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【緊急寄稿】民主主義と権威主義 ―ウクライナ・ロシア戦争に思うこと

PR誌『世界思想』49号「民主主義」特集号の校了間際に戦争が始まり、ウクライナ研究会会長の岡部芳彦先生に急遽、執筆していただきました。PR誌に掲載した文章を特別に公開します。


平和な時代のマリウポリ(2013年3月著者撮影)

 テレビのライブ出演が非常に苦手で、依頼があっても断ってきた。だが、ロシアがウクライナに侵攻した2022年2月24日、自分にしか話せない内容があるのではないかと思い、生まれて初めてテレビの報道番組に生出演した。朝の情報番組で、知り合いの著名な政治学者の「2、3日は動きがないのではないか」とのコメントを聞いて、ホッとしてスタジオに入ると、もう戦争は始まっていた。スタジオの画面に投影される3方向から侵攻を受けるウクライナの地図を見て、ただ立ち尽くし涙ぐむしかなかった。そして生まれて初めて心から神に祈った。「ウクライナを救ってください」と。
 翌日のテレビ出演はさらに辛い経験だった。最初に東ウクライナのマリウポリでロシア軍の砲撃で亡くなった6歳の少女の映像から始まったからである。マリウポリには何度か行ったことがあり、アゾフ海に浮かぶ月を眺めたのがはるか昔のことのようだ。カメラの前で涙が出そうになったが、それを堪えて、今ウクライナで何が起こっているのか、できる限り解説した。

ウクライナに恋して

 私が初めてウクライナと出会ったのは1992年初頭、高校3年生の時である。「ソ連崩壊を見に行こう」と若干悪趣味な銘を打ったツアーを見つけ、「これだ!」と思ったが、お金がないので父親に行かせてくれと懇願した。「大学受験はどうするのか」と問われたので、「大学受験は毎年あるが、ソ連崩壊は一度しかない」と即答した。父親は妙に納得し、私はその年の大学進学は諦めた。
 モスクワ、サンクトペテルブルク、そして最後の訪問地がウクライナの首都キーウ(キエフ) であった。その美しさに魅了され、その時、ウクライナに恋をしたのかもしれない。以来、多い年で4回は訪れ、多くの人びとと交流を重ねてきた。そのキーウが今、戦火にさらされる姿を見て、怒り、憤り、悲しみ、無力感……さまざまな感情が沸き上がっている。
 戦争が始まって1週間がたった頃、国会内で開かれた野党の会合でウクライナ情勢について講演をした。多くの国会議員が出席したので、意見を述べる貴重な機会をいただいたことに謝辞を述べようとしたが、どうしても言葉が出ず、涙だけが出た。不覚にも生まれて初めて人前で号泣したが、幸いテレビカメラの到着が遅れたおかげで衆人にみっともない姿をさらさずに済んだ。その日の午後からは外務省で林芳正外相とも面会したが、一度思いっきり泣いて気持ちが収まったのか、落ち着いて自分の意見を述べることができた。

