働けない日韓の女たち
働く意志も能力もあるのに、機会も環境も与えられない女性たち。出産・育児がキャリアの障害になる社会で、女性たちは母になることを果敢に放棄する――韓国の女性たちが労働市場から疎外される理由を解き明かす、チェ・ソンウン著『働きたいのに働けない私たち』の刊行を記念し、翻訳者の小山内園子さんと解説者の中野円佳さんが対談しました。韓国フェミニズムの本を多く訳されてきた小山内さんと、日本の女性労働について研究・発信されてきた中野さん。日韓に共通する問題は何か、日本の女性はどのように働いているのか、日韓の違いは何か、そして機会の平等性はどのように実現できるのか。前編・後編に分けてレポートします。
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原書を読んで感じたこと
小山内:これまで女性という性別で生きてきて、いつも妊娠・出産と仕事というのは二つに一つのような言われ方をすることが多いと感じてきました。昔、テレビ局で働いていたのですが、出産を予定している後輩がいると、彼女はいつまで仕事ができるだろう、彼女がいなくなったら人員をどう確保しよう、という話になりがちでした。まるで彼女が復帰して、子育てをしながら働くことを前提としていないような。
『働きたいのに働けない私たち』の原書を読んだとき、「ああ、韓国だなあ」と思いました。子どもを自分で育てたいと思うのは別に不自然なことではない。育てながら、自分のデスクで働きたい。そういう欲望をはっきりと言っているからです。日本と韓国は同じような社会情勢、課題を抱えているけれども、訴えの手法がストレートだなと感じました。
中野:私は翻訳原稿を読んだとき、私が『「育休世代」のジレンマ』(光文社新書、2014年)を書くときに調べたようなことがそのまま書かれている!と思うくらい、日韓の状況に共通点が多いと感じました。一方で、違う点としては、日本では50年位かけて、専業主婦が全盛期という時代から徐々に共働き前提になってきたのに対して、「圧縮された近代」と言われるように、韓国はそれがぎゅっと凝縮されているところです。私が高学歴女性の働く状況を調査し始めた2010年代初めの状況と、2025年の今、日本の女性が直面しているような問題が韓国では同時に起こっているというような印象を受けました。
私はシンガポールに住んでいた時期があって、シンガポールの教育役割を調査して博論を書きました。シンガポールと韓国も非常に共通するところがあります。教育競争が日本より激しいというところです。それと対比されるのは、競争させない教育のあり方を模索しているスウェーデンなどの北欧です。新自由主義的な価値観ではなく、福祉を充実させて、高学歴競争で勝ち抜かなくてもきちんと食べていけるような安心感が重要だという議論も博論でしていたので、本書がスウェーデンとの比較を行っているところも興味深かったです。
小山内:私は韓国語しか読めないので、スウェーデンの労働政策や福祉制度に関する部分は原文をそのままに訳してしまっていいのかという問題がありました。それで、スウェーデンの家族政策について専門に研究されている大阪大学の高橋美恵子先生にご協力いただいて、法律の名前から内容から全部チェックしていただきました。そのやり取りで驚いたのは、 パート労働に対する感覚が韓国や日本とスウェーデンでは全然違うということです。
日本や韓国ですと、パートタイム=非正規雇用で低賃金・不安定というイメージがあります。でも、スウェーデンではパートタイムは正規職で、たんに労働時間がフルタイムより短いという意味にすぎない。時給も社会保障も福利厚生もすべてフルタイム職員と同じです。となると、今は子育てに集中したいとか、大学に行って勉強をしたいとか、人生のシフトを自分で組むことができるんですね。そうしたことを初めて知って、霧が晴れるような感じがしました。
中野:「非正規」は英語でも訳しにくいですよね。「総合職」「一般職」も直訳すると“General”?みたいな感じで、海外の方には説明するのに苦労します。
