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鷲田清一×藤原辰史「人生案内の流儀」

どんな哲学書を書くより難しいこと

6月に発売した『二枚腰のすすめ』の刊行を記念して、著者の鷲田清一さんと藤原辰史さんに対談を行っていただきました。コロナ禍の最中、リモートで行われた対談の内容を4回に渡ってお届けします。

現実を複雑なままとらえ、安易な断定に抵抗してきた鷲田さん。その鷲田さんが、なぜ今回の本ではズバリ言い切っているのか? 第1回は、藤原さんとの対話で、その謎が明かされます。

お楽しみください!

Zoomの身体論

藤原 本の話をする前に、Zoomを始められた鷲田さんの身体論について聞きたいです。

鷲田 最初は、少し見くびっていたの。「そんなん無理や」って。「バンと肩でもたたかないと」と思っていたんだけど、意外とちゃんと向き合えると思いました。手を振るところから始まって。

藤原 そうですね。私も意外にしゃべれるなと思いました。でも一方で、あと一歩が。

鷲田 もどかしい。

藤原 もどかしさが残るのがちょっと……

鷲田 ただ、普段の雑談と違って、いつもは口が先に動き出すけれども、少し抑制気味で、自分の考えをまとめてしゃべらないといけないので、無駄なことはあまり言わないようになっているのはあるかもしれません。でも、これだけだったら、駄目ですよね。うつむいたままでいられないのもちょっとつらいし。

藤原 同意します。

直球ではなく、背後にあるものを意識して

藤原 『二枚腰のすすめ』、面白くて、本当に一気に読んじゃったんです。まず最初に、自分が同じ立場だったら、相談役を引き受けるかな?と思ったんです。こういう人の悩みを読んでいるとメンタルやられる人なんで、私。

鷲田 最初、引き受ける時には「いのちの電話」との比較を思ったんです。いのちの電話って、追い詰められて、わらをもつかむような感じで電話してこられる。電話を受ける人は、どの時点で受話器を置いたらいいか、けっこう難しいんです。他方で、想像しているよりもいたずらが多い。スタッフに女性の方が多いので、いわゆる卑猥ひわいな話を。

藤原 知らなかったです。

鷲田 今、すごく問題になっているんです。その人たちに延々と時間がとられて、大事な電話を受けられないケースもある。選別がとても難しいそうです。

新聞の人生相談のほうは、編集部のスクリーニングがあるから、受けるのも嫌だというようなものは上がってこない。ただ、相談文が非常に短いので、リアクションが的外れにならないか心配なところがあります。一方で、これはルール違反なんですが、原稿用紙十枚分ほど書いてくる人も。それらをまず想像力をはたらかせて読み込みます。

藤原 それはすごいですね。

鷲田 最終的にはそれを記者の方が原稿用紙1枚分に再構成してくだって紙面での相談となるわけです。もちろん相談はご本人が文章として書いておられるわけで、書きなぐりといったものはめったになく、自分がいま陥っている困窮の、あるいは苦境の対象化がある程度はできています。

藤原 確かに。

鷲田 ただ、自分の困窮とか苦境の捉え方が、じつは世間で流通していることばや概念で自分を追い詰めているところがけっこうあるんです。

たとえば、自分のコンプレックスを「非モテ」だ、「根暗」だと決めつけたり、「孤独であってはいけない」という強迫観念があったり。あと、「学歴」や「出世」から外れているとか。

そういう表現を見ていると、どこか社会で流通していることばにとらわれて自分を解釈して悩んでいるところがあるなという感じがするんです。

だから、僕は、相談文に表現されたものを文字どおりに受けとるんじゃなくて、その背後にあるものを意識してことばを返したいなと思ってきました。あるいは、同じように苦しみはあるけれども、相談するツテも回路もない人。新聞も読まないし、投稿するエネルギーもない人。そういう、訴えている人の背後にいる、書かない人や話さない人たちのことも同時に意識しつつ書いてきました。

相談に「乗る」というかたちなら

鷲田 僕、実は人生で特にプライベートなことで、人に相談した経験がないんですよ。

藤原 (笑)

鷲田 自分の中に大きいもやもやがあったりすると、友人にちょっと会ってみたいなと思って飲みに誘ったりするでしょう。でもじっさい会ったら絶対言わないもんね。ぼそっと、何か関係ないことを言って、「人生、まぁいろいろあるよなあ」ぐらいで終わるんです。これは性分なのかもしれないけれども、本当に信頼している友人でも、個人的なことを具体的に相談したこと、ないんです。

しかも、胸を張って人さまに言えるような生き方をしてきたとはとうてい思えないし。だから、回答役を最初に言われた時は「そんなのとても無理だな」と思いました。でも、答えることは無理だけれども、相談に乗ることならできるかなと、ふと思ったんです。回答者は一種の分業制になっていて、たとえば法律的な問題は法律の専門家に、とそれぞれ専門の回答者がおられる。僕のところに回ってくるのはぱっと答えが出そうにないものばっかり。だから、相談に乗るというかたちだったら、人生の指南役にはなれなくても、人文学をやってきた端くれとして何かできるかもしれないし、また、しないといけないかな、と引き受けたんです。

