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『京都不案内』試し読み

第2章 バスと自転車

京都を暮らすように旅する――。

市民運動のやり過ぎから免疫低下でがんになった。治療の後、体にいいことをするため京都へときどき転地。気功をし、映画を見、銭湯に入り、ごはんを食べて語り合う。観光客の集まる古都とは違う何かが見えてくる。


 二〇一五年の五月に京都に行ったとき、しばらくぶりだし、気候はいいし、早朝の気功が終わるとやることはないし、張り切ってあちこち出かけた。といっても観光ではなく、散歩である。幸い、京都の友人が、あちこちのおいしいお店の情報もくれた。

 まず、新緑の美しいところに行こう。
 友人のすすめは西の方、北野天満宮境内に残る、豊臣秀吉が築いた御土居。紙屋川沿いに青もみじがアーチをつくり、本当にきれいだった。帰りに北野天満宮を参拝。三十年近く前、ものすごく寒いときにここの市、「天神さん」に古布の取材に来たのを思い出す。「人の持ってはった着物にはその人の念がこもってますねん。しつけの取れてへん晴れ着やらは、家が没落したり、縁談が壊れたりの、不幸を背負っていますのや。そういうのをむやみに買って着いひんほうがよろしおすえ」となぜか古着を商う女性にいわれたのを思い出す。
 あのとき、訪ねたある古布の店では、一二歳くらいのお嬢さんが派手な模様の着物の上にまた派手な帯を合わせていて、まるで七五三みたいだった。東京でいう「満艦飾まんかんしょく」というやつだ。東京では「粋で高等こうとな」というのが褒め言葉で、絹物なら鮫小紋とかあられとか藍微塵あいみじんとか、木綿なら紺や茶系の渋い縞柄が好まれる。いっぽう私の服も関西の友人には「地味やなあ」「なに汚い色着てるのん」と評判がよくないが。
 もうひとつびっくりしたのは、店主である女性が自分の孫娘に「あんた、いい着物きてはるなあ」「かなちゃん、宿題してはる?」と敬語を使ったことだ。
 北野天満宮をあとにして、上七軒の花街に出た。なるべく観光的でないうどん屋で「にしんうどん」。喉越しがなめらかでおいしかった。この花街は室町時代、北野天満宮の再建余材で作った茶屋に発祥し、西陣の旦那衆でっていたらしい。上七軒を抜け北上し、千本釈迦堂にお参り、さらに東へ歩き、千本通を北上して釘抜地蔵で有名な石像寺にお参り。鞍馬口通を東に歩き、船岡温泉につかって帰った。
 ある日は、自転車を借りて朝、九時頃に滞在場所から近い吉田山の東にある真如堂まで行った。天台宗のお寺で庭がいい。三井高利や海北友松かいほうゆうしょうの墓がある。さらに黒谷の金戒こんかい光明寺へ。浄土宗の寺で、境内に自由に入れる。戊辰戦争の会津藩殉難者墓地があった。文久二(一八六二)年から鳥羽伏見の戦いまでに命を落とした会津藩士三五二名を慰霊する。この寺は境内が広く京都守護職、会津藩主松平容保が本陣を構えたところ。
 自転車で岡崎通を南下して丸太町通に達すると、平安神宮に出る。明治二八(一八九五)年、平安遷都一一〇〇年を記念して創建された新しい神社。平安京を造った桓武天皇と京都に最後に住んだ孝明天皇を祀る。平安神宮の北西角に武道センターがある。弓道大会開催中で、たくさん欧米人がいた。ことに京都でこうした日本の武芸や参禅をしているのはフランス人が多い。今やフランスの方が柔道人口も多いというし、合気道や剣道、弓道も人気だ。しかしここで自転車がパンクしてしまい、帰りはさんざんな目にあった。 

