第4回 ミラノ五輪解説レポート:メディアの強大な影響力
現代スポーツが直面する諸問題を考察し、「スポーツはいかにあるべきか」を問う『スポーツ・クリティーク』(2026年1月刊)。刊行を記念し、著者の町田樹さんによる講演会が開催されました(2026年3月27日/TSUTAYA BOOKSTORE 梅田MeRISE)。題して、「町田樹のミラノレポート」。同年のミラノ・コルティナ冬季五輪にてフィギュアスケート解説を務め、その理知的な解説が話題となった町田樹さんの目を通して見た現場の様子が語られました。
この講演のうち、おもに解説にかかわる内容を抜粋し、4回にわたってお届けします。
私たち人間は、なんととてつもないメガイベントを作り出してしまったのだろうか――。
(本書第3章「オリンピック批評」より)
2026年9月19日から10月4日まで、第20回アジア競技大会(Asian Games)が、愛知・名古屋で開催されます。この機会に、スポーツと社会の関係について、改めて考えてみませんか。
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先ほど(第2回) 、ジャパンコンソーシアムの放送の仕組みをお話ししましたが、もう一段俯瞰でお話しすると、実はジャパンコンソーシアムの前にOBSという組織があります。これは国際オリンピック委員会(IOC)の一部署です。
OBSとは、「オリンピック・ブロードキャスティング・サービス(オリンピック放送サービス)」のことです。ここが、オリンピックの撮影全部のカメラマンなどを派遣して、映像を作っています。そのOBSの映像を、どの国の放送局もいただいているわけです。「国際映像」と呼ばれるものです。共通して世界各国に配信される映像をOBSが作って、それのどのアングルを採用するのかということをジャパンコンソーシアムが調整して、日本の視聴者にお届けしています。
ですから、私たちの実況解説ブースには2つの画面があります。1つはOBSが作っている国際映像で、もう1つが、OBSから共有された映像をもとに、アングルを選択したり、テロップなどの付加情報をつけたりするなどして制作している、ジャパンコンソーシアムが日本に向けて放送する映像です。この2つがいつでも同じだとは限らないわけです。やはりジャパンコンソーシアムの映像は日本の視聴者に向けた映像ですから、日本代表の選手が舞台裏で緊張の面持ちでウォーミングアップしているところを時々抜いたりするわけです。でも国際映像にはそれは映っていない。私たちは主にこうした二種の映像を見ながら実況解説をするわけです。そうして各局が乗ってこれるような回線(ジャパンコンソーシアムの五輪中継回線)を作っていくのが私たちの仕事です。
そしてこのOBSの映像ですが、今回世界初の試みが2つありました。1つは、皆様もお気づきになられたと思うのですが、一人称視点のドローン撮影技術がオリンピック史上初めて使われました。リュージュやスキーなどのスピードの出る競技、それからスピードスケートでも導入されました。ドローンが後ろから選手を追って映す撮影技術です。ですから、自分もスキー選手になったような視点で雪山を滑降していくような映像が撮れます。すごく迫力のある視点・映像だったと思います。
もう1つはフィギュアスケートで取り入れられた「氷上カメラマン」です。たとえば、演技が終わってお辞儀をして、リンクサイドに帰っていく時、喜んでいる選手もいれば悔しさに唇を噛んでいる選手もいたります。今回は、そういう表情を近くで撮る氷上カメラマンがいました。そのカメラマンは元々アイスダンサーだったそうで、その高度なスケーティング技術と、カメラの撮影技術もゼロから学んで、選手に非常に近い氷上視点の映像撮影サービスを提供しています。彼も本当にすごいと思います。この2つの技術は、スポーツ中継映像に革新をもたらす技術だったと思います。
これらは本当に素晴らしい技術なのですが、ただし、2つの問題があると思っています。1つは、ドローン撮影について、ニュージーランドのスノーボーダー、女子ビッグエアの選手であるゾイ・サドフスキ・シノット選手が、次のような言葉を残しました。
「別にドローンが自分の後ろをつけていることは気にならないんだけれども、上空から見ると私たちの技は最高とは言えないし、私たちがやっていることを一番かっこよく見せる方法でもない」
つまり、高度な撮影技術、ドローン撮影技術を使って上空から撮ったとしても、それは必ずしもベストアングルであるわけではないよ、というふうにシノット選手は言っているわけですね。