希望の光

 世界で、そして日本全国でウクライナの平和を願うデモが巻き起こるなか、ウクライナ人の知人に誘われて、大阪で生まれて初めてデモに参加し、生まれて初めてアピールをした。後日、ウクライナの国営テレビにもライブ出演し、その日の模様を伝えることができた。実は、以前は街頭でのデモや政治的アピールには懐疑的だった。
 渋谷ハチ公前でのデモに、普通であればそんなことはまったくお構いなしの日本のロシア大使館のSNSが即座に反応したことに驚愕した。しかも、ロシアの公式見解では、首都キーウやハルキウで戦闘は起こっておらず、「特別軍事作戦」が東ウクライナでおこなわれているだけだ。ロシア大使館は、ウクライナ軍と政治指導者が東ウクライナでジェノサイドをおこなったため、ロシア領内で「300体以上の無残に埋葬された民間人の遺体が発見され、死者の多くは女性や高齢者」という事実無根のプロパガンダを書き込み、結果として彼らの反論がロシアのウソを自ら暴くことになった。日本でおこなわれたデモがロシア政府の嘘を暴いた歴史的な瞬間であった。
 この20日間で、世界は変わったが、私の内面も、日常も大きく変わってしまった。おそらく多くの人にとってもそうではないだろうか。私はウクライナにいる数えきれない友人のことが心配で眠れない日が続く。さらに、ウクライナに詳しい研究者が特に西日本には少ないので、関西のメディアを中心にコメント依頼も多く、ほとんど寝ずに対応する日々である。
 戦争が始まってから、国際政治やロシアの軍事などが専門の、新しい、そして優れた論者がメディアで活躍している。一方、今こそ学問と市民をつなぐ仲介役として、あるいはロシアやプーチン大統領の意図を知るために、その知見を活かすべきロシア政治研究の大家や同国と交流をしてきた人々の姿をメディアでまったく見かけなくなった。
 2014年、クリミアがロシアによって占領され、東ウクライナで戦闘が始まって以降、一貫してロシアの立場を擁護してきた権威ある政治学者は、今年の一月中旬に、とある機関紙に「幸いウクライナをめぐっては外交的解決の可能性が出てきた」と書いた。私はそれを信じて3月28日からコロナ禍でのびのびになっていたウクライナ出張の予定を入れた。なぜそんなことを書いたのか、今こそ、その「知見」をうかがいたいものだが、なぜか雲隠れである。
 一方、ドストエフスキー研究の第一人者である亀山郁夫氏は、心情を隠すことなく語っており、好感をもてた。チェルノブイリ原発事故があったので、そのトラウマから逃れたいためにウクライナがロシアを嫌っている、という「幼稚な仮説」を彼はもっていた。しかし、現地を訪れてみたら「ロシアが眼中にな」かったことに衝撃を受けたという(『毎日新聞』2022年3月13日公開デジタル版「「強権の中での自由」プーチン氏を生んだロシアの土壌」)。ロシア・スラブ文学の大家が、ウクライナの姿に気づき、それを誠実に語る姿に希望の光を感じた。

2014年の経験

 その亀山氏が「ロシア文学者をやめよう」と考えたのは2014年2月のマイダン革命(EUとの協定締結を拒否したヤヌコーヴィチ大統領に反発する抗議デモが、警察・機動隊との衝突の末に大統領を失脚させた)からの一連の出来事(ロシアのクリミア占領、マレーシア航空17便撃墜事件など)であったという。同じ頃、私も絶望的な気持ちになりつつも、多くの非常に奇妙な経験をした。
 マイダン革命以後、日本にいるロシアの外交官の言動は、今と同じく支離滅裂であった。明らかにパニックを起こしており、本国政府から赴任国向けに説明するように言われている内容を公式な場で述べるものの意味不明で、彼ら自身の頭のなかで整理、理解ができていない様子であった。ただ終始一貫していたのは「マイダン革命」が「非合法のクーデター」だと主張していたことである。この説明でいくと、正統で合法的な大統領は革命でロシアに逃げたヤヌコーヴィチであり、現在の政権は「米国主導で正統な政権を崩壊させようとする違法なクーデター」によりできたことになる。この荒唐無稽な主張も、クリミア占領後は次第に鳴りを潜めることとなった。
 マイダン革命のあと、あるロシアの外交官の講演会が大阪で開かれて、どんな主張をするか興味があり私も聴講した。彼は日本語が上手く、頭脳明晰で、私のゼミで非常にわかりやすい講義をしたこともあり、学生からも好評であった。しかし、この日は100%ロシア政府のプロパガンダを話そうとするものの、良識ある彼はどうしてもそれをうまく話せない様子で、外交官という職業の悲哀を感じた。講演終了直後、私を見つけた彼が小走りでやってきて、「ちょっと話がある」と声をかけられた。別室に移って2人きりになると彼は言った。

