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『働きたいのに働けない私たち』刊行記念 小山内園子さん・中野円佳さんトークイベント

もの言うスキルを持つこと

働く意志も能力もあるのに、機会も環境も与えられない女性たち。出産・育児がキャリアの障害になる社会で、女性たちは母になることを果敢に放棄する――韓国の女性たちが労働市場から疎外される理由を解き明かす、チェ・ソンウン著『働きたいのに働けない私たち』の刊行を記念し、翻訳者の小山内園子さんと解説者の中野円佳さんが対談しました。韓国フェミニズムの本を多く訳されてきた小山内さんと、日本の女性労働について研究・発信されてきた中野さん。日韓に共通する問題は何か、日本の女性はどのように働いているのか、日韓の違いは何か、そして機会の平等性はどのように実現できるのか。前編・後編に分けてレポートします。

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韓国のコンテンツの強さ

小山内:韓国のいいところは社会課題がいろいろなコンテンツで出されることだと思っています。中野さんが解説で触れておられた韓国ドラマ『SKYキャッスル』をご覧になった方はいらっしゃいますか? 高級住宅街SKYキャッスルを舞台に、過熱する教育競争が描かれます。入試コーディネーターまで雇って、なんとかしてわが子を医学部に入れたいという母親たちが火花を散らします。殺人事件が起きてミステリーになってくると、「来たな!」という感じですけれども(笑)。それでも、韓国人の友達に聞くと、「あれは本当にそうだ」と言うんです。殺人は起きないけれども、ある程度のリアリティがあるからドラマになる。

 『イカゲーム』をご覧になった方はいらっしゃいますか? 非常に残酷なデスゲームなので、見れないという方はたくさんいらっしゃると思います。シーズン1・2・3とあって、かつて自動車メーカーに勤めていて、労働争議で敗れた経験の持ち主が主人公です。実際に韓国では2019年に非常に大きな自動車メーカーの労働争議があり、その出来事がイカゲームの背景にあると言われています。シーズン1での彼はホモソーシャルな感じが強く、奥さんも子どもも見捨てて労働組合の活動をしたり、実際の生活では母親が彼のケアワーカー状態です。それが、シリーズ2、3と進んでいくうちに、登場人物に多様な女性の姿が増えていきます。妊婦さん、高齢女性、セクシャルマイノリティも登場します。6年経過したぶん、そのあいだの社会の変化が登場人物にも表れるわけです。韓国はものを言うスキルがきちんとあって、それは小説でもドラマでも音楽でも、こういう人文書でも感じます。きちんと言うことは言う、という文化があるのだろうと思います。

 日本は良く言えば時間をかける、悪く言えばモジモジしています。韓国はシャキシャキ変えていくし法律も整うのですけれども、ホモソーシャルで女性を排除する文化が強固に残っている。だからこそ、こういうドラマや本が登場するのでしょう。

 

中野:韓国のほうが進んでいる部分がある印象があるのは、韓国ドラマの影響かもしれません。韓国ドラマではものを言うスキルを持つ強い女性がたくさん登場しますよね。また、小山内さんたちの翻訳のおかげで、韓国のフェミニズム本もいろいろ読めるようになりました。日本から韓国への文化の影響はどうなのでしょう。たとえば、日本のフェミニズムの本は韓国では訳されているのでしょうか?

 

小山内:韓国では上野千鶴子さんが安定した人気です。現時点で30冊以上韓訳されています。一番最近のものでは、『八ヶ岳南麓から』(山と渓谷社、2023年)が韓国では「山の中、私一人で」というタイトルで韓訳されています。早いですよね。 韓国のフェミニストと会うと、なんといっても上野千鶴子と言います。「上野千鶴子は今何をしているのか?」と聞かれます。フェミニズムにおいて、日本が背中を追いかける対象だった時代は確かにあるのだと思います。