小山内:労働法制はその時その状況で必要な労働力を獲得するためにシステムをつくっていくので、総合職と一般職という区別も、女性を労働市場にどう入れていくかというときに、全員総合職にせずにわざわざ一般職をつくったわけですよね。
中野:「解説」で、管理的職業従事者に占める女性の割合と男女賃金格差の国際比較データをグラフで示したのですが、これがもう唖然とするほど、他の国と日韓の形状に差があり、日韓は非常に似ているのですよね。女性の管理職が20%に届かず、男性の有償労働時間が長く、無償労働時間が異様に少ない。いかに男性が家庭に割いていないかがわかります。
日本の女性はどのように働いてきたか
小山内:今年の初めから、SNS「X」で「#私が退職した本当の理由」というハッシュタグで、セクハラ、パワハラ、マタハラなどの理由で退職せざるをえなかった女性たちの告白が続いています。努力して学んできた女性たちがいざ労働市場に飛び込むと、心身をすり減らし、離職するという現実があります。中野さんには「解説」で、日本の女性の労働について書いていただきましたが、あらためて詳しく教えていただければと思います。
中野:スライドを用意してきたので、データを参照しながら、説明させていただきます。図1は日本の女性の年齢別就労率を示しています。1980年代は20代後半~30代前半に就労率がぐっと下がるM字カーブが顕著ですが、40年の間にカーブの底は上がってきました。一方、図2は日本の女性の年齢別正規雇用比率を表しています。20代後半を頂点にして下がり続け、L字カーブを描いています。つまり、日本で女性の就業率は上がっているけれども、非正規雇用が増えていくということですね。
図1 女性の年齢別労働力率(M字カーブ)の推移
(出所:内閣府『男女共同参画白書 令和4年版』)
図2 女性の年齢別正規雇用比率(L字カーブ)
(出所:同上)
それがなぜ起こっているかというと、理由はやはり子どもです。「チャイルドペナルティ」などと言われます。図3は21世紀出生児縦断調査といって、平成22(2010)年に子どもを産んだ女性を継続的に調査したものです。1年前に常勤で勤めていた人たちが38.1%います。今から15年前ですから、わりと少ないですね。子どもを産んだあと、常勤の人は25.3%に減ります(有休を取った人も含みます)。パート・アルバイトは育休を取りにくいので、辞めてしまう人が多く、18.9%から5.6%に減っています。
子どもが「小1の壁」を迎える小学1年生のときには常勤は25.6%で、出産半年後からほとんど増えていません。一方で、パート・アルバイトは増えて、出産1年前を超えています。現在、子どもが中学2年生になるまで調査されていて、常勤は32.7%と増えてはいますが、出産1年前の比率をいまだ超えていません。84.1%の女性がお子さんを育てながら働いていますが、雇用形態がパート・アルバイトの女性が過半数を占めます。再就職の選択肢は、韓国より日本のほうがあるのかなという印象は受けましたが、不安定な雇用で増えているということです。
図3 母親の就業状況の変化
(出所:厚生労働省「21世紀出生時縦断調査(平成22年出生児)」第14回(令和6年) )
小山内:子どもが一人だと、1回の嵐を抜ければ平常運転できるかもしれませんが、第二子、第三子が欲しいとなった場合に、また育休を取って職場に迷惑をかけるのであれば辞めようとなってしまうことも多いのでしょうね。
中野:まったくそのとおりですね。日本の雇用慣行についても説明します。図4をご覧ください。『なぜ共働きも専業もしんどいのか』(PHP新書、2019年)に載せた図です。高度経済成長期は、男性が企業戦士として就職すると、年功序列の階段を上っていけました。家族は扶養に入ることで控除を受け、家族手当・家族賃金などがもらえるという体制がありました。その代わり、男性は場所、時間、職務が限定されない無限定な働き方をさせられます。1か月後とか、酷いケースでは来週行けと言われたら転勤しますし、残業もしまくりということですね。
図4 日本型雇用の循環構造
(出所:中野円佳『なぜ共働きも専業もしんどいのか』PHP新書、2019年)
