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美しいってなんだろう?

美しき「川」

 世の中には山が好きな人と、海が好きな人がいるが、ぼくはだんぜん川が好きだ。家の近くに川がないと、なにかものさびしい。特別な川でなくていい。おもいついたらすぐいける距離に、なにも考えないで歩ける川べりがあることが大事なのだ。




 ぼくと川との最初の出会いは「今井川」だとおもう。
 横浜に生まれた人なら、え? あの汚いフツーの川? と思うかもしれない。水の量はすくないし、河原はゴミや砂利ばかり。雑草が生えるがままにヤブとなり、青春映画にでてくるようなかっこいい土手もない。コンクリートで固められた河川敷は、おせじにも美しい景観とはいいがたい。
 今井川のすぐ横の国道沿いに、祖母と母がいとなむたばこ屋があった。建物は二階がアパートになっていて、ぼくは生まれてから二十歳代半ばまでここに住んでいた。
 アパートといっても、六畳二間台所トイレ付きの部屋が横並びに三軒ほど。風呂はなく、ほかの住人は銭湯に通っていた。ぼくら家族の風呂はたばこ屋の奥にあったので、寒い冬でもいったん玄関から外の廊下に出て、階段を降り、店のシャッターを開けて、はいりにいかなくてはならなかった。
 廊下のはしっこには、ふるい籐の椅子が置いてあった。夏の風呂上がり、そこにちょこんと腰かけ、母と夕涼みをしたのを覚えている。にごった夜空に星座を探しはじめると、つい夢中になって、気づけばからだが冷えきっている、なんてこともよくあった。
 コンクリートむきだしの廊下の全長は十メートルほど。三輪車やスケボーを走らせるにはちょうどよかった。まるでこまねずみのように1日飽きもせず、いったり来たりしたものだ。
 ここですごしているとき、背景にはいつも川がみえていた。
 シャボン玉を吹くと、泡玉が風にのってふわふわ川向こうまで飛んでいく。むこうのマンションまではじかずに届けられるか。シャボン液のびんはあっという間に空になって、洗濯機の横で洗剤をまぜては何度でも吹いた。

 夢のなかにもよく今井川がでてくる。ぼくはきまって、外廊下の柵によじのぼり、からだをのけぞらせ、ぱっと足を蹴る。そうすると、からだがシャボン玉のようにふわふわ浮いて対岸へ渡れる。夢の長い物語は、たいていその場所からはじまるのだ。
 昔から今井川と帷子川は、大雨が降ると氾濫しやすかった。
 台風の日、雨や風が恐ろしいうなりをあげはじめると、外廊下から川をみて、あふれていないか何度も確かめた。もしも、水かさが川の柵の下まで上がってきたら浸水は間ぢか。家族全員で店の品ものを二階にあげ、裏口に土のうをつんだ。
 翌朝、川岸にはいろんなものがうち上げられる。流木や、ビニール袋、がれきにまじって、みたこともない小動物が顔を覗かせる。どこからか逃げだしたちいさなワニがいて、ちょっとした騒ぎになったこともあった。

 小学校にあがっても、川は親しみある場所だった。子どもの足で三十分かかる登下校路のほとんどは今井川沿い。すこし歩いてはたち止まって川をみてばかりいたから、六年間、毎朝学校にはなかなかたどりつけなかった。
 中学生になって、ぼくは学校というものにあきあきしていた。小学生のころから、どんな教科でも、いかにほかの生徒とはちがう答えをひねりだすか、ということを楽しみにしてきた。独創的といえば聞こえはいいが、先生からしたらあまのじゃくで、あつかいづらい子どもだったとおもう。
 一学年十クラス以上あるおおきな中学校には、そんな生徒がいられる場所はなかった。授業中、ぼくがどんなことをいおうとも、黒板に文字が書き連ねられ、プリントが配られる。自分とはまったく関係のないところで物事が進んでいく。それは目をつぶり、耳をふさいで生きているも同然だった。
 中学一年三学期のある朝、学校にどうしてもいきたくなくて、河川敷の柵にもたれかかり、ずっと川をみていた。
 よく晴れた冬の空の下。川面に陽がきらきらと反射し、あかるく美しかった。おだやかな波をゆらしながら、とどまることなく流れつづける川の姿をみていたら、学校にいくのいかないのとクヨクヨ悩んでいる自分がずいぶんちっぽけなものに思えてきた。
 やーめた。ぼくは学校からきびすを返し、家に帰り、玄関のドアをあけるなり、母にいった。
「もう学校にはいかない」




