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世界ユダヤ紀行

東京タワーのハヌカ

 年に一度、Merry Christmasの文字に飾られた東京タワーと、黒い衣装に身を包んだラビたちとの対比という異色の取り合わせが見られる日がある。街にクリスマス・イルミネーションの灯る2017年12月19日、東京タワーのふもとで屋外の特設会場が設けられ、ユダヤ暦の祭ハヌカが行われた。ハヌカと言えば8本のロウソクに8日間一本ずつ火を灯し、8日目には光でいっぱいになった燭台が街中で見られるのがイスラエルの冬の風物詩だ。ユダヤ神殿を異教徒から奪還した奇跡を祝うというハヌカの起源に由来し、ロウソクは道に面して灯すことになっている。この時、燭台を灯すための聖油はわずかしか残っていなかったが、8日間絶えなかったという。聖油の故事を記念し、ジェリーやクリームを詰めたドーナツや、揚げたジャガイモなど油をふんだんに使った料理を食べる。

 このイベントは、都内にシナゴーグをもつ「ハバッド・ルバヴィッチ」という教派の一つ(Chabad Lubavitch of Japan, Tokyo)が主催してイスラエル大使館からの来賓や日本の政治家も招かれ、100人ほどが集まる規模の大きいものだった。こうしたユダヤ教の祭りごとが公の場所で行われることはほとんどなく、多くの日本人にとっては珍しい文化イベントにしか見えなかっただろう。


邦楽の演奏。舞台奥に東京タワーの足元が、右手にハヌカの燭台が見える。右奥の肖像写真は、ハバッド・ルバヴィッチのカリスマ的指導者であったラビ・メナヘム・メンデル・シュニエルソン[1902⁻1994](撮影筆者)。

日本に暮らすユダヤ人

 外国で暮らした経験のある人を除いて日本では多くの人が「ユダヤ人に会ったことがない」「ユダヤ教には馴染みがない、珍しい」と言う。もしあなたが仮に英語を話す外国人と知り合いになり、彼/女がどこから来たか尋ねたとしよう。その人はたとえばアメリカから来たと出身国を答えるだろうが、「アメリカのユダヤ人(American Jewish/ Jewish American)」だと初対面で答える人はほとんどいないだろう。また、イスラームのシンボルとして理解されている女性のベール姿のような目につく格好をするユダヤ人もほとんどいない。それでも、彼/女が同僚や同級生ならば、付き合いが進むにつれ、クリスマスを家族で祝うことはないが、同じ時期にハヌカというお祭りがあってロウソクを灯したりドーナツを食べたりすること、あるいは、曽祖父母はアメリカ生まれではなくポーランド生まれであることを知ることになるかもしれない。そうした話の端々からしかユダヤ人の姿は見えてこない。

 日本には1000人ほどのユダヤ人が暮らしていると言われるが、宗教別の統計が存在しないためあくまでも推定である。ここで「ユダヤ人」として統計に数えられている数字の中にはイスラエル人もアメリカのユダヤ人も含まれている(注:法務省が発表する在留外国人数統計によれば、2020年6月末時点のイスラエル国籍の在住者は608人)。国としてのイスラエルと、イスラエル以外に暮らすユダヤ人についてはある程度別のものとして考える必要があるが、その話は別の折に譲りたいと思う。彼らは仕事のために滞在しているかもしれないし、日本人と結婚して家庭を持っているかもしれない。ベールを付けたイスラーム教徒の女性が、実はマレーシア人であったりアメリカ人であったりするのと同じことだ。

 イスラーム教徒といえばモスクで集まる印象があるかもしれないが、ユダヤ人にとってはシナゴーグ(ユダヤ教会堂)がコミュニティセンターとしての一つの役割を果たす。とはいえユダヤ人が熱心なユダヤ教徒であるとは限らないから、大勢が集まるのはユダヤ新年や過ぎ越し祭のような大きなお祭りに限られ、公の施設のホールを貸し切って祭日を祝う場合もある。そのような時には、旅行中で日本に滞在している人も含め世界各地から人が集まり、英語、ヘブライ語、スペイン語、ロシア語等々、実に多様な言語がテーブルを行き交う。こうした場で出身地に違いはなく、同じ歌を歌って盛り上がることができるのはとてもおもしろい。

