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古代の哲学者たちは、どのように書き、伝え、受容されたのか

第1回 プラトンはαを使った

2021年5月に『はじめてのプラトン 批判と変革の哲学』(講談社現代新書)を上梓された京都大学大学院文学研究科教授の中畑正志先生。小社では、先生をお招きして、編集部のスタッフを中心に勉強会を行いました(2021年10月12日)。

講演のタイトルは「古代の哲学者たちは、どのように書き、伝え、受容されたのか」です。

古代ギリシャでは、知の内容だけでなく、知識の集め方や伝え方の面でも大きな変革が訪れていました。そのなかで、プラトンは「対話篇」という方法を編み出し、アリストテレスは書物と結びついた、現在まで続く知識のシステムを作り上げました。

いったいなぜ、どのようにしてそんな変化が起きたのか。中畑先生のお話を、4回にわたってお届けします。 

哲学史研究者は何を研究するのか?

 今日のテーマは「古代の哲学者たちは、どのように書き、伝え、受容されたのか」です。

 僕の主要な研究の領域は西洋古代の哲学で、特にプラトンやアリストテレス、そしてその受容の歴史について研究しています。彼らのような昔の哲学者の主張とか考え方を理解する上でのアプローチには、次の3種類が挙げられるかと思います。

(a)   その書物ないし間接的な記録を通じての理解

例)プラトンのイデア論、アリストテレスの徳の理論

(b)   思想史的系譜のなかでの理解

例)エピクロスの原子論とデモクリトスの原子論の関係

(c)  具体的な文化的・物質的環境のなかでの理解

 

 (a)は、古代の哲学者たちが残した書物、もしくは彼らの考えが伝えられたものを素材とします。それを通して、プラトンの本のなかに書かれているイデア論とはどういうものであるか、アリストテレスの主張する徳の理論とはどういうものなのかといったことについて考える。これは哲学史研究の基本です。

 しかし、それとともに、哲学の研究者たちはそれぞれの思想の文脈ということも考えます。これが(b)です。エピクロスの原子論は、その先行者としてのデモクリトスの原子論とはどういう関係があるのかとか、そういうことですね。あるいはもうちょっと広く社会思想とか、思潮と呼ばれる一般的な考え方との関係はどういうものなのか、ということも考える。これも思想を理解する上で基本になるものです。

 しかし、今日お話しするのは(c)についてです。つまり、当時の文化的・物質的な環境のなかで、それぞれの哲学者が考えたことはどういう意味を持っているのか、あるいはそういった環境のなかで考えるとどのように見えてくるのか、ということを理解しようということです。

 (a)と(b)は基本ですから盛んに研究がなされていますが、(c)は哲学の研究者たちが論じることは比較的少ない。また今日お話しすることも、プラトン、アリストテレスの研究者の間で必ずしも熱心に論じられていることではありません。とくに一般向けにはほとんど紹介されていないかもしれない。しかし(c)のようなことを含めてその哲学者の思想を理解することにも、やはり意義があると思います。

 私自身はこういった、いわば知識社会学にも関わるような事柄、とりわけ古代のそういった分野についての専門家でも何でもありませんので、必ずしも事情に詳しいわけではありませんが、おそらく他の研究者よりはそういったことに関心がある気がします。そして出版社の方々は、知を伝えるということに現場で深く関わっていらっしゃるので、きょうはこういう機会に、そうした方々と一緒にこういった問題をちょっと考えてみたいと思った次第です。

 あらかじめ断っておくと、具体的な文化的・物質的状況は哲学者の考え方に影響しているわけですが、下部構造が上部構造を決定するとか、その人の属する社会階級が思想内容を規定するという、マルクス主義的で大掛かりな議論をしようとしているわけではありません。例えばマルクスについていえば、マルクスは『資本論』を大英図書館にこもって書いたのですが、じゃあその当時、大英図書館にはどういう本がどのように配置されており彼はどのように使ったのかというような具体的な視点で考えるのに近い。つまり大所高所からではなくて、より地上的な視点から問題を考えてみたいと思っています。 

ことばと文字――ギリシャ文字の誕生

 きょう取りあげるプラトン、アリストテレスといった人びとは、だいたい紀元前5世紀から4世紀の頃にアテナイで活躍したわけですが、ではこうした哲学者たちの活動にとってその物質的・文化的な環境で重要なものは何なのでしょう。きょうはそれを、まず口承文化oralityと、読み書きの文化literacyという切り口から考えてみたいと思います。哲学者たちが、ものを考え、それを人びとに伝達するために使用するのは言葉ですが、その言葉は実際には話されたり聞かれたり、あるいは書かれたり読まれたり、というかたちで実現するからです。

 まず彼らが使用したギリシャ文字ですが、現在ではアルファベットと呼ばれるアルファαとかベータβから始まる文字です。これは大体紀元前8世紀(あるいは9世紀)ごろに成立したといわれています。有力な見方によると、フェニキアから伝わった子音だけを表す文字システムが先にあり、これを改良することによって、母音と子音とを共に表記するシステムが生まれました。つまり「あ」という音をαで表したりする、そういう文字の体系を作ったわけです。その結果、基本的に母音と子音全部を一対一対応で表すことができるシステムができました。

 これは極めて便利な表記法です。古代においても現代においても、さまざまな言語で使用されている文字にはそのように便利でないものが数多くあります。漢字を考えてもらえば分かりますが、字が複数の音に対応したり、文字の形が意味を持っていたりするわけです。

 ですが、ギリシャ文字は非常に単純な形で音と文字が対応している。同じ表音文字でも英語やその他の現代の言語よりもさらに対応がわかりやすい。そのぶんだけ、習得が容易である。これがギリシャ文字の顕著な特徴です。

oralとliteralをめぐる議論――literacyが理性を作ったのか?