 数年後。ぼくは南インドのちいさな田舎町に暮らしていた。
 家から十分ほど歩いたところに、チトラヴァティという川が流れていた。川といっても、水はちょろちょろ。乾期には干上がって川底があらわになる。朝の涼しい時間、おおきな砂の道のようになった川底をあてどもなく歩いていると、このまま世界の果てまでいけるような気分になった。
 川べりにはさまざまな背たけの植物がしげり、カラフルな花を咲かせている。その合間に犬や人間の糞が転がっていて、ハエや玉虫が飛びかい、フンコロガシたちがせっせと糞を丸めて運んでいる。気をつけて歩かないとふみつぶしてしまいそうだ。
 いくつかの場所では煙があがっていて、火元を探すと、ゴロンと大の字にねっころがった人骨にいきあたる。まだかなり熱い。前日にくべられた薪はすでに燃えつきてはいるが、炭となってぶすぶすくすぶっている。
 その横では、バシーンバシーンとドーピー(洗濯婦)が服を石に叩きつけ洗っている。わずかな水ですすいだ服やサリーは、一枚一枚地面にひろげ干される。色とりどりの布はまるでパッチワークのよう、川底をモザイク模様が埋めていく。土手の木陰にこしかけて、ぼーっと眺める。あたりには洗濯の石板のかわいた音だけが響きわたる。なにもかもが美しい。

 ある期間、インドの家で一緒に暮らしていた友人がいた。彼は日本に帰国したのち、突然病にたおれ、数ヶ月の闘病を経て、三十三歳という若さで亡くなった。
 生前、彼とはよくチトラヴァティ川を散歩し、木陰でおしゃべりしたり本を読んだりした。そのとき、「もし、自分が死んだらこの川に骨をまいてほしい」といっていたので、そのとおりにした。日本での火葬のとき、遺骨をわけてもらい、インドまで運んできたのだ。
 チトラヴァティ川の真ん中に行き、ちいさなビニール袋のふたをあけ、パタパタと遺骨を川にまく。粉のように細かく砕けた骨は、まばたきをする間もなく水になじんで、どこにいったのかわからなくなった。
 数カ月後、川の水がすくなくなると、労働者たちがバケツリレーのようにして、川の砂をトラックに運びはじめる。家やビルをつくるコンクリートに混ぜられるのだ。友人の骨は粉々になって、川下に流れ、石や砂と混ざり、風に吹かれ、あるいは人の手で運ばれて、だれかの家の柱や壁になる。みょうな感じだ。彼はいったいどこへいってしまったのだろう。川に来るたびにそんなことばかり考えていた。
 季節がめぐり、川水が完全に干上がった。いつものとおり、砂の道をそぞろ歩いていると、ふいにおおきな牛糞が目にはいった。直径はゆうに三十センチはある。かなり乾燥して、ひらたい石のようになっていたが、そのまん中からなにかの植物の芽がにょきっと生えていた。おそらく牛がのみこんだ種が糞のなかで発芽したのだろう。水はほとんどないというのに、芽は太陽にむかって、迷いなくまっすぐ伸びている。けなげで、どこか神々しい。その美しい姿をみているうちに、ぼくははっと気がついた。
 ああ、彼は輪のなかに帰っていったんだ。もはや骨か、川の砂か、牛糞かわからない。それらは混ざりとけあい、ひろい世界のなかでいのちの車輪をまわしている。骨やからだにはもう触れることができないが、彼とすごした記憶はここにあって、生きていたときとはちがうかたちで自分のなかにとどまっている。いつでも会えるし、話すこともできる。




 八年前から暮らしている京都の家のちかくには高野川がある。
 春は桜並木が咲きほこり、夏は子どもたちが川にはいって遊ぶ。秋は落ち葉ひろい、冬は雪がつもるとソリで土手をすべり、雪だるまをつくる。川べりの道はひろくはないが、犬の散歩やジョギングをする人がいき来している。橋の下では、若い人が楽器を練習している。ベンチでパンやだんごを食べるおばあさん、新聞を読むおじいさん。生活と川がとても近いところにある。
 京都に住みはじめる前、京都から川崎に引っ越してきた友人が「こっちにはちょうどいい川がない」といっていた。そのときは意味がわからなかったが、いまはすこしわかる。京都に暮らしていると、川は「ちょうどいい場所」なのだ。
 このごろはぼくも東京出張の帰り道、バスのなかから鴨川や高野川がみえると心底ほっとする。くよくよしたとき、悩んでいきづまったときは、川へいく。解決するとはかぎらないが、のどのつかえがすこしとれて、気持ちがすっと落ち着くことがある。

