メリトクラシーが陰謀論を生み出した
橘玲
「社会はなぜ分断するのか?」という問いには、シンプルな答えがある。多くの専門家はそのことを知っているが、仲間内で話題にすることはあっても、公に口にされることはない。「ポリティカル・コレクトネス(政治的な正しさ)」のコードに抵触するからだ。
だがこの話をする前に、わたしたちが生きているのが「知識社会」だということを押さえておかなければならない。知識社会とは定義上、知能が高い者に大きなアドバンテージのある社会のことだ。
知識社会に適応した者と適応できない者
教育というのは、ありていにいえば、知能によって個人を選抜するシステムのことだ。言語的知能の高い者、すなわち行政・法律文書を巧みに操作できる者は官僚・法律家になり、論理・数学的知能が高い者は研究者やエンジニアとして高い給与を得る。
そのなかでもとりわけ優秀な者たちは、世界中からカリフォルニア州の小さな一角シリコンバレーに集まり、テクノロジー企業を創業して数兆円、数十兆円というとてつもない富を獲得している。これが「テクノ・リバタリアン」だ。
知識社会が高度化すればするほど、高い知能をもつ者に富が集中する。その理由は、誰もが学校時代の偏差値で知っているように、高い知能が稀少だからだ。
その一方で、知識社会に適応するためのハードルが上がれば、そこから脱落する者が増えていくのは避けられない。このようにして知識社会では、認知能力による社会的・経済的な分断が起きる。
ところがリベラルな社会では、「認知能力のばらつき」という「不都合な真実」を口にすることが禁じられている。そのため話が奇妙な方向に逸れていき、すべてのひとが(偏差値六〇くらいの)同じ知能をもっていて、それにもかかわらず「新自由主義(ネオリベ)」や「グローバリズム」という名の黒魔術のようなものによって、運の悪い(あるいは制度的に差別された)ひとたちが社会の底辺に押しやられている、という物語が「政治的に正しい」とされるようになった。
だが2016年にドナルド・トランプが米大統領に選ばれると、さすがにこの虚構(デタラメ)を維持できなくなって、白人労働者階級の詳細な研究などから、アメリカ社会が「学歴」によって分断されていることが明らかになった。認知科学が繰り返し検証しているように、学歴と知能はきわめて相関が高いので、これは「知能による社会の分断」のことだ。
リバタリアンと加速主義
「リバタリアン」は自由原理主義者のことで、国家や軍隊・学校、会社のような中央集権的な組織を嫌悪し、なにものにも依存することのない自由で自立した人生を理想とする。この政治思想がテック系の起業家と相性がいいのは、テクノロジーが指数関数的に進化していくためには、法律や規制によって制約されない自由が必要だからだ。その意味で、スティーブ・ジョブズからイーロン・マスクまで、シリコンバレーの天才たちは多かれ少なかれみなテクノ・リバタリアンだ。
彼ら(そのほとんどは男性)は、個人的な富・名声と、「よりよい社会」「よりよい未来」をつくるという理想の両方を、強大なテクノロジーによって実現しようとしている。その意図は“邪悪”なものではなく、あえていうならば「自己実現」だろう。
テクノ・リバタリアンに(共通するとまではいえないが)よく見られる特徴として、「死への恐怖」がある。彼らの究極の目的は不死によって“ホモ・デウス(神人)”になることで、自分が生きているあいだにこのSF的な目標に到達するには、テクノロジーの進歩を限界まで加速させなくてはならない。これが「加速主義」だ。
イーロン・マスクの個人資産は8390億ドル(約133兆円)に達したが、AI(人工知能)などの新分野からさらなる成功者が現われ、トリリオネア(資産一兆ドル)も時間の問題とされる。中堅国家に匹敵するだけの富と権力をもつ個人は、「ソブリン・インディビジュアル(主権をもつ個人)」と呼ばれる。
このように認知能力のベルカーブ(正規分布)の右端では驚くべきことが起きているが、左側に目をやれば、アメリカ社会では低学歴の失業や貧困が大きな社会問題になっている。これは誤解されているようにアメリカが「ネオリベの国」だからではなく、日本よりもはるかにリベラルな社会だからだ。
メリトクラシーが陰謀論を生み出した
リベラリズムの大原則は、人種、出自、性別、性的指向など「本人の意思では変えられない属性」にもとづく評価を許さないことだ。しかしそれでも、採用や昇進・昇給などで個人を評価しなければならない場面はあるだろう。そんなときに認められる指標が、努力によって獲得できる(とされている)「学歴・資格・実績」すなわちメリットだ。
メリトクラシーとは、客観的に計測できるメリットのみで人的資本を評価するシステムだ。「能力主義」を批判するひとたちはなぜか理解できない(あるいは理解しようとしない)ようだが、メリット以外で個人を選別しようとすれば、あとは属性しか残っていないのだから、定義上、「差別主義者」になるほかない。
アメリカは人種的に多様な社会なので、差別だと見なされるとすぐに訴えられ、裁判に負ければ莫大な賠償金を払わなければならない。そのためにアメリカの企業・組織はメリトクラシーを徹底するようになり、その結果、学歴や資格による経済格差が拡大した。
トランプの岩盤支持層は高卒や高校中退の白人労働者階級で、グローバル化や機械化によって企業が撤退し荒廃した中西部のラストベルト(錆びた地域)にくすぶって、アルコール、ドラッグ、自殺で「絶望死」している。不遇な身の上を「自己責任」だと認めるのは、とてつもなく苦しいにちがいない。「こんなことになったのは、なんらかの邪悪なちからがはたらいているからにちがいない」と思うようになるのも無理はないが、ここから奇怪な陰謀論まではほんの一歩だ。
知識社会から排除され、底辺に追いやられたひとたちから見れば、政府、大学、大企業、メディアなどはリベラルなエリートが支配しているようにしか見えない。これを「ディープ・ステイト(闇の政府)」と呼ぶのは、あながち間違っているわけではない。
格差は拡大しているのではなく、縮小している
ところで、ここで強調しておかなくてはならないのは、高度化した知識社会が(テクノ・リバタリアンのような)ごく一部の大富豪と、それ以外の貧困層に二極化しているわけではないということだ。それとは逆に、データによれば、先進諸国でも中間層の富が拡大している。これは不動産価格と株式市場の上昇によるもので、プライベートバンクのレポートによれば、総資産から負債を除いた純資産で100万ドル(
これは日本も同じで、ミリオネアの数は中国、フランスに続く270万人で、20世帯に1世帯に相当する。さらに所得データを見るかぎり、日本では格差が拡大している兆候はない。――より正確にいうならば、日本は全体として貧乏になっているので、それによって格差の拡大が抑制されている。
ではなぜ、ポピュリズムによって社会が混乱するのか。それは、「まわりが幸福になればなるほど、取り残された者の絶望が深まる」ということで説明できるのではないか。アメリカはとてつもないゆたかさを実現したが、それでも5世帯に4世帯はミリオネアではない。
ここで述べたことで、日本や世界で起きていることはほぼ説明できるだろう。問題は、「だったらどうすればいいのか」の解を誰ももっていないということだ。
たちばな あきら/作家

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