第1回 スポーツ批評という営み
現代スポーツが直面する諸問題を考察し、「スポーツはいかにあるべきか」を問う『スポーツ・クリティーク』(2026年1月刊)。刊行を記念し、著者の町田樹さんによる講演会が開催されました(2026年3月27日/TSUTAYA BOOKSTORE 梅田MeRISE)。題して、「町田樹のミラノレポート」。同年のミラノ・コルティナ冬季五輪にてフィギュアスケート解説を務め、その理知的な解説が話題となった町田樹さんの目を通して見た現場の様子が語られました。
この講演のうち、おもに解説にかかわる内容を抜粋し、4回にわたってお届けします。
私たち人間は、なんととてつもないメガイベントを作り出してしまったのだろうか――。
(本書第3章「オリンピック批評」より)
2026年9月19日から10月4日まで、第20回アジア競技大会(Asian Games)が、愛知・名古屋で開催されます。この機会に、スポーツと社会の関係について、改めて考えてみませんか。
連載トップページはこちら
ミラノ五輪に裏方として行ってきて、いろいろなことを見聞きしてきました。本日は「町田樹のミラノレポート」ということで、そのことについて存分に話していきたいと思います。
その前に、『スポーツ・クリティーク』の内容について、少し説明をさせていただきたいと思います。私は2020年、ちょうどコロナ禍になってスポーツや文化芸術が「不要不急」だと言われてしまったあの頃から、「スポーツ批評」という活動に取り組んでいます。
「スポーツ批評」とは何かというと、スポーツに関して洞察したことを言語化して、それを社会に向けて発信していく営みのことです。このスポーツ批評は、大きく分けて2種類あると私は考えています。
1つ目が「スポーツ社会・文化批評」です。スポーツと社会の関係やスポーツ文化そのものを対象とする批評です。私は2020年から、『毎日新聞』運動面の連載「今を生きる 今を書く」を主戦場として、この「スポーツ社会・文化批評」に取り組んでいます。
私はスポーツを専門としている研究者なのですが、たとえスポーツに関する深い知識を有する研究者だったとしても、「批評すること」は非常に難しいです。というのも、私たち研究者にとっての第一義の仕事は、研究をして、研究論文を書いたり、あるいは本を書いたりすることです。そして通常、学問ないし、その知的活動を支える研究機関というのは細かく専門が分化している傾向にあります。ですから、いろいろな問題について、たとえばスポーツ科学といっても、私はスポーツ社会学を専門としていますので、なかなかスポーツ経済学ですとか、他の分野のことを取り上げてそれを論じる機会が少ないです。実際、私も博士課程の頃に徹底的に教え込まれたことですが、基本的に、研究者というのは研究課題について狭く深く掘り下げていくべきであるということです。アカデミアでは、そのような考え方が一般的であるゆえに、広くスポーツ問題を見渡して何かを書く機会はおのずから少なくなりがちです。
でも、私は幸いなことに『毎日新聞』で批評コーナーをいただいて、だからこそアンテナを広く張って、スポーツに関して何か書くべきことがないかを日々探しながら、これだというテーマが見つかった時に鋭く考察をして、皆様にお届けするということに挑戦することができています。ですから、私もこの『毎日新聞』の連載がなければ批評活動はできないと思っています。書く場がある、批評する場があるということは本当に尊いことだと思っています。この場が続く限り、私も真摯にスポーツ批評に取り組んでいきたいと考えています。
それから2つ目。「スポーツプレー批評」です。これは、アスリートのプレーを、実況解説などを通じて皆さんに語ることによって、スポーツそのものの見方を提案したり、なぜそのプレーが良かったのか/悪かったのか、などを分析して伝えるという仕事です。もちろん、実況解説だけでなく、特定のスポーツ競技に特化した専門誌などでも、この類の批評が展開されています。私は2017年からフィギュアスケートの解説者として、この「スポーツプレー批評」にも取り組んでいるところです。そして先月(2026年2月)、ミラノ五輪にジャパンコンソーシアムのフィギュアスケート解説者として派遣していただき、男子シングルとアイスダンスの2種目の解説を務めました。
このような形で、幸いにも私は「スポーツ社会・文化批評」と「スポーツプレー批評」の両方に取り組ませていただいています。こうしたいろいろな経験をありがたいことにさせていただいて、そこで得た経験や実践知を研究者として培った学問知と掛け合わせながら批評活動を展開しています。

スポーツ批評は、私だけではなくて、スポーツ科学研究者あるいは評論家の方々が取り組まれておられます。優れたスポーツ批評がたくさん世の中に発信されているのですが、私の強みとしては、元アスリートですので、スポーツの業界のことが内側からわかるわけですね。スポーツに限らず「業界」と言われているものは、外側から見ても見えない部分がたくさんあります。業界の中に入ってこそ見える部分がたくさんある。しかし、業界の中に入ってしまうと、村社会というか、視野狭窄に陥るというふうに言われます。現に、アスリートは視野が狭い、世間知らずとよく言われてしまいます。スポーツ界の常識が自分の世界の常識になってしまうので、視野狭窄に陥るリスクは高くなってしまうのですが、それと同時に、私はアスリート引退後に研究者になって、その業界を外側から客観視する研究の眼差しも日々頑張って鍛えています。言ってみれば、業界の中を内側から知っている「内の目」と、外側から客観視する「外の目」、その両方を持って、「複眼的な視座から批評を展開する」というのが、私の強みだと考えています。
そうした批評活動を1冊にまとめたのが、この『スポーツ・クリティーク』です。本書の中にはいろいろなトピックがあるのですが、今日は第Ⅰ部 第3章「オリンピック批評」のチャプターから、この本の内容ではなくて、せっかくミラノ・オリンピックを現地に行き、肌で感じてきましたので、その見聞きしたことを踏まえて、オリンピックをいろいろな側面から批評していきたいと思っています。
そして、話は変わりますが、本書の帯を書いてくださったのがサンキュータツオさんなのです。彼は、お笑い芸人でありながら研究者でもあるという、私とちょっと似たような立場にある方です。今まさに現役の漫才師であると同時に、その漫才を分析・研究する研究者でもある。複眼的な視座を彼も持っている。その彼が本書を「競技者から学者になった『越境者』だからこその誠実な言葉」と評してくださったことは、とても光栄なことだと思っています。

本の詳細やネット書店でのご購入はこちらから
【目次】
序章 スポーツ・クリティーク――その役割と意義
Ⅰ スポーツと社会を媒介する
第1章 スポーツと社会
第2章 アリーナの今と未来
第3章 オリンピック批評
コラム スポーツにおける感動の意味
Ⅱ スポーツが育む心身
第4章 スポーツと教育
第5章 アスリートの健康
コラム 北京オリンピックのドーピング問題
Ⅲ スポーツを通じて哲学する
第6章 スポーツの本質を求めて
第7章 生きる身体との対話
第8章 本との対話
コラム アスリートとして経験し、研究者として叩き上げる
Ⅳ スポーツとアートを結ぶ
第9章 スポーツとアート
第10章 アーティスティックスポーツと著作権
コラム フィギュアスケート界における音楽著作権管理システム改革の兆し
おわりに―ペンを持ってスポーツを生きる
初出一覧



