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中島京子講演会「わたしを育てた本たち」@教文館ナルニア国

読書と創作はつながっていた

2022年11月17日に銀座の教文館ナルニア国で、『ワンダーランドに卒業はない』刊行を記念して、中島京子さんの講演会が開かれました。テーマは「わたしを育てた本たち」。初めて出会った本、幼いころ繰り返し読んだ本、思春期を支えてくれた本……。本、そして言葉への想いにあふれたトークを2回にわたってお届けします。

姉と二人で出版社ごっこ

 この夏、私は引っ越しをしました。高齢の母を一人にはしておけないと、実家をリフォームして一緒に住むことにしたんです。なにより大変だったのは、実家の整理です。何十年もの間に溜まったものが山ほどあって。両親がフランス文学の先生だったので、本がものすごくあるんです。もちろん自分の家も整理しなくてはならず、こちらも本が多いので、段ボール300個にもなりました。

 実家には子ども時代に読んだ本が残っていて懐かしいです。私の生涯初めての自分の本は『ちいさな うさこちゃん』(ディック・ブルーナ文・絵/いしいももこ訳、福音館書店)です。引っ越しするときも必ず持っていき、また一緒に戻ってきました。『うさこちゃんと うみ』(同上)や『ふしぎな たまご』(同上)なども買ってもらってとてもうれしかったので、それらに自分で名前を書いています。でも字が書けないときに書いているので、縦棒や横棒や丸があったりしてハングルみたいに見えます(笑)。

 私は小学校に上がる前に、3つ年上の姉〔エッセイスト・翻訳家の中島さおり氏〕と二人で出版社ごっこをやっていました。両親は大学の先生でしたが、副業として翻訳をしていました。ですから、家にときどき編集者さんがいらっしゃいます。会社というのはよくわからないけど、うちに時々お菓子などを持って来てくれるあの人たちが会社の人だと思っていました。だから、会社というのは出版社だとしか思えなかったんですね。

 出版社の名前は「しど社」といいます。シライという人とドマキという人がやっているから「しど社」です。姉がシライで、私がドマキです。シライとドマキは詩集の編集者です。一方、詩人は、社長という人と部長という人で、二人はきょうだいです。でも、子ども心に詩人だけでは食べられないと思っていたのか、社長と部長の本業はお百姓さんで、すり鉢状の段々畑でキャベツを作っているんです。その底に家があるので、シライとドマキは段々畑をぐるぐると歩いてお原稿を取りに伺います。しかし、シライとドマキは絶対に一緒に行動はしません。シライが原稿を取りに行くときは、社長である私が、ドマキである私が原稿を取りに行くときは、部長である姉が対応しなければならないからです。

 最初に出したのは、社長と部長が書いたものではなくて、北原白秋が書いた『からたちの花がさいたよ』という子どものための詩集です〔現在は岩波少年文庫に入っている〕。「あめふり」とか「待ちぼうけ」などが出てくる童謡選で、姉妹のお気に入りでした。詩集は文章が短いので、出版しやすかったんでしょうね。好きな詩を選んで写しました。どのように作るかというと、一枚の画用紙にクレヨンで色を塗ります。それをもう一枚の画用紙の上にひっくり返して乗せて、その上から字を書くと下に転写されます。そうして2部ずつ作っていました。

 版権など無視して海賊版のようなものを出していたのですが(笑)、そのうち自分たちでオリジナルも出したくなりました。姉と私(=社長と部長)で創作をして詩集を出しました。これが最初の創作体験です。『からたちの花がさいたよ』はまさに私を育てた本の1冊です。こんなふうに私のなかでは、本を読むことと創作することとは、小さな頃からすごく密接につながっていました。

国語のノートに長編小説

 私は、中学生のときに、最初の長編小説を書き始めました。萩尾望都さんなどに影響を受けた、紅毛碧眼の少年が出てくる話だったと記憶しています。でも、なぜか国語のノートに書いてしまったんです。学校が嫌いで、授業もあまり聞いていなかったのでしょうね。これが父に見つかってしまいました。

 夜中に目覚めると、食堂に父と母が深刻な顔をして向かい合っていました。父が「京ちゃん(=私)の頭にはクモの巣が張っている」と言い、母は反論もせずに下を向いていました。頭にクモの巣が張るのは、国語のノートにあんな訳のわからないものを書いているからだ、ということになってしまい、そのようなことは二度としてはいけないと言われました。これが、中島家で有名な言論弾圧事件です(笑)。それ以後、私の執筆活動は、父に見つからないように、地下に潜行することになります。この時期によく読んでいたのは、ヘルマン・ヘッセとかサリンジャーでした。

 高校生のときにもこっそり長編小説を書いていました。机の上にノートを広げたままにしていたら、当時大学生だった姉が読んでしまったんです。私が戻ってくると、姉が笑いながら読んでいる姿を発見しました。ふつう秘密で書いているものを読まれたら怒りそうなものですが、私にとってその盗み読みはとても幸福な体験でした。初めて私が読者を得たんです。姉は「面白かったから、書いたらまた見せて」と言いました。こうなると連載小説ですね。

