世界思想社のwebマガジン

MENU

作家 森まゆみ×装丁家 矢萩多聞トークイベント「旅する京都、住む京都」@丸善京都本店

京都への憧れと恐れ

2023年2月26日、京都の丸善本店で、『京都不案内』の刊行記念イベントが開かれました。本書は、町歩きの名手・森まゆみさんによる初の京都紀行。「京都がなんとなく苦手だった」という森まゆみさんは、大きな病を得て、体にいいことをするため京都へときどき転地。暮らすような旅から見えてきた古都のおもしろさとは? 
対談のお相手は、娘との対話エッセイ『美しいってなんだろう?』を上梓した矢萩多聞さん。森さんの本の装丁を何冊も手がけている矢萩さんは、『京都不案内』のブックデザインも担当してくださいました。
京都を旅する森さんと京都在住の矢萩さん――お二人の楽しいトークを2回にわたってお届けします。

作家と装丁家として

森 多聞さんに最初にお会いしたのは10年以上前で、政治学者の中島岳志さんが取材現場に連れてこられたんですよね。

矢萩 そうです。中島さんは変わった著者で、新聞の対談記事にもかかわらず、「多聞さんも一緒に話を聞きに行かない?」と誘ってくれて、同行しました。

森 対談に装丁家が来たのは初めてでした。私の本を装丁してくれていた平野甲賀さん(1938-2021)が目を悪くされてお願いできなくなり、すぐ「この人に頼もう!」と思いました。最初にやっていただいたのは『海に沿うて歩く』(朝日新聞出版、2010年)でしたね。

矢萩 おなじ年に『抱きしめる、東京』(ポプラ文庫)、『明るい原田病日記』(亜紀書房)も立て続けにデザインして、そのあとも『『青鞜』の冒険』(平凡社、2013年)、『暗い時代の人々』(亜紀書房、2017年)などを装丁しました。

森 その二つは、私のお気に入りです。とても凝ったデザインなのね。

矢萩 最近だと『聖子』(亜紀書房、2021年)もそうですね。

森 文字がインパクトあるのよね。平野甲賀さんの奥様が多聞さんのことを大好きで、「平野甲賀の後継ぎ」なんて言ってました。

矢萩 おそれおおいことです。ぼくは平野さんにずっと憧れていました。おもしろい文字、いのちを感じる文字を、ねんどをこねるみたいに描けばいいんだ、と教えてくれた人です。

京都に移住するまで

森 多聞さんは私の息子くらいの年だから、私が死ぬまで頼めそう(笑)。多聞さんの経歴っておもしろいのよね。

矢萩 ぼくは小学生くらいからあまり学校に行きたくなくて、しょっちゅう休んでいました。いまでいう不登校児ですね。中学1年くらいから、1年のうち半分はインドで暮らすようになりました。インドで絵を描いて、その絵を日本に持ち帰り、個展を開いて絵を売り、そのお金でまたインドに行くという暮らしを10代の間ずっとしていました。20代になって、ひょんなことから本の仕事をするようになりました。

森 京都に来る前は横浜に住んでたよね。私もお宅に訪ねたことがあります。

矢萩 はい。もともとぼくは横浜出身で。妙蓮寺という東横線沿線に、空き家を修理して住んでいました。家の3倍はある広大な庭があって、雑草がぐんぐんのびるので、草刈りが重労働でした。でも、植物のしぶとい生命力は、なにがあっても大丈夫だと思わせてくれるものがありました。そうこうするうちに娘が生まれて、その直後に東日本大震災が起こりました。

森 しかも東京電力福島第一原子力発電所の事故が起こって、東日本は危ないという緊迫した状況になった。それもあって京都に移住されたんですよね。

矢萩 いろいろあって、2012年2月に京都に来ました。ぼくも妻も気に入って、「ここに住もう」と思いました。早いもので京都暮らしも10年以上になりました。その間に息子も生まれました。