今回の件で、〈ウクライナ〉という国とウクライナ人について、わかったつもりでいただけで、本当はよくわかっていなかったことを思い知った。同僚のロシアの外交官たちも同じで、しかもまだ気づいていない者も多い。ついては、ウクライナに詳しいあなたに、ロシア語で、我々の外交官向けにレクチャーしてもらえないだろうか。

 ロシア人が、ウクライナやウクライナ人について、日本人の私に教えを請いたいということに驚いた。さすがにロシア人相手にロシア語で講義をするというのはあまりにハードルが高く、即座にお断りした。この誠実な男の出自はタタール人である。もしかしたらウクライナを兄弟国家と教え込まれてきたロシア人だとそんな発想は思いつかなかったかもしれない。
 漏れ伝わるところによれば、プーチン大統領は今回、自分の出身の情報機関からの「ウクライナを解放すればウクライナ人は歓迎する」といった誤った情報に基づいて侵攻の決断をしたという。あの時、私がロシアの外交官たちに、ウクライナの本当の姿や正しい政治情勢について話しておけば、少しぐらいは声が届いて、わずかながらでも今回の事態を避ける一助になったかもしれないと考えると、悔やまれてならない。

権威主義と民主主義の違い

 私はウクライナを第2の祖国と思っている。とはいえ、ウクライナの国の体制に問題がないわけではない。政治家や官僚の汚職は後を絶たず、それがEU加盟の妨げになっている。
 ウクライナ最高会議(国会)に初めて行った時のことである。傍聴席から見たその光景に驚いた。大臣が前で答弁しているのに、議員の8割方がそっぽを向いてしゃべるか、議場を歩き回り、またはスマホで話している。ほとんど学級崩壊した小学校並みの有様で呆れかえった。キーウでウクライナ人の元外交官と食事をしている時にそのことを言うと次のような言葉がかえってきた。

ロシアの国会を見たことがあるか? シーンとした議場で整然と議事が進む。でも発言者以外は、誰も一言も言葉を発しもしなければヤジすら飛ばしもしない。議場のマナーが悪かろうが、ウクライナの最高会議では誰でも自由に発言できる。これが権威主義と民主主義の違いだ。

 なるほど、さすがゼレンスキー氏を大統領に選ぶ国だ。私はゼレンスキー大統領に何度か会ったことがあるが、一目見て頭の良さがわかる人物である。そして偉ぶることもまったくない。今回の戦争が始まるまで、彼を「コメディアン」出身と小バカにする風潮が日本の権威ある識者の多くに見られた。そんな人たちも、彼の活躍を見て手のひらを返したように、賛辞を贈っている。その変わり身の早さが許されるのも、民主主義国家に住んでいるからかもしれない。
 権威主義、ご都合主義、日和見主義、歴史修正主義、フェイクニュース、虚々実々のナラティブ、プロパガンダ、カルト、単なる思い込み……闘うものがあまりに多い。それでも、ここで自由に文章が綴れるのも民主主義を享受している証拠である。今日も新聞のインタビュー、テレビのライブ出演が続く。涙を拭いながら、一日でも早く「陽気で、明るく、美味しい国」ウクライナを紹介できる日が来ることを心から願っている。絶望するにはまだ早すぎる。


全国の主な書店の無料配布コーナーなどで入手いただけます(A5サイズです)。無料です。ぜひ書店に立ち寄ってお持ち帰りください。
送料がかかってしまいますが、弊社から直接お送りすることも可能です

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著者略歴

  1. 岡部 芳彦

    1973 年兵庫県生まれ。ウクライナ研究会会長。神戸学院大学教授。ウクライナ大統領付属国家行政アカデミー名誉教授。博士(歴史学)、博士(経済学)。専門は、ウクライナの政治・経済、日本・ウクライナ交流史。

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