答えは、すっと回答というかたちでは出せないかもしれない。でも、問題の受け止め方とか問いの立て方だったら、「ひょっとしたら、こういうことちがう?」というかたちで乗ることができるかなと思ったんです。同じしんどさでも、ちょっと違う照射角度から光をあてて、「こんなふうにも見えませんか」。あるいは、先ほど言った世間で流通していることばで自分を対象化するんじゃなしに、「ちょっとアングルを手前に引いて、直面する状況の中での自分のポジションを確認しなおしませんか」とか。そういうことをこちらから提案する回答が多かったんじゃないかなと思います。

頑固おやじのミッション・インポッシブル

藤原 いろいろな不可能性の中でこの本ができあがっているなと思ったんです。一つは、本でいうとわずか1ページ分の質問に対して、一発で答える。その一発勝負というのがすごい。「ミッション・インポッシブル」というんですか。初めて会う人に1ページ分しかない情報に対して、1ページで返す。これはある意味、どんな哲学書を書くより難しいことを実践されたんだなって。

鷲田 いや、怖いですよ。ひょっとしたら、すごいトンチンカンかもしれない。「その人が苦しんでいることがらをちゃんとキャッチできていたかな」という不安はいつでもあります。

藤原 鷲田さんが「えいやっ」と書かれているのが、文章の行間から感じられました。「ここはかなり勇気をもって発言されているな」とか、「ここは思い切られているな」とか。一見とっつきやすいつくりになっていますが、本気で考えだすと読者も深みにはまっていく本だなと思ったんです。

僕は感情に流されるタイプなので、相談を読んでいると、かわいそうになってきて。

鷲田 切ない。

藤原 「わかるよ、わかるよ、うんうん、わかるよ」と言って私なら終わりそうなんです。だけど、鷲田さんは予想以上に厳しい近所の頑固おやじさん役に徹している。近所にたまにいるじゃないですか。原理的にものを考えて、がんと言ったり、「いや、それはね」と言ってくれる。その役を引き受けていらっしゃったので、読んでいる時はけっこう厳しいな、と思いました。とくに最初のほうは、けっこう突っ込んでいる。絶対、僕は引き受けられません。だって、鷲田さんみたいに僕、厳しくなれないもん。

鷲田 そんな厳しくないよ、僕。

藤原 厳しいと思う。鷲田さんは、相談文を書いてきた人をリアルに存在する者としていったん受け入れているから、逆に近所の頑固おやじさんみたいなことばが出てくるんだなと思って。僕だったら、「うん、そうだね。うん、うん」とつい優しいことばで終わるけど、それはぜんぜん役に立たない。相談に乗っているように見えて、すごく冷たく聞こえると思うんです。

あらゆる不可能な環境の中で、あえて理性的であろうとする、あえてことばを紡いでみようとする鷲田さんの覚悟に、私は驚きました。自分にはまだできないです。たぶん、年齢的な問題や、経験値もあるかもしれないけれども、すごい難しい条件だなと単純に思いました。

鷲田 これ、やっぱり、なんらかの形で答えないといけないんです。答えるって、アンサーじゃなしに、リアクションをしてあげないと。とにかく、なんとしても、どういう形であれ、状況を打開しないといけない。それで相談を持ち掛けていらっしゃるわけだから。それは哲学者としては非常に苦しいことでした。

藤原 そうですよね。

鷲田 僕も今まで、そういう習性がなかったんです。むしろ逆で、「ああでもない」「こうでもない」と、しつこくというか、のらりくらりというか、じっくり考えるのが哲学者の習性で。ドクサ(断言)は駄目だという心得でやってきたんです。

今回これができたのは、というか、しなければならないことを無理にでもしたのは、大阪大学で学長をしていた経験が今から思うと、少しは影響しているのかなと思います。

顔の見えない相手にことばを届ける

鷲田 というのは、いつも卒業生と大学院の修了生を合わせて六千数百人の入学式・卒業式があって、数多くの職務の中でこれがけっこうつらかったんです。誰の顔も見えないまましゃべらないといけない。しかも、確かなメッセージを届けないといけない。会場もあの大きな大阪城ホールだったので、スポットライトがこっちに当たり、比喩じゃなしに、本当に1人の顔も見えない(笑)。

藤原 見えないんですか、あれ(笑)。

鷲田 見えないんです。

藤原 意外に孤独なんですね。

鷲田 そうですよ。しかも、ずらっと人が並んでみんな聞いているじゃないですか。後ろのほうには保護者もいらっしゃるし。そんな中で、顔も見えない相手にしゃべる、でもみんなにはっきりとことばを届けないといけないという経験。新聞と似ているなと思って。新聞も読者の顔がひとつも見えません。

僕はふだん新聞のエッセーを書いている時、一千万人を相手にするのは最初から諦めています。いろんな考えの方がいるから、いつも数人しか見ていない。この人が自分の書いた文章を読まれて、どう思われるかなということで、その人に読んでもらってもいいと、恐れ多くも自分で覚悟を決められたら文章を書ける、という感じで。それは、自分が一番頼りにしている思想家であったり、あるいは知人であったり、あるいはひょっとしたら、エッセーの場合はよく、家族がこれを読んだ時に納得するやろうか、と。