 「2人のユダヤ人がいれば3つのシナゴーグができる」という有名なユダヤ・ジョークがある。意見が分かれても妥協しない論争好きのユダヤ人像を物語る言葉どおり、それぞれの好みにより近い人の集まる場所を目指して集う。東京には3カ所、神戸と京都に1カ所ずつ祈りの場所があり、大まかには、敬虔に宗教戒律を守る人びとの集まるシナゴーグ(日本の場合はハバッド・ルバヴィッチによる集いの場)と、より緩やかなシナゴーグに分かれている。この内最も歴史が長いのが、神戸にある関西ユダヤ教団(Jewish Community of Kansai)である。フィクションではあるが、ドイツを逃れて神戸に暮らしたユダヤ人家族を描いた手塚治虫の漫画『アドルフに告ぐ』を思い起こされる人もいるかもしれない。神戸の丘には国際的な港湾都市らしく、同じ通りにモスクやジャイナ教寺院、シナゴーグが立ち並んでいる。神戸ではまた、1940年から41年にかけ、ナチス・ドイツ下のユダヤ難民がいわゆる「杉原ヴィザ」を手にして入港し、再び第三国へ渡って行ったことも知られている。リトアニア領事だった杉原千畝[1900⁻1986]が外務省の命令に背いて発行し、四面楚歌の状況に置かれた数千人の命を救ったという「杉原ヴィザ」の存在はイスラエルでも知られており、日本では功績をたたえる記念館(岐阜県八百津町の杉原千畝記念館)や映画(『杉原千畝 スギハラチウネ』2015年)もつくられている。

はじめてのイスラエル料理とシナゴーグ訪問

 ある文化について知るためにまず料理から入りたいなら、東京でも本格的なイスラエル料理が楽しめる店が3軒ある。私が学生時代にはじめてイスラエル料理を食べたのもこのうちのひとつだった。代表的なイスラエル料理といえば、ファラフェル(ひよこ豆のコロッケ)やシャクシュカ(トマトと卵の煮込み)、フムス(ひよこ豆のペースト)などがあるが、これらは必ずしもイスラエルだけで食べられているわけではない。イスラエル料理と名前がついていても、実際にはレバノン・ヨルダンなどの中近東の周辺国でも似たような料理は食べられている。


イスラエルのフムス専門店で。フムスに様々なトッピングを乗せたもの。

 はじめてのイスラエル料理を食べた後、私はあらためて店長さんにお願いし、後日開店前にインタビューをさせていただく運びとなった。当時、私は漠然とユダヤ人が食べている食事とユダヤ教の食餌(しょくじ)規定(ヘブライ語で「清浄な」を意味するコシェル、または「清浄な状態」を示すカシュルート。日本では英語風にコーシャとしても知られている)について知りたいと考えていた。ユダヤ教では、食べるのに適さない食品や調理法が定められている。野菜には何の制限もないので、主に問題になるのは肉だ。豚肉食の禁止が最も有名で、かつ守る人も最も多い。旧約聖書には次のように書かれている。「地上のあらゆる動物のうちで、あなたたちの食べてよい生き物は、ひづめが分かれ、完全に割れており、しかも反すうするものである」(レビ記11章2-3節)。たとえば牛、羊、ヤギを指す。また、「ひれやうろこのないものは、海のものでも、川のものでも、水に群がるものでも、水の中の生き物はすべて汚らわしいものである」(レビ記11章10節)。したがってウナギやエビは食べることが禁じられている。その他には肉類とミルクを同時に食べてはならないことなど細かい禁止事項を挙げればきりがない。イスラエルで市販されているほとんどのパッケージ食品には、認証が付いている。現在では日本から海外向けの輸出用にラビの認証を受けた日本食品も多くなってきたとはいえ、敬虔なユダヤ人であれば日本で食事することすら難しい。

