消費する観光から交流する旅へ
2023年2月26日、京都の丸善本店で、『京都不案内』の刊行記念イベントが開かれました。本書は、町歩きの名手・森まゆみさんによる初の京都紀行。「京都がなんとなく苦手だった」という森まゆみさんは、大きな病を得て、体にいいことをするため京都へときどき転地。暮らすような旅から見えてきた古都のおもしろさとは?
対談のお相手は、娘との対話エッセイ『美しいってなんだろう?』を上梓した矢萩多聞さん。森さんの本の装丁を何冊も手がけている矢萩さんは、『京都不案内』のブックデザインも担当してくださいました。
京都を旅する森さんと京都在住の矢萩さん――お二人の楽しいトークを2回にわたってお届けします。
前編はこちら
谷中・根津・千駄木
森 私は、再開発ばかりの東京は嫌なのですが、自分の住んでいる町は好きなんです。
矢萩 谷根千ですね。
森 私たちが『谷中・根津・千駄木』という雑誌を出したことから、みんなが「谷根千」というようになりました。
矢萩 ある意味、記号化されたようなところがありますよね。
森 谷中はオーバーツーリズムになっているけどね。ブランド化したから、あとからもうけに来たようなお店ばかりにな
矢萩 すこしゾッとしたのではないですか。
森 ええ、ゾッとしました。これ以上来ないでくれ、と。でも京都の住人はずっとそれに耐えてきたんですね。
矢萩 とはいえ、谷根千のあたりは、東京の中では比較的のんびりしていて、身の丈に合ったような感じがしますね。
森 高速道路は通っていないし、歩道橋も超高層ビルもないです。外から人が来ても夕方になると帰ってしまうから、夜は静かです。人出がなくなったら、しめしめと、好きな居酒屋や、友だちのうちに遊びに行きます。私が谷根千からずっと出ないものだから、子どもたちには「お母さんは谷根千しか知らないよね」とバカにされました。子どもたちはフランスとかアメリカで暮らしたことがあって、私より海外経験がある。私もどこかに行こうと思って、40代半ばから年の半分はパソコンもって旅行している。元祖リモートワークです。
京都のコンパクトさ
森 東京は地価が高すぎるのが大変。50坪くらいの家を残したくても、3億5000万くらいもする。自分で買って残すのは無理だから、お金持ちを探して買っていただく。京大の学生さんは大学の近くに下宿していますが、東大の近くは高くて学生さんは住めません。この間、東大前にあったラーメン屋が夜逃げした。聞いたら、家賃が100万だったそうです。取る方も取る方だよね。
矢萩 ええー! そんなに高いんですか。
森 それは私も夜逃げするわ、と思いました。その点、京都の地価は東京の3分の1くらいかな。京都に住もうと思って、物件探したのよ。家賃1万円という物件は、「男子の学生に限る」と言われて駄目でした。不動産屋さんが車であちこち連れていってくれて、「ちょっとこれは事故物件でして」「祟る霊も京都にはたくさんいてはります」などと、よもやま話をしてくれました。
京都は、冬が底冷えして、夏がむし暑いでしょう。それが結構こたえます。最初に借りた物件は昭和初期の古い建物で、冬の夜は本当に寒くてたまりませんでした。居酒屋でたまたま隣に座りあわせた人が京大の熱工学の研究者で、「どうしたらいいでしょう?」と聞いたら、「段ボールを布団の下に敷いて寝なさい」と教えてくれました。それで段ボールを敷いて寝ていました。
矢萩 でも、京都に来て、なんで段ボールを敷いて寝なければいけないのか、って思っちゃいますよね。
森 そうなの。いくつか紹介された家に住んでみたのだけど、お風呂がなかったり、坂がきつすぎて自転車で上がれなかったり。今は、気心の知れた定宿を見つけて、そこに滞在しています。とはいえ、銭湯に行くのもいいものでね。定宿から一番近いのが東山湯という銭湯です。入口にジュリー(沢田研二)の若い頃の写真が貼ってあるの。
矢萩 森さん、ジュリーが好きですよね。
森 大好き。3.11後は、反原発の歌を作って歌って、尊敬しています。ジュリーは浄土寺あたりに住んでいたそうです。近くの居酒屋で、ジュリーと小学校の同窓だったという人に出会うこともあるし。