 このときに書いていたのは、庄司薫さんの『赤頭巾ちゃん気をつけて』のようなものでした。庄司薫さんの作品は大好きで繰り返し読んでいました。薫くんシリーズ4部作――『赤頭巾ちゃん気をつけて』『さよなら快傑黒頭巾』『白鳥の歌なんか聞えない』『ぼくの大好きな青髭』――は、高校生の日常の話だから入りやすくて、これなら書いてみられると感じました。庄司薫さんは、まちがいなく私を育てた作家の一人です。もっとも、庄司薫さんが育てた作家はたくさんいるのではないでしょうか。ティーンエイジャーの饒舌体小説は、あれ以後の小説にとても影響を与えているように思います。『ぼくの大好きな青髭』が出た年に、橋本治さんが『桃尻娘』でデビューされます。女の子の饒舌体小説として度肝を抜いたこの小説も、薫くんシリーズの影響を受けていると思います。

音にしたときに楽しいか?

 この夏『ワンダーランドに卒業はない』というエッセイ本を出しました。小説を主に出してきたので、あまりこのような本を出したことがありませんでした。京都の出版社さんから、自分で文字を読めるようになった子どもが読むような本についてのエッセイを書きませんか、という依頼を受けたのが始まりです。小説だと連載の形で雑誌に発表することが多いのですが、この本は丸ごと書き下ろしです。といってもそれは大変なので、1章ずつ書いては編集者さんに渡すことにしました。ちょうどコロナのただ中に黙々と児童文学を読みなおしては書いていたので、自分自身と対話するようでなかなか面白かったです。

 本の中で、『クマのプーさん』や『鏡の国のアリス』など口調のいい作品をいくつか取り上げました。じつは私、本を読むときに、全部頭の中で音にしてしまうんです。だから読むのがとても遅いのですが、音にしたときに楽しいことは私にとって大切なことなんです。

 『クマのプーさん』(A. A.ミルン著/石井桃子訳、岩波少年文庫、2000年)のなかで、インテリのフクロが「おたじゃうひ、おやわい、およわい」と書きます。これが頭の中にしっかりと入っていて、いまだに誕生日になると、姉とこのフレーズを送りあっています。

 プーは天性の詩人です。なかでも傑作は「プー作の物音」という詩です。

 

ああ、コチョウとんで 冬は去りゆく

プリムローズが 見らりょと咲けば

ヤマバトたちは ゴロッポとないて

葉かげのスミレ 青く色づく

さあ これからだ 森のさわぎは

 

(中略)

 

春がほんとに きたんだだんだ

耳をすませば ヒバリなく音ねも

ツリガネ草の なる音ねもきこえて

カッコがカッとやり コウとなけば

プーもたまらず プーとなくよ

 

 私はこの詩が本当に好きで、花が咲くと「見らりょと咲けば」というフレーズが頭に浮かびますし、春一番が吹いて桜が咲い始めたときには「春がほんとに きたんだだんだ」というフレーズが巡ります。

 夏に翻訳家の鴻巣友季子さんとの対談する機会があり、この詩の原語について教えていただきました。そして石井桃子さんの卓越した翻訳にあらためて驚嘆しました〔詳細は作家 中島京子×翻訳家 鴻巣友季子トークイベント「ワンダーランドの迷宮へようこそ」@東京・代官山蔦屋書店を参照〕。 

 『鏡の国のアリス』にはあの有名なハンプティ・ダンプティが登場します。もともとはイギリスのマザーグース(伝承童謡)に出てくるキャラクターですね。Humpty Dumpty sat on a wallから始まる童謡がありますが、これをみなさんならどう訳されますか? 「ハンプティ・ダンプティが塀に座った」ですよね。でも、ある大学の先生が書いていたのですが、「壁に座った」と訳す学生さんが多いそうです。たしかに辞書を引けば、最初に出てくる意味は「壁」です。壁にはもたれかかるかもしれないけれども、壁に座るのはちょっと無理があります。その先生がおっしゃりたかったのは、翻訳するときには辞書で見つけた単語を当てるのではなくて、どのような情景なのか考えて訳しましょう、ということでした。私は英語はそれほどできませんが、「ハンプティー・ダンプティー、塀の上」というフレーズが頭の中に入っているので、on a wallを見たときに訳しまちがうことはありません。このようなことからも、耳から入っていることの面白さを感じます。

イメージと言葉のストック

 みなさんはパドルダックという名前に聞き覚えはありますか? 「ピーターラビット」シリーズの『こねこのトムのおはなし』(ビアトリクス・ポター作・絵)のなかに、アヒルのパドルダック一家が出てきます。子猫のトムと姉たちが脱ぎ捨てたすてきなお洋服を、アヒルのパドルダック一家が拾って、身に着けて歩くんです。よたり、ぱた、ぱた、ぱた、よたり、ぱた、というふうに。

