対話と妥協、葛藤の中でこそ生きてゆく
ナチスからイスラエルまで続く意図的な飢餓という暴力の歴史をたどる『食権力の歴史』(人文書院)、突然よみがえる過去から奴隷制と植民地支配の暴力を掘り起こす『奴隷・骨・ブロンズ』(世界思想社)。2冊の本は、今なお続く植民地主義と不均衡な富・食・知・権利の配分を私たちに問いかけます。私たちはその暴力の構造と無関係ではいられません。なぜ過去は終わらないのか? いかに脱植民地化できるのか?
食と農の歴史が専門の藤原辰史さんと、イギリス近現代史が専門の井野瀬久美惠さんによるトークイベントが、2026年3月11日に開催されました。その内容を3回に分けてレポートします。
アフリカから見た大英帝国
藤原:イギリス史は西洋史のなかでも、いや世界史においても、華々しい。皆さんも、勉強して覚えていることはイギリス史に関することが多いのではないでしょうか。産業革命とか、議会政治とか、ヴィクトリア女王とか、チャーチルとか…。有名な人物も多い。そんな輝かしい領域にいながら、井野瀬さんはかなり早い段階から、アフリカへと舵を切り、アフリカからイギリスを眺めるということをされた。
そこで井野瀬さんが出会ったのがレディ・トラベラーですね。日本でよく知られているレディ・トラベラーとしては、明治初期に東北や北海道まで旅したイザベラ・バードがいます。井野瀬さんがほれ込んだのは、メアリ・キングズリというレディ・トラベラーですね。『植民地経験のゆくえ――アリス・グリーンのサロンと世紀転換期の大英帝国』(人文書院、2004年)に詳しく書かれていますが。
井野瀬:はい、一目ぼれです(笑)。メアリは30歳になるまで、ずっと自宅で家事のいっさいを引き受け、心身を病んだ母親を世話し、貴族の侍医として海外にいったきりの父親不在の家を支えてきました。そんな彼女が、両親を立て続けに失った途端、なんと西アフリカに行くわけです。当時、マラリアや黄熱病など熱帯特有の感染症ゆえに、「白人の墓場」と呼ばれた西アフリカに、国内旅行さえほとんどしたことのない彼女が「行こう!」と決心する……。
藤原:すごいですね。
井野瀬:「なぜ?」という疑問が、私の中でむくむくとわいてきて……。
藤原:しかも、彼女はスカートで4,000メートルの山を登頂したのですよね。
井野瀬:そうです。西アフリカの最高峰であるカメルーン山を、コルセットにロングスカートというヴィクトリア朝レディの典型的なファッションで登り、西アフリカの奥地を探検しました。
藤原:そのメアリさんは、スカートをはいたまま落とし穴に落ちてしまうような人なんですよ
井野瀬:そうです。そして「この分厚いスカートのおかげで体は傷つかないですんだわ」と言ってのけるユーモアの持ち主です。

メアリ・キングズリ
藤原:妻や母というジェンダー規範から逸脱し、イギリス社会の主流からはみ出た彼女が西アフリカを旅して、イギリスを逆に見返してみようとした。もちろん、イギリス人の目線という限界はありつつも、彼女は男性の視線とは異なる見方でアフリカを、イギリスを眼差した。この二重の他者性で見返してみようという姿勢は、井野瀬さんの人生にも通じますね。『植民地経験のゆくえ』は、男ばかりの歴史学の中で、井野瀬さんがどのように闘ってきたのか、中心から外れたところで、歴史学を転換しようとしてきたかがわかる本でもあります。
井野瀬:そんなふうに読んでくださったのですね。ありがとうございます。中心を外れて初めて見える輪郭があることにも気づきました。歴史学は、自分が何を見ているか、なぜ私はそれを見ているのか、「問う私を問う」学問、といえるかもしれません。
じつは近年、「問う私を問う」を意識することがありました。メアリとベニン・ブロンズの意外な関係が明らかになってきたのです。2023年にオックスフォード大学附属ピット・リヴァーズ博物館に行った時のことです。博物館は所蔵するベニン・ブロンズの詳細なリストを作成しており、それを見るとベニン・ブロンズの寄贈者や来歴がわかります。なんと、3番目に多い寄贈者がメアリ・キングズリだったのです!
