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鷲田清一×藤原辰史「人生案内の流儀」

言い切れなさに果実が眠っている

6月に発売した『二枚腰のすすめ』の刊行を記念しておこなわれた、著者の鷲田清一さんと藤原辰史さんの対談の最終回。

名文家としても名高いお二人が、人文学の読み物は、どのように書かれるべきか、語りあいます。鷲田さんが、人の話を「聞くのが苦手」と打ち明けると、藤原さんは話すのが苦手だったと告白。最後には、藤原さんから鷲田さんへの切実な人生相談も!

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哲学相談所

藤原 面白い本でした。たかが人生相談ですけれども、いわゆる「人生論」を語られるよりも、もっと自分が考えもしないところに連れて行ってくれるジャンルです。そもそも、「相談所」という場所は、ドイツ語にすると「レーテ」ですよね。まさに20世紀のドイツ革命の主体となった「評議会」でもあります。

鷲田 フランスで「哲学カフェ」という運動が起こって、阪大が最初に1990年代にまねしてやり出したんですけれども。その時にドイツは「哲学カウンセリング」とか「哲学相談所」とか言ったんです。相談所は「プラクシス」。「実践」とともに「診療所」という意味もあります。フランスは「カフェ」なんですけれども。

藤原 そうなんですか。

鷲田 哲学相談所やったんです。面白いのは、フランスはカフェをやる代わりに、別にお金儲けはしていないけれども、ドイツの哲学相談所は精神科医みたいに、あるいは企業コンサルトみたいにビジネスとして。

藤原 本当ですか!

鷲田 僕はカフェのほうに付いたんですけれども。

藤原 知らなかった。

鷲田 同じような運動が、ドイツ側では一部、そういう形をとったんです。

藤原 ビジネス化しちゃったんですね。鷲田さん、これ、ビジネス化できるんじゃないですか。

鷲田 それは詐欺です。相談に乗るほうも同じだけ、やっぱりダメージくるはずだし。それをしないんやったら、詐欺。

聞くのが苦手だった鷲田清一

鷲田 読売の人生相談、バトンタッチしようかな。

藤原 やめてください。

鷲田 僕、もう辞めたから。

藤原 絶対、僕は引き受けられません。

鷲田 だけど、僕にもずっーと、もやもやがあったんですよ。

藤原 ですよね。鷲田さんの人生だし。

鷲田 僕の書いたもの、タイトルだけでもそうじゃない。総長時代4年間、本って書けなくて、1冊だけ書いたの。

藤原 書いてありました、この本の最後の年譜に。

鷲田 終わるその日に刊行された。

藤原 めちゃ、劇的ですね。

鷲田 そのタイトルが『「ぐずぐず」の理由』(角川選書)

藤原 62歳の本でした。

鷲田 総長職にある人間が書いた唯一の本が「ぐずぐず」についてって。それから、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫)もそうなんです。僕は、学者の悪癖なのか、しゃべるんです。学生が相談に来ても、全部答えを聞く前に「これとこれを読め」とか、「そんなふうに考えたらあかん」とか、つい言ってしまって。聞くのが苦手だから、あの本、書けたんです。

藤原 そうなんですか!私は、鷲田さんは聞くのは元々得意なのかと。

鷲田 とにかく聞くのが下手で、自分のいちばん苦手なことなんです。だから、深泥池にある精神病院の症例研究会に木村敏さんの許可をもらって勉強に行って。カウンセラーの人とか、精神科医の人って、聞く仕事じゃないですか。それで必死で書けたところがあります。

総長の時は総長の時で、毎日、「こうだ」「こうしよう」って言い切らないといけないわけ。みんな最終判断を待っているわけだから。その時に絶対ぐずぐずできないの。おれ、哲学者やから、得意なのはぐずぐずやったのにと思って、それで、ひそかにウェブで連載して、書いたのがあれなんです。

藤原 つまり、鷲田さんは聞くのが苦手で、しかも決め切れないのに、こういう相談に乗ったということですよね。それは、すごい二枚腰やな。

鷲田 そうか!そういう二枚腰やったのかもしれない。

話すのが苦手だった藤原辰史

藤原 でも、鷲田さんが聞くことが苦手だというのはちょっと、にわかに信じられなくて。この本を読んだ後だということもあるし。

鷲田 教師ってそういうところ、ないですか。

藤原 私はたぶん、鷲田さんより聞くの得意だと思うんです。逆のコンプレックスを昔からずっと持っていて。友達としゃべっている時に、みんなが笑ってくれたり、みんながわっと驚くようなことばをずっと言えなかったんです。しかも、クリシェの人で、この14歳の子とまったく一緒。私はすごい優等生で、真面目君だったんで、学級委員みたいなことしかしゃべれない。それがずっとコンプレックスで。つまり、聞いていて面白くないことしか言えない。自分もわかっていたんですけど。

