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スペシャルトーク「教養としての音楽」 @梅田 蔦屋書店

スペシャルトーク「教養としての音楽」前編 @梅田 蔦屋書店

2019年5月12日、梅田 蔦屋書店にて、4月に刊行された『音楽と出会う』の刊行記念トークイベントを行いました。登壇者は、著者岡田暁生先生と、お相手の藤原辰史先生。専門は全く違うものの、普段から親交の深いお二人。終始笑いが起きるような楽しいイベントになりました。今回はそのトーク内容の一部を、前編・中編・後編の3回にわたってお届けします。

トークのテーマは、「教養としての音楽」。岡田先生が『音楽と出会う』を書くに至った動機を語るところからスタート。切れ味の鋭すぎるコメントがどんどん飛び出しました。はたしてトークの行き着く先はいかに?

なんでそんなAIだ、癒しだ、みたいな話をこの本でしたかというと、やっぱり危機感なんですね

岡田:僕は非常に無邪気に、名作というものはあるんだと信じてきた人間なんですね。やっぱりいいものは絶対的によい。「人それぞれ好みがあっていいんだ」なんてポストモダンも、やり過ぎると収拾がつかんことになるやろ、名作を名作と論じてなにが悪いんだと。

さらにいえば、批評をなりわいにしている人間というのは、人が知らないものを持ち出してきて「お前らはこれを知らんやろ」みたいなことをよくやっている。自分の批評家としての博覧強記を見せびらかす。それを僕はしたくないんですね。

誰もが知っているものについて論じて、多くの人が「なるほど、やっぱりうまく論じるな」と思わせてこそ、文筆をなりわいとする人間だろうという気持ちが非常に強い。その意味では僕はとても時代遅れで、ポストモダン以前の人間なんです。

その理由の1つは、やっぱり僕が関西の京都出身というのが結構あると思うんですよ。僕の専門は西洋音楽ですが、西洋音楽は昔も今も、明治時代も今も、まず東京から入ってくるんですよね。だから東京は関西とは比べ物にならんぐらい情報洪水なんです。一番新しい流行りの情報で東京の人に勝とうとしても太刀打ちできるわけがない。

関西でも特に京都は新しいものに対して距離を取りますからね。東京の人は新しいものにすぐ行列作って並ぶでしょ。

藤原:東京の人がいたらごめんなさい。誰かいたら反論してください(笑)

岡田:関西の人間から見るとかなり異様な光景なんですよ。関西の人間は並ぶのが面倒くさいから、「ほんまかいな」とやっぱり、はすに構えるんですね。人の行列が消えてから行こう、みたいな感じになるんですよ。

私の場合、音楽でいえば一番新しい流行なんていうのは、全部東京の人に取捨選択してもらってそれで残ったものを聴かせてもらおう、みたいなスタンスをずっと取ってきた。なので、最先端の情報のフォローで勝負はしないと固く決めてきたんです。

藤原:私は西日本の島根出身で、京都に来て、そのあと東京で4年ほど働きました。つまり東へ東へと移動してきました。東京でちょうどテニスの壁打ちのように跳ね返されて、また京都に今は戻ってきて仕事をしています。東京の学問のあり方と京都の学問のあり方は確かに違っています。どっちがいいという話ではなくて、特徴だと思うんですけれど。

東京はやっぱり、新しいものが来たらまずそれを読んでないとだめ。私の場合はドイツ現代史研究なので、ナチスの新しい本がドイツで出たら当然「読んでいるよね」となる。読んでいたら、会ったときによくそういう話題になりやすいのですけれども、私は怠け者で、新しくドイツ語で出版された本を読むタイミングが遅い。なので会話に加われないこともあります。

京都へ来ると、例えばトーマス・マンとかヴァルター・ベンヤミンとか、誰もが知っている古い作品で、今の話題をすることが相対的に多い。そういう意味では私のような怠け者にとっては居心地の良い面もあります。