何もしなければ悪くなるから

小山内:韓国のDVシェルターを見学したことがあって、その時「裁判支援」というものに同行したんですね。DV裁判を傍聴することで、被害者の支援をする、というものです。私が参加したのは、加害者がベランダから妻を突き落とし、被害者が亡くなった殺人事件でした。「ちょっとつかんだら落ちてしまった」と加害者が証言すると、傍聴席にいる支援者が「ふざけるな!」「お前は何を言っているのだ!」と立ち上がって叫ぶのです。当然、「静かにしてください。裁判所ですよ」と制されます。それでも負けないのです。何度でも「お前は何を言っているのだ!」と立ち上がるのです。私も「あんた、何してるの。立ちなさいよ!」と言われて、おずおず立ち上がりました。

 終わってから支援者に話を聞きました。もちろん行儀よくルールを守るのも大事だけど、韓国は圧倒的に貧富の差があって、弁護士も検察もお金がある人に対しては対応を変える。あの加害者は非常に有名な弁護士を付けているので、これに対抗するには抗議の声しかない。被害者や遺族はその声から力を得る。たとえ判決は変わらなくても、応援している人がいるということを伝えるために、何度でも立ち上がるのよ、と。それを聞いて、突破する国なのだと思ったのです。

 

中野:いいかどうかはさておき、韓国は大統領がよく逮捕されますよね。日本で私たちは様々な事件や疑惑が報道がされても政権が揺らがないという景色を見て来て、声を上げても政治は変わらないという諦めが漂っている感じが非常にします。

 

小山内:韓国の人は、もっと悪くなることを知っているから止めなければならない、という言い方をします。たとえば、日本で首相が戒厳令的な行動を突然起こしたとき、国会議事堂や永田町にみんなが押し寄せるということが起こるでしょうか。尹錫悦ユンソンニョル大統領が2024年12月3日に戒厳令を発令したとき、大勢の年齢層もさまざまな人々が抗議に集まりました。心配で来てしまったという若者も多く、のぼりを立ててデモをしていました。止めるスキームがあるときに、実際にそれを使えることが民主主義だと私は思います。スキームがあっても使えなかったら、民主主義が成熟しているとは言えないのでないかと。

 

中野:韓国には、日本にない勢いというようなものもあるのは感じますね。一方で、根強く性別役割分業があるというのも感覚的には非常によく分かります。

 

小山内:昨年『韓国、男子』という人文書を翻訳しました(すんみ氏と共訳、人文書院、2024年)。著者のチェ・テソプさんは社会学者です。彼は、韓国における有害な男性性がいかに形成されてきたのかを歴史的に辿っています。日本の植民地化の影響は強くて、韓国人男性は日本人男性より劣るとされ、自分の国の女を他国の男に奪われても抵抗できないという、ゆがんだ精神性を抱えてしまいます。植民地時代に日本から導入されたイエ制度は独立後も戸主制として残り、徴兵制によって強い男性像を称揚する一方、女性を二級市民化します。

 こうしたマチズモは岩盤のように韓国社会に存在しています。近年は、フェミニズムバッシングがひどく、n番部屋やディープフェイクなどのネット犯罪も横行しています。マチズモバリバリの韓国の男性は私を褒めているつもりで「日本の女性はいいよね」と言うんです。日本の女性は、「寿司女スシニョ」と言われたりします。おとなしくて従順という意味ですね。それだけ韓国の女性は自己主張が激しいということなんでしょう。それは、岩盤が動かないからであって、だから彼女たちは声を上げ続けるのですね。

 

家事を外注すれば解決するのか

中野:シンガポールに滞在していたときに調査したことを『教育大国シンガポール』(光文社新書、2023年)にまとめました。シンガポールはメイドさんがいる家庭も多く、シンガポール人女性の家事や子育ての負担が日本や韓国よりは少ないです。男性がよくやっているわけではなく、女性もそれほどやっていないのです。

 

小山内:外注化しているのですね。

 

