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シンポジウム「文学批評――その理論と展望」@慶應義塾大学

法と文学をめぐる理論――ベンヤミン、フーコー、フィスマン   川島建太郎

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別の学問系統として研究されてきた法と文学。じつは古代ギリシアまでさかのぼると、両者の深い関係が見えてきます。文学を法との関係から読みとく理論も蓄積されつつあります。『批評理論を学ぶ人のために』で「受容理論」「システム理論」の執筆を担当した川島建太郎氏が、ドイツ語圏で展開されてきた法と文学をめぐる理論を紹介し、実際に文学が法に影響を与えた事件の真相も明らかにします。

 法と文学は、言葉をもちいて真実と関わるという点で共通しているのではないのか? 『批評理論を学ぶ人のために』に収録されたコラム「法と文学」では、文学を法との関係から体系的に読み解くための着眼点をいくつか素描した。本論ではそれをさらに展開するために、ベンヤミン、フーコー、フィスマンの理論を紹介する。そしてフィスマンの理論を援用して、現代ドイツの法廷小説であるシーラッハ『コリーニ事件』を読解する。

1 ベンヤミンのギリシア悲劇論 

  ヨーロッパには法と文学の関係を考察する理論がある。ドイツ語圏ではヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』(1928年)がとくに重要である。複製メディア論で知られるベンヤミンは、「法と文学」の理論家としても先駆的な存在なのである。
 『ドイツ悲劇の根源』では、ギリシア悲劇は、神々が司る法を犯した人間のドラマとして理解される。悲劇の主人公は、神々の法を犯した罪を償うために、自分が所属する共同体の代表として、犠牲となって没落する。この贖罪の犠牲には、二重の意味がある。主人公が犠牲になることによって、古来より支配的であったオリュンポスの神々の法がその効力を失う一方で、新たな人間の法の到来が予感されるのである。この見方からするとギリシア悲劇は、神々の法による統治から、人間の法による統治への移行を暗示している。ベンヤミンが「アテーナイにおける裁判審理と悲劇の、もっとも深いところでの類縁性」(ヴァルター・ベンヤミン『ドイツ悲劇の根源』浅井健二郎訳、ちくま学芸文庫、1999年、上巻、249頁)について語るのは、この意味においてである。「神明裁判はロゴスによって打ち破られ、解除される」(同前)のである。
 『ドイツ悲劇の根源』におけるギリシア悲劇論は、ベンヤミンが「暴力批判論」(1921年)などで展開した法批判がその下敷となっており、前期ベンヤミンの思索の集大成の感すら漂う。法と正義の乖離をめぐる「暴力批判論」は、1990年代の脱構築理論によって一気に国際的な受容が進んだ。ジャック・デリダの『法の力』とジョルジョ・アガンベンの『ホモ・サケル――主権権力と剥き出しの生』はともに「暴力批判論」の問題提起を正面から受け止めている。

2 フーコーの『オイディプス王』読解

 フランスに目を向けてみると、法と文学の関係を考察する理論として、ミシェル・フーコーの講演「真理と裁判形態」(1974年)がある(『フーコー・コレクション六――生政治・統治』筑摩書房、2006年所収)。ここではソポクレスの悲劇『オイディプス王』が、古代ギリシアの司法制度の記録として解読されている。フーコーは古代ギリシアにおける真理の司法的探究のあり方を問い、その手がかりとして『オイディプス王』を読み直した。
 それでは具体的に、どのような真理のメカニズムが見出されたのか? フーコーは『オイディプス王』では、「調査」というそれまでにない新しい司法的探究が行われていることを指摘する。「調査」以前の司法的探究では、『イーリアス』で描かれた戦車でのトラック競技のようなものや、いわゆる神明裁判など、係争する当事者どうしが競技や決闘を行い、勝った方に真理がある、とする。そこでは真理を見極めるために、裁判官も証言者も必要とされない。勝負に勝つことが神の加護の徴であり、真理の証明なのである。フーコーによれば、そのような「試練」にかわって、第三者としての裁定者が、複数の証言者を聴取するような「調査」が行われるようになった。
 たしかに『オイディプス王』では、王の出生の秘密を明らかにするのは、羊飼いたちの証言である。社会的身分や職業を問わずに複数の証言者を集め、その証言を照らし合わせることではじめて真実を見いだすという「調査」が、『オイディプス王』の司法的探究を特徴づけている。

