質的調査と理論
『女性ホームレスとして生きる〔増補新装版〕』の刊行(2021年9月)を記念して、トークイベントを開催しました。著者の丸山里美先生と、同書に解説「出会わされてしまう、ということ」を寄稿してくださった岸政彦先生による対談の一部を、全4回にわたってお伝えします。
いよいよ最終回。第4回では、質的調査の極意に迫ります。
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ぼくらってそんなに自由じゃないし、そんなにランダムに生きていない
丸山 院生を指導していて困ることのひとつに、インタビューの代表性の問題があります。質的調査を教えていると、われわれは量的調査と違って数少ない対象しか調査出来ないわけで、どうやって代表性を考えたらいいのか。
うまく言えないんですが、私は基本的に、質的調査では代表性なんて考えなくていいと思っている。でも院生の研究計画を見た時に、この計画だと代表性が問われるから良くないなと思うものがあるんです。そこをどう説明していいかわからなくて。
岸 これは、3時間くらい時間欲しいな……(笑)。このことについては、2周くらい考えが回っていて、ちょっとこの短時間では説明できない。でもベタな話をすると、20~30人話を聞いていくと、代表性の問題ってあまり関係がない。こういう状況でこういうことを人がするんだなと見えてくる。
丸山 それは感覚としてわかります。
岸 ぼくらってそんなに自由じゃないし、そんなにランダムに生きていない。多様性はあるけど、そんなに個人はバラバラではなくて、似たような状況にいる人はだいたい似たような事をするんですよ。ぼくらは自由にバラバラに生きているんだけど、構造に規定されているんで。ある程度の人数を聞くとなんかわかってくるというか。
丸山 それはどんなテーマでも20~30人?
岸 それは、いろいろなパターンによって違うでしょうね。これは、すごいしょうもない、誤解を招きかねないので、ただの世間話として聞いて欲しいんですけど、Twitterにアンケート機能ってあるでしょう。あれ、面白いからよくやるんですよ。駅とかショッピングセンターみたいなとこの、公共のトイレのウォシュレット使うか使わないかを聞いてみて、7割が使わないのでびっくりしたんだけど(笑)。あれって、スタートして10名くらいで、3割と7割で固定するんですよ。あと1万人くらい答えても変わらない。質問が単純だからできるんですけどね。人間ってひょっとして10人くらいやればわかるんかなと、思うこともある。
丸山 院生によく「何人くらいにインタビューしたらいいと思いますか?」と聞かれるんですけど。
岸 言われるよね。わからんよな。
丸山 わからないですよね。
岸 だから、20~30人という数字設定は勘です。根拠があるわけではない。でも1万人に聞く必要はないと思う。でも二桁聞くとけっこういろんなことがわかる。
理論がないと何十人聞いてもわからない
丸山 岸さんの『同化と他者化』(ナカニシヤ出版)を読むと、すごく納得させられるものがあります。だけど、じゃあ院生がランダムに40人にインタビューしてきたら、それで構造が捉えられるのか、とも思う。
岸 代表性については、『社会学はどこから来てどこへ行くのか』(有斐閣)で量的調査をする人と喋っていたときに痛感したことがあります。量的調査は、確率の概念に基づいてやってる。例えば母集団からバイアスなしでサンプルを抜き出す、そしてこんどは逆にサンプルから母集団を推定する。これが代表性ですよね。これは確率という概念が基になっていますよね。この確率で、この範囲なら言えると。
質的調査にはそうしたものがない。でもそのかわりに「理論」があると思ってます。だから理論の勉強を相当しないと、何人聞いても分からないと思う。例えば、『同化と他者化』でいうと、「差別されたことがありません」と言っている人がみんな本土就職からUターンして帰ってくる。それがなぜか知るために、マイノリティにとってアイデンティティとはなにかについて相当勉強した。その理論を確率概念の代わりに使っているところがある。
書けないのは理論がないからです。大きな自分のテーマや対象があって、自分のデータがあっても、その間をつなげる理論がない。だから院生にはちゃんと古典を読みましょうと言っている。ブルデューなりなんなり。それをそのまま当てはめたらいかんけど。丸山里美の場合は、ジェンダーの理論から女性ホームレスを見たから、この本が書けたわけでしょう。