藤原 大事なポジションですね、それは。

鷲田 今ならたとえば、コロナのこと。先だって緊急提言なさった藤原さんのことを思い浮かべたりするし、あの人が読めばどう思うだろう、といったことなんです。

「私に向けられている」と受け取ってもらえるように

鷲田 このあいだ『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)という、阪大と京都芸大の卒業式、入学式での式辞集を出したんですけど、これが、ストレートに「こういうふうにやってほしい」と哲学者らしからぬ文章を書いた初めての経験でした。

阪大でしゃべったことと、芸大でしゃべったことの雰囲気がぜんぜん違うのは、芸大の場合は卒業生200人でしょう。普段から、しょっちゅう教室に行っている。講義じゃないから、だんぜん面白いんです。ものの制作と楽器の練習。

藤原 雰囲気がぜんぜん違うわけですね。

鷲田 ぜんぜん違う。それから、阪大と違って、みんな卒業してから定職がない。10年、20年はアートだけでは食っていけないから。音楽のほうなら交響楽団に入れる人なんか、超エリートでしょう。みんなレッスン教師をしたりして。それでも、演奏家としてやめたくないって。美術なんか、最近は画廊で買ってもらってデビューしてなんていう回路がまったくないし、友達と助けあって一緒にアトリエを借りたり、倉庫を借りたりしてやっている。かれらのこれからを考えるとものすごく切ないから、メッセージというよりも、「とにかく頑張って、つらいやろうけれども」と。ちょうど、文学部の博士課程を出ても就職がなかった頃は僕も同じ気分だったから、共感のことばが多いんです。

人生相談は、阪大の、顔が見えないまま、でも何か言い切ってことばを届けるという4年間の経験がなかったら、怖くてたぶんできなかったろうなと思います。

藤原 私が驚いたのはその言い切りです。鷲田さんの今までの本もたくさん読んできたつもりですけれども、鷲田さんは、私のようにある意味、原理主義に走りがちな性向がある人に、「ちょっと待ってよ」とブレーキをかけて、でも原理主義に走る人の気持ちもけっしてないがしろにしない立場だと思っていました。

今回は、けっこう言い切っていらっしゃるのがすごく新鮮で、響きました。今うかがってわかったのは、阪大の式辞の時に言わざるを得ないという状況に追い込まれた経験があったんですね。

鷲田 一番しんどいのは、顔が見えないけれども、「私に向けられている」と受け取ってもらえるようにことばを紡ぎ出すということの難しさ。世間の教訓では駄目。私に語りかけて、答えてくれている、という。それは難しいです。

藤原 そうでしょうね。阪大の学生だって多種多様ですし。

鷲田 そうです。

藤原 私は小学校の時から校長先生の話はつまらないことが多かったんです。通り一遍の教訓しか語らないからですよね。

鷲田 たまに、東京とか大阪で、職業人になっている卒業生たちが僕の式辞のことを覚えてくれていて、「こんなこと、言ってくれはった」というふうに返してもらえた時は、とにかくほっとする。なんか許してもらえたかのような。

藤原 やっぱり、ほっとするんだ。

この『二枚腰のすすめ』も、顔写真が送られてくるわけでもないし、ただ文章だけが来て、本当に限られた情報で、いのちの電話みたいに、もしかして、本当に自殺寸前の方もおられるかもしれないし、面白半分で鷲田さんをからかいにきている人もいるかもしれない中で、わずかこれだけのところでやるのが、読んでいて本当に面白かったです。

次回へ続きます。

二枚腰のすすめー鷲田清一の人生案内

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著者略歴

  1. 鷲田 清一

    1949年京都生まれ。お寺と花街の近くに生まれ、丸刈りの修行僧たちと、艶やかな身なりをした舞妓さんたちとに身近に接し、華麗と質素が反転する様を感じながら育つ。大学に入り、哲学の《二重性》や《両義性》に引き込まれ、哲学の道へ。医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探求する、二枚腰で考える哲学者。2007~2011年大阪大学総長。2015~2019年京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。朝日新聞「折々のことば」執筆者。 おもな著書に、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫、桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』(ちくま学芸文庫)、『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)。

  2. 藤原 辰史

    1976年、北海道旭川市生まれ。島根県奥出雲町で育つ。2002年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農と食の現代史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年/新装版2012年/第1回日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』(人文書院、2011年)、『ナチスのキッチン』(水声社、2012年/決定版:共和国、2016年/第1回河合隼雄学芸賞)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館、2012年)、『食べること考えること』(共和国、2014年)、『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017年)、『給食の歴史』(岩波新書、2018年/第10回辻静雄食文化賞)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会、2019年)、『分解の哲学』(青土社、2019年/第41回サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社、2020年)、『農の原理の史的研究』(創元社、2021年)、『植物考』(生きのびるブックス、2022年)などがある。

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