3 フィスマンによる書類の理論

 フリードリヒ・キットラーを先達とするドイツのメディア理論の担い手のなかで、コルネリア・フィスマンは法とメディアの関係のスペシャリストである。1961年にドイツのニーダーザクセン州に生まれたフィスマンは、フライブルク大学やハンブルク大学などで法学と哲学を学んだ。メディア学者であると同時に法学者で、弁護士として活動していた時期もある。2008年から2010年に49歳の若さで亡くなるまで、メディア学の拠点として有名なヴァイルマル大学の教授を務めた。いまのところ邦訳された著作がなく、日本ではほとんど無名だが、ドイツ語圏では「法と文学」の代表的な研究者として知られている。
 彼女の主著『書類』(2000年)は「メディア技術と法」を副題とする。ここでは、法のメディアとしての書類の歴史が綴られている。古代バビロンの行政リストや古代ローマにおける書類文化の確立から、中世の公文書、プロイセンに代表される近代領邦国家の官房における書類、さらには20世紀初頭のオフィスにおけるバインダーの発明、旧東ドイツの国家公安局による市民生活の監視の記録文書、そしてコンピュータ上のファイルのアイコンに至るまで、法のメディア技術としての書類の歴史が語られる。
 書類とはフィスマンによれば「法が働く基盤」である。たとえば訴訟は、古代ローマ時代から今日に至るまで、書類なしに行われることはありえない。しかし書類はけっしてニュートラルなメディアなどではない。

「書類にする」とはパフォーマティヴな行為で、その行為自体が事実を生みだす。ここから想起されるのは、「書類にないことは、世界にない(quod non est in actis non est in mundo)」という格言である。(中略)この格言は、さまざまな文学や法学のテクストを通じて広まり、やがてローマ式の裁判手続きにとって、法原理は文書であることを言い表すものとして、規範化された。もっともこの法原理は四世紀になってはじめて成立し、やがては官僚制全般の支配のための中心思想となったものである。
(Cornelia Vismann: Akten. Medientechnik und Recht. Frankfurt a.M. 2000, S. 89)

 事実がまずもってあって、それが書類に書き取られる、というのではなくて、書類にされたことが事実となるのである。このようないわばラディカルな構成主義が、ローマ法とともに近代以降の官僚主義に流れ込んでいることをフィスマンは強調している。
 文学批評の理論にとってフィスマンが貴重なのは、彼女がまさしく文学を手がかりとして、法とメディアの関係を論じているからである。法学の内部では、メディアは二次的な問題でしかない。法学者は普通、法の問題がメディアに依存するとは考えない。それ対して文学作品は、法がその作動基盤としてメディアを前提とすることを描く。フィスマンはたとえばフランツ・カフカの「掟の前」やハーマン・メルヴィルの『書記バートルビー』を実例として、そのことを鮮やかに描き出している。

4 フィスマンによる司法の理論

 『書類』がいわゆる執行権、すなわち行政の側面からメディア技術と法の関係を記述したのに対して、もう一つの主著『司法のメディア』の中心にあるのはまさしく司法権であり、裁判である。フィスマンによれば、裁判には二つの本質的な要素、すなわち闘技性と演劇性が備わっている。まず闘技性について言えば、裁判には必ず勝ち負けを決める判決がある。その意味で、利害の異なる当事者たちのある種の闘争であり闘技なのである。これはフーコーが「試練」と呼んでいた司法のあり方と対応している。
 他方で裁判は、演劇と類似するある種の上演として見ることができる。法廷では裁判官や弁護士などの法曹関係者が、舞台衣装のように、黒や緋色のローブを着ることを思い出そう。そして裁判では、複数の当事者の言葉と身振りのパフォーマンスを媒介として過去の出来事の真実が再現され、当事者と仲介者とそれを取り囲む傍聴者によって共有される。これはフーコーが「調査」と呼んでいた司法のあり方と対応している。フーコーは、古代ギリシアにおいて「試練」が「調査」にとって代わられるとし、また中世ヨーロッパにおいても「試練」から「調査」への司法の転換が見られる、と指摘した。
 フーコー理論を継承したフィスマンは、「試練」の闘技性と「調査」の演劇性を、司法の二つの形態の区別へと発展させた。すなわち「法廷(Tribunal)」と「裁判(Gericht)」を、司法の二つの基本形態として区別したのである。「法廷」とは、裁判において係争する当事者が一対一で闘争を繰り広げ、両者を仲裁する審級が存在しない司法のありかたを指す。たとえばニュルンベルク裁判や東京裁判、あるいは旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷が典型的な例である。それに対して、訴訟において係争する両当事者が、裁判官や陪審員の仲介によって過去の真実を演劇的に再現するのが「裁判」である。
 ただしフーコーと決定的に異なるのは、フィスマンが、あらゆる「裁判」には「法廷」の要素が含まれ、反対に、あらゆる「法廷」には「裁判」の要素が含まれている、と明言することである。「試練」の闘技性と「調査」の演劇性は、フーコーの場合のように歴史的に両立しない二つの司法のあり方なのではなく、両者はそのつどさまざまな度合いで共存し、混在している。フィスマンは「法廷」にも演劇的にパフォーマティヴな要素が必ず存在し、逆に「裁判」にも闘技的な要素が必ず含まれている、と見ている。