 京都に行くと一番思うのは交通事情の違いである。
 東京では、数十年ここに生まれて住んでいる私でも乗り換えがわからないほど、十数本の地下鉄が絡み合い、私鉄も乗り入れている。私は都内ではどこに行くのもたいてい地下鉄。これが一番便利で早い。階段の上がり下りが嫌だし、地下鉄サリン事件があったし、直下型地震に地下で遭遇したくないな、とはいつも思うけれど。
 それに対して、京都には地下鉄が二本しかない。南北に走る烏丸からすま線と東西に走る東西線だ。JRの主要駅は京都駅と二条駅しかない。東京では山手線がぐるりと都心部を取り囲み、中央線・総武線もあって、新幹線の切符を買いに行くにも私なら巣鴨や駒込、水道橋まで自転車で一〇分も走ればいいが、京都ではそうはいかない。私は六〇歳を過ぎてからJR東日本のジパング倶楽部の三〇パーセント割引で切符を買う。それには窓口に行くしかない。帰りの指定席の切符を買ってしまうと、その変更にも京都駅か二条駅まで行かなければならない。しかもジパング倶楽部では東海道新幹線のぞみの特急券の割引がない。ということで、帰りの切符は事前には買わないで、当日、京都駅でひかりの自由席を買うことに落ち着いた。
 京阪、阪急、叡山電鉄などもあるが、ほとんど使わない。京都市民の足は断然バスである。
 京都駅前から滞在地、京大方面に行くには一五分に一本ほど来る市バス一七号系統が便利。鴨川と並行する河原町通を北上し、繁華街の四条河原町、三条河原町を通り、今出川通に出ると右折して、賀茂川と高野川が合流する風景を見ながら橋を渡る。さらに東に走ると京大吉田キャンパスが面する百万遍ひゃくまんべんに至る。この経路は乗り換えがなくて楽だが、時間はかかる。もっと早く行きたいなら、京都駅から地下鉄烏丸線で今出川駅まで行き、そこから市バス二〇一号系統あるいは二〇三号系統に乗ればいい。一〇分に一本は来るので便利だ。
 しかし、バスはなんと混んでいることだろう。大きなトランクを持った外国人が次々、乗り込んでくる。あっという間に満員になり、停留所で待っている地元のおばあさん、おじいさんを乗せずに通過する。自分もトランクを持ったよそ者だから、呆然としているお年寄りの表情が辛い。 
 ともあれ、バスの持つ意味は京都では東京よりずっと重要だ。みんな「何番のバスに乗って」という話をよくする。京阪バス、京都バスという私営のバスも走っている。京都市バスの路線は本当に複雑で、路線地図をもう何回もらったかわからない。均一区間は一回の乗車が二三〇円なので、四回乗るなら、七〇〇円のバス一日券を買ったほうが得(すぐ失くすけど)。
 ちょうど、京都国際写真展が開催されていたので、バスの一日乗車券を使って見てまわった。なかなか面白かった。三〇年ほど前、全国町並みゼミが京都で行われたとき、私はフランス文学者でエッセイストの杉本秀太郎さんのお宅や、京都生活工藝館無名舎むみょうしゃの吉田孝次郎さんのお宅もお訪ねしたのだった。杉本先生は亡くなられたが、会場のひとつになっていた無名舎前で吉田さんにばったりお会いするとお変わりなかった。
 祇園新橋伝統的建造物群保存地区にある、白川にかかる橋を渡って入る会場で、フォスコ・マライーニの写真展「海女あまの島――ルガノ文化博物館コレクション」をやっていた。これが一番面白かった。特に、裸の海女さんのなんと生き生きとして健康的なことか。
 フォスコさんは私の知人の友人で、「イタリアに行くならフォスコに会ってこい」といわれていたのだが、二〇〇四年に亡くなられ、機会を逸した。美丈夫の文化人類学者・登山家で、一九三八年に日本に留学し、北大でアイヌの研究などをした。戦時中は京都帝国大学でイタリア語を教えていたが、一九四三年のイタリア王国降伏後は敵国人として名古屋の外国人収容所に収監された。その娘が作家のダーチャ・マライーニ。
 さて京都のもうひとつの市民の足は自転車。みんなよく自転車に乗っている。うらやましいのは、大きな自転車屋さんがあちこちにあって、パンク直しも、空気入れも嫌がらずにやってくれること。私も京都滞在中は自転車を借りている。
 たぶん京大生の自転車通学率は、うちの近くの東大生の倍くらいじゃないかと思う。学生たちはたいていデイバッグの中に本やパソコンを入れ背中にしょっている。東京では地価が高いので東大生は本郷周辺には住めない。もともと自転車通学の人は少ないうえ、利の薄い自転車屋さんはどんどん減ってきている。起伏が多くどこに行くのも坂道を越えなければならない。私なら白山から本郷台の坂を下り、上野台に上ってまた下りて浅草へ至る。逆方向だと指ヶ谷を越え、小石川の台地に出て、また下りて小日向とか目白台に至るとか。それで最近は、ママチャリはみんな電動に変わった。京都だと坂はない。三方は山だが、囲まれた盆地は平らだ。
 と思い込んだが、どうも間違いだとわかった。北白川あたりから一乗寺・修学院方面へ北上するときは自転車を漕ぐのは大変、反対に京都駅方面に走るときは微妙に下りていくので楽ちん。行きはよいよい帰りはこわい。京大の北側、茶山あたりの美容院に入って「今日は結構冷えますね」というと、「この辺まで来ると京都駅周辺より気温がずっと低いんです。京都駅よりも三〇メートル以上海抜が高いんですよ」という。知らなかった。 

