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特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」

特別企画 藤原辰史「切なさの歴史学」前編

 『分解の哲学』(青土社)サントリー学芸賞を受賞された京都大学人文科学研究所准教授の藤原辰史さん。次々と新しいテーマで著作を発表されている藤原さんを小社にお招きし、編集部のスタッフを中心に勉強会を行いました(2019年10月11日)。
 講演のテーマは「切なさ」。芸術や学術を停滞させるアパシーの蔓延からいかに抜け出せるのか? 欧米の新しい歴史研究や、戦争・貧困のなかで生き死んだ民衆、とりわけ子どもたちの事例に注目することで、現代史の過酷さに迫るとともに、「切なさ」を糸口にした歴史学の可能性を考えるという内容でした。
 藤原さんの熱いトークを前編・中編・後編の3回にわたってお届けします。

研究のキーワードとしての「切なさ」 
 世界思想社さんには、かれこれ十何年前からお世話になっております。1960年代の研究という研究班を人文研でやっていたとき、私は雪印乳業の社史を分析して、牛乳の近代日本史みたいなことを書きました(富永茂樹編『転回点を求めて――一九六〇年代の研究』(世界思想社、2009年)。その後、PR誌『世界思想』にエッセイを書かせていただきました(「『食べもの』という幻影」『世界思想』40号、2013年)。そのエッセイが、大学入試問題の国語で取り上げられて、教学社さんの赤本に載って(笑)。そういう形で、とてもご縁のある世界思想社さんでお話をさせていただくことを大変光栄に思います。

 実は、「切なさの歴史学」というテーマを考えたのは私ではなくて。編集部の方がいくつかテーマを挙げてくださったなかで、「切なさの歴史学」というのは今までやったことがないな、せっかくだから今回チャレンジしてやってみようと思ったわけです。そういえば、『歴史書の愉悦』(ナカニシヤ出版、2019年)という、歯応えのある歴史書を様々なジャンルの歴史研究者が論じた編著の中で、私は野添憲治の『開拓農民の記録』(社会思想社、1996年、絶版)を取り上げましたが、そこで野添の扱う対象の「切なさ」について論じていました。

 さらに、私の執筆した2冊目に当たる『カブラの冬――第一次世界大戦期ドイツの飢饉と民衆』(人文書院、2011年)という本は、実はこの「切なさ」ということが一つの重要なキーワードになるということを、準備しながら思い出しました。そういう意味では、自分の研究を振り返るという意味でも、この言葉を洗い直してみたい。ずっと今まで貫いてきた言葉でもあると思いますし、今世界で起こっていることをいろいろ考えますと、素朴に見えて、実はパワーを持ったキーワードになるんじゃないかというふうな気がしております。 

アパシーの牢獄
 アパシー(apathy)は、無関心・無感動という意味の英語です。この言葉に出会ったのは大学院時代です。大学院時代に、ナチス政権下の農業新聞を取り寄せて読んだことがあります。1週間に1回刊行されていた農業新聞です。その新聞を読んでいるときに、ナチスの政権下の人々が、ナチスに熱狂しているというよりは、ちょっと無感動・無関心(この場合はドイツ語のApathieですが)であって、それは危機的だという言葉が出てきたんです。「そうか、ナチス時代は人びとは『熱狂』していたと思っていたけれども、意外にあっさりしてもいるんだ」ということをそこで知りました。それからしばらく、この言葉とは離れておりましたが、今日はもう一回、無関心・無感動というものから、いろいろ私が研究してきたことを考え直してみたいと思います。

 新聞を読みますと、小説や映画の広告では「1億人が泣いた」「全米が泣いた」「涙が止まらない」とか、そういう言葉がよく躍っています。世界思想社さんでは、今までそういう帯はないですね(笑)。「泣け、泣け」という感動の大安売り状態の中で、私たちはいろいろな文化商品を享受させられているというふうな気がしています。

 私は食の研究をしていますが、食べ物の描写はいつも困るんです。食べものの美味しさや素晴らしさを表現することに対して、かなりのエネルギーを費やしています。私の主たる仮想敵は食レポです。テレビでよく出てくる、ご飯を食べて「おいしい」とか言うじゃないですか。やっぱりあそこに出る言葉の貧困というものは食文化をダメにしていて、あれを何とか変えていきたいという思いがありまして。「おいしい」とか「うまい」とか「とろとろ」とか「口当たりがいい」とか、スイーツを食べているのに「意外と甘くないですね」「あっさりしている」とか、大体決まりきったフレーズが出てきますよね。「スイーツなんだから、甘くなくてどうすんねん」と思うんですが(笑)。決まりきった言葉でしか食べ物を説明しきれていないということは、実は食べ物に対して無関心、無感動、あるいは無感情の裏返しのような気がするんです。 