森 京都に来たら、多聞さんのお宅に伺って、子どもたちと遊ぶのが楽しみ。勝手に多聞さんのお子さんを孫だと思ってかわいがっています。

京都に通いはじめて

矢萩 森さんが京都に通うようになったのは、ご病気をされたからですよね。

森 そうね。2013年から2年くらい、私は新国立競技場の建て替え反対運動をしていました。それまで東京で40年間、古い建物の保存や活用などの運動をしてきましたが、政府と真正面から対立することはなかった。そのうち矢面に立ってしまって。SNSでとんでもないことをたくさん書かれました。「おまえはサッカーの試合を見たことがあるのか」とか、「ラグビーをわからない女が何言うか」とか。建築家からも「国際コンペで決まったものをひっくり返すと、これから日本人の建築家がコンペでグランプリを取れなくなる」とか。ストレスが半端なく、そのうちにがんになった。手術はせず、放射線治療を受けました。治療が終わった2015年5月から、京都にときどき滞在して樹木気功をするようになりました。

矢萩 けっこう朝早くからやられてるんですよね。

森 ええ。早朝から体を動かすと、とても気持ちいい。自分の体と向き合って今まで苦手な京都が好きになりました。お寺が3000もあって緑が多い。わざわざ遠くへ出かけなくても、鴨川を歩くだけで十分にお花見ができるのも気に入っています。鴨川以外にも、琵琶湖疏水とか、神社の中をちょろちょろ流れている小川とか、水が豊かですね。井戸水でつくる豆腐とか、湯葉とか、水を汲めるところもある。

 東京は人口が減っているのに超高層を建てるとか、再開発しまくりで、緑が減っていく。巨大な国立競技場を新しく建てただけでは終わらず、明治神宮外苑の再開発とかいって、3000本の木を伐採するという無茶苦茶な計画が進行中だし。

矢萩 京都は川がいいですよね。ぼくの暮らしの中で、歩いて行ける距離に川があるって重要なんです。横浜の実家の横にも川があったけど、完全にコンクリートで固められていて、川との距離はかなり遠い。でも、高野川とか鴨川の距離感、大きすぎない感じがちょうどいい。(『美しいってなんだろう?』の「美しき「川」」はこちらから試し読みできます)

森 京都の人は川べりの使い方が上手ですよね。楽器の練習をしたり、ランニングやサイクリングをしたり、鴨ピクなんていってピクニックをやったり。鴨茶というお茶会まであるそうですよ。

矢萩 みんな、思い思いにのんびり過ごしてますよね。

森 人のテンポも、東京よりゆっくりしているような。

矢萩 この本の見返しに地図が載っていますが、これは相当偏っていますよね(笑)。

森 そうそう。左京区に偏っています。だって私、基本的に観光地へは行きませんから。京大周辺をうろうろ歩いて、ごはんもそこらへんで食べます。リーズナブルなおいしいお店がありますから。自転車にも乗るけど。四条河原町あたりには映画を見に行ったり、飲みに行ったりしますけど。

京都のイメージ

矢萩 京都に頻繁に来るようになる前は、京都にどのようなイメージを持っていましたか。

森 最初は憧れですね。私が中学くらいの時、平凡社の『太陽』という贅沢な雑誌があって、京都特集、源氏物語特集、平家物語特集などがありました。それを好きで見ていましたね。『枕草子』や『徒然草』などを読んで。だから私の心の中の京都は紫式部や兼好法師、鴨長明あたりなの。高校生のときは、東山ユースホステルに泊まって、寺社巡り。お金がないから、3日に1回は湯豆腐なんかを食べて贅沢したら、あとの2日はパンと牛乳で済ますという旅でした。「いちげんさんお断り」とか「ぶぶ漬け神話」は怖いなあとおもいましたが。

矢萩 ああ、「ぶぶ漬けでもどうぞ」と言われたら、帰れという意味だという、あのおそろしいやつですね。

森 東京人は京都の歴史にコンプレックスと、なんかじっとり怖いなという気持ちを持っているんです。でも、私はそういう目に遭ったことはないです。

矢萩 ぼくもないですよ。

森 だから、あれは神話でしょう。『祇園祭』という本をお書きになった中世史の脇田晴子先生が、「いやあ、そんなのがあるのは祇園祭の氏子の辺だけよ。京大あたりは人が出たり入ったりするところだから、そんなことないんよ」と。