私自身も選手の頃、「なんでこのアングルから、ここの演技のパートを撮るのだろう」と、すごく不満に思うことが多々ありました。当然、被写体のアスリートにも、「自分のパフォーマンスはこのように見せたい、このように撮影してほしい」という思いがあります。しかし、実際には被写体本人のこうした要求は通りません。通らないというか、その要望を聞いていただく機会もないというのが現実です。
テレビ局は、自分たちがどう撮影したいのか、そして視聴者が何を求めているのかということを一番重視しがちで、一番肝心な、被写体がどう撮ってほしいのかということがあまり意識されることはありません。これは非常に深刻な問題だと思っています。
せめてこのシノット選手のように意見を言ったり、ヒアリングをする機会は設けられるべきだと思います。どういうふうなアングルでこの競技を見せることが最善なのか、選手を交えて議論する場があってもいいのではないかと思っています。
それからもう1つは、氷上カメラマンについてです。カメラマンは素晴らしかった。彼は、自分のカメラがいらない時はフェンスに隠れて身をかがめて、競技の邪魔にならないように、最大限配慮しながら素晴らしい仕事をしてくださっていました。ただ、(競技ではなく)エキシビションの時には、選手の演技中も(カメラマンが)氷に乗っていました。これは別に彼が撮りたいからということではなく、おそらく、OBSから「エキシビションは氷上カメラマンで撮ってください」という要求があったから彼も出動したのだと思います。
私はこれを俯瞰の映像で見た時に、ちょっとこれは行き過ぎだと感じました。言葉は悪いですけど、「テレビ番組の公開収録」のようだと思ったのです。テレビ番組の公開収録では、観客は応募に当たってタダで収録現場を観に来ています。当然、公開収録の観客は、たとえタレントさんがカメラ機材で見切れようが、それを承知の上で観に来てるので全く問題ないのですが、オリンピックでは、観客は高額のチケット代を払って観に来ています。
皆様もチケットを買ってオペラやミュージカルやバレエを観に行って、舞台上でカメラマンが動いていることを想像してみてください。これは許せませんよね。そういうことが今回フィギュアスケートのエキシビションでは起こっていたということです。
観客は単なる傍観者ではありません。観客の応援があるからこそ、選手は最高のパフォーマンスを発揮することができるわけです。コロナ禍では、多くの超一流アスリートたちが「無観客で応援がなかったから全然力が出せなかった」「集中するのが難しかった」などと証言しています。いかに観客の存在が重要かということを、まざまざとコロナ禍は私たちに教えてくれたわけです。
観客が「ウワーッ!」と盛り上がることによって、非日常のスポーツ空間が形作られます。観客もまた選手と同じようにスポーツを形作るメインアクターなわけです。その観客の見る権利というものが蔑ろにされているなというふうに感じました。エキシビションは競技会ではないのですが、ここは直ちに改善されるべき点だと思います。
国際オリンピック委員会(IOC)が毎年公表している「オリンピック・マーケティング・ファクト・ファイル」(2025年版)を見ると一目瞭然なのですが、IOCの収入全体における放映権料などのメディア関係収入の割合は、いまや55%にものぼり、その他の収入源に比べて断トツで多いです。
それだけに五輪においてメディアは絶大な影響力を持っているわけですが、その力が適正な範囲内に収まっているのか、はたまた五輪放送はいかにあるべきか、といったことは、常に多様な立場の関係者の意見を踏まえながら、多角的に議論や検証がなされるべきでしょう。

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【目次】
序章 スポーツ・クリティーク――その役割と意義
Ⅰ スポーツと社会を媒介する
第1章 スポーツと社会
第2章 アリーナの今と未来
第3章 オリンピック批評
コラム スポーツにおける感動の意味
Ⅱ スポーツが育む心身
第4章 スポーツと教育
第5章 アスリートの健康
コラム 北京オリンピックのドーピング問題
Ⅲ スポーツを通じて哲学する
第6章 スポーツの本質を求めて
第7章 生きる身体との対話
第8章 本との対話
コラム アスリートとして経験し、研究者として叩き上げる
Ⅳ スポーツとアートを結ぶ
第9章 スポーツとアート
第10章 アーティスティックスポーツと著作権
コラム フィギュアスケート界における音楽著作権管理システム改革の兆し
おわりに―ペンを持ってスポーツを生きる
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