「泣け」という暴力
 今年(2019年)の8月21日から24日まで、私は韓国に行って、東アジア科学史学会のシンポジウムに参加しました。ムン・マンニョンという韓国の友人が中心となって運営されていたのですが、彼から、学会にもかかわらず「ぜひ写真の展覧会をしたい」という要望が来たんです。ムンさんは、植民地朝鮮時代の、朝鮮半島にいたチョウの分類学者の研究をしているというすごく魅力的な科学史研究者で、面白そうなことに対する嗅覚の鋭い人なんですが、その彼が依頼した新井卓さんという写真家・美術家のことをちょっとお話しします。

 新井卓さんは、原爆や、核兵器の実験場や、原発事故後の福島など、そういう核に関わるあらゆる場所でずっと写真や映像を撮ってこられた方です。また、ダゲレオタイプという、フランスのルイ・ジャック・マンデ・ダゲールが初めて写真を作ったときに生まれた、銀版に影を刻むという、今のデジタルよりももっとデジタルに、細かい粒子で表現できる、そういう写真を撮っていらっしゃいます。

 私は第五福竜丸を撮った写真がとても好きです(「第五福竜丸のための多焦点モニュメント」)。ちょうど、違う時間に違った条件で一枚一枚撮った船の部分部分を並べ直して、第五福竜丸がモンタージュされていくのです(第五福竜丸は現在、東京都立第五福竜丸展示館で公開されている)。分解されて再構築されて浮かび上がる第五福竜丸の姿は、私たちに、なんら予期なく放射性物質を浴びた人びとの恐怖を伝えると共に、一緒に歴史を作り直そうと受け手に呼びかけているよう思えました。写真と写真のあいだに隙間があり、そこに観る側の想像力が入り込む余地があります。私たちも第五福竜丸事件の当事者であり、事件後の歴史の担い手である、と。2015年度に木村伊兵衛賞も受賞されていますが、日本よりも海外でよく知られています。

 新井さんとは、研究所にお呼びしたり、一緒に天津でシンポジウムをしたり、学会発表したり、研究会に呼んでくださったりと、いろいろ今まで一緒に面白いことをやってきました。新井さんも、私の本をたくさん読んでくださっていて。

 その彼と、韓国での学会と展覧会が終わった後、全州(チョンジュ)からソウルまで電車で帰る2時間半の間ずっとしゃべりました。この会話だけでも一冊の本を読んだ以上の勉強になりました。彼が芸術家として今考えていることと、私が歴史研究者として考えていることをめぐってあれやこれやとお話ししたのです。

 新井さんは、この手の「感動せよ」「泣け」と叫ぶような広告に対し、あるものにぶつかって、本当に心動かされたら、涙って出ない、泣けっていうのは暴力だと思う、と言っていました。

 涙を流すとか、感動するとか、それは人間にとって大変大事な振る舞いだけれども、こと作品に関しては、それ以前に反発とか、ぶつかったときの衝撃とかそういうものがあるはずで、そう簡単には同化できないものがある。しかし、それにもかかわらず、芸術や学問のジャンルでさえも消化しやすい作品を求められる社会に私はいら立ちを覚えます。 

安易な言葉への逃避
 たとえば、いろいろな政治運動に参加して思ったことですが。これまでの日本の政治のおかしなところに対して対抗軸を出すという、こうした地道な運動が果たしてきた役割の大きさゆえに担い手の方たちには本当に深い尊敬の念を持っています。けれども、対抗する側がもう現代社会に対応できない古い言葉を演説などで多用してしまい、若者がついていけない状況になってしまうという場面に遭遇することがあります(すべてがそうではありません)。最悪なのは、最近の若者は元気がない、俺たちが学生の頃は暴れたなあ、という言葉です。私の学生時代は就職氷河期だったのでよくわかりますが、経済的に好況の時と、今のように経済的恩恵が下まで降りてこない時期、奨学金も削られる時期とでは、運動後の就職試験のプレッシャーが、「理想」の羽ばたく範囲が、別の言葉を用いれば下部構造が異なることが、学生と話していて強く伝わってきます。学生運動当時の『京都大学新聞』を読むと、西武も、三菱も、住友も、京大生を求める広告の量に圧倒されます。もちろん、当時、そういったエリートコースからあえて降りた人びとがたくさんいたことは忘れてはなりません。重すぎる人生の選択を迫られた学生もたくさんいました。だからこそ、逆にいえば、今の状況下でも異議申し立てをしようとする学生を大事にしなければなりません。言葉を時代の変化に応じて柔軟に用いることは、信念を曲げることではありません。

