第2回 声に出して読みたいホメロス
人々の思考の方法や、政治体制にまで影響を及ぼしたかもしれない、ギリシャ文字の登場。第1回では、そんな文字が持つ力についてお話しいただきました。それでは、文字と対になる「話し言葉」はどのような力をもっていたのでしょうか。第2回は、詩人・ホメロスがギリシャのなかで果たしていた役割からはじまります。
口伝えされる詩
では、まず口承の文化oralityというものは具体的にどういうものだったのかということについて簡単にお話をします。これを代表するのはホメロスの叙事詩です。ホメロスは紀元前8世紀ぐらいに『イリアス』と『オデュッセイア』という本を書いた詩人、ということになっています。
学者の間では「本当にホメロスが書いたのか」とか、あるいは「『イリアス』と『オデュッセイア』は同一人物が書いたのか」というような論争があるのですが、こうしたこともoralityと関係があります。当時は、吟唱詩人(アオイドス)という、キタラという楽器(現代のギターにつながる)などを持って詩を弾唱して回る専門の詩人たちがいました。ホメロスに帰される作品も、もともとはそうした人びとのパフォーマンス、つまり、口で上演するなかで形成されたということです。
つまりそれは、「書いたものを読み上げる」のではなくて、「記憶しているものを朗唱する」詩です。ホメロスの叙事詩もそういう性格のものであるということを、ミルマン・パリーというアメリカの研究者が、エピセットと呼ばれるものの研究を通じて指摘しました。エピセットというのは、日本の歌でいう「枕ことば」に近い決まり文句です。ホメロスの詩にはアキレスという重要な人物が出てきますが、「足の速い」アキレスといったエピセットがつくわけです。なぜそんなものが付くかというと、詩の韻律に従って語り聞かせるためです。この言葉が詩の行のここに来たらこの定型句をつける、という形で、韻律を整えるのです。このエピセットは、言葉の意味とは直接は関係しない、詩の韻律を構成するためのものなのだということがあきらかにされました。
この工夫は、詩を朗唱と記憶によって作り、演じ、伝えるための工夫です。文字が導入されてそれらも書き記されていくわけですけれども、基本的にはこういう形で作られたものがホメロスその他の叙事詩だろう、と考えられています(ただしこれは、『イリアス』や『オデュッセイア』が、そうした伝統のなかで、ある偉大な詩人によってまとめ上げられたものである可能性を否定するものではありません)。
ですから、ホメロスの叙事詩は基本的に、朗唱によるパフォーマンスによって形成されていきました。その意味で、これがoralな文化のなかでつくられた最も代表的な作品と言っていいと思います。
「声に出して読む」教育
ホメロスは、やがてプラトンの時代に至るまでギリシャの文化の基礎をつくっていましたが、教育の場面でも中心的な位置を占めていました。クセノフォンという、プラトンと同時代の、ソクラテスと親しかった著作家がいます。彼は、自身の『饗宴』(編集部注:プラトンの『饗宴』とは別の作品)のなかである登場人物に次のように言わせています。
「父は私が立派な人間になるようにと、私にホメロスを全部暗唱させた。だからいまでも『イリアス』と『オデュッセイア』は暗唱することができる」
これが「全部暗唱できる」という意味なら、現代人にとっては、これはちょっと信じ難いことです。『イリアス』だったら岩波文庫でも2巻はあるわけですけれども、それが全部暗唱できる? 話を盛りすぎだと思われるかもしれませんが、文化人類学的な研究でも、ある民族のなかには現代でも実際にそういった韻文の記憶の技能を持っている人たちがいるとされています。少なくとも、当時の知識人たちはこの叙事詩の多くの部分を暗記し暗唱することができたでしょう。またこの暗記・暗唱の目的が「立派な人にする」ことであるというのは、ホメロスの詩のoralな性格がもつ教育的な役割を物語ってもいます。
同様に、これとほぼ同時代に、プラトンはホメロスの賛美者たちがこんなふうに主張していると記しています。
「この詩人(=ホメロス)こそがギリシャを教育してきたのであり、人生の諸事の運営のためには彼を取り上げて学び、この詩人に従って自分の全生活を整えて生きなければならない」と(プラトン『国家』)
このようにホメロスはたんに読まれただけではなく、朗誦され、記憶され、そして暗唱されることで、ギリシャ人たちのなかで文字どおり血肉化・身体化していった。それとともにホメロスの詩に含まれるある種の価値観といったものも、当時のギリシャの教育を通じて浸透していくわけです。
こうした教育にプラトンやアリストテレスも注目しました。そして彼らは、こうした詩を通じての教育が、知的能力を培うというより、さまざまな感情を養い、性格(エートス)の形成にかかわると考えました。プラトンは『国家』のなかで、体育とともに、ムーシケー(musicの語源です)と呼ばれる、とりわけ詩と音楽に関わる教育について詳しく論じています。そこでは、教育の内容だけでなく、「こういうリズム(韻律)や調べ(音階)だと、こういうふうな性格になるんでやめたほうがいい」とか、われわれから見ると「なんでこんな細かいことを言うんだろう?」と思うようなことまで書いています。これはいま述べたような背景があるからです。
oralな文化は、このように、プラトンの時代でも教育の根幹となっていました。以前に『声に出して読みたい日本語』というシリーズが一時期ベストセラーになったことがありますけれども、そのときに一部の人たちから、教育勅語の暗記・暗誦などの「戦前の教育を思い起こさせる」という批判的な意見が出たことがありました。そうした意見に対して多くの人は「過剰反応だろう」と考えていたように思いますが、以上の事情は、そうした警戒が必ずしも的外れではないことを示唆しています。
「ギリシャ文学」は矛盾している?