大学でソフトテニス部に所属していた時に先輩が、「タツ(辰)のことばはいつも決まっているからつまんない」と言ってくれたんです。酔っ払った勢いで。すごいショックだったけど。ずっと聞き役で、たまに優等生発言しかしなかったのが、そのことばですごい吹っ切れて、偏見とか、自分がひそかに思っている偏ったこととかも言ってもいいやと思えたんです。そこからようやく、しゃべることが決して苦痛ではない、むしろとっても楽しいということがわかって今に至るので、鷲田さんと逆なんです。

鷲田 僕は聞くのが下手だから、もう1つしました。『〈弱さ〉のちから』(講談社学術文庫)という本を書いた時に、ピアスをした尼さんから性感マッサージ嬢から建築家から、とにかく人に話を聞きに回って、自分がしゃべることを封印したんです。そういう意味では初めてのフィールドワーク。哲学でもフィールドワークしたことで自分を鍛えた、みたいなところがあります。

というのはやっぱり、哲学というのはことばが重そうに見えるけれども、実はしゃべり好きの人にぴったりなんです。

藤原 どういうことですか。

鷲田 歌舞伎の見栄じゃないけれども、名ゼリフが山ほどあるんです。どこまでわかっているのか、本当はわからないんだけれども、でも、「かっこいいな」ということばや「えっ」という名ゼリフがあって、それに惹かれて哲学を勉強している人って、けっこういると思うんです。しゃべりの僕としては、それに気をつけないといけないな、と。だから、インタビューを哲学の仕事にするというのはありだなと思って。鶴見俊輔さんも、一方でははっきり断言されるけれども、他方では聞き上手で、それは自分に課していらしたことでもあるんじゃないかな、と思ったりするんです。

人文学の書き方

藤原 おそらく、哲学とか、人文学ってなんだろうというところになってくると思う。そういうことを今、鷲田さんの話を聞きながら、考えていたんです。鷲田さん、パスカルを引用されていましたね。パスカル、かっこいいですよね。

鷲田 特に理性の話なんか、かっこいいでしょう。

藤原 そういうものに僕も惹かれるんです。おそらく、言い切れなさのところに人文学の果実がいっぱい眠っていて。

鷲田 そうそう、そうなんです。

藤原 その言い切れなさというものは、私たちがいくら図書館に行って本を読んでもたぶん出てこない。やっぱり、現場に行かないと、臨床しないと、まったくらちが明かない。今までの人文学って、鎧のように隙を見せないということを自分に課してきた。すごくルールが厳しい。私もそういう傾向があるし、鷲田さんもそうやと思いますけれども、今後は恐らく、しっかり手続きを踏んだ上で、しかし、なんらかの相手とのやりとりができる場所を、隙を用意しておく。言い切らないで相手の反応を待つ、みたいなことが大事になってくると思うんです。

鷲田さんがめざされている臨床哲学というジャンルは、発酵にちょっと近くて、ちょっと偶然性が入り過ぎて、ややアンコントローラブルだけれども、言えるところまでは言うし、もやもやのところはちょっと残しますよ。そのもやもや、あいまいなところ、割り切れないところとのつきあい方というのをみなさんに開いてみましょう、という行為なのかなと。本当に手に取りやすいけれども、結構しんどい本ですよね。読んでいると、人文学ってなんやろう、ということさえ問い始めちゃう本だと思いました。

鷲田 ありがとうございます。うれしいです。僕、54歳ぐらいで大学の管理のほうの仕事に回ったでしょう。あれ、ちっとも自分に得することはなかったけど、一つだけ、あのポジションにいて、いいことがあったのは、研究者というものに非常に冷たい視線を送れるようになったこと。

藤原 (笑)