 学問の世界でも、言葉の幅が狭まっている気がしています。例えば、文章を書いていて、いよいよ結論だ、というときに「学術的に意義がある」と言って逃げてしまうと楽なんです。決めぜりふに変化がなくなってきているという印象を、この10年ぐらい私は感じております。

 また、研究者になって分かったのですが、どうやら研究対象に対してそれほど心を動かされていない人もいます。だけれどもなぜか研究している、という人も多い。「誰もやっていないから」というモチベーションを語る人もいます。でも、「あなたはこの思想家をやっているけれども、この思想家のどういうところが好きなの?」と聞いても、「好き嫌いではなくて、この分野においてはやられていないから自分がやるんだ」という答えが返ってくるときもあります。学術界でも、器用な人は多いのですが、研究対象に対するアパシーというものが、蔓延しているような気がしています。 

アパシーに抗する歴史書
 そういう状況の中で一体どうすればいいんだろうか。そのときに糸口になるのが、欧米の歴史書の中で、結構新しい展開が見えているということです。欧米の歴史研究者の中で、「感動」とか「涙が止まらない」とかとは違う次元で、もう一度アパシーに対抗している非常に優れた研究書が近年つぎつぎに翻訳されています。

 ひとつはフィリップ・サンズ『ニュルンベルク合流――「ジェノサイド」と「人道に対する罪」の起源』(白水社、2018年)という本です。ヒトラー時代の法相でポーランド総督だったハンス・フランクという人物がいます。この本は、彼と、それから国際法に「ジェノサイド」という言葉、それから「人道に対する罪」という言葉を導入した2人の法学者を軸に、コレクティブバイオグラフィーという形で、法律家が現代東欧史を書いた歴史書なんですが、まさにサスペンスのような仕上がりです。

 この本の面白いところは何かというと、この3人に加えて、もう一人筆者のおじいちゃんというのが登場するんです。おじいちゃんの目線があるおかげで、法律の概念史に止まることなく、ダイナミックな歴史叙述になっています。それだけでなく、結構自分の推量というか、こうかもしれないというイマジネーションも積極的に入れる。だけれども、それはちゃんとした資料収集の結果生まれてくる言葉なんです。こんな分厚い本が、世界中で売れに売れていることを考えると、世の中捨てたもんじゃない、とうれしくなります。

 もうひとつは、ウェイド・デイヴィス『沈黙の山嶺――第一次世界大戦とマロリーのエヴェレスト(上・下)』(白水社、2015年)という本です。これも歴史学者ではなくて、人類学者が書いた本ですが、これもど迫力の本です。第一次世界大戦期に兵士だった、といってもちょっとランクの高い人たちですが、そういう人たちが第一次大戦で戦った後、今度はエヴェレストに挑戦するという話です。エヴェレストに登るときの山岳隊の様子を、第一次大戦、そして戦後のイギリスのチベットもしくはインドとの国際政治の中で、どういうふうに自分たちのイギリスの強さを見せていくかという、そういう政治学、力学を描いています。素晴らしい山岳小説です。

 最後にもうひとつ、サーシャ・バッチャーニ『月下の犯罪――一九四五年三月、レヒニッツで起きたユダヤ人虐殺、そして或るハンガリー貴族の秘史』(講談社、2019年)というノンフィクションです。これはハンガリーの貴族の末裔(まつえい)であるジャーナリストが書いたものですが、第二次世界大戦末期にハンガリーでユダヤ人虐殺事件があったのですが、著者が、自分の大叔母が関わっていたかもしれないという情報をつかみ、その事件の背景を探っているうちに、自分の親戚が絡んでいたということが分かってきます。そうこうしているうちに、今まで発掘できなかった、アウシュビッツに収容されて、アルゼンチンに帰った人物の伝記と、それから自分の祖母の自伝を発見します。その2つの資料をうまく使いながら、現代史というものをもう一回明らかにしていくという本で、これも世界的なベストセラーになっています。 

つづきはこちら。

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著者略歴

  1. 藤原 辰史

    1976年北海道旭川市生まれ。歴史学者。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農業史、食と農の思想、ドイツ現代史。おもな著書に『決定版 ナチスのキッチン』(共和国)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書)、『トラクターの歴史』(中公新書)、『給食の歴史』(岩波新書)、『食べるとはどういうことか』(農文協)、『分解の哲学』(青土社)がある。

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