あと、映画を見るのは、東京より京都のほうが便利です。東京の盛り場には足が向かない。神保町の岩波ホールも飯田橋のギンレイホールも閉館したし。買い物をする趣味もないでしょう。もらい物で生きているから。この服ももらい物。本をあげると服をくれる人がいるの。
矢萩 わらしべ長者みたいですね(笑)。
森 京都には、京都シネマ、出町座、みなみ会館というミニシアターがあって、いろんな組み合わせで上映しているから、一日に3つも4つも見られます。定宿からバスか自転車でいける出町座はお気に入りです。
矢萩 京都の書店はあまりガツガツと競争する感じがないのがいいです。徒歩圏に編集者がいたり、出版社があったり、デザイナーやものづくりをしている人がいたり。そういう環境で本を作れるというのはとてもいいなと思っています。人の距離が近くてホッとする。人だけではなくて、近ごろは出張から帰ってくると、バスの車窓から見える比叡山や大文字、高野川にホッとしています。
森 たしかに、山が近いのはいいですね。四手井綱英先生(1911- 2009)という林学という概念を森林生態学に変えた方の本を作ったことがある。森や林は木を作る工場だ、という考えを林学だとすると、森林生態学というのは植物、動物、菌類などの生物と土壌や気象などの環境をひっくるめて生態系ととらえる考え方です。「里山」という概念をつくった方でもあります。四手井先生のお宅に行ってびっくり。こんもりと森になっているのです。最初はただの宅地だったのですが、いろいろなものを植えていくうちに、森になったそうです。「理科などは中学までは自然の中で、野外で教えるべきだ」ということを言ってらした。
京都の人へのインタビュー
森 京都の一番好きなお寺は法然院です。たたずまいもとてもいいのです。それで、貫主の梶田真章さんにインタビューをさせていただきました。講演会とか読書会とかコンサートとかいろいろな企画をされ、文化的な学びの場を提供しています。京都の環境を守るための活動もされてきました。
矢萩 ぼくがはじめて京都に来たのは、2006年に法然院さんで個展をひらいたときなんです。大きな絵を梶田さんに買っていただいて、いまもときどき出して飾ってくださっているようです。娘も森の子クラブに通っていたし、とてもご縁のあるお寺です。
森 京都のお寺の中には「えっ?」というくらい高い拝観料を設定しているところがありますが、法然院さんは拝観料をお取りになりません。お会いしたときについ聞いてしまったんです。「法然院さんはどうして拝観料を取らないのですか」と。すると梶田さんは「うちは檀家寺ですから」とおっしゃいました。檀家がないお寺は拝観料をもらわないと維持できないでしょうと。「どの寺もどこかからはお金を頂くのです」と。たしかに法然院さんには、谷崎潤一郎や河上肇、九鬼周造など有名な方のお墓がたくさんあります。
矢萩 本には梶田さん以外に3人の方のインタビューが収められていますね。
森 西川祐子先生は女性史の草分け的存在で、昔から著作を拝読していたので、一度お会いしたいと思っていました。民権運動で活躍した京都出身の岸田俊子の物語風伝記『花の妹』(新潮社、1986年/岩波現代文庫、2019年)を書かれているのですが、「京都だから書けた」と仰っていました。京都新聞に連載を始めると、次々と京都のお蔵から俊子の書と絵が掛軸、額、襖、
矢萩 すごいですね。
森 ものすごい量の資料にあたって執筆された『古都の占領』(平凡社、2017年)では、京都に進駐軍がいた時代のことを綿密に調べ、インタビューも重ねあわせて、土地に沁み込む記憶が重層的に描き出されています。東京育ちの私は、京都は空襲で焼かれなかったというイメージがあり、進駐軍が来たことも知りませんでした。
民族学で有名な梅棹忠夫さんの妹、田中ふき子さんにもお話を伺うことができたのですが、ふき子さんが「京都でも空襲はあったんですよ」と話していました。清水や西陣、太秦に爆弾が落とされたそうです。ふき子さんは西陣の商家の生まれで、綾部の農家に嫁ぎ、たくましく農婦として生きてこられた方です。頭の回転が速く、ユーモアのある語りがとても楽しかったです。
