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子どもが言葉にであうとき

まんま ― はじめての言葉

 「はじめての言葉」。といっても、娘がはじめて発した意味のある言葉が何だったのか、思いだせません。生まれてすぐに泣き声を上げ、何か月かすると声を出して笑うようになる。そのうち、喃語を話し始め、「まんま」「わんわん」「もしもし」「おいしい」など意味をもつ言葉を言うようになっていったはずなのですが、発した「音」がいつから「言葉」になったのか、境目がどうもあいまいなのです。「はじめの一歩」の場合は、まずつかまり立ち、伝い歩きが出来るようになったあと、両手を離して、「あ、歩いた!」と目に見えて分かりやすい場面がありますが、言葉の場合はもっと連続的に推移するからでしょう。

 娘の「育児日記」を見返してみると、ちょうど日記を書き始めた生後8週のころに、「にっこり笑う。うー、くー、としっかり顔を見ながら話をしている」とあります。19週には「一人で何かおしゃべりしながら両手で遊んでいる」と書かれていますが、この「おしゃべり」も、「あーあー」「んーんー」「ぷっぷく」などの音のこと。

 はじめての言葉が何だったのかを思い出そうとすると、どうしても「おかあさん」のような記念碑的な言葉を求めてしまいがちですが、赤ちゃんはつねに何かを発信しているわけであり、泣き声や笑い声の時点で、もう十分言葉に値する気もします。

 当時、家にはローリーという猫がいました。猫ドアをパタンと通って外から帰ってきたローリーは、二階のリビングへ上がってくる階段の途中で赤ちゃんの泣き声を聞くと、負けじと自分も盛大に鳴きはじめ、それを聞いた娘がまた泣き声を大きくする、という可笑しなラリーが繰り広げられました。どちらも相手の存在を意識して張り合うのです。猫のほうも大人げない気がしますが、赤ちゃんが来るまでは一番小さな存在だった自分の居場所に、得体の知れないもっと頼りない生き物が現れて飼い主の関心をひいたときの気持ちは、おそらく弟や妹の出来た幼児と同質のものだったでしょう。飼い主を助けて子守りをしてくれる大きな犬や猫というのは憧れのひとつですが、ローリーは大きくなってからうちにやってきた元野良猫だったせいもあるのか、残念ながらそのような親密な関係までにはなりませんでした。ともあれ、はじめは何か別の用で泣いていたはずの娘が、猫の鳴き声に反応し、泣きながらその「泣き声」を使って周囲の環境へ応答していたことが面白いです。

 泣き方にもさまざまなバリエーションがあります。生まれてはじめてのまさに第一声「産声」にはじまり、おっぱい、おむつ、甘え、居心地が悪い、など、本人の中でどのような規則性があって泣き方を変えるのでしょう。夕暮れどきに「黄昏泣き」をしていたころは、「タソガレーナちゃん」と呼んであやしていました。タソガレーナちゃんはいつ頃からかいなくなりましたが、大人でも、ときどきタソガレーナちゃんの気持ちになることがあり、娘を抱いていた夕暮れを思い出します。

 夜中に様子を見に行くと、夢を見ているのか、眠りながらひっくひっくと泣いていたり、暗い中ひとり畳の上に座って、しくしくと泣いていることもありました。アニメ『101匹わんちゃん』を見たときには、子犬たちが無事に助け出されたあと、救出に活躍した大きな犬がその後どうなるのかを心配して、嗚咽をもらすように泣いたこともあります。幼いながら、そんな感受性をもっていることに驚かされました。小さな子が泣いている姿は寄る辺がなく、ああ本当に悲しいのだと心が痛みます。

 夫が筋トレのために、生後数か月だった娘を重石代わりに抱いて、スクワットをしていたときのこと。何度か膝の曲げ伸ばしをしたあとにしゃがんだ瞬間、「キョキョキョ」という耳慣れない音が。一瞬、どこから聞こえた何の音なのか、分からなかったそうですが、それは娘のよろこんだ笑い声。泣き声同様、よろこびや楽しさを表現する笑い声も、まさに言語活動以前の言葉だなと思うのです。

 夫が口笛でビゼーのオペラ「カルメン」の曲を吹いていると、まだしゃべれない娘がパチパチと拍手をしたこともありました。こんなふうに賛辞を贈られたら、私まで照れてしまいそう。

 娘が気管支炎で入院したときのこと。親と離されて別室で注射をされたあと、この状況から一刻も早く逃れたい気持ちだったのでしょう、娘は看護師さんたちにバイバイしたそうです。「全力でバイバイ」だったと、付き添ってきた看護師さんが笑っておられました。こんな体全体でのやりとりが積み重なって、自然に言葉へとつながってきたのでしょう。

 子どもは日々、どんどん新しい言葉に出会ってゆきますが、大人もまた、子どもを産み育てるなかで、言葉に出会いなおすことがあります。

 私は短歌を作っていますが、美しすぎたりかっこよすぎたりする言葉というのは、なかなか短歌に使いにくいものです。「みどりご」もそんな言葉のひとつでした。生まれたばかりの子が、新芽や若葉のようにみずみずしく生命力にあふれていることに由来する古語ですが、なにか格好をつけてとりすましたような雰囲気を感じて、自分では気恥ずかしくて使うことがなかったのです。「赤ちゃん、赤ん坊、新生児」でいいじゃないかと。