 20世紀の半ばぐらいから、文化人類学の成果の影響もあり、あとで述べるホメロスの叙事詩の成立などに関連して、古代ギリシャにおけるorality:聴覚を中心とした口承(口誦)による文化と、literacy:文字の読み書きを中心にした文化の関係に関心が集まりました。この話のなかで取りあげる哲学者たちも、いわばこの2つの文化の併存ないし移行の時代に活動したので、この関係に注目することは有意義です。

 そしてそのなかで、いま述べたギリシャ文字の特質も注目されることになります。つまり、ギリシャ文字が普及しliteralな文化が形成されるなかで、それまでの社会や文化がどう変わったのか、ということが多く議論されるようになりました。研究が隆盛となる当初の論調では、このoralityとliteracyの対比と、literacyの意義が強調されました。ギリシャ文字は比較的習得が容易な文字なので、この習得によるliteracyの拡がりが、古代ギリシャにおける文化的達成や社会のあり方に関係するだろうと考えたわけです。

 例えばジャック・グッディとイアン・ワットは、literacyというものは民主制や合理的な考え方、そして哲学の形成を促進したという主張を1963年に既にしています。ギリシャの社会、とりわけアテナイに特徴的なのは民主制の導入ですが、そうしたことについてもliteralな文化との関係が考えられたわけです。

 また、『プラトン序説』という邦訳もある有名な研究者のエリック・A・ハヴロックは、文字の導入と哲学的な思考を結び付けて考えました。ハヴロックの言い分は、音と文字との一対一対応という特質は、言語をその構成要素へと分けることに結びついて、分析的な精神を促進したというものです。そしてプラトンはoral な社会の特質に刃向かい、それを除去しようとしたとも語っています。

 あるいは『声の文化と文字の文化』で有名なウォルター・オングは、literacyは音声という捉えどころのない世界を、抽象的で分析的な、それでいて視覚に訴える形でコード化したのだと言っています。つまり、literacyの文化が生まれることによって、抽象的で分析的な思考が発展したのだと

 以上のような見解は一見したところ分かりやすい主張であり、もしそのとおりなら哲学のあり方を考えるうえでも重要な論点を示していることになります。しかし、ちょっと具体的に考えてみると、果たしてそういうことが言えるだろうか、疑問が残ります。

 実際にこういう人たちの主張は、かなり実証性に欠けていました。まず、実際にいつごろどのような人々がどのような仕方で文字を使用したのか、という点から考えなければなりません。古代の人々の間で一気に文字が広がったわけじゃなくて、特定のある人々がある用途のために文字を使った。最初は「取引をきちんと記録に残す」とか、そういったことに使われたかもしれません。そういった具体的な使用にもとづいて、それが人々の思考にどのような影響を与えたのかを説明することは十分にできていませんでした。

 また、つぎのような疑問も当然起こります。なぜ文字が普及した他の地域では、アテナイで見られるような、哲学やさまざまな文化の興隆というようなことが起こらなかったのでしょうか。文字はアテナイだけではなくて、たとえばライバルのポリスであるスパルタにもアテナイほどではないにせよ、ある程度には普及しています。しかしスパルタはいわば軍事政権で、民主制は誕生しなかった。また哲学やさまざまな歴史記述、劇というものがここで栄えたということもありません。ギリシャ文字が導入されて、それが学びやすかったということだけでは説明がつかないことが多い。

 必要なのは、商行為、政治運営、あるいは演劇などそれぞれの営為において、どういうふうに文字が使われたのかということをたしかめることでしょう。そのなかで、民主制との関連では、法律の起草や公文書の作成、記録の仕方などが重要になるでしょう。これから見ていく叙事詩とか悲劇とか哲学、医術などにおいても、じっさいの文字の使用の仕方にもとづいた考察が求められるはずです。

 たとえば、文字ないしはliteracyと政治や権力との関係を考える場合に、文字の力、あるいは文字の権力性を端的に示す、きわめて具体的な例があります。

 これはご存じかもしれませんが、アテナイには陶片追放という制度がありました。これは、指導者のなかで不適切だと目される人物についてそのように認める票が6000人分くらい集まると、そいつを国外に追放することができるという制度です。世界史などでも習った記憶がおありだと思います。この制度にもとづいて人びとは陶器のかけらに追放すべき人の名を書きます。これは文字の力を、文字どおり示しています。

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著者略歴

  1. 中畑 正志

    1957年、長野県生まれ。専門は西洋古代哲学。京都大学大学院文学研究科博士課程修了後、東京都立大学人文学部助手、九州大学文学部助教授を経て、現在、京都大学大学院文学研究科教授。著書に『はじめてのプラトン 批判と変革の哲学』(講談社、2021年)、和辻哲郎文化賞を受賞した 『魂の変容——心的基礎概念の歴史的構成』(岩波書店、2011年)などがある。また『新版 アリストテレス全集』(岩波書店)の編集委員を務める。

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