染織家の志村ふくみ先生は、ご自分がたくさん本を書いてらっしゃるから、私が何か付け加えることなんてないんですが、実際にお会いできて光栄でした。富本一枝、白洲正子、柳宗悦、富本憲吉と、そうそうたる方たちの導きと輝きを全身で受けとめて、歩んでこられたことを語ってくださいました。
観光から交流へ
森 京都はなんといっても千年の都です。それに対して、東京は400年。文学や歴史について考えるときの深さや重みは違うと思います。だから、観光客もどんどん来る。外国からも来る。それでオーバーツーリズムになってしまう。京都の住民にとっては迷惑でしょう。東京の富裕層で、京都に高いマンションを持っている人が結構います。そういうのも住民からしたら腹が立つかもしれません。
ただ、一か所にずっと暮らしている時代でもなくなってきているのかな。定住する場所を持たず、サブスクで住まいを借りながら、ずっと旅をして生活している人たちもいます。昔は、ノマドやバックパッカーは少数者でしたが、今では会社に勤めながらもやれるようになってきています。この前、湯布院で出会ったアドレスホッパーは、会社で経理をやっていると言っていました。パソコンさえあれば仕事はできるので、ずっと旅をしながら経理をしているそうです。
「観光」という言葉は少し嫌だけれども、軍事大国よりは観光立国のほうがいいし、原発大国よりも断然いいと思います。産業大国、IT先進国にも日本はどうもなれそうもない。だったら目指すべき方向としては、観光の中身を実り豊かなものにしていくのがいいんじゃないか。ただ1回来て消費して帰っていくような人ではなくて、その土地を理解して、その土地を好きで、ゆっくり行ったり来たりしてくれる人を増やしていく。お互いに交流しあって、豊かな関係を育てていく。私もあちこち旅をしながら、交流を続けています。京都でも、自分の足で歩いて、人と知り合って、またその友人を紹介してもらって、ネットワークが自然に広がっていきました。
矢萩 観光は行政の問題も大きいと思います。どんどん新しいホテルが建てるだけが観光ではないですよね。
森 こんな本を書いて、オーバーツーリズムに拍車をかけてしまったら申し訳ないですが、京都の行政も本当に大事なものは何かをみうしなっている気がします。鴨川にフランス風の橋を架ける計画とか。世界遺産の神社の前にマンションが建つのを規制しないとか。規制はどんどん緩くなりそうです。
京都府立植物園界隈の再開発計画もひどいですね。今、スタアリといって、政府がスタジアムやアリーナを増やす方向に動き出すと、地方行政もみんな右へならえです。
やはりどこも税収が少ないので、金に弱くて、すぐに企業と相乗りしてしまいます。土建政治は継続しています。これは京都だけの問題ではありません。ヘリテージ(文化遺産)と、川や山並みなどのコモンズ(共有資産)があるからこそ、遠くから人が訪れるのだということを、行政は理解してほしいですね。市民も変なものが建ちそうになったら、反対してください。私がいたら嵯峨野の竹林をあれだけ切らせないのに……と思うときもあります。でも残念ながら、私は住民ではないので、ここは京都の住民にがんばってもらうほかないのです。
京都不案内
森まゆみ
京都を暮らすように旅する――。
市民運動のやり過ぎから免疫低下でがんになった。治療の後、体にいいことをするため京都へときどき転地。気功をし、映画を見、銭湯に入り、ごはんを食べて語り合う。観光客の集まる古都とは違う何かが見えてくる。
美しいってなんだろう?
矢萩 多聞 著
つた 著
真と善はしばしば争いを生むが、美は敵を作らない
美しいってなんだろう?
――ある日、8歳の娘から投げかけられたなにげない質問に、手紙を届けるように文章を書きはじめた。
600冊以上の本をデザインしてきた装丁家・矢萩多聞。
小学生の娘と交わした、世界のひみつを探る13の対話。