 そんなふうに、二〇一五年五月、うかうかと私は二週間も京都にいた。そのときは、まだ、Nさんが私に厳しい食事指導をしていた。「眠りかけていたがんを放射線で痛めつけたので、がんは少しのすきにも転移しようと狙っています。今はお酒はダメです。お茶かせいぜい梅酒。また豚肉とか牛肉も良くない。食べるならクジラか羊、鳥の砂肝がいいでしょう、砂糖はパルミラ椰子というのを探してください」。どのがんの本を読んでも菜食と玄米と書いてありますが、と私。「玄米は合う人と合わない人がいます。それに季節によっても違う。夏はちょっと胃にもたれるかな」。
 毎日、体の欲する食べ物は変わるそうである。エリンギを食べなさいといわれたり、ギンナンがいいとか、ブラウンマッシュルームがいいとか、チャボの卵とか、なかなか手に入らないものもあった。
 トランクの荷物も増えたので、帰りは駅までタクシーでいくらかかるか行ってみようと思い立った。二四〇〇円ほどで京都駅八条口に着いた。


 

目次 

はじめに

第1章 樹木気功で体を治す 

第2章 バスと自転車 

第3章 ゲストハウスとアパート探し 

第4章 カフェとシネマ 

第5章 がらがらの京都 

インタビュー① 法然院貫主・梶田真章さんに聞く――学びの場としてのお寺

第6章 散歩で建築を楽しむ 

第7章 古都の保存と開発 

第8章 宿の周りでひとりごはん 

第9章 京料理屋の大忠にて 

第10章 吉田山の話 

インタビュー② 女性史・生活史研究の西川祐子さんに聞く――偶然を必然に変えて

第11章 鴨長明『方丈記』と「足るを知る暮らし」 

第12章 子規の京都 

第13章 吉井勇と祇園 

第14章 漱石の女友達・磯田多佳 

インタビュー③ 染織家・志村ふくみさんに聞く――“見えないもの”に導かれて

第15章 つたちゃん、たねちゃんのこと 

第16章 ヒッピーとタイガース 

第17章 居酒屋で聞く話 

第18章 五代友厚と二人のスリランカ人 

インタビュー④ 田中ふき子さんに聞く――農婦として六〇年  

京都リヴ・ゴーシュ――あとがき

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著者略歴

  1. 森 まゆみ

    1954年東京生まれ。作家。早稲田大学政治経済学部卒業。1984年に友人らと東京で地域雑誌『谷中・根津・千駄木』を創刊、2009年の終刊まで編集人を務めた。歴史的建造物の保存活動にも取り組み、日本建築学会文化賞、サントリー地域文化賞を受賞。主な著書に『鴎外の坂』(芸術選奨文部大臣新人賞)、『「即興詩人」のイタリア』(JTB紀行文学大賞)、『「青鞜』の冒険』(紫式部文学賞)、『暗い時代の人々』、『子規の音』など。

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