矢萩 横浜にいたとき、「京都に引っ越そうと思うんだ」というと、反対する人がけっこういました。忠告してくれるその人は京都に住んだことはないんだけれども、「知り合いが京都に住み始めたけれども、とてもいじめられて、一年もしないで帰ってきたから、きっとそうなる」なんていわれました。でも、ぼくは左京区に暮らして10年以上になりますけど、いろいろな人が交ざり合って暮らしていて、居心地は悪くないです。

森 私も。全共闘やヒッピーやミュージシャンや、ベジタリアンや、いろんな伝説をもっていて。そういえば、『舞妓さんちのまかないさん』というドラマがありますね。ご覧になった方はいらっしゃいますか。

矢萩 もともと漫画が原作で、アニメとドラマになったんですよね。是枝裕和監督が総合演出しています。

森 私が知っている京都とは全然違いすぎて、のけぞってしまいました。祇園のお茶屋にあんなに人のいい女将や大女将がいるかしら。京都工繊大がロケ地のひとつで、私もよく授業に潜りで行きますが、あそこの建築の教授で祇園で遊んでばかりいる人なんて見たことない。

矢萩 東京の人が抱く美しい京都という感じは否めませんね。

森 まあ、フィクションと思って見ればいいのかもしれないけど。東京の人には昔から京都に対する憧れがあったようで、夏目漱石や正岡子規、幸田露伴のような作家たちも京都にやってくる。漱石は京都帝国大学の教授に招かれています。その時に漱石が書いた手紙が面白くて、「僕は京都に遊びに行きたいのだ。教えに行きたいのではない」と断っちゃった。幸田露伴のほうは、京大で1年くらい教えて辞めて帰ってしまったようです。江戸っ子だからねえ。正岡子規は若い時に、漱石と一緒に京都に来ています。子規の死後、漱石はその思い出を「京に着ける夕」に書いています。これがけっこう泣けるんです(『京都不案内』の「子規の京都」はこちらから試し読みできます)。京都を愛したのは吉井勇。「かにかくに祇園はこひし寝るときも枕のしたを水のながるる」という歌が有名で、これを刻んだ碑が白川沿いにあります。

後編に続く


京都不案内

森まゆみ

京都を暮らすように旅する――。
市民運動のやり過ぎから免疫低下でがんになった。治療の後、体にいいことをするため京都へときどき転地。気功をし、映画を見、銭湯に入り、ごはんを食べて語り合う。観光客の集まる古都とは違う何かが見えてくる。

美しいってなんだろう?

矢萩 多聞 著
つた 著

真と善はしばしば争いを生むが、美は敵を作らない
美しいってなんだろう?

――ある日、8歳の娘から投げかけられたなにげない質問に、手紙を届けるように文章を書きはじめた。

600冊以上の本をデザインしてきた装丁家・矢萩多聞。
小学生の娘と交わした、世界のひみつを探る13の対話。

タグ

バックナンバー

著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

  2. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに600冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『本とはたらく』(河出書房新社)、『本の縁側』(春風社)、『インドしぐさ事典』(Ambooks)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

ランキング

せかいしそうからのお知らせ

マリ共和国出身、京都精華大学学長、ウスビ・サコ。 30年にわたる日本生活での失敗と、発見と、希望をユーモラスに語るエッセイ!

ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」

ウスビ・サコの「まだ、空気読めません」

詳しくはこちら

韓国の男子高校で教える著者が、学び、実践してきたフェミニズムとは?

私は男でフェミニストです

私は男でフェミニストです

詳しくはこちら

イヌと暮らせば、愛がある、学びがある。 進化生物学者が愛犬と暮らして学んだこと。

人、イヌと暮らす

人、イヌと暮らす

詳しくはこちら
閉じる