中野:たとえば、日本の手作り料理レベルは非常に高いです。子どもの弁当を毎朝作るとか。でも、シンガポールでは屋台で安いものもすぐ手に入れられますから外食とか買って帰ることもしやすい。メイドさんに料理を任せて、自分は包丁も久しく握っていないという人もいます。シンガポールは都市国家なので、祖父母がスープの冷めない距離ではないですが割と近くに住んでいて、夕ご飯は祖母が作ってくれるというところもある。共働き前提で日本よりはジェンダー平等が進んでいます。

 でも、母親の負担がないかというとそうではない。教育はメイドさんや祖父母には任せられません。シンガポールは韓国に負けず劣らず、学歴競争が激しいです。小学校6年生でPSLEという試験を全員受けなければなりません。それによって、その後の進路が変わります。塾の宿題や自習、家庭教師を雇うならその手配なども含めて、PSLE対策をサポートするのはやっぱり母親なんです。ここは外注できない。L字カーブも解決したとしてもなお残ってしまう男女の役割があります。

 

小山内:こういうふうに男女を類型化したらダメだということはわかっているのですけれど、女性は見立てができる人が多いですね。たとえば、洗濯物を干しておいたら、日が暮れるころに取り込んでくれている、みたいな。この次はこれが来るよね、こういう場合はこうしたらいいよね、という見立てができる人が多い。

 

中野:私も、カテゴリーで性質を判断してはいけないと仕事としても言っているし、そういう立場にいるのですけれども、そう感じることは非常に多いです。

 

小山内:女性と話すと楽で、一緒に旅行に行くと何事もサクサク進む。老後は女性同士で住みたいなあと思ったりします。

 

中野:分かります!

 

小山内:日本の女性は三歩くらい先を読んで何かをしてあげるということが美徳だと教えられてきているので、頼まれてもいないのに料理を率先して作るなどして、自分をアピールしてしまったりするのですね。見立てができることを先に言うから、ケアワーカーとして家庭に入れられてしまう。じつはこうした傾向はDV被害につながりやすいことも、専門家によって指摘されています。

 

私たちになにができるか

小山内:男女のいびつな関係性を覆せるのはやはり教育でしょうか。

 

中野:教育かもしれないですね。『教育に潜むジェンダー』(ちくま新書、2024年)という本で、なぜ女性は高学歴を目指さないのかについて書きました。教育の中にいろいろなバイアスがあるという話です。たとえば、女の子にはお世話をするようなお人形、男の子にはパズルなど頭を使うおもちゃが与えられたりします。

 子どもは、玩具や遊びを選ぶときに、自分の性別に典型的なものを選んだほうが褒められたり、どんどん与えてもらえたりする。たとえば男の子が人形遊びが好き、スカートをはきたいと言うと親は微妙な顔をするけど、車や恐竜のおもちゃなら沢山差し出してもらえるみたいな。逆もしかり。そうすると、これは自分の選ぶべきものではないのか、と引いていきます。

 

小山内:なるほど。たしかにそれはありそうです。

 

中野:本のなかで、統計的差別と「予言の自己成就」というキーワードを使いました。これは女性が企業の中で活躍できない理由を説明するときによく使われるキーワードです。企業の人事部が新入社員を選考するとき、目の前にいる女性が何年くらい勤めるのかは本当は分からないはずなのに、女性は定着率が低く、勤続年数が短いという過去のデータを目の前の女性に当てはめて採用しない場合、それを統計的差別といいます。また、女性を雇ったとしても、どうせすぐ辞めてしまうかもしれないと思うと、たとえば選抜で海外研修に行かせようとなったときに男性を選びます。

 

小山内:そういう話は『82年生まれ、キム・ジヨン』に出てきますね。

 

中野:いくら女性が優秀でも、キャリアアップする機会を与えられなかったら、会社から期待されていないと意欲が下がります。同期の男性が海外に行ってさまざまな経験をくぐり抜けてきてスキルアップしていくのに対して、周囲からの評価も下がります。それで結局やりがいを失って辞めてしまう。こうやって「予言の自己成就」が起こります。ほら、女性はやっぱり辞めやすいでしょ、となるわけですね。