 用意した質問リストには、「お店の料理は食餌規定に合っているか」「イスラエルでは食生活はさまざまだと聞くが、戒律を守る食生活をする人とそうでない人は考え方がどう違うか」などが挙げられている。イスラエルにはユダヤ人、ムスリム、キリスト教徒が住んでいるためユダヤ料理とイスラエル料理を混同してはならないことも、この時教えてもらい初めて知ったことだった。

 私が訪れたイスラエル料理店では、店長自身がそうした家庭には育たなかったという背景もあり、食餌規定を守っていないとのことだった。要するに、と彼がまとめたのは「信仰についても食についても自分次第」だということだ。ユダヤ教の戒律として知られる原理原則と、実際の人びとの暮らしとの違いについては、私がユダヤ人について研究を進めていくうちにより深く知ることになるテーマである。それでは食餌規定に従った食事を日本ではどこで食べられるのだろうか?

はじめてのシナゴーグ訪問

 先のイスラエル料理店で勧められ、私は次に広尾にある日本ユダヤ教団(Jewish Community of Japan)のシナゴーグに足を運んでみることにした。ユダヤ教徒でなくても親切に教えてくれるからという言葉を信じ、HPに記されたメールアドレスに連絡をとって金曜日の夕刻から始まる安息日礼拝に訪れることになった。15年前の私は相当緊張していた。

奥まった入り口にはいかにも入りにくそうな雰囲気が漂っている。入り口には「警備の必要性により、すべてのお客様のバッグ及び荷物を点検させていただきます」の文字が英語併記で記された看板。ふたたびビビる。3分ほど、何を言おうかと逡巡ののちカメラ付きインターフォンのボタンを押す。とたんに付くカメラの照明部分に緊張の面持ちを照らされつつ、対応の人が出るまでしばし待つ。

 ユダヤ教の礼拝堂の造りは、たとえばヨーロッパで見られる豪奢なキリスト教大聖堂はもちろん、街中の教会と比べてもシンプルなものがほとんどである。偶像崇拝の禁止のため装飾ができるだけ排され、前方中央にカーテンや棚で仕切られたモーセ五書の巻物が礼拝の中心となる。この後幾度となくユダヤ教の礼拝に参加することになる私だが、この時ばかりはすべてが物珍しく、ヘブライ語で読まれ朗誦される祈祷書もまったくちんぷんかんぷんだった。「立てと言われたら立ち、突然後ろを振り向けと言われれば振り向く」礼拝の進行にどぎまぎし、礼拝の途中で建物の外から「いしやきいも~」と聞こえるとラビが話を中断し、「いつも不思議なんだがあれは何?」と尋ねて笑いが起こったことを覚えている。

 礼拝が終わると、参加者が食堂に集まり安息日のディナーを共にした。ここでも印象に残ったのは、何か典型的にユダヤ的なものが見られるかと無邪気に想像した私の前に並んだ「日本的」な料理の数々だった。

ス、スブタ!?!?なわけはなくスドリなのだった。しかしケチャップ風味に具はニンジン、玉ねぎ、赤ピーマン、キノコと、酢豚とまったく変わらない。シャバット中は一切の仕事をしてはいけない決まりからであろうが、厨房に入っているのが日本人女性なのでまったくの日本の味なのだ。

 私にとってはじめてのイスラエル料理とシナゴーグ体験は、何かしら純粋にユダヤ的やイスラエル的なものではなく、日本では日本の暮らしに合った、また一人一人の好みにあった生活があるがあるのだという、ごく当たり前のことを気づかされるきっかけとなったのだった。

 

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著者略歴

  1. 宇田川 彩

    1984年、横浜市生まれ。東京大学総合文化研究科博士課程修了、博士(学術)。現在、東京大学総合文化研究科中東地域研究センター/スルタン・カブース講座特任助教。文化人類学を専門として、アルゼンチンとイスラエルを中心に現代のユダヤ人にかんする研究を行ってきた。主な著作に『それでもなおユダヤ人であることーブエノスアイレスに生きる〈記憶の民〉』(世界思想社、2020)、『アルゼンチンのユダヤ人ー食からみた暮らしと文化』(風響社、2015)がある。

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