丸山 バトラーとギリガンですね、私は。
岸 そうした理論がないと何十人聞いてもわからない。いまうちの院生で、沖縄のシングルマザーの聞き取りをしている人がいますが、家族社会学の理論についてかなり幅広く勉強している。沖縄のことだけ勉強してても何もわからないんです。
やはり研究をするには、興味の範囲を広げてどれくらい読めるのか、インプットできるのかが勝負です。みんな横に広げませんよね。テーマが大事な人ほど、テーマに引きずられてしまう。特にテーマが深刻な社会問題だったら、有効な支援策を考えたくなって、バトラーやブルデューなどは読んだりしない。
ぼくがいる先端研は、社会学研究科ではないので、社会学者になれとは言えないんだけど、なんでもいいから自分で、人類学でも哲学でもなんでもいいから学問のジャンルを決めて、愛着を持ってほしいと言ってます。自分がやっているテーマが沖縄の出稼ぎだったら、沖縄の労働力移動だけを調べてみても、先行研究がちょっとしかない。でも社会学が好きになって、「丸山里美さんの新刊出てるじゃん。読もう」ってなってほしい。そうしないと理論っていうものが身につかない。……めっちゃ説教臭い話してるやん、俺。何やねんな(笑)。だんだん大学院の指導の話になってきましたね……。
どれくらい諦めないかだけじゃないですか
丸山 でも理論が先にあるとフィールドワーカーとしてダメじゃないですか。でも理論がなくてもダメじゃないですか。
岸 その通り。「現場と研究室の往復が大事」と、凡庸な言い方になってしまいますが。ぼくも、沖縄で10年くらい聞き取りしてやっとマックス・ウェーバーがわかるようになった気がします。あの『理解社会学のカテゴリー』なんか、学部生の時に読んでもわからないわけですよ。「行為には理由がある」って書いてるけど、当たり前やろ! と。でも沖縄で調査をして、自分が書く側に回った時に、行為には理由があるんだよ! そうだよ! そうだよ! とめっちゃ感動した。だから往復しないとわからないです。
丸山 そうですよね。フィールドワーカーは調査をして、想像すらしてなかった現実が出てきたときにこそ、そこを掘って行きたくなる。でも他の分野の方の研究と接する機会があると、理論ありき、結論ありきで、その研究者の主張したいことに合わせて、調査をしてるように見えてしまうこともあって。
岸 増補版のところで、女性の貧困の状態が変わっているので、この本の内容も古くなっているのではと書いていましたよね。でもぜんぜん古くならないと思いますし、普遍的なことが書いてあると思うんですよ。もちろん公園で野宿している女性は減っているかもしれませんが、こうした状況に陥った女性がどんな行動を取るのか、非常に普遍的なことが書かれている。
だから、「レアケースだけど、掘っていきたくなるな、面白いな」と丸山さんが感じているものには、普遍性があると思うんですよ。その面白さは、読者と共有できるはず。単にレアケースで個別でしかないものは、ひっかからない。
丸山 ちなみにいいエスノグラフィやいい質的調査が出来る条件とかあると思いますか。こういう人だったらとか。
岸 ないない。ないよ。この前も、中国の留学生の院生さんからメールで相談されて。「人見知りなんで上手いことインタビューできません」と。「ぼくもです」と返事をした(笑)。ないですよ。それは。どれくらい諦めないかだけじゃないですか。途中で諦めずにしつこくできるかどうか。
丸山 そう。諦めないかは重要ですよね。
岸 丸山さんの話聞いてて、ああ、俺もそうやったとなるんです。最初、うまく現場に入れなくて。ちょっとずつちょっとずつ、オズオズしているんですよね。そこでね、諦めた丸山里美さんが100人くらいいると思うよ。この本を書くまでね。そこでね、諦めなかった一人の丸山里美が続けてたんだというか。よく諦めなかったなと思う。よく諦めずにここまで来たなと思う。それだけちゃうかな。
丸山 うーん。確かにな。
岸 でもそれは無神経にいつまでも居座って、開き直ってやるんじゃないねんな。明らかに現場でやらかして、嫌われて、やめた方がいいのに続けるのはダメだしね。一概に言えないよね。だからなんにもない。難しい質問よね。齋藤さんはなんだと思いますか?