 

小山内:統計的差別と「予言の自己成就」は身に覚えがあります。私が入学した1980年代、地方にある母校の高校の定員は、女子が男子の半分以下でした。なぜかというと、女子は大学に行かないからだそうです。女子が少ないからモテモテですよ、というようなことを先生がPRするんですよ。大学に行こうとする女子は「なんでそんなに図太くガリガリするの?」と言われたりする。結果として、女子は大学に行かなくなります。今はだいぶ変わったろうとは思うんですが。

 

中野:「男性はケア能力が低い」というのも、統計的差別と「予言の自己成就」かもしれませんね。男性はどうせ気が利かないと思うから、女性は男性に期待しない。そして、身の回りのことを女性がやってしまう。すると自分ではしなくて済むので、いつまでもスキルが身につかない。私たちも、男性に最初からケア能力を期待しないという態度を改める必要がありそうです。

 

小山内:朝日新聞の「好書好日」サイトに著者チェ・ソンウンさんのインタビューが掲載されました(2025年7月11日)。そこで、ご自身が4人きょうだいの3番目で、「息子が生まれるための3番目の娘」と言われ方をしたと話しておられます。チェさんは、世宗特別自治市で女性や子どもの問題について研究・提言されています。論文で書いたことをどう政策に落とし込むかという実践をされているわけですね。チェさんの姿勢を見て、諦めないことが大切だと思いました。

ゾンビが怖いのは死んでいるからではなくて、死んだはずなのに起きてくるからですよね(笑)。それぞれの場所で、諦めずに何度でも「おかしい」と言う。私の場合それは、翻訳を通してご紹介していくことだと思いました。

 

中野:翻訳を通して、私たちが韓国のことを知る、そして、日本のことを韓国の人たちに知ってもらうということが非常に重要だと思いました。上野千鶴子さんの著作がいっぱい訳されているのはいいのですけれども、上野さんより若い世代による研究も韓国にもっと伝わるといいなと思いました。私もついつい日本語で書いてしまうのですけれど、英語で書くとか、日本語の本を海外に売り込むとか、読んでくれる人を増やす努力は必要だなと感じます。




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目次

プロローグ 図太い女の社会

1 「平等な競争」という幻想

2 女性に「学歴プレミアム」はあるか

3 母になるのは拒否します

4 より多くの女性が働けるように

エピローグ 機会の平等を論じる

補論 日本の「働けない女たち」へ(チェ・ソンウン)

解説 手を取り合える日韓の女性たち(中野円佳)

訳者あとがき

ブックガイド/参考文献

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著者略歴

  1. 小山内 園子

    韓日翻訳家、社会福祉士。NHK報道局ディレクターを経て、延世大学校などで韓国語を学ぶ。訳書にク・ビョンモ『破果』『破砕』(岩波書店)、チョ・ナムジュ『耳をすませば』(筑摩書房)、『私たちが記したもの』(すんみとの共訳、筑摩書房)、カン・ファギル『大仏ホテルの幽霊』(白水社)、イ・ミンギョン『私たちにはことばが必要だ』『失われた賃金を求めて』(すんみとの共訳、タバブックス)など、著書に『〈弱さ〉から読み解く韓国現代文学』(NHK 出版)がある。

  2. 中野 円佳

    東京大学多様性包摂共創センターDEI共創推進戦略室副室長/准教授。東京大学教育学部卒業後、日本経済新聞社の記者を経て、フリージャーナリストに。2025年、博士号(教育)取得。著書に、『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書)、『上司の「いじり」が許せない』(講談社現代新書)、『なぜ共働きも専業もしんどいのか』(PHP新書)、『教育大国シンガポール』(光文社新書)など。キッズライン報道でPEPジャーナリズム大賞2021特別賞、第2回調査報道大賞デジタル部門優秀賞を受賞。

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