小山内:三六協定〔労働者を原則1日8時間・週40時間・週1日の法定休日を超えて労働させる場合に締結が必要な労使協定〕などはあっても、無視してしまうということですね。
中野:はい。こういう働き方は「メンバーシップ型雇用」などと言われます。すべてを捧げることを前提にした働き方ですね。帰宅して子どものご飯を食べさせるどころか、自分のご飯も作れるような状況ではない。「再生産労働」と言いますが、次の日また働くためのリカバリーも妻に頼っているような状態です。
小山内:お世話してくれるケアワーカーが家庭に必要だということですね。そういえば、私の父が出張するときは、母がぜんぶ出張の荷物の準備をしていました。帰ってきた父が、「靴下が足りなかった」などと怒っていたのを覚えています。「靴下くらい自分で用意したら」って思いましたね。
中野:女性は「再生産労働」を一身に背負わされる。再生産労働には二種類あって、一つは疲れて帰ってきた労働者が、栄養を取り、身体を清潔にし、快適な空間で休息することで回復し、翌日また元気に働きに行けるようケアする労働です。もう一つは、次世代を再生産する、つまり子どもを育てるという労働です。家事、育児を引き受ける女性は企業戦士的な働き方はできないので、周辺的な労働をするしかない。長時間働けないでしょ、ということで、簡単に雇用が切られてしまう非正規雇用で、企業の調整弁にさせられてしまう。女性も同じように正社員として総合職的な働き方をする選択肢はそもそもほとんどなかったし、やろうとしても、リカバリーも子育ても担えなくなってしまう。そうすると家庭内でも、夫婦のどちらが会社にコミットして、どちらが家庭にコミットしたらいいかという合理性ができてしまう。
小山内:生産性と結びつく合理性ということですか?
中野:はい。夫にどんどん出世してもらって、育児や家事は妻が引き受けたほうが家計的にも合理的ではないかということですね。くわえて、保育園に入れない、PTAではお母さんが昼間家にいることが前提とされているなど、いろいろな保育や教育のシステムが絡みあうと、ますます女性は主要な労働者になりにくいという構造にありました。
小山内:この図は日本の現状と見ていいですか。それとも変化していますか。
中野:だいぶ変わってきているとは思います。正社員で総合職の女性も増えてきましたし、転勤は嫌だという男性も出てきて、地域限定総合職という雇用形態もあります。2016年の女性活躍推進法施行や、2018年以降の働き方改革、新型コロナウイルス後のリモートワーク推進などもあって、以前よりは残業も減りつつあるのではないでしょうか。そもそも終身雇用でずっと同じ会社にいるという人も減ってきています。
小山内:長時間労働が前提だと、女性だろうが男性だろうが、長時間働けなければ使えないと判断されてしまいますね。働き方改革があっても、長時間労働の呪縛は強そうですね。
中野:強いですね。無限定な働き方を女性もしようとすると、子どもを持てないか、持てたとしてもかなり色々な資源を駆使して、保育園にも長時間預けないといけません。
小山内:子どもも「出勤」ですね。
中野:はい。仕事も従来の企業戦士的にしながら、送り迎えから何から再生産労働も全部やるというのは、どう考えても無理があります。だから、男性も女性も働く時間を短くしないと、少子化は解決しない。そもそも昭和の日本型雇用の在り方が良かったかというと、過労死の問題などを引き起こしてきました。
小山内:韓国でも働き方改革に似た動きが進んでいます。本書にも出てくるジェンダー予算制度や性別影響評価制度がある点などは、日本より進んでいると言えるしょう。一様に日本も韓国もダメと言うのではなくて、進んでいるところは学び合い、取り入れていきたいですね。
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目次
プロローグ 図太い女の社会
1 「平等な競争」という幻想
2 女性に「学歴プレミアム」はあるか
3 母になるのは拒否します
4 より多くの女性が働けるように
エピローグ 機会の平等を論じる
補論 日本の「働けない女たち」へ(チェ・ソンウン)
解説 手を取り合える日韓の女性たち(中野円佳)
訳者あとがき
ブックガイド/参考文献