岡田:流行最先端のことは大嫌いで、そういうのとは関係ないところで生きていくというスタンスを取っていた私が、なんでそんなAIだ、癒しだ、みたいな話をこの本でしたかというと、やっぱり危機感なんですね。自分の畑でもないにもかかわらず、「それは私の専門ではありませんから」「私が詳しい部分ではございませんので」「私の専門からは外れていますからコメントはいたしません」なんてスタンスを取っていられるような状況ではもはやない、という危機感が強烈にあったんです。

それぐらい狂わせてくれる音楽が本当にあったから

岡田:私はこういう、西洋音楽の歴史について研究するなんていう酔狂な道に入りまして、とりあえず食べていくことに成功したわけですが、音楽史なんて、食べていくことなんてほとんど不可能な分野なんですね。例えば英文とかあるいは経済学とかだったらたいていの大学に講座があるけれども、音楽史になると、もっとほんのちょっとしかなくなる。今から考えると、よくこんなリスキーな道に22歳で進む気になったなと、われながらちょっとゾッとします。命拾いしたからよかったけれども。

じゃあ、なんでそんな決断を22歳のときにしてしまったかというと、やっぱりそれぐらい狂わせてくれる音楽が本当にあったからなんですね。「この素晴らしい音楽と一生つきあいながら、それでご飯を食っていけるんだったら、もうどうなってもええわい」と思わせてくれるぐらい、狂わせてくれる音楽があった。やっぱり音楽は狂わせてくれなきゃだめだと、狂わせてなんぼだろうというのが僕の中にはあるんですね。人の正気をなくさせてなんぼだろうと。

だから僕は、癒しというのは大嫌いなんですよ。癒しは別に、正気はなくならないでしょ。音楽はクレイジーにならなきゃいけないんですよ。癒しはその逆で、「私はひょっとしたら疲れて心が病んでいるかもしれない」と思っている人たちに「癒やされたわ。治ったわ」と思わせてくれる、これが癒し。

そんなものは音楽の最も素晴らしい力の真逆だろうと言いたいんですね。音楽は自分のことを正気だと思っている人でも、なにかおかしくしてくれなきゃいけない。だから素晴らしい。自分の外に連れ出してくれるから。常識を失わせてくれるからいいんだと。そういうふうに固く信じていたわけです。

そういうふうに私が22歳で信じ込むに至ったのは、やっぱりそれだけの経験をさせてくれるカリスマ音楽家に出会っていたからなんですよね。本当に聴いた人間が狂ったみたいになるような音楽。聴いた翌日まで高揚感が残る音楽。「昨日までの私と今日の私は違う人間です」みたいな。太陽の光が昨日と今日で見え方が違うみたいな。本当にそんな気にさせてくれる演奏家というのが、やっぱりいたわけです。

すくなくともかつては、カリスマ音楽家とはそういうものでした。神なき時代の神の代理人、本当に神様というのがいるのかもしれないと思わせてくれる力があった。ところが私が就職したのは1990年ですから、ちょうど冷戦が終わる時期。新自由主義、グローバル化、あるいはインターネットの時代というのは、全部私が就職してからです。

藤原:ソ連が崩壊した後ですね。

岡田:1990年あたりは、クラシックでいえばカラヤンが亡くなって、バーンスタインが亡くなって、美空ひばりはもうちょっと前だったかな。モダンジャズのマイルス・デイヴィスが亡くなって、それからピアニストのホロヴィッツが亡くなった。1990年前後は冷戦の時代の、モダンな時代の超カリスマ音楽家というのがほぼ同時に死んでいる時代なんです。この符号というのは、あながち理由のないことではなくて、例えば1990年というのはおそらく1900年に生まれた人がほぼ消える時代なんですね。

藤原:時代的にそうですね。

岡田:だから、日露戦争のときにはもう生まれていたという、明治の人がほぼ消える時代なんですよ。その1900年に生まれたということは、結局19世紀も知っていたということですよね。19世紀は1900年で終わっているんじゃなくて、1990年ぐらいまではどこかにまだ香りとして残っていた、そのなにかが最終的に蒸発しちゃったのがあの頃なんだろうなというふうに、僕は今になって思うんです。