 ところが、娘を出産し、まだ名前のない子を病院から連れて帰って南向きの六畳間に寝かせたとき、障子の光を受けて眠る子を見て、ああこれは本当にみどりごだ、と思ったのでした。「嬰児、緑児」という言葉が、しっくりと自分のなかに居場所を得た瞬間でした。知識や情報としてではなく、経験や実感を伴った言葉との再びの出会いは、自分の言語世界を更新してくれます。

ましずかに障子の光見ていたるみどりごは白き光を知りぬ

 「みどりご」とは逆の方向性の言葉も。大人社会で生活していると、「うんち、おしっこ」なんて日常ではほぼ使いませんが、いったん赤ちゃんが家に来ると「うんち、おしっこ」の連発です。人前で発することにはじめは少し抵抗感がありましたが、慣れと必要性とは怖ろしいもの。しっかりと私の日常用語レパートリーに入り、短歌に使う歌語レパートリーにまで入ってきてしまいました。

うんち出た出ないで一喜一憂すそんな日だったと思うのだろう

 そう、赤ちゃんがいると、お通じが一大事なのですね。何日か出ない日が続くと心配で気掛かりで気分も晴れませんが、出ると世の中が幸せに彩られます。大げさですが、実感です。「おっぱい」も抵抗感なく使えるようになりました。うちは女の子なのであまり使いませんが、男の子のいる家庭では、「おちんちん」もそうやって馴染んでゆく言葉かもしれません。高尚な言葉も、尾篭(びろう)な言葉も、子どもの存在によって幅を増します。

 同じ言葉でも、そうやって個人個人のなかで奥行きを深くしてゆくのでしょう。歳月と言葉が互いを育てあう、そんな気がします。「子どもが言葉とであうとき」は、「大人が言葉とであいなおすとき」でもあるのだと、思い至りました。

 さて、「はじめての言葉」が何だったのか。うちは「パパ」「ママ」ではなく「おとうさん」「おかあさん」と呼んでいますので、「ママ」ではなかったと思います。多分、おいしいねえ、と言いながら食べさせた「まんま」あたりでしょう。「まんま、まんま」。味覚、視覚、聴覚、嗅覚、触覚をすべて働かせながら、愛情を感じながら、口にする食べもの。いい言葉ですね。

 「おとうさん」「おかあさん」のどちらを先に言ったかについては、記憶があります。夫が東京で単身赴任をしていますので、週末に京都に帰ってきたとき、娘が「おとうさん」と言ったのでした。根に持っているわけではありません。いつも一緒にいる「おかあさん」のほうを先に覚えるのかと思いがちですが、意外に、普段一緒にいない「おとうさん」のほうを先に言ったのです。外から帰ってくるほうの存在を指す言葉として「おとうさん」を先に覚えて使ったことを面白く思います。

 先日、歌人の俵万智さんと父永田和宏による「河野裕子の子育ての歌を語る」という対談を聞く機会がありました。河野裕子は私の母で、九年前に亡くなった歌人です。この対談は「河野裕子短歌賞」表彰式での特別プログラムでしたが、その中で印象に残った俵さんの発言がありました。

 「子育ての歌は<刺し身>で出せる」。子育ての現場のイキのいい感じは、そのまま切り取って出しても、意外に食べられる。子どもがこんなオモシロ発言をした、こんなヘンなことをした!ということを詠むだけで、案外歌になってしまう、ということです。

 一方、「恋の歌」は、刺し身では出せなくて、盛り付けや調味料や出し方を考えなければいけない、という話でした。なるほど、と納得。たしかに私にも、子どもの発言を留めたくて、そのまま歌にしたものがあります。

ぽっつりと後部座席に言いにけり「ムーミンかわいいおかあさんもかわいい」

 車のベビーシートに座っていた二歳のころの娘が、突然うしろでぽつりと「ムーミンかわいい、おかあさんもかわいい」と言ったことがありました。場所まで覚えています。スーパーフレスコの横の道で、左折しようと左右を気にしながら止まっていた時でした。文脈が謎で、面白くて歌にしたのでした。そのころ、アニメのムーミンシリーズを見ていたのですが、ムーミン並みにかわいい(?)お母さん、どうなのでしょう。あったこと、言ったことだけを歌にした、ほんとに<刺し身歌>ですね。

風のなか寄り来る馬の前髪をフローレンみたいと言いて見上げぬ

 こちらは、大学の厩舎に馬を見に行ったときの歌。ムーミンの彼女、フローレンには前髪があります。馬の前髪を見てフローレンを連想したのはよく分かりますが、比喩の「みたい」を使いはじめたのはいつ頃からだったでしょうか。ふたつのものの類似性をつなげて表現することも、考えてみるとなかなか高度なことです。

 子どもの瑣末な日常をとり上げるとき、こんなことばかりを詠んでいてよいものかなと思うこともあるのですが、それはそれで大丈夫なのだと、<刺し身>発言に背中を押された気分になりました。

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著者略歴

  1. 永田 紅

    歌人、京都大学特任助教(細胞生物学)。十二歳から短歌を作り始める。歌集に『日輪』(砂子屋書房)、『北部キャンパスの日々』(本阿弥書店)、『ぼんやりしているうちに』(角川書店)、『春の顕微鏡』(青磁社)、エッセイ集に共著『家族の歌』(文藝春秋)。歌壇賞、現代歌人協会賞、京都府文化賞奨励賞受賞。

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