藤原:井野瀬さんが愛する、あのメアリが! 男たちによる西アフリカのイギリス植民地経営を、彼女ははっきり駄目だと批判した稀有な人物です。脱植民地化やコロニアルという言葉がない時代にきちんと批判できた人物が、なぜ?
井野瀬:彼女が旅したルートにベニン王国は含まれません。ですから、彼女は現地でベニン・ブロンズは見ていないと思われます。旅を綴った彼女の著作『西アフリカの旅』(1897)にも、ベニン王国の記述はいっさいありません。ところが、彼女を訪問した友人や知人らの日記や自伝などをつき合わせると、メアリの自宅に10を超えるベニン・ブロンズがあったことは明らかです。メアリ、あなたは、21世紀の世界を騒がせているかつての略奪品をどのように手に入れたのですか? あなたはイギリスによるベニン王国の破壊と財宝の略奪をどのように見ていたのですか? これが私の新たな問いです。
時代を区切らない
井野瀬:私は学生たちに「過去と対話しましょう」とずっと言ってきました。ともすると、時間軸を入れずに、今の自分たちの感覚ですべてを捉えてしまいがちだからです。時代を人為的に区切ることの意味も、気になっています。人為的に時代を区切ることで、見えるようになるものもありますが、逆に見えなくなってしまうものもある。先ほど『ウェッジ』の話を出しましたが、現在私たちが直面している状況は、20世紀後半よりも20世紀前半に似ているように思います。
藤原:非常に重要な論点だと思います。日本では1945年の敗戦が重いですよね。
井野瀬:「敗戦から80年」といった言葉にあるように、1945年は現代に続く物語を語る起点になっていますよね。
藤原:ところが、給食ひとつとっても、1945年から始まっていません。19世紀末から山形県で自立的な給食が始まっていたわけです。その時のメニューはご飯とみそ汁でした〔藤原辰史『給食の歴史』岩波新書、2018年〕。イメージがガラッと変わりますよね。アメリカのおかげでパンと牛乳の給食が始まり、私たちの今があるという、なんとなくのGHQ感は崩れます。
第二次世界大戦中に、各地でレイプの暴力が吹き荒れました。ドイツ兵、ソ連兵、アメリカ兵、もちろん日本兵も加害者です。戦争中だけではなく、戦後も占領の中でレイプは起こっている。その痛みは当然ながら1945年で終わりません。朝鮮半島出身の「慰安婦」にされた女性たちが被害を証言することができたのは、ようやく1990年になってからでした。
井野瀬:藤原さんは、731部隊〔大日本帝国陸軍の研究機関で人体実験や生物兵器の開発を行っていた〕の持っていた医学上の知見が、その後アメリカでどのように利用されているかを考えたら、1945年では切れない、ということも、『岩波講座』の展望論文でおっしゃっていますね。
藤原:たとえば、『食権力の現代史』で論じた、ナチスによる「飢餓計画」という暴力に関わっていたハンス・ヨアヒム・リーケという食糧政策の専門家は、戦後、今度はテプファー商会という世界を代表する穀物商社に入社して、世界の食糧をコントロールする側に移行します。テプファー商会の社長であるアルフレート・C・テプファーもまた、ナチスのフランスやポーランドの占領政策に深く関わって、自社の利益を最大限にすべく努力してきた人ですが、戦後はECの創設に尽力します。ナチスのヨーロッパの新秩序をめざす「広域経済圏」構想と戦後のヨーロッパ統合には、もちろん、大きな違いがありますが、ドイツの経済を核とするという意味で、小さくない相似点も見逃せません。
年号を覚えるのは歴史を知るうえで必要なことではあるのですが、やはり持続性という観点が重要に思います。私はよく走り幅跳びに喩えます。助走して、踏み切って、飛ぶ。年号=踏み切りはたしかに大事だけれども、どう飛ぶかはどう走ってきたかに規定されるわけです。
井野瀬:私もまったく同じことを思っています。出来事を線ではなく面で考えるということです。出来事は子どもたち、孫たちへと語り継がれていきます。哀しみも恨みも引き継がれていきます。事実を掘り下げていくとき、現代との接点にいる自分が現代と対話しないと、過去と対話する問いが出てきません。出来事に対して、私たちはどのような責任を持ち、何を考えればいいのか。一人ひとりの力は小さいですが、考え続けることが大切だと思います。