それ以降カリスマ音楽家はどのジャンルにもいない。売れている音楽家はいっぱいいるけれども、昔より販売戦略が巧妙になっていますから。世界中の誰でもその歌を知っていて聞いたことがあるという、そんな人はたぶんマイケル・ジャクソンでおしまいだと思うんですね。しかも特徴的なのが、マイケル・ジャクソンは冷戦崩壊の前後の時代が一番輝いていたんですよ。でも、この最後のカリスマ音楽家は、1990年に入るとともに奇行が目立つようになりはじめる。カリスマの消滅、あるいはカリスマというものがグロテスクに崩壊していったこの30年のプロセスというのを、彼は端的に表している気がするんですね。あの悲劇的な死も含めて。

他のジャンルについては言うまでもない。つまりみんな技術的にはむちゃくちゃうまいけれども、「それで?」みたいな。自分をかつて狂わせてこういう職業に迷い込ませてくれたような、そういう音楽を聴かせてくれる人たちというのが、自分が就職するのとほぼ同時に、パタッとあの星も消え、パタッとこの星も落ち、いつの間にかあの星も砕け散り、みたいな感じで、消えていって……。これは正直、かなり寂しいものがあります。

私もこの感覚が、年寄りの繰り言と申しますか、「俺も若い頃は」式のあの手のノスタルジーになっているんじゃないかと思って非常に不安だったものですから、いろんな人に聞いて回り、いろんな人が言っていることも読みました。けれどもこれが結論だとしか考えようがない。やっぱり明らかに文化というものが信じられないぐらい痩せ細っている。文化の痩せ細り。それと同時に、本は売れなくなるわけですね。

昭和の高度経済成長期、具体的には1950年代、60年代、70年代初期までというのは、教養バブルの時代だったんですよ。

岡田:かつて音楽批評というのは、すごいもうかる商売だったんですね。昭和の高度経済成長期、具体的には1950年代、60年代、70年代初期までというのは、教養バブルの時代だったんですよ。戦争が終わって、みんな文化に枯渇していたわけです。小説家になりたい、画家になりたいと思っても、戦争が終わった直後やから、高卒でみんな会社のサラリーマンになったりしはったけど、心のどこかに文化に対する渇望があった。戦争が終わったんだから、それこそ文化的な暮らしがしたいと。

藤原:戦後すぐに『西田幾多郎全集』を買うために並びましたからね。

岡田:それから講談社とか小学館が『日本美術全集』とかを出した。たぶんその売れ方というのは今の比じゃなかったと思いますね。これがいいことだったかどうかはちょっと置いておきましょう。昭和教養主義の時代のサラリーマンというのは、例えば家には、部長さんや課長さんともなれば、奥さんが「あなた、課長になったんだから、そろそろ家にカラヤンのベートーヴェンの交響曲全集ぐらい置かないと恥ずかしゅうございますわよ」

藤原:そろそろ必要だと。

岡田:1960年ぐらいの日本の松竹映画とかの一場面という感じですね。「あなた、そろそろ講談社の百科事典を買いましょうよ」 とりあえず並べるんです。それから「あなた、うちも娘が4歳になりましたから、そろそろピアノ教室に通わせたほうがようございませんか」と。つまり、課長さんにもなったらそろそろ文化的暮らしをしよう、だったわけですね。わかっていなくても、朝礼のときに「カントはこう言っているが」と言わなきゃだめだと思ってはったわけです。それがいいことだったかどうかは知りません。

そうやって例えばカラヤンのベートーヴェン全集を買いそろえたら、次にどれを買わなあかんかという指南書、マニュアル本が欲しくなるんですよ。モーツァルトというのはなんなんだということを教えてくれる、あるいはモーツァルトでどれがいいとか。指南書が必要になる。そこで音楽批評家の出番なわけですね。例えば吉田秀和がレコードのジャケットの解説とかを書いていたら、これはいいものだと。そういう時代でしたから、吉田秀和さんとかあの時代の音楽批評家はたぶんむちゃくちゃ売れたと思います。僕の本の販売数なんて微々たるものですが。