鷲田 僕、それまでずっと博士論文の審査をやっていたけど、管理職として大学本部に勤めるようになってから気づいたのは、人文学の博士論文のあまりにもパターン化された書き方。「本書の意義」とか「先行研究の検討」とかをやって、そして全部、「これは」「これは」って評価してから、自分がやることの意義を書く。特に、もの書きが「本書の意義」なんてタイトルで書くっていうところも「お前、本当にもの書きか」って言いたくなる。それから、それぞれの世代の人が命がけでやったことをただの「先行研究」にしてしまうって。

藤原 偉そうやな、確かに。

鷲田 賞味期限切れの一つに数えるなんて何たる不遜。その「先行研究」のほうがあなたよりはるかに先を見ていましたよって言いたくなる。

藤原 確かに。言われてみれば、いま気づいた。そうですね。

鷲田 だから、ああいうスタイルでものを書く人って、人文学者の資格ないと思うようになって、十数年。あんな枠組みの中じゃなしに、学問的な精密さ、それから、資料のエビデンス。そういうようなことを全部やりながらも、ちゃんと横でしゃべってくれているように、そして、ふっと耳を傾けたくなるような文体で、ことばの手触りで書いてくれる本でなかったら僕は認めん、とすごい頑固になった。

藤原 いったん、研究の、人文学のずぶずぶから抜け出たからですよね。管理になったからです。

鷲田 ずぶずぶになっていたから。それで、自分は研究させてもらえんようになって、うらやましいのもあるけれども。遠くから見ていると、これ、すごいやばいハビトゥス(習慣)やなって。

藤原 中にはまり過ぎて。

鷲田 それがきつくなっている。今の若い人にとっては、それが自明のスタイルになっていて、僕らの世代とは違うなって。

藤原 それ、かわいそうですね。ある意味、そういうふうに型をはめないと、就職先がないですもんね。

鷲田 そうなんです。ポイントにしてもらえないから。

藤原 それは本当に負のスパイラルですね。

藤原辰史から鷲田清一に相談

司会 藤原先生のほうで、鷲田先生に相談されたいことは?

藤原 鷲田さんは、書くということを職業で選ばれて、しかも書き続けておられる。いろいろなところで話をされる機会も多いと思うんです。私もすごい未熟ですけれども、ものを書いて、いろんな方と出会っておしゃべりして、お手紙をいただいたりします。こういうふうにものを書けば書くほど、人との向き合い方が自分の中でだんだん薄くなっているように感じるんです。本当は、いただいたお手紙について、もっといろいろ考えたいのに、せわしい、いろいろな締め切りに追われている間に、そういう交流ができない。たとえば、人の名前を忘れてしまったりとか。本当は本を書くことというのは、いろんな人と触れ合うチャンスを得ることだったはずなのに、20代や30代のころよりもなんとなく、総花的に薄くなっちゃっているように感じるんです。この悩みについて、鷲田さんに聞きたいなと思って。できれば、オフレコで、と思ったんですけど。

鷲田 藤原さん、だんだん象徴的なポジションを得てこられていると思うんです。

藤原 「象徴的」というのは?

鷲田 社会の中で、言論人として、「あの人はこういうポジションを占めている」というふうに見られるようになってきている。今まで書かれた研究の成果も、もちろん一つのアカデミックなポジションがあったけれども、同時に今、言論人としての発信がすごく活発になってきた中で、社会の中で、嫌でもシンボリックな存在になって、「あの人はこういう時どう発言されるだろう」という期待も読者のほうは持っている。それに応えよう、あるいは応えなければならない、ということがますます増えてくると思うんです。

僕自身も半ば強制的に大学の経営という場所に10年ほどいさせられた。これはもうシンボリックそのもの。その後、辞めてから3年半、大谷大学にいるあいだは、元の研究者として教育という場所に戻ったけれども、ものを書くのを再開し出すと、文字を通したコミュニケーションにだんだんなっていくんです。そういう時に、ことばはありふれているけれども、いつでも大学と関係のない人との現場をもっておくということがどれだけ大事かと思って。

僕の場合、かろうじて、この7年間は、せんだいメディアテークという場所があった。メディアテークは、来てくれる人にはあらゆる階層の人がいるので、そういう人たちと哲学カフェしたり、いろんなかたちでふだん交わっています。あるいは、もう無理になってやめたけれども、不登校経験のある中学生や高校生の塾をやったりもしました。要するに、いわゆる「言論人」――大学人とか編集者とか――じゃない人がいる場所にいつも触れていた。中学生って、こちらをそういうシンボリックな存在として見てくれない人たちです。