歴史学の未来
藤原:これからの歴史学はどうあるべきか、未来の歴史学について最後に話しましょうか。私は協同作業が大事になってくるように思います。どれだけ勉強しても、一人でやれることには限界があります。誰がどこを書いたか分からないほどの匿名性の協同性があってもいいんじゃないかと思います。歴史学はアカデミズムの特権でもないし、所有物でもありません。共有財産として作ってきたものを、きちんと共有財産として送り出していこうと。歴史学はファンが多いです。そのようなファンの人たちは畏るべしです。自分がいた場所を客観視させてくれるというのかな。歴史学を所有権から解放したい、というのが、私が考える未来の歴史学です。
井野瀬:なるほど。別の言葉で言えば、「誰が歴史を語るのか?」ですね。
藤原:そのとおりです。
井野瀬:「誰が歴史を語るのか」について、現在大きな変化が起こっています。たとえばベニン・ブロンズに絡めて話したように、博物館は過去と現在の対話の場となっています。
過去と現在の対話のために、私は常に何か補助線のようなものを引くようにしています。
藤原:補助線とは?
井野瀬:史料には直接的に書かれていない事実や関係を見やすくするために、文字通り「補助」となるものですが、私が用いる補助軸は、なぜか歴史学研究の内側にないことが多い。たまたま出会った本の一節や耳に入ってきた誰かの話が、補助線となることが多いようです。昨年〔2025年〕、第40回京都賞授賞式と記念講演会に参加しました。受賞者は3人いらして、そのうちの一人が「ケアの倫理」という新しい考え方を打ち立てた心理学者のキャロル・ギリガンさんです(【京都賞記念講演】キャロル・ギリガン「飛び込んで聴く」)。ギリガンさんには『もうひとつの声で――心理学の理論とケアの倫理』という本があります〔原著1982年、邦訳は風行社、2022年〕。
「ケアの倫理」と対比されているのが、「正義の倫理」です。正義、つまり、人権、自由主義、民主主義といった普遍的な原則を使って解決策を見い出し、実行に移すのが「正義の倫理」です。アメリカ映画でよく出てくる台詞に、「Do the right thing(正しいことをせよ)」というのがありますが、まさにあれです。「何が正しいか」を判断するのが正義の倫理です。
一方、「ケアの倫理」は、何が正しいかという判断を求めません。もっと言えば、結論を急ぎません。ゴールを設定しません。対話を重視するのです。何より、二分法で考えません。たとえば、利己的/利他的という対立軸において、女性には自己犠牲を引き受ける利他的な存在であることが求められてきました。自立/依存という対立軸では、男性には自立が、女性には依存が望まれてきました。「ケアの倫理」では、人間を、普遍的な原則からではなく、互いに支え合う関係性の存在として捉え、具体的な他者との対話、そこで得られる妥協を通じて、従来の二分法を乗り越えようとするわけです。
「脱植民地化とは何か」を考え続けていた私は、ギリガンの言葉に「これだ!」と思いました。二分法で考えない、ゴール設定をしない、対話と妥協を大切にする。答えがなかなか出ない葛藤の中を生きていく。脱植民地化には具体的なゴールがあるわけではなく、意見を交わすなかでその状態、脱植民地化という状態になっていくものなのです。描く形も進む方法も人や地域によって多様にあります。はざまで悩め――よく言われる、ネガティブ・ケイパビリティですよね。
藤原:帚木蓬生さんという作家がおっしゃっていますね。私も大好きな作家です。『三たびの海峡』なんか素晴らしいですよね。
井野瀬:大好きです。彼は精神科医でもあって、ギャンブル依存症についての著作もあります。ギャンブル依存症の患者と向き合うときにも二項対立で考えないそうです。どこかもにゃもにゃと自分語りを続ける。まとめません、結論を出しません、常に対話をオープンな状態にします、ということですね。
藤原:一言で言うなら、伴走する、転ぶときもあるけど、隣で走っていく、ということでしょうか。一緒に走っていく歴史学をこれからやっていきたいですね。