藤原:そうなんですか。岡田さんは相当出ていると思っていましたけれども。

岡田:いや、大量消費なんて全然されていない。しかしかつて、そういう高い教養というものが大量消費される、サラリーマン文化の時代があった。おそらくそれは戦後ということでしょう。日本人がみな「文化」というものにそれだけ飢えていた。恐らく大正時代の教養主義が、戦争による中断を挟んで、戦後に一気に、さらに大きい規模で、一億総中流社会の中で爆発したということでしょうね。

藤原:当然ありますね。

岡田:それがよかったことかどうかはわからないけれども、とにかく昭和戦後とは、教養というものの黄金時代、バブル時代だった。「文化」にかかわっていた人たちにとっては、経済的な部分も含めて、とてもいい時代だったでしょう。ある意味でとても彼らをうらやましく思います。ただ今のような文化の苦難の時代だからこそ、なぜ音楽が人に必要なんだということをあの頃よりもはるかに切実に、真剣に考えられる、そういう時代が今だともいえるでしょう。その意味で、この文化の危機は自分の足元を見つめ直すためのいいきっかけだと私は思っています。

次回へ続きます!

『音楽と出会う』「はじめに」を公開中!

本書の「はじめに」をホームページで公開中です。
今回のトークイベントの原点です。是非ご覧ください。

はじめに

今回のイベントは梅田 蔦屋書店様にご協力いただきました

今回のイベントは梅田 蔦屋書店で1年ほど前からスタートしている、「読書の学校」という取り組みの中で実現しました。熱い書店員三砂さん、いつもありがとうございます。

「読書の学校」とは梅田 蔦屋書店と出版社16社が連携し、新たな視点で読み応えのある書籍を掘り起こして魅力を発信していく取り組みです。隔月でリーフレットを作製し、特定のテーマに基づいて各社がお薦めの書籍を紹介。毎月その選書にちなんだトークイベントを行っています。

梅田 蔦屋書店

〒530-8558
大阪府大阪市北区梅田3-1-3 ルクア イーレ9F

HP:https://store.tsite.jp/umeda/

Twitter:https://twitter.com/umetsuta

 

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著者略歴

  1. 岡田 暁生

    1960年京都生まれ。音楽学者。京都大学人文科学研究所教授。専門は19世紀から20世紀初頭の西洋音楽史。おもな著書に『音楽の聴き方』、『西洋音楽史』、『オペラの運命』(以上、中公新書)、『リヒャルト・シュトラウス』(音楽之友社)、『すごいジャズには理由がある』(共著、アルテスパブリッシング)がある。

  2. 藤原 辰史

    1976年、北海道旭川市生まれ。島根県奥出雲町で育つ。2002年、京都大学大学院人間・環境学研究科博士後期課程中途退学。博士(人間・環境学)。京都大学人文科学研究所准教授。専門は農と食の現代史。著書に、『ナチス・ドイツの有機農業』(柏書房、2005年/新装版2012年/第1回日本ドイツ学会奨励賞)、『カブラの冬』(人文書院、2011年)、『ナチスのキッチン』(水声社、2012年/決定版:共和国、2016年/第1回河合隼雄学芸賞)、『稲の大東亜共栄圏』(吉川弘文館、2012年)、『食べること考えること』(共和国、2014年)、『トラクターの世界史』(中公新書、2017年)、『戦争と農業』(集英社インターナショナル新書、2017年)、『給食の歴史』(岩波新書、2018年/第10回辻静雄食文化賞)、『食べるとはどういうことか』(農山漁村文化協会、2019年)、『分解の哲学』(青土社、2019年/第41回サントリー学芸賞)、『縁食論』(ミシマ社、2020年)、『農の原理の史的研究』(創元社、2021年)、『植物考』(生きのびるブックス、2022年)などがある。

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