政策、ジェンダー・バックラッシュなど、それ自体がフェミニズムの問いの対象になっているテーマは枚挙にいとまがない。男性学やトランスジェンダーも単独の章として構成されていない。もっとも、それらの多くは本書のどこかの章に織り込まれており、交差性の視角から横断的にたどることで、理解を深めることができるだろう。
全章は共通して四節構成をとり、第1節で問題提起、第2節で理論的系譜、第3節で日本における議論、第4節で残された課題と展望を提示する。共通の枠組みによって、これからフェミニズムを本格的に学ぶ読者が任意の章から読み進めても、体系的理解へ到達できるだろう。とりわけ第2節と第3節を分けることで、「日本」という立場性を可視化し、多様なフェミニズムとの往還のなかで相対化することを意図した。
各章の執筆者はいずれも当該分野において高い専門性を有する研究者である。世代・所属・研究背景の多様性が確保されるよう配慮した。異なる立場や方法論を交差させることで、読者が複数の視点からフェミニズムの論点を捉えることができるような編集を心がけた。付録として「さらに学びたい人のために」と題するガイドを収め、各章ごとに理解を深められる書籍や映画を紹介した。
本書が、フェミニズムの革新性と先端性を体系的に学ぶ足場となり、社会構造を読み解く視力を養い、フェミニズムを個々人が自らの現場で使える知へと結び直す契機となることを願う。理論と方法、生活世界、周縁の視角、統治の再編──四つの層を往復する読書が、それぞれの場所から始まる実践へとつながることを期待している。
【参照文献】
エンロー、シンシア(二〇〇四)『フェミニズムで探る軍事化と国際政治』(秋林こずえ訳/舘かおる・秋林こずえ責任編集)御茶の水書房。
フックス、ベル(二〇二〇)『フェミニズムはみんなのもの──情熱の政治学』(堀田碧訳)エトセトラブックス。
竹村和子(二〇二四)[初版二〇〇〇]『フェミニズム』岩波現代文庫。
申 琪榮

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【目次】
はじめに 〔申 琪榮〕
Ⅰ 理論と方法の現在──知・主体・身体
第1章 表 象──美術史から考えるフェミニズム(天野知香)
第2章 フェミニスト現象学──経験について考える(中澤 瞳)
第3章 フェミニスト認識論──認識的不正義を中心に(飯塚理恵)
第4章 フェミニズムとクィア──緊張と分断とをどう乗り越えるのか(清水晶子)
第5章 フェミニスト・ペダゴジー──権力を問い、新たな関係性を創造する(虎岩朋加)
コラム① イランの社会運動とフェミニズム〔山岸智子〕
Ⅱ 生活世界の再生産──ケア・貧困・労働
第6章 フェミニスト障害学──複合差別の経験から身体と規範を問い直す(稲原美苗)
第7章 ケ ア──近代社会におけるケア・ペナルティとジェンダー(山根純佳)
第8章 再生産・生殖──リプロダクティブ・ヘルス/ライツ、リプロダクティブ・ジャスティス(飯田祐子)
第9章 貧 困──「貧困の女性化」アプローチを超えて(藤原千沙)
第10章 労 働──働く人の連帯をうながすフェミニズム(金井 郁)
第11章 セックスワーク──周縁からの挑戦(青山 薫)
コラム② 中絶の権利運動とSRHR〔福田和子〕
Ⅲ 周辺から問う権力──暴力・植民地主義・国境
第12章 インターセクショナリティ──交差的抑圧に抗うための批判的探究と実践(徐 阿貴)
第13章 ポストコロニアル・フェミニズム──交錯する歴史と身体(趙 慶喜)
第14章 沖縄と暴力──二つの占領の狭間を生きる性/生のポリティクス(洪玧伸)
第15章 トランスナショナリズム──グローバル時代における女性の国際移住を問い直す(申 知燕)
第16章 親密な関係における暴力──被害者からサバイバーへ(山本千晶)
コラム③ フェミニスト・ストライキ──ラテンアメリカからの新展開〔伊田久美子〕
Ⅳ 統治の再編と地球的公共圏──政治・技術・エコロジー
第17章 政治代表性──プレゼンス・政策・象徴のプロセスから読みとく(申 琪榮)
第18 章 平和・安全保障──力による安全を問い直す(本山央子)
第19章 新しいメディアとAI――変わる技術・変わらない社会(田中東子)
第20章 科学・技術とフェミニズム──終わらない葛藤とともにある変革(隠岐さや香)
第21章 エコロジー・環境──生きる場をつくる(福永真弓)
コラム④ フェミニズムとSNS──個人の力が世界をつなぐ〔井口裕紀子〕
おわりに 〔青山 薫〕
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