 家族で旅行をすると、なぜか父、母、姉、私と一直線に並び、ひたすら歩きます。そして、だんだん疲れてくると、私と姉は「ぜったい、これはパドルダック一家だよね、私たち。今、よたよたと歩いているよね」と言いあいました。今でも、そのように一列になって疲れて歩くことを「パドルダック一家歩き」と私は呼んでいます。

 このお店の名前〔教文館ナルニア国〕にもなっているナルニア国物語も、『ライオンと魔女』を中心に本で取り上げました。3巻の『朝びらき丸 東の海へ』に「のうなしあんよ」という1本足の小人が出てきます。すごい名前ですよね。クマのプーさんのように、ちょっとおばかさんで「のうなし」と呼ばれています。でも、ネズミの族長リーピチープが「えらくてかしこい1本足の方がた」と呼びかけたことから、小人たちは新しい名前が気に入って、「いっぽあんよだ。ひゃっぽあんもだ。いんもあっぽだ」と言っているうちに少しずつ変になっていき、最終的には自分たちのことを「のうなしあんよ」と呼ぶことにします。

 この「のうなしあんよ」という言葉も響きました。私の中では、あまりきちんと理解できないために、変な形で頭に入ってしまった言葉という定義がなされていて、「ダメ。やはり私はこれをわかっていない。まだ“のうなしあんよ”な状態だわ」というふうに使っています。

 こんなふうに私の頭の中には変な言葉がいっぱい詰まっています。それは子ども時代の読書の財産ですね。

後編へ続く


中島京子『ワンダーランドに卒業はない』がためし読みできます!

まえがき 『ワンダーランドに卒業はない』より

「不要不急」と灰色の男たち――ミヒャエル・エンデ『モモ』

物語に没頭する、圧倒的な幸福感――ロバート・ルイス・スティーヴンソン『宝島』

目次

まえがき

1 プーの森で、ことばと遊ぶ――A・A・ミルン『クマのプーさん』『プー横丁にたった家』

2 銀河ステーションから、めくるめく幻想世界へ――宮沢賢治『銀河鉄道の夜』

3 二人がそれぞれ、親友のためにやったこと――エーリヒ・ケストナー『点子ちゃんとアントン』

4 物語に没頭する、圧倒的な幸福感――ロバート・ルイス・スティーヴンソン『宝島』

5 教訓を見いだそうとする者は追放されるだろう――マーク・トウェイン『ハックルベリ・フィンの冒険』『トム・ソーヤーの冒険』

6 植物とコミュニケートする農系女子――フランシス・ホジソン・バーネット『秘密の花園』

7 ワンダーランドは卒業を許さない――ルイス・キャロル『鏡の国のアリス』

8 「衣装だんす」で、ファンタジーと出会う――C・S・ルイス『ライオンと魔女』

9 コロボックルはわたしたちの先生なのだ――佐藤さとる『だれも知らない小さな国』

10 愛があれば。愛さえあれば。どんなに世界が苛酷でも。――カルロ・コッローディ『ピノッキオの冒険』

11 才能ある女の子の行く末は――ジーン・ウェブスター『あしながおじさん』『続あしながおじさん』

12 ウェンディの哀しみ――J・M・バリー『ピーター・パンとウェンディ』

13 「不要不急」と灰色の男たち――ミヒャエル・エンデ『モモ』

14 人間が想像できることは、必ず人間が実現できる――J・ベルヌ『二年間の休暇』

15 反省、赦し、和解こそが、知恵である――ルーネル・ヨンソン『小さなバイキングビッケ』

16 落語の世界に通じる『ラッグルス家』の物語――イーヴ・ガーネット『ふくろ小路一番地』

17 「時」とはなにか? 時間旅行SFの金字塔――フィリパ・ピアス『トムは真夜中の庭で』

18 二十一世紀の読者のために作り直された、ル= グウィンからの贈り物――アーシュラ・K・ル= グウィン『ゲド戦記』

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著者略歴

  1. 中島 京子

    1964 年、東京都生まれ。東京女子大学文理学部史学科卒。
    出版社勤務、フリーライターを経て、2003 年『FUTON』で小説家デビュー。
    2010 年『小さいおうち』で直木賞、2014 年『妻が椎茸だったころ』で泉鏡花文学賞、2015 年『かたづの!』で河合隼雄物語賞、柴田錬三郎賞、歴史時代作家クラブ賞、同年『⻑いお別れ』で中央公論文芸賞、2016 年日本医療小説大賞、2020 年『夢見る帝国図書館』で紫式部文学賞、2022 年『やさしい猫』で吉川英治文学賞、同年『ムーンライト・イン』『やさしい猫』で芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。

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