 ここ数年、毎月、近所の子どもたちと野山で絵を描く「ちとらや」という会をやっている。ふだんは宝ヶ池の山を歩くのだが、夏の暑いさかりは八瀬へいく。叡山電車に乗れば四駅で着く距離だが、川と緑のおかげで体感温度がぐっと下がる。
 てごろな木陰をみつけたら、川の水で絵の具を溶かし、スケッチブックにおもいおもいの絵を描く。かたちのいい川石を集め、色を塗る子がいる。筆をなげて、手で色をまぜる。網で捕まえたちいさな魚をバケツに集める子もいる。だれかひとりが腹ばいで川をはいまわりはじめると、みなわらわらとワニの子になる。昼には弁当をひろげ、大人たちは缶ビールをあける。なんてすばらしい休日。
 描きあがった画用紙はパッチワークのように河原に並べられる。まだ十分に乾いていない絵の具が、陽の光にぎらりとかがやく。目を細めれば、いつかの日の風景がすけてみえる。
 今井川、チトラヴァティ、高野川……。いくつものシーンが交差する。台風で流れついたワニより、流れにたゆたう落ち葉より、骨がとけた砂粒より、ぼくはちっぽけでたよりない。目の前のおおきな川に呆然とし、いつも迷って、左へ右へ流れてゆく。
 それでも、せっせっと糞を丸めて転がしつづける、あのフンコロガシを思い出す。なにがあろうと、生きられるところまで生きるしかない。

娘 つたのつぶやき

山が好き? それとも、海が好き? んーと、川が好き? ときかれたらわたしはまよってしまう。
山は好きだ。自然がいっぱいで気もちいい。海も好きだ。海の生き物が少しこわいけど、およぐのが好きなのだ。川も好き。春はお花見ができたり、川の音がしたりする。なつは川あそび、あきはおちばがプカプカういてキレイ。冬はさむそうであまりいきたくないが雪の日はたのしい。
まあ、これでどっちもどっちできめられない。

川。川といえばなんだろう。つめたい? きもちい? さむい? きれい? たのしい? おもいつくことがいっぱいある。高野川はわたしのよくいく川だ。まだあかちゃんのときにお花見をした。3、4才のとき、「男はつらいよ」のとらさんにあった。家ぞく3人で雪あそびした。小さいときは水がにがてだった。だけど、一年生になって、スイミングにかよいはじめていくうちに、水がへいきになった。そして、川に入ると「キレイ」、そうおもうようになった。にごっている川はキレイとはおもわないけれど。

春になると、さくらがさき、お花見をした。みんなでおべんとうをたべ、たべおわったら、とび石をした。足がみじかいときはこわかったけれど、大きくなるにつれてこわくなくなっていった。ピョンピョンとんでいると、下の川がキラキラ光ってきれい。本当に川ってうつくしいと思う。

みんないきている。川だって、海だって、山だって、花だって、草だって、鳥だって、魚だって、みんないきている。みんな、何かをするためにうまれてきて、それがおわったらしんでいく。わたしはできることをしたい。なにをすれば……そうだ、えをかこう。どうぶつたち、しょくぶつたちのえを。それを「ちとらや」でやりたい。

ほんじゃあ、次回をおたのしみに!

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著者略歴

  1. 矢萩 多聞

    画家・装丁家。1980年横浜生まれ。9歳から毎年インド・ネパールを旅し、中学1年生で学校を辞め、ペン画を描きはじめる。1995年から南インドと日本を半年ごとに往復し個展を開催。2002年から本をデザインする仕事をはじめ、現在までに500冊を超える本を手がける。2012年、事務所兼自宅を京都に移転。著書に『偶然の装丁家』(晶文社)、『たもんのインドだもん』(ミシマ社)、共著に『タラブックス インドのちいさな出版社、まっすぐに本をつくる』(玄光社)、『本を贈る』(三輪舎)がある。http://tamon.in

  2. つた

    2011年横浜生まれ、京都育ち。小学校は昨年から永遠の春休みにはいり、風のふくまま気の向くままフリースクールとプールと図書館に通っている。本があれば、どんな長い時間でも退屈しない本の虫。好きな映画は「男はつらいよ」。いつの日か車寅次郎と再会することを夢見ている。矢萩多聞の娘。

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