藤原 絶対、見ないですよね。

鷲田 そういう人たちの視線の中にいつでも自分を置いておくことを忘れたら、さっき言ったような「先行研究」とか「本書の意義」を平気で書けるような人間に。

藤原 なりますよね。

鷲田 なってしまいます。

藤原 少しわかりました。自分を何かとみなしてくれない場所で。

鷲田 たとえば、息子さんのPTAに行ったりもしないといけないでしょう。そんなんも、すごく大事やと思います。

藤原 大事です。ありがとうございます。

鷲田 偉そうなこと言って。ごめんね。

藤原 いえいえ、ありがとうございます。そういう場所を失わないということですね。

鷲田 京大にいたって同じことやと思います。京大って、研究者ばっかりと違うもん。「京大」=「先生の集団」みたいに思うけれども、事務の人とか、守衛さんとか、看護師さんとか、いろんな人がいはる。

藤原 そうですね。中にいたって一緒ですもんね。学者同士ばっかりだったら、自家中毒になっちゃいますよね。

鷲田 でも、先生方はえてして、そういう発想になりがちです。「京大の運営」=「教員の運営」「研究者の運営」みたいに。そういう人、けっこう多いじゃないですか。

藤原 確かにいます。大変よくわかります。こんな相談にのっていただいてしまい、お金払わなきゃいけないぐらいだな。ありがとうございます。

鷲田 最後に、一つ。僕、得意技があって、聞くのは下手やけれども、甘えるのはうまいんですよ。学生時代、京大の本部の生協の地下で、空いている時は僕に必ず、ラーメンのチャーシュー2枚載せてくれる配膳番さんがいた。

藤原 この本に書いてありましたね。甘え上手か。

鷲田 これは大事。

藤原 武器ですね。生き延びるための武器や。僕もそうなるようにします。

鷲田 チャーシューを空いている時に2枚もらえるように。

藤原 そのようになりたいです。めざします。

鷲田 検証可能で、しかも何枚と数値化できますので(笑)。それでは、ありがとうございました。

藤原 ありがとうございました。教えていただきました。

鷲田 こちらこそ。

藤原さんの緻密な分析のおかげで、資本主義や人文学にまでつながる、この本の面白さにあらためて気づかされました。それを受けて鷲田さんが語る、スタイル論、社会批評、文章論、学問論。いずれもユニークで面白く、生活する上でも仕事をする上でも大きなヒントをいただきました(『二枚腰のすすめ』と同じく)。
鷲田さん、藤原さん、ありがとうございました!!

興味をもった方は、ぜひ本をご覧ください。
『二枚腰のすすめ』の「はじめに」を公開中!

 

二枚腰のすすめー鷲田清一の人生案内

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著者略歴

  1. 鷲田 清一

    1949年京都生まれ。お寺と花街の近くに生まれ、丸刈りの修行僧たちと、艶やかな身なりをした舞妓さんたちとに身近に接し、華麗と質素が反転する様を感じながら育つ。大学に入り、哲学の《二重性》や《両義性》に引き込まれ、哲学の道へ。医療や介護、教育の現場に哲学の思考をつなぐ「臨床哲学」を提唱・探求する、二枚腰で考える哲学者。2007~2011年大阪大学総長。2015~2019年京都市立芸術大学理事長・学長を歴任。せんだいメディアテーク館長、サントリー文化財団副理事長。朝日新聞「折々のことば」執筆者。 おもな著書に、『モードの迷宮』(ちくま学芸文庫、サントリー学芸賞)、『「聴く」ことの力』(ちくま学芸文庫、桑原武夫学芸賞)、『「ぐずぐず」の理由』(角川選書、読売文学賞)、『くじけそうな時の臨床哲学クリニック』(ちくま学芸文庫)、『岐路の前にいる君たちに』(朝日出版社)。

  2. 藤原 辰史

    1976年、北海道旭川市生まれ。島根県奥出雲町で育つ。2002年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農と食の現代史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年/新装版2012年/第1回日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』(人文書院、2011年)、『ナチスのキッチン』(水声社、2012年/決定版:共和国、2016年/第1回河合隼雄学芸賞)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館、2012年)、『食べること考えること』(共和国、2014年)、『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017年)、『給食の歴史』(岩波新書、2018年/第10回辻静雄食文化賞)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会、2019年)、『分解の哲学』(青土社、2019年/第41回サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社、2020年)、『農の原理の史的研究』(創元社、2021年)、『植物考』(生きのびるブックス、2022年)などがある。

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