5 フィスマンの理論で『コリーニ事件』を読む

 フィスマンの理論を手がかりにして、フェルディナント・フォン・シーラッハの長編小説『コリーニ事件』(2011年)を考察してみよう。『コリーニ事件』は、イタリア人の元自動車組立工のコリーニが、経済界の大物であるハンス・マイヤーを惨殺した事件をめぐる法廷小説である。被告コリーニが殺人の動機について完全黙秘を貫くことから、裁判は困難を極めることになる。
 『コリーニ事件』とフィスマン理論の接点は第一に、司法における書類の重要性の認識にある。小説ではくりかえし、主人公の弁護士カスパー・ライネンが裁判に向けて各種の書類を読み込む場面が描写される。動機不明の殺人事件の真相に迫るために、ライネンは「毎晩、事務所に籠もり、書類を読みつづけ」「証人の目撃証言、解剖所見、参考人の鑑定書、刑事捜査官のメモ。どれもこれも百回は見直した」(フェルディナント・フォン・シーラッハ『コリーニ事件』酒寄進一訳、東京創元社、2013年、111頁)。このような描写には、刑事弁護士でもある作者シーラッハの経験が表れ出ているように見える。ライネンがこのときふと思い浮かべる「答えはいつもファイルのなかにある」(シーラッハ、112頁)というベテラン弁護士マッティンガーの言葉は、シーラッハ自身の信念なのかもしれない。
 実際この後ライネンはルートヴィヒスブルク連邦文書館のナチ犯罪訴追センターに保管されたファイルを徹底的に読み込むことによって、はじめて事件の真相に確信をもち、弁護方針を決定することができる。殺人の動機には、ナチス親衛隊の指揮官だったハンス・マイヤーが、イタリアのパルチザン兵だったコリーニの父を射殺させた過去がかかわっていたのであった。
 フィスマン理論との第二の接点として、『コリーニ事件』には、ライネンとマッティンガーという二人の弁護士の闘争という側面がある。国選弁護士として被告人コリーニを担当するかけだしのライネンと、被害者側の代理人として審理に参加するマッティンガーは年齢も、立場も、思想もまるで異なるが、この二人の有能な弁護士が、その才気を存分に発揮することで、裁判が一つの闘争であることが表現されている。殺人事件の裁判では負け知らずで、ベルリン大学の客員教授でもあるマッティンガーが「訴訟はひっきょう正義を求める戦いだ」(シーラッハ、97頁)と言明するとおりである。 
 このような観点から『コリーニ事件』の裁判の流れを概観してみよう。公判序盤はマッティンガーの独壇場で、その巧みな質問により、「法廷にいた人々は無防備の老人をひざまずかせ、後頭部を銃で撃った残虐な殺人のイメージを植えつけられた」(シーラッハ、111頁)。それに対してライネンは、殺人の動機が、マイヤーのナチス親衛隊時代の残虐行為にあったことを明らかにする。こうして残酷な殺人者はむしろマイヤーであったかのような印象が生じる。しかしマッティンガーにも奥の手がある。ナチ犯罪訴追センターの館長を参考人として法廷に呼び、マイヤーによるパルチザン兵の処刑が、戦時中の基準からすると必ずしも度を越した残虐行為であったわけではないことを証言させるのである。
 マッティンガーはこれで勝利を確信するが、ライネンが決定的な反撃をする。コリーニは、殺人に至るよりもずっと前に、法的にマイヤーを告発していたものの、ある法律にもとづいて第二次世界大戦中のマイヤーの行為が時効と判断され、検察局の捜査も中止されていた、という事実を明るみに出すのである。問題の法律は、元ナチ党員で、高名な法律家エードゥアルト・ドレーアー博士が起草した「秩序違反法に関する施行法」である。この法律によって、ナチスの最高指導部の人間以外は幇助者とみなされ、時効成立期間が短縮された。その結果、多くのナチ犯罪の罪を問うことができなくなったのである。コリーニ事件の背景が、このような戦後ドイツの司法にひそむ不正義であることが明らかになったところで、マッティンガーもライネンの勝利を認めざるをえなくなる。
 フィスマン理論との接点として第三に、この小説は「裁判劇」を内容としている。(ベンヤミンやフーコーと同様)フィスマンが見るように、そもそも裁判に演劇との類縁性があるとすれば、そのような「劇としての裁判」を描く文学は、それ自体がある意味で裁判の延長であるととらえられる。実際には開かれることのなかった訴訟を描くことによって、文学はいわば「もう一つの訴訟」――オーストリアの作家エリアス・カネッティのカフカ論のタイトル――となる。さかのぼればすでにフリードリヒ・シラーが同じような考えを表明している。「世俗の法律の領野が終わるところで、舞台での裁判が始まる。正義が黄金に目がくらみ、悪銭をほしいままにするとき、権力者の悪行が正義の無力をあざ笑い、恐怖心が役所の両手を縛ってしまうとき、劇場が〔正義の女神ユスティティアとして〕剣と天秤を手にとり、悪党を厳格な法廷の前に引きずり出すのである」(Friedrich Schiller: Sämtliche Werke. München 2004, Bd. 4, S. 823)。
 『コリーニ事件』がきっかけとなり、ドイツ連邦法務省はドレーアーの立法の経緯を歴史的に検証する委員会を立ち上げた。その結果2016年にはドレーアーの意図的な法案の操作に対する嫌疑が公式レヴェルで認定されている。「もう一つの訴訟」としての文学が、戦後ドイツの法秩序に内在する不正義に光をあてたことに、この小説の特別な意義がある。