ホメロスはギリシャのoralな文化を代表する人物と言えますが、oralな文化の影響はホメロスの作品だけに限らず、詩と呼ばれるもの全体に及んでいます。詩というのは何かというと、簡単にいえば、「韻律に従って作成されたもの」です。ですから、叙事詩だけではなくて、抒情詩も、それから、悲劇も喜劇も、これらは韻律に従っている限り全部詩です。そして韻律は、ホメロスの場合にそうだったように、唱うこと、聞くこと、暗記・暗唱すること、つまりそのoralな性格と(少し雑な言い方ですが)密接に関係しています。oralな性格はこうした営み、抒情詩や悲劇や喜劇、そういったもの全体に浸透しているわけです。さらには、韻律に従わない散文の場合でも、「読書」の基本形態は声に出して読み上げること、そしてそれを聴くことでした。
ですから、oralityあるいはoralな性格は、古代ギリシャの詩はもちろん、散文も含めたいわゆるliteratureというもの全体に浸透している、といえます。少なくともヘレニズム時代以前、つまりアリストテレスが活躍する頃まではoralityは文化の基本にあったと考えられます。そのため、西洋古典の研究者のなかには「『ギリシャ文学(Greek literature)』というのは撞着語法(矛盾した言葉を含む表現)だ」と言う人もいます。literatureというのはliterateから派生した「書かれたもの」という意味をベースとした言葉ですが、ギリシャ文学と呼ばれているものはoralなものを基本にしている。古代ギリシャ時代の作品たちは、文字で現代に伝えられてはいるけれども、あくまで当時の文化の基本にあったのはoralなものだった。詩にしても劇にしても、読まれるものとしてではなく、実際に唱われ演じられたものとして存在した。劇の場合でも、一応台本はあるんですけれども、即興的にさまざまな形で変えられたりもしたようです。
したがって、oralityというものを考えるときに重要なのは、これは単なる聴覚を中心とした伝達手段の問題として考えない方がよいのではないか、ということです。つまり、耳で聞くか、目で読むかの選択ということではなくて、「散文も含めた文化の総体の基盤」としてoralityを考えたほうがいいのではないか。このお話ではoralな文化とliteralな文化というものをとりあえずそのように考えてみたいと思っています。つまり、先ほどはoralからliteralへという移行、二つの文化の対比を強調する意見を紹介したのですが、oralityとliteracyというのは必ずしも対立するものではありません。むしろ古代ギリシャの文化においても、literacyはoralityを補助し、それに貢献するものというふうに考えられていました。
その相補的関係は、現在で言えば、音楽での実際の演奏と楽譜、あるいは落語の口演と噺の筋の記録の関係が近いかもしれません。文字になったものは実際のパフォーマンスそのものではないんですが、さまざまなかたちでそれに役立っています。
本を「聞いていた」ソクラテス
さて、他方でliteracyつまり「読み書きの知識」が徐々に拡大していったこともまた間違いない事実です。それにはさまざまなルートがありますが、哲学という営みにとって重要なのは書物の普及です。当時の書物というのは、パピルスという植物の繊維を重ね合わせて作った「紙」にあたるものをつないだ巻物です。その書物は比較的早く流通していて、紀元前5世紀のアテナイでは、アゴラと呼ばれる公共の広場で結構売られていたらしい。『ソクラテスの弁明』のなかで、ソクラテスよりも少し年輩のアナクサゴラスという哲学者の書がだいたい1ドラクマ(現在の500円くらい?)払えば買える、と書かれています。
ところが、じゃあ本が普及したら世のすべてがliteralな文化に変わったかというと、そうではない。oralな文化も同時に存在していました。同じアナクサゴラスの本について、『パイドン』という対話篇のなかでソクラテスはこんなふうに言っています。
「あるときある人が、アナクサゴラスの書物、とその人は言っていたが、その本のなかから読み上げてくれて、万物を秩序付け、万物の原因は知性であると語るのを聞いたとき」
つまり、ソクラテスは、アナクサゴラスの書の内容を人が読み上げたものから「聞いていた」わけなのです。これが当時の読書というものの基本でした。
そのために、本を読む召し使いないし奴隷に近い人がいました。ある程度の人数がいれば、周りを囲んで、その者が読み上げるのを聞く。こうしたものが読書の基本形態だったので、書物が普及しても、声に出されるものを聞くという文化は消えなかったんです。
第3回へつづく