齋藤直子 調査者とか研究者一般に言えることだけど、やっぱり素直さですかね。
岸 いいこと言うな。素直さな。そうやな。根がいいとかね。相手も人間やからな、関係性つくってちょっとずつやるしかないもんな。沖縄でめちゃくちゃ叱られた時があって、菓子折り持って謝りに行った。その時に実感したんですよ。これがフィールドワークやと。開き直ったらあかんけどね。
全体としてこういう状況だったと書きたい
岸 最後に視聴者の方から質問が来ているので、答えていきましょうか。
質問:理由は語り手が認識しているものか、聞き手が理由として見るものなのでしょうか。
岸 この区別をぼくはしないです。これを言い出すと、「本当の理由をどうやって知るのか」みたいな話になってくる。もうちょっと受け身ですね。相手が思っている理由とこっちが解釈した理由がズレていたらどうするのかと、査読でも良く言われます。でもそういうことをあまり考えた事がない。迷ったことがない。
個々の行為にひとつひとつ理由を当てはめているわけではないんですよ。例えばある人が、1度目にUターンしたときの理由はこれで、2度目の理由はこれで、とやっているわけではない。全体としてこういう状況だったと書きたい。それは穏当な話で、誰でもそうだろうというものになる。
もうひとつは、そんなに語りから離れずに書けるんだよね。それに基本的に本人チェックをしてもらうので。ちなみに逆のことはありましたけどね。こっちの理論に沿って書き直してくれた人がいて(笑)。これはお話して元の語りに戻しましたが。だから、理由っていうのは、もうちょっとスパンが長いというか。
丸山 私だったら、ズレがあったらそこを掘り下げてもう一回インタビューをします。こないだこういう風におっしゃっていますけど、どうなんですか? とか、こういう解釈も成り立ちますけどどう思いますか?とか。
岸 調整して行くんですよね。一個の行為に一個の理由をつなげるんじゃなくて。丸山さんが言った複数のインタビューというのは、本人と調整していくわけですよね。
丸山 そうですね。
岸 齋藤直子さんも、何を書くにも必ず本人にチェックしてもらってますよね。これも調整ですよね。ぼくの場合はワンショットが多いけど、ひとつの限定したテーマでたくさん聞く。自分が人びとと調整していく感じ。ドナルド・デイヴィッドソンの影響が強いと思いますけど。相互調整としての理解。微調整を繰り返す理解のようなイメージがあります。だから、ひとつ聞いて、理由をひとつ決めつけているわけではないわけです。
丸山 あ、もう2時間経っていますね。最初はとても2時間なんて喋れないと思ったんですけど。
岸 いやいや、まだあと何時間でも(笑)。社会学面白いなー。それにしても、丸山さんの指導教官である松田素二さんが京大に入ることによって、フィールドワーカーがどんどん育っていきましたよね。あと我々が出会った、青木秀男のA研も大きかった。そこから社会学の雰囲気はガラッと変わりました。
丸山 今考えたらそうですよね。この前、面白い研究してるなあと思ってた知念渉さんに連絡を取ることがあったときに、私はおぼえてなかったんですけど、A研で昔会ってたことがあるとおっしゃっていて。いま私が面白い仕事をしているなと勝手に思っている人たちが、若い頃に出会って、相互に影響を与えあって来たんだなと思うと、感慨深いものがあります。
岸 そうですね。社会学の雰囲気が関西を中心に変わったなと思いました。
丸山 今は岸政彦が日本の社会学の見え方を変えてますよね。
岸 いやいや。ぼくなんか全然ですけど。でもいい方向に変わりました。
丸山 変わりましたよね。社会学の雰囲気って。質的調査の地位が非常に上がったと思う。
岸 質的調査をやる人自体はもともと多かったと思いますけどね。だいたい院生は金がないので、みんな質的でやるんですよ最初は(笑)。ただ脚光を浴びなかったですよね。沖縄の生活史っていうと、社会学でも一番地味だった。たぶん東京の社会学者からは、「こいつ、今までどこまでおったんや」って思われている。
丸山 ずっとおるわ、って感じですよね(笑)。
岸 そう、ずっとおる(笑)。
構成:山本ぽてと