「ふつう」じゃなくても、大丈夫な場所
温 又柔
私は幼少期に来日し、日本で育った台湾人である。
五歳、十歳、十四歳、十七歳、十九歳……日本語が、自分の中に根を張るにつれて、自分は台湾人というよりも限りなく日本人に近い存在なのだと感じるようになった。
そして、そういう自分は、「ふつう」でない、とも常々感じていた。
何しろ、この国の圧倒的多数を占めるのは、日本人、それも生まれながらのそういう人たちなのだから、と。
むろん、私が自分自身に感じていた、「ふつう」でなさ、は、ほかの人たちと比べて、自分は「とくべつ」なのだと密かに誇りたくもなる、そんな「ふつう」でなさ、でもあった。
とはいえ、日々を過ごすときの私は、ごくふつうの感情として、できれば「ふつう」でありたい、と望む気持ちのほうがつよかった。事実、この国のほとんどの人は、私を「ふつう」の人――生まれながらの日本人――だと初めは思う。私が自分の名前――温又柔(おん・ゆうじゅう)、は本名だ――を名のるまでは。
――あっ、日本人ではないんですね。それにしては、日本語がとってもお上手なんですね。すっかり日本人なのだと思っていました。
こんな私にとって、最も身近にいた「ふつう」でない存在といえば、母だった。
最も身近だった「ふつう」ではない人
十代の頃の私は、自分の母親が喋る言葉は「ふつう」ではないと頑なに思い込んでいた。
日本語しか話さなくなりつつあった私に向かって、母は日本語で話しかける。そのはずが、話の途中でいきなり中国語になる。かといって、そのまま中国語が続くのでもなく、そこに台湾語も混じる。母が話し出すと、いつも一つの文の中で、複数の言語がごった煮になる。何より我慢ならなかったのは、母の話す日本語が、私の耳にはいつまで経ってもガイジンみたいに聞こえることだった。
(お願いだから、ちゃんとした日本語で話してよ)
いつからか、私は母にそう望むのを諦めた。母にそれができるなら、とっくにできている。母が、「ふつう」の日本語を話せるようになる日は、永遠に来ないだろう。
その頃には我が家の日本滞在期間も二十年に及んでいた。
いよいよ二十代半ばを迎えつつある私自身もまた、「ふつう」であらねば、と力まなくなった。それどころか、「ふつう」とはそもそも何? 誰が「ふつう」を決めるの? といったことばかり考えていた。
『私という旅――ジェンダーとレイシズムを越えて』(青土社、一九九九年)という本を読んだのもこの時期だった。
出稼ぎや花嫁として来日したフィリピン女性を対象としたカウンセリングなどの活動を行っていて、自身もフィリピン生まれであるリサ・ゴウと、社会学者であり朝鮮にルーツを持つ東京生まれの鄭暎惠(チョン・ヨンヘ)という二人の女性が、言語、権力、差別、マイノリティ、ジェンダーについて、互いの立場を分かち合いながら語らってゆく一冊である。
母の日本語
ジェンダーとレイシズムを越えて、という副題が添えられた、この本の帯にある「子供たちはなぜ母親の話す日本語を恥じるのか」という一文に、当時の私は不穏な胸のざわめきを覚えた。はたして、めくった本の中には、外国人――それも、日本の旧植民地だったアジアの一国――の母親を持ちながらこの国で育った私が知るべきことがすべて書いてあった。
明らかに、問題は言語以上のものです。もっと大きな社会全体にかかわる、権力と抑圧のシステムがあるのです。ある人々を周縁に追いやり、低い地位において支配しようとする、レイシズムと差別のシステムです。(リサ・ゴウ、鄭暎惠『私という旅――ジェンダーとレイシズムを越えて』)
問題は言語以上のもの。
この本とめぐりあったおかげで、ついに私は確信に至る。自分の母親や、母のような人の子である自分自身を、「ふつう」でない、と感じていた自分は、この国の社会的な風潮に「過剰適応」していた、と。そのせいで、私は母にあんなふうに言ってしまったのだった。
――あたしも、ふつうのママが欲しかった。
そんな日本語を投げつけられても、母は私のことを許した。あなたの立場なら、そう言わざるを得ない気持ちになるのはわからなくもない、と。
――ママ、日本語下手。ごめんね。
私のほうが、たった一度とはいえ、母にそう言わせてしまったかつての自分を絶対に忘れまいと心に決めている。
母には、私のこの思いは通じないから……
二十九歳、三十六歳、四十五歳……そんな私も、私が十代の頃の母と同じ年齢になった。幸いにも、私たち母娘の現在の関係はまあまあ良好と言える。
ところで母には、私以外に娘がもう一人いる。
私の妹は、私が五歳の頃に日本で生まれた。昨年、四十歳になったその妹にも、娘が一人いる。
「あの子、ほかの人には言えないことをみんなあたしにぶつけてくるの。どうにか受けとめてやりたいんだけれど、あたしにできるのはせいぜい話を聞いてあげることぐらいだからもどかしくて……」
妹が、十二歳になる姪についてそうぼやくのを聞きながら、ふと私は奇妙な感情に襲われる。自分自身の思いを屈託なく言葉にして母親に晒せる姪のことが、羨ましくなったのだ。それは、私ができなかったこと。姪の年齢だった頃の私は、母に対して口を閉ざしがちだった。母も、私と同じことを思い出したのだろう。
「ママ、もっとできない。あなたたちの話、聞いてあげたい。でも、いつも、日本語で、うまくできない。ごめんね」
母は、あっけらかんとそう言って、私と妹に、というよりは、私だけに笑ってみせる。おかげで私は、わずかな瞬間ではあったものの、自分が姪を羨望したことを密かに恥じる。
ささやかな抵抗を、続ける
日本語によってでしか、私は自分の思いを表現できなかった。日本語がカタコトの母には、自分の言いたいことが正確に伝わらないと諦めていた。自分と母の間には、言語の壁が立ちはだかっている。それなのに母のほうは、私とのコミュニケーションをただの一度も諦めようとしなかった。
――どうして、何も言わない?
そういう時はいつも、言語と言語の間を隔てる国境線が無化された。カタコトの日本語は、あっけなく中国語に切り替わり、その中国語の中にも台湾語が混ざる。「ふつう」でない母の、「ふつう」でない言葉をこちらがどれだけ疎んじ、拒もうとしても、母のほうは私を理解しようと努力をし続けた。私が、母にとって自分の娘であるという、ただそれだけの理由で。
――ママ、いるよ。ママは、いつもあなたの味方。
それなのに私はといえば、「国境」などという概念にあっけなく縛られて、言語や文化の間にみずから線を引き、母を遠ざけるだけではなく、軽んじもした。
自分の母親は「ふつう」でないと思い込んでいた私が、自分が書く小説の中に、ちょっとぐらい「ふつう」でなくても大丈夫な場所を確保したいと願うのは、私たち母娘を引き裂こうとした「言語以上のもの」への、ささやかな抵抗でもあるのだ。
おん ゆうじゅう/小説家

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