【目次】

はじめに

Ⅰ 記号と物語

第1章 構造主義(下澤和義)
第2章 物語論(赤羽研三)
第3章 受容理論(川島建太郎)
第4章 脱構築批評(巽孝之)
◆コラム 法と文学(川島建太郎)

Ⅱ 欲望と想像力

第5章 精神分析批評(遠藤不比人)
第6章 テーマ批評(小倉孝誠)
第7章 フェミニズム批評(小平麻衣子)
第8章 ジェンダー批評(小平麻衣子)
第9章 生成論(鎌田隆行)
◆コラム 研究方法史の不在(小平麻衣子)

Ⅲ 歴史と社会

第10章 マルクス主義批評(竹峰義和)
第11章 文化唯物論/新歴史主義(山根亮一)
第12章 ソシオクリティック(小倉孝誠)
第13章 カルチュラル・スタディーズ(常山菜穂子)
第14章 システム理論(川島建太郎)
第15章 ポストコロニアル批評/トランスナショナリズム(巽孝之)
◆コラム 文学と検閲(小倉孝誠)

Ⅳ テクストの外部へ

第16章 文学の社会学(小倉孝誠)
第17章 メディア論(大宮勘一郎)
第18章 エコクリティシズム(波戸岡景太)
第19章 翻訳論(高榮蘭)
◆コラム 世界文学──精読・遠読・翻訳(巽孝之) 

あとがき

参考文献 
事項索引 
人名・作品名索引 

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著者略歴

  1. 川島 建太郎

    慶應義塾大学文学部教授。博士(Ph.D.)
    著書にAutobiographie und Photographie nach 1900(transcript,2011)、『世界文学へのいざない』(共著、新曜社、2020年)、『モノと媒体(メディア)の人文学』